ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落302

302 Reading these lessons will not do it, but living them will. And when you have done this you will have mastered yourself. And the elements that are here will serve you. For man is the only form that has the potentials of the Father. But he must first recognize consciousness as the Father, and return back from whence he came if he is to fulfill the purpose for which he was created.
302 これらの教科を読むことではそれを達成しません。それらを生きることが達成させるのです。そして貴方がこのことを達成する時、貴方はご自身を支配したことになるのです。そしてここに存在する元素類は貴方に仕えることでしょう。人間が父の可能性を持つ唯一の形有るものだからです。しかし、人は最初に父として意識を認めなければなりませんし、もし自分が創造された目的を成就するのなら、自分が来た所に戻らなければなりません。


【解説】
 何よりも実践が大事ということです。ただ読むだけでは効果は上がりません。この生命の科学学習講座は単に読んで分かるというものではなく、自ら試し実践する過程で具体的な成果が出て来る訳ですし、理解も進むということでしょう。
 とりわけ私達が取り組むべきことは、著者が繰り返し説いている宇宙意識を如何にして知覚し、自身の生活に活かすかということです。私達には日常、音声や文字に囚われがちですが、目を閉じて耳を澄ます中で、自分の意識を水平に拡張するような状態にしていた時、私達は無言の印象体である意識に到達するように思っています。
 ひとたび意識という無言の生命力を知覚出来た後は、日常的にそれらに親しみながら、そこからもたらされる印象に従って行動する中で進化がもたらされ、自分の周囲の環境も整えられるような気がしています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落301

301 If you cannot do this from nature's point of view, we have another method by which we can do better than we have in the past. As we are supposed to be Christians -let us use the teachings of Jesus and make them a part of our daily life. Or which ever Messiah you are following - practice their teachings so that they become habitual with you. Just as your associate's habits become a part of you. If you will do this you will be amazed at the changes in your life as the many unpleasant things are replaced by understanding. But you must make your sense mind determined to follow the guidance of The All-knowing Consciousness. Then you can say - "I the sense mind do nothing, but the consciousness does all things through me." If we can accomplish this, which we must do, the newness of life will manifest through us. And old age will be replaced by youth. And sickness will be replaced by health. And we will be on the way in making the Earth a Heaven.
301 もし貴方が自然に対する見解の違いからこのことが出来ない時は、これまで行って来た以上に良く出来るもう一つの方法があります。私達はクリスチャンと想定した場合、イエスの教えを用いて私達の日々の生活の一部にするのです。或いは如何なる救世主に貴方が従っているかを問わず、彼ら救世主の教えをそれらが貴方の習慣となる程に実践することです。貴方の仲間の癖が貴方の一部となるようにです。もし貴方がこのことを行うなら、貴方は自分の生活に起る変化に驚くことでしょう。多くの不愉快な事柄が理解に置き換わるからです。しかし、貴方は貴方の感覚心をその全智の意識の導きに従うことを決意させなければなりません。そうすれば、貴方はこう言うことができます。「私、感覚心が何をするのではない。意識が私を通じて全てのことを為さるのだ」と。もし、私達がこれを達成できれば、またそうすべきなのですが、生命の新しさは私達を通じて現れることでしょう。そして老齢は若さに置き換わることでしょう。そして病は健康に置き換わります。そして私達はこの地球を一つの天国に作り上げる道筋にあることでしょう。


【解説】
 何事も実践が大切だということです。本項で著者は読者にもし、前項のように自然観察的手法に親近感が湧かないなら、キリスト教等、様々な聖人の教えに親しめと説いています。
 聖人達の教えを実践し、少しでも彼らの生き方を見習うことが出来れば、人生は一新すると断言しています。つまりはそれらの実践を通じて万物を貫く宇宙普遍の意識に近づくことが重要であるという訳です。その結果として、各自がこれまでの各自の心でなく、宇宙的意識に従った生き方を出来るようになるとしています。
 習い事もそうですが、最初は教師の手本を真似て自ら試すことから始まります。そういう意味では幸いにも地球には過去何万年から聖人達が絶えず訪れ、地球人を導いて来た歴史がある訳で、私達はこれらの教えを自分達で十分消化吸収することが出来る環境にありますし、多くの教えが一つの真理を伝えていることを学ぶことになると思われます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落300

300 So if we are to be a perfect manifestation of the Creator we should study nature more than we have, as it is the conscious expression of God. And we should observe and adopt its laws of oneness in the same manner that we adopt each other's habits and even look alike.
300 ですから、私達が創造主の完全なる現れとなるには、これまで以上に自然を研究することです。何故ならそれは神の意識の表現であるからです。そして私達は互いの習慣を取り入れ、姿も似て来るのと同様に、観察し、その一体化の諸法則を取り入れることです。


