084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 この部分の解釈には迷うところもありますが、本稿では「私達の心を発達させれば、(テレビの助けを借りなくても)テレビが造り出すような映像も目に見えるようになる」と解釈しました。なお、一方ではテレビやラジオの受信器を造り上げたのは人間の心であり、私達が実際に気中に流れる電波を増幅して放送番組を楽しんでいること自体が「心の発達である」と解釈することを付け加えて置きます。
 さて、ここでのポイントは、心と意識の関係です。心(感覚)を鋭敏にすれば遂には大気中を飛び交う映像信号も感知でき、感覚の受信能力を高めることができる一方で、これら感覚は常に意識という遥かに大きな存在に依存しているということです。ヘレン・ケラー女史の例を待つまでもなく、人間は感覚を失っても肉体の維持に大きな支障はありません。意識があるか無いかが重要だとしています。これについては医療の現場で「意識があるか無いか」ということが大きな問題になっていますが、このことも本稿でいうテーマと関連しているものと思われます。
 肉体という家の中に心と意識の両者が住んでいるという例えは、私達にある意味、安心感を与えます。私達(心)は遥かに力があり家を絶えず守っている意識から多くのことを本来、容易に学ぶことができる筈だからです