442 Lesson nine is on Cosmic and carnal cell activity. This is like any thing that we construct by using nature's materials to make things suitable for man's use. Through habits of the mind we create carnal cells. For the mind like the Son has the potentials of the Father. When the mind does not give credit to the Father it assumes that it operates on its own. And this brings a separation between the Cosmic Creator and the mental creator through the mis-use of the Cosmic Law. This is why the Father and the Son must work as one. As Jesus said, " I and the Father are One. I the mind and consciousness are one. Or I of myself do nothing but the Father that worketh through me does all of the work." Meaning, I the mind do nothing but the consciousness through the mind does it all. For a mind without consciousness is dead.
442 第9課は宇宙的細胞と肉欲的細胞の活動についてです。これは人間の使用に適するように自然の材料を用いて物を私達が作るのに似ています。心の習慣を通じて、私達は肉欲的な細胞を造り上げているのです。何故なら、心は父の潜在力を持つ息子のようなものであるからです。心が父の功績を認めない間は、心は心自身によってそれが動かされていると思ってしまいます。そして、このことが宇宙の法則の誤用による宇宙の創造主と心による創造者との間に分離を生じさせるのです。これが父と息子が一つになって働かなければならない理由です。イエスが「私と父は一つ。心である私と意識は一つになっています。あるいは私自身である私は何も行っておらず、私を通して働く父が行っているのです。」つまり、心である私は何も行っておらず、心を通じて意識が全てを行っています。意識無しには心は死んでしまうからです。


【解説】
 人体には宇宙意識に従い人体の維持を担う細胞群とは別に、心に従う細胞群が存在するという第9課の内容は多くの読者には意外に分かりやすい内容であったかも知れません。日々、自分の中に起る反応を観ればそれらの働きが良く分かるからです。
 例えば視覚や聴覚等、感覚器官に心地よいものはそれを受け入れ、尊敬し、憧れさえしますが、逆に不快なものは直ちに拒絶します。その際にはその感覚だけでなく、身体全体をその行動に駆り立てます。また、一度、感覚器官にとって不快な体験が記憶されると、二度目からはその微小な兆候に対しても過敏な反応をもたらします。これは各感覚器官に隷属する細胞群が感覚器官の周囲に増殖し、その肉体を支配しようとしていることを示唆するものです。
 私達はこれら感覚器官の奴隷に終わるべきではありません。その為にも自分の体内で起っているこれら心に隷属する動きについて監視し、それらを矯正する必要があるのです。