【解説】
 自然から学ぶという姿勢の中には私達が私達自身を創った創造主を学ぶという意味があることが分かります。そしてその学ぶ姿勢も私達がそれらの創造物達と一体になれるような親密感が生まれる程、親しいものである必要があるのです。
 そうする中で私達は創造物や創造主と近しくすることが出来、やがては創造主とも一体感が持てるようになるという訳です。
 そういう為には、私達は目の前の世界、自然界の中に創造主の意図を感じ取らなければなりません。自然観察、絵画の制作、写真の撮影等は皆、これら自然の中に息づく生命力の輝きを記録したい、学びたいという意図から来るものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落299

299 Man's law of discrimination and judgment is non-existent in creation. We are told that the sun shines on the just and unjust alike. And while differences are many in the human mind - in the Creator's consciousness all are necessary parts that make up the Cosmos. And without each part the Cosmos would not be complete. The principle difference between man and his creator is that the Creator understands the purpose of creation and finds no fault with it, while the sense man not understanding consciousness, the real part of himself, lives the mental side of life. Thus he finds fault with the Creator's creation and brings about unpleasant conditions for himself. But when man makes the blend and lives the whole life he will know the purpose of creation, no longer using the law of discrimination which caused the unpleasant conditions.
299 人間の差別と裁きのならわしは創造の中には非存在のものです。私達は太陽は正しい者にも不正な者にも等しく輝くと教えられて来ました。また、人間の心にとっては多くの相違が見えるのですが、創造主の意識の中では全てが宇宙を造り上げる上で必要な部品なのです。そして、これらの部品無しには、宇宙は完全なものとはならないでしょう。人と創造主の間の最も重要な違いは創造主は創造の目的を理解し、それに何らの誤りを見い出さない一方、感覚人は自分自身の真の部分である意識を理解せず、生命の内の心の側を生きているのです。こうして彼は創造主の創造作用にけちを見つけ出し、自分自身に不愉快な状態をもたらしています。しかし、人が融合を達成し全ての生命を生きるようになる時、彼はもはやその不愉快な状況をもたらした差別のならわしを用いることをせず、創造の目的を知るようになるでしょう。



【解説】
 本項は私達の最大の問題である差別と裁きについて説いています。しかし、私達自身、この問題について著者が何を説いているか十分には理解出来ていないように思います。
 少しこの講座を学んだ人にとって、差別や裁きは改められるべきであり、良くない点であることは十分承知していることでしょう。日常生活においても、好き嫌いや怒りを避けることの重要性は十分心得ている筈です。
 しかし、それでもなお私達には日常の不安や不満は残っていることが多いものです。自分の意図した物事がうまく進まなかったり、或いは健康面その他、家族に関する問題等々、私達の日常生活にはそれを十分に楽しめない、即ち生命を享受出来ない要素も多いものです。
 一方、よく見るとそれらの一つ一つには実は良否の差別や裁きの要素が残っており、それらが問題を引き起こしていることが分かります。つまりは善悪共々そのまま受け入れ、その中で問題を解決して行くことが必要になると思われるのです。その問題に対する入口で悩んでいるのが私達であり、先ずは現状を全て創造主の計らいと受け入れ、その中で自分らしい生き方を追及すべきかと思うものです。
 おそらく振り返って見ると、人生は短く思えるのかも知れません。その限られた時間の中で何とかこの課題を解消し、次に進みたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落298

298 When we speak of nature, or nature's laws, there are two phases. One, the forms which nature produces in which we see ageing. And what we call ageing could be a fulfillment of the form's purpose that it may be replaced by a new form. But the law of life, or nature, is the same today as it always has been - in the primal stage. Replacing new forms for the old for continuous service, each for a finer quality of expression as nature is progressive. Always going forward, never retrograding. So here we are witnessing the Creator's Consciousness in action. And since only newness comes out of this consciousness, and not age, then we are shown that the Creator lives in the primal stage all of the time. And all that is created by this consciousness is a manifestation of primal cause.
298 私達が自然或いは自然の諸法則について話す時は、二つの面があります。一つは自然が作り出す形あるものであり、そこには私達は老いを見ます。そして私達が老いと呼ぶものはその形あるものの目的の成就とも言えるものかも知れませんし、それは新しい形と置き換えられるかも知れません。しかし、生命の法則、あるいは自然というものはこれまでずっと今日と同じに、原始の段階であり続けているのです。継続的な奉仕の為にこれら古いものを新しい形に、自然は進化する為、一つ一つをより精緻な資質に置き換えています。常に前進し、決して退化することはありません。ですから、ここに私達は、創造主の意識が行動する様を目撃しているのです。そしてこの意識からは新しさだけしか来ず、老化はありません。そうして私達は創造主は如何なる時も原始の段階で生きていることを知らされるのです。そしてこの意識によって創造されたものは全て原始の因の現れなのです。


