075 We have been taught that the mind is the man as well as the knower. But as the mind is an effect, this statement is far from the truth. Yet within the form of man lives the knower. If the mind would humble itself and become the observer of the form through which it works, it would soon realize how little it does know. i.e. There is no question in our minds that we have brilliant people in the world, for the new inventions in the recent years prove this. In the field of electronics the things that are done could be called miracles. Things like correcting instruments from earth that are many miles out in space, and talking back and forth with a man in a capsule orbiting the earth. These accomplishments only show the potentials of the human mind when it listens to the guidance of consciousness. Yet with all of the knowledge at present there is not one man in the world that can create a human form and have it function as we do. But within the form there is that knowledge which manifests every day in the birth of children. Not to mention the thousands of other form creations.
075 私達はこれまで心こそが人間であり知る者であると教えられて来ました。しかし、心は一つの結果であり、この声明は真実とはかけ離れています。しかし、人体の内側には知る者が生きています。もし心が自らを謙虚にし、その知る者が人体を通じて働く様子の観察者になるならば、心はすぐに心がいかに少ししか分かっていないを自覚することでしょう。つまりこういうことです。世の中には素晴らしい人々が私達の中にいることについては疑問はありません。近年の新たな発明がそれを物語っています。エレクトロニクスの分野では為されている物事は奇跡と呼ばれても良いでしょう。宇宙空間に何マイルも離れている装置を地上から修正するようなことや、地球を周回するカプセル内の人間と相互に交信するようなことがそれです。これらの成就した出来事だけでも人間の心が意識の指導に耳を傾けた時に発揮する人間の心の可能性を示しています。しかし、今日の知識の全てをもってしても、世界中に一人として人体を造り出し、それを私達同様に機能させることが出来る人はおりません。しかし、その人体の内部には毎日、赤子の誕生として現出する創造的知識が備わっているのです。その他、何千もの他の創造物についても言うまでありません。


【解説】
 現代文明を造り上げた人間の能力は確かに優れたものがあります。それを成した「人間」の正体は私達の自我、あるいは心であるとし、人間は他の動物に比べて勝っているが故にこの地上を支配しているとして来ました。しかし、それは真実なのでしょうか。まず、私達の「心」なるものは、決して全能なものでなく、むしろ常に不安定で、それ自身で自立できない大変危うい存在であることを自覚する必要があります。これまで科学が進歩したのは、その得た知識を言葉として書き留め、記録に残すことが出来たからと思われます。各人の心は創造主の計らいにより真理の断片を掴む機会に恵まれますが、後人達はそれらをつなぎあわせることによって、今日の文明を造り上げたと言えるでしょう。
 しかし、自然界を見るとこれら創造作用は粛々と手際よく作業が行われ、実効を上げて行きます。そこに働く英知は無言です。心を指導するより大きな存在が働いていると言えるでしょう。私達の心は決して他の動植物より優れているという自尊心を捨て、もっと自然界の営みを観察することによって英知の現れを間近に見る必要があると言っているのです。