ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落093

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON THREE
The Application of Cosmic Law
093 In lesson two we left you with the term, "The Will of God." And the explanation that God is not responsible for your experiences. And to clear this we will use electricity as an example.

生命の科学-学習コース
第3課
宇宙的法則の応用 
093 第2課では「神の御意志」という言葉で、そして神はあなたの体験に責任がないという説明で話しを終えました。そしてこのことを明確にする為、一例として電気を取扱うことにしましょう。


【解説】
 私達は宇宙を貫く法則(仏教では"法"と表現しています)の下に生きています。それは物理や化学の法則と同じで何処でも誰にでも当てはまるものです。即ち、ある原因を作れば必ず遅かれ早かれ同様の結果が生じるということ、いわば"播いた種は刈り取らなければならない"という原理です。もちろん、精進努力を積み重ねれば思わぬ時に飛躍的に自らの環境が変化し望み通りになることもその一つですし、またその逆も同じです。
 本項では電気を例に、この後創造主の意志、宇宙の法則について説いて呉れるとしています。
 宇宙における様々な要素の一つである電気については未だ私達はその上辺だけの現象しか知りませんが、それでも電燈をはじめ様々な電化製品、電子機器を作り上げている現代では電気の無い生活は考えられません。それほどに生活に欠くことのできない要素をどのように観たら良いのか、以後の各段落で考える機会を得られればと思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。



【解説】
 "全て自分の力で思うように進めて行く"ということは、その反対に"何もせず、惰性に流れる"生活よりは良いのかも知れませんが、実はそれにも多くの問題があるのです。多くの場合、誤った心の解釈から他人を傷つけ、自身も後で後悔するような行為も多くなるからです。
 つまりは私達はこれら両極端でしか生きて来なかったのではないでしょうか。これに対し本講座では私達内部に、著者アダムスキー氏が何処かで述べたように"自分の手"よりも近い場所、私達の内側に"意識"があり、絶えず必要な指導を与えて呉れる状況を自覚、認識せよと説くものです。
 そのことを知覚出来れば、失敗は少なくなり、より充実し成果の挙がる生活に変貌させることが出来ると本章をまとめています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 期せずして段落087の解釈文と同じ主旨の内容が本文に記されておりましたが、まさにその通り、相手(即ち"意識")を信頼し、その指導の声に素直に従うところが重要となるということです。
 つまりはこの現世においては自分自身も含めて人間(エゴ)は平気でウソをつく者も多いのですが、各自の内側にある"意識"は私達を裏切ることなく、常に良い方向に導きの手を差し伸べてくる訳で、その導きに素直に従うことが必要で、あれこれ思いわずらうことはありません。
 そういう意味で、かつてイエスは"幼子"や"野のユリ"その他のように、私達は自分の中に与えられている本来は最も近しい存在である"意識"を信頼し、安寧に生きて行けと諭したということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。



【解説】
 確かに仏教も含めてあらゆる宗教、哲学上の究極の教えと本講座の目指す所は大変類似しています。その延長で言えば、どの宗教の教えを学んでも同じ頂上に辿りつく筈で問題はないとも言うことが出来ます。
 しかしそれでも重要な点は、本文に記されているように、私達が身に付けなければならない"意識"との関係について出来るだけ簡潔に現代の私達が分かりやすいように他惑星の兄弟達の支援によって制作されたのがこの講座であることです。
 他に様々な重要点はあるでしょうが、まず第一段階として取り組むべき内容、身に付けるべき事柄が本講座に記されているということです。既にマスターし、進化を遂げた他惑星文明から私達に向けてそのエッセンスを贈られたものと言うことが出来ますし、教えの当初から長年月を経過し一部は本質からずれてしまった既存の宗教を、今更時間をかけてトレースするまでもないことになります。
 それよりは自分自身も含めて身の回りの生きている自然の生命を教材として直接、本講座の内容を学ぶことの方が遥かに大切ということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。



【解説】
 皆様ご存知のように本来、この講座は1課ずつの通信教育の形態をとっていました。その結果、著者が第2課を記していた時、第1課を学んだ読者から成果報告が寄せられたという訳です。
 その内容は不明ですが、本文の内容から見て、過去の記憶についての報告であったようです。ここで著者は"意識"の作用の一つとしてあらゆる行動を記憶することを掲げています。つまりは私達全ての者の行動はそのまま意識の中に記憶されるということです。
 この記憶について典型と思われるものは、演奏家が譜面なしで長い曲を演奏したり、舞台上で役者が長いセリフをよどみなく語ること、著名な講演者が長時間、原稿なしでレクチャーする等、私達の身の回りにも驚くべき記憶の持ち主が存在するということです。彼らは適宜適切にその時求められる題材について的確に語り、行動することが出来る訳ですが、それは本当は"意識"と繋がった状況に自身を置いていることだと思われます。
 自身を少しでも意識と合体、統合出来るような状況を作り出せば、必要な情報は無尽蔵に湧き上がって来ることでしょう。意識にはそうした支援、指導の力が満ちているという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたをあなた自身の心の意志によって学ばせますが、その心の意志は貴方に苦痛をもたらします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 私達は何としてもこの"意識"なる言葉に託された概念なり、実感を急ぎ持つ必要があります。著者が繰り返し述べているように、この無言の生命の躍動感、知恵、衝動というものが"創造主のご意志"ということでしょう。その恵みに気付くことが私達の当面の最大の課題であり、仏教で言うところの"悟り"でもあります。
 そのことに気付くことが出来れば、以後はその意識との交流により、私達は本来の進化の道を歩むことが出来ます。各自が創造の経路となって自らを通じて創造主のご意志を表現することが出来るようになるからです。
 もちろんその為には、私達は自我(心)を極力小さくしてこの創造主のご意志に意見を挟まないようにすべきことは言うまでもありませんし、自らの心の在り様も次第に分かってくるというものです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。