【解説】
 四季の変化がはっきりしているわが国では、季節の移ろいによる自然の変化が良く分かります。晩秋の現在、枯れたススキの穂が朝日に輝いていますが、それも少し前の夏の盛りには逞しく葉を繁らせていた訳ですし、その前は若葉を前年の枯れた茎の間から若葉をすくすく伸ばしていました。
 植物の中にはその一生を1年間で成就するものも多いですし、虫達もまた同様です。それにつけて思うのは、以前夏に尾瀬に出かけた時、山では夏が短い為、虫達は毎日を生きるに忙しく、人が近づいても逃げようとせず、花の蜜を吸うのに一生懸命であったことです。それ程に生命を全うするのに一心不乱ということだったのでしょう。
 少し長い目で見れば人間も同様で、人の一生の時間というものも限られたものとなります。その中で、如何に自分らしい生き方を全うするか、また、期待された使命を果たすかが求められているということでしょう。
 しかし、この現実社会では必ずしも十分な条件が整わず、或いは様々な影響から望むところを達成できずに終わるかも知れません。しかし、それでもその意思があれば、次の生命にそれは受け継がれ、遂には所定の目的に到達することでしょう。本項で記されている意識の意向は次なる生命や転生先にも引き継がれる為、意識の中には「老い」という要素は一切無いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落297

297 There is one thing that is misrepresented, The Creator is not an old man. For consciousness is always in the prime of life, knowing no beginning or ending as far as we are able to detect. And as we know, the space people live this knowledge and enjoy a youthful long life.
297 誤って描かれていることが一つあります。創造主は老人ではありません。何故なら意識は常に生命の全盛期にあり、私達が探る限り、始まりも終わりも無いからです。そして私達が知っているように、宇宙人達はこの知識を生活の中で実行し、若々しい長い生涯を享受しているのです。



【解説】
 同乗記には母船に創造主を描いた絵画が飾られており、その創造主像は若々しかったと記されています。私達がイメージする創造主と他惑星の人々が持つ創造主のイメージとは大きく異なっているようです。
 しかし、生命活動を観察する時、私達はその活発さからそれを生み出す創造主は力強く若々しいことを知らねばなりません。作品が作者を表すように、創造物から私達は創造主をおもんばかる必要があるのです。
 一方、私達自身は当初の幼児期を過ぎると活発な意欲や探究心は衰えがちです。しかし、本来n若さを保つのであれば、先ずは内側、即ち私達の抱く想念の質を本来の相応しいものに変えなければなりません。肉体の衰えは私達の内側、精神活動の衰えを反映していると思うからです。ちなみに、先月、出張先の地で美しい菩薩を描いている絵に出会い、思わず買い求めた次第で、毎日額に入れたその絵を眺めています。宗教によっては偶像を禁ずる教えもありますが、本来の創造主に心を寄せる意味から、こうした絵画の意義は大きいように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落296

296 May I present this in a different way for the purpose of understanding. Recently I was asked, "but what is God like?" It is not easy to describe God, for if a person feels what God is like he cannot find words to express it. But we can study His creation since all manifestations were born out of His consciousness and lives within His consciousness.
296 ここに理解を進める目的から、違った道筋をご提案しましょう。最近、私は「ところで、神とはどのようなものだろうか」と尋ねられました。神を描写するのは容易ではありません。もし、ある人が神がどのようなものかを感じたとしても、それを表現する言葉を見つけることは出来ないからです。しかし、全ての創造物が神の意識から生まれ出て、神の意識の内側で生きている為に、私達は神の創造を学ぶことは出来るのです。



【解説】
 創造主を知ろうとすることは、私達の重要な姿勢であると考えています。人間は知識を持つにつれ、傲慢になり易いのですが、創造主を理解したい、知りたいという心境は人を本来の謙虚さに保つものです。
 実際、私達自身を教材に創造主の働きを学ぶことは、実り多いものがあります。各自の生きる目的をより具体化させ、その道を拓くのも各自の内側からの働きであり、創造的作用によるもので、私達が創造主の似姿をして機能を果たす中での作用の一つであるからです。
 それからもう一つ、本項におけるポイントとしては、創造物は現在でも創造主の意識の中に生きているということです。とかく私達は各々の誕生をもって"創造"としていますが、実際には誕生後もその創造物は創造主の中で生きているのです。つまり、私達は全て常に創造主の中に生きている、生かされているのです。
 このことを忘れて正しい道を歩むことは出来ません。私達の自我を学ばせ、本来の道を歩ませる為に、常に創造主を思い起こしその意向を表現し実現する役割を果たすことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落295

295 In lesson seven we illustrated how two people after a period of association began to look and act alike. This harmonious union can also be cultivated with all life.
295 第7課では如何にして二人の人間がある期間、一緒に過ごすことで外見も行動も似て来ることを説明しました。この調和した和合はまた、全ての生命との間にも培うことができます。


【解説】
 夫婦が長年の暮らしの中で、互いに似てくるように、私達は"意識"の存在を常に心に感じ取り、親しみ、共に暮らす心境でなければなりません。それが"神の似姿"として創られた人間の自然な生き方であり、本来のあるべき姿なのです。
 その為には日常的に意識を知覚し、心を鎮めてそこから湧き起こる想念・印象に鋭敏になることが必要です。また、時々の体験から意識は私達を常に支えていることが分かりますし、その積み重ねによっても私達の理解は深まることでしょう。
 "類は類を呼ぶ"とは著者がよく用いる表現ですが、私達が意識に心を寄せる時、私達は次第に意識に近づき、その体現者になって行くことになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落294

294 All forms are stages of intelligence. This may not be easy to accept at first for 90% of form life does not have the type of mind that humans have. But they do possess consciousness - the life force of the form, and serve the purpose for which they were created. So once the human mind acknowledges this phase as it does associations with other sense minds, the blend is made.
294 全ての形有るものは知性の諸段階にあります。これは最初、受け入れることは容易ではないかも知れません。何故なら形有るものの生命体の90%は人間が持つようなタイプの心を持っていないからです。しかし、彼らは意識、即ち形有るものの生命力を所有しているのであり、それらが創造された目的に奉仕しているのです。ですから、一旦人間の心が他の感覚心との交流と同様に、この段階を認知すれば、融合が起こります。



【解説】
 私達が目にするすべてのものに知性が宿っていることを、先ずは認識せよと本項は説いています。
 もちろん、すべてのものに私達のような心がある訳ではないのですが、意識については全く私達と変わるものではないということです。つまり、意識レベルでは何ら私達と変わらない存在であるという訳です。
 即ち、この意識という径路を通じることで、私達は何らの隔たりなく万物との一体感を得られることになります。これは森羅万象ことごとく自らの同胞(はらから)という神道の精神とも一致するものですが、ただ単に”一体だ”と済ませるのではなく、その径路にある”意識”の存在にこそ、私達が重きを置く必要があるのです。
 自らの身体から宇宙に至るまで、膨大な創造物をすべて生かしている生命力として意識を認識すべきであり、その存在こそが生命探求の源であり、私達の学習の目的地でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落293

293 Just as you are able to put yourself in another persons shoes and feel exactly as he feels, so you can with all forms. And this procedure is good to practice. It could eliminate many misunderstandings and heartaches. For there is nothing in existence that one cannot be associated with through consciousness. But the sense mind must be willing to be taught by consciousness, for it is the knower and all forms live within the sea of it. And in this sea all phases are blended into one for the perfect manifestation of the Cosmic Whole.
293 丁度、貴方が他人の靴に足を入れてその者が感じるのと全く同様な感じを持つのと同じように、貴方は全ての形有るものに対して同様なことを行うことが出来ます。そしてこの過程は練習するのに良いものです。それによって多くの誤解や心痛を取り除くことができるでしょう。何故なら、意識を通して寄り添えないものは何も無いからです。しかし、感覚心は意識によって喜んで教えられなければなりません。意識は知る者であり、全ての形有るものは意識の海の中で生きているからです。そしてこの海の中に全宇宙の完全なる創造の為、全ての段階が融合されています。


【解説】
 互いに理解し合う為には、意識レベルでの融和が必要です。
 本項では他人の靴を履いた時に得る何か普段と異なる感覚の中に、その靴の持ち主の意識の一部が宿っており、それが何らか普段とは異なる印象を履いた本人に与えるとしています。
 日常、私達はこの微妙なる印象の世界に気付きにくいものですが、このような印象の世界にまで踏み込まなければ、理解は広がらないという訳です。
 また、相手とその想念レベル、意識レベルまで融合することは互いを理解し、融和することに繋がります。争いの仲介者、カウンセラーその他、多くの人々はその長年の経験の中で、相手の中に入り込んで融合するような包容的な心境、融和的境地を持つことの大切さを知っている筈です。そうした状況の中で、初めて互いの主張を理解し、解決策に到達出来ると思うからです。
 その基本となるものが意識であり、その意識を通して私達は自他の境目の無い万物融和の世界に辿り着きます。

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