【解説】
 ここで重要なことは、私達自身、毎日どのような心境で過ごすかということでしょう。因からの印象は常に全ての生きものに分け隔てなく次なる行動の指針を与えて呉れてます。その印象に対し、私達の心は尊大となり、自らその意識による指導に従うよりは自らの意見によって行動することの方が多いのです。
 しかしその結果は手痛い経験を残す方が多いということも私達が良く知るところです。私達が進化する為には、いち早くこの印象の恵みに対し、心を素直に解放し、その恵みを享受することではないでしょうか。
 その為には心を鎮めて、やって来る印象を素直に受け入れ、自分の仕事や生活の進め方に生かすことだと考えます。経験上からもこららの印象は私達個々人が求めるあらゆる側面に対し、支援して呉れる存在であるように思っています。そしてそれに必要な唯一の心境は”素直”ということに尽きるのではないでしょうか。イエスが言った”幼子のように”という言葉は、それを端的に表現しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落086

086 Regardless of what the expression may be, one should make the mind recognize and respect the consciousness as the life of the expression. Consciousness is not a respecter of forms or persons, it lends itself to all in all acts. For itself knows neither good nor bad, but its guidance is always for what we call the good.
086 その表現物が何であれ、人は自らの心に意識をその表現物の生命体として認識し尊敬させなければなりません。意識は形有るものや人物の尊敬者ではなく、それはありとあらゆる行動に自らを貸し与えています。何故なら、意識自身は善も悪も知ることはなく、それでいてその導きはいつも私達が善と呼ぶものに向っているのです。


【解説】
 全てのものの中に"因"即ち"意識"の存在を見ることだと著者は私達に要点を説いています。またその因は物体の中にその存在を支える為に自身を貸し与えていると教えています。生きものはもちろん、あらゆる物質はこの"因"の働きによって存在しているということでしょう。
 この壮大なる事実の前に、人間が下す"善悪"は意味を成しませんし、あらゆる行為はこの"因"の支持なしには成立出来ないのです。全ての行為は"因"を動員して行われるからです。
 しかし人間の誤った行為に対してはどのような解釈をすれば良いでしょうか。磔(はりつけ)に処せられる際に、「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」とイエスが語ったように、私達が自らに与えられた力を無知であるが故にとんでもない方向に使っているという訳です。
 まだ続く他人を殺傷する兵器の開発や領土の拡大、他人の信仰を排除する思想等々、私達の精神レベルはまだ遠くイエスの時代から何らの進歩を遂げていないように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落085

085 To make the blend it is necessary for an individual to cultivate the habit of having the mind think of the cause behind the action, what ever it may be. And analyze each action to see if it was habitual from the past experiences and purely mental and self centered, or of a cosmic nature, which one must strive to attain.
085 この融合を造り出すには各人は自らの心に行動の背後にある原因についてそれが何であろうと常に考えさせる習慣を養うことが必要になります。そして個々の行動についてそれが過去の体験から来る習慣的なもので単に心によるもの、自己中心のものか、あるいは宇宙的な性質のもの、人が達成しようと励まねばならないものかどうかを見分けるよう分析することです。



【解説】
 結局は日々の私達の想念や行動をそれらが因に根差したものか、或いは私達自身のエゴに由来したものであるかを分析し、チェックすることが必要になるということになります。自分が正しい方向に進んでいるのか否かを知ることは船が本来目指すべき目的地に向かって進んでいるか、方位磁石を確認する船長と同じです。
 問題は私達が目指すべき"因"・意識との交流に当たって、それらは常に印象により語りかけて来る訳で、私達の感性が鈍ければ感知のしようがない訳です。この為、私達はあらゆる機会を通じて、自ら因の存在に気付くことが唯一の解決策になるという点にあります。
 その為にはどんな些細な事例でも、因を知覚した体験を大切にして、その状態を良く覚えて置き、次に備えることが重要となります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落084

084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 本項の解釈はやや迷うところがあります。著者が私達がテレビやラジオを作り出して空間を流れる映像や音声をキャッチしていること自体について心の発達と表現しているのか、或いは私達の心自体、そのような直接空間を流れる映像や音声を感知できるまでになるとしているのか、2つの解釈が可能となるからです。
 もちろん、テレビやラジオを作り上げたのは人間ですし、私達の心の成果であることは正しいと思うのです。
 しかし、本項の重要なところは、実は私達の内側には2つの存在があり、心の他に全てを知る意識があることを強調している点です。この内、本当の意味で私達を支えているのは意識の方で、意識が離れれば私達は生き続けることは出来ません。
 それほどに重要な知性が実は自分(心)と同じ部屋の中に暮らしていると考えると、実に頼もしくなります。常に師匠といっしょに生活出来ることはこの上ない喜びである訳です。

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