ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落291

291 On the other hand, the optimist will see the beauty in the drifting snowflakes. He will call your attention to the majesty of the towering clouds, and point out the gratitude of the thirsty ground. These two minds are using the same universal law of action. But one has set his mind in motion along a destructive, vibratory thought-habit pattern; while the other follows a constructive vibratory thought-habit pattern; recognizing all creation as a manifesting expression of the Supreme Intelligence.
291 他方、楽観論者は漂う雪片に美しさを観ることでしょう。その者はそびえ立つ雲の偉容と渇いた大地の感謝の気持に貴方の注目を呼び起こすことでしょう。これら二つの心は同じ宇宙普遍の運動法則を用いているのです。しかし、一方は自分の心を破壊的な振動の想念習慣に沿って動かしていますが、もう一方は全ての創造は至上なる英知の現出された表現として認め、建設的な振動の想念パターンに沿って自らの心を動かしているのです。




【解説】
 夕立をもたらす入道雲に対して、マイナスの面のみを見る者と、プラスの面に感動する者、両者が各々人生にその光景をどのように役立てるか、その差は明らかです。
 私達各自は体験を通じて知恵を身に付け、自らの進化に役立てねばなりません。一つ一つの体験は各自に役立つ形、即ちプラス面として取り入れるべきなのです。
 本来、私達は創造主の造り上げた作品を鑑賞し、めでるように創出された存在です。それ故に私達の前には様々な自然がその姿を見せてくれる訳です。その姿を観ることによって、創造主の深い思いを汲み取ることこそ、私達の存在意義だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落290

290 Remember the illustrations we used of the pessimist and optimist? The pessimist has formed the thought-habit pattern of always looking at the gloomy side of life, and will resist the presentation of joyous ideas. Even though the sun might be shining brightly, if you were to comment on the beauty of the day he would remind you of the terrible storms we had last winter. His thought-habit pattern looks upon all manifestation with suspicion.
290 以前、私達が用いた悲観論者と楽観論者の例示を思い出して下さい。悲観論者は常に生命の暗い側面を見る想念習慣パターンを形成してしまい、楽しいアイデアの披露に抵抗しようとします。太陽が明るく輝いても、貴方が日光の美しさを評しようとしても、その者は貴方に前年の冬にあったひどい嵐のことを思い出させようとするでしょう。その者の想念習慣は全ての創造を疑問の念をもって観ているのです。





【解説】
 以前、ご紹介したかも知れません。1982年に私が当時、存命であったエマ・マーチネリ女史にお目にかかった時、彼女からアダムスキー氏の「宇宙のパイオニア」という幻の著書を戴きました。その本にはアダムスキー氏の署名とともに記されていたのが"Good Luck"という言葉でした。
 何故、アダムスキー氏がその著書を贈呈するに当たってその言葉を記したのか、詳細は分かりませんが、何か英語の表現にある"Happy Go Lucky"という意味合いに近い響きを感じます。
 様々な苦難があろうとも、先ずはそれを受け入れ、対処する技量、度胸が必要だということでしょう。
 本項で著者が言う”楽観論”とは、即ち宇宙普遍の法則自体がいわゆる”真善美”に貫かれていることを悟っていることに由来するのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落289

289 Psychologically, we express this law by the statement that "a habit is difficult to break." In other words, any thought that is allowed to impress itself upon the body, sets the cells of the body into a state of motion corresponding to the thought-vibration. The body then has a tendency to continue in that particular motion until acted upon by another force which is strong enough, or positive enough, to change that vibration. The highly organized, concentrated, personal ego, in its aggressive manner, is so prone to force-frequencies that it intensifies the natural tendency of matter to continue in any motion, once that motion is created. When we allow habit-motions to become set, it necessitates contact with a very positive vibration to change them.
289 心理学的には私達は「習慣は打破するのが難しい」と表現します。言い換えれば肉体に対して印象付けることを許された想念は皆、肉体細胞をその想念波動に対応した運動状態に整えます。肉体はそれ故、次にその振動を変化させるに十分な強さや大きさを持った別の力によって作用されるまで、その特定の運動を継続する傾向があります。その攻撃的な振る舞いにおいて高度に組織化され、集約化された各個人のエゴは、力のある振動から大きな影響を受け易いため、一度運動が創り出されると継続するよう物質の自然の傾向を強めてしまいます。私達は習慣的な運動をセットすることを認めた後は、それらを変える為には別の強力な振動と出会う必要があるのです。




【解説】
 私達の身体細胞は心が受容した想念波動に同調し、その共鳴作用は継続しやすいという訳です。即ち、本質的に私達は想念波動に共鳴しやすい特徴がある訳なのですが、一旦同調した後は、次により強力な想念波動が来ない限り、その振動を保つということです。
 このことは、共鳴した波動が良質なものであれば良いのですが、そうでない場合は時間の経過とともに身体細胞に悪い影響を与え続けることになる筈です。即ち、私達は自分が現在、同調している波動にもっと注意を払うべきなのです。
 一方、これまでの私達自身を変革する為に、より高次で協力な想念波動を摂り入れなければなりません。優れた師との出会いや古今東西の良書に出逢うことは、それら波動と巡り合うよい機会となるものです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落288

288 To answer these questions, we must again refer to the universal law of action. The scientific definition of this law is, "Any object set in motion has a tendency to continue in motion in the same line, or direction, until acted upon by some external force."
288 これらの疑問に答える為、私達はもう一度、運動の普遍的法則を引用しなくてはなりません。この法則の科学的定義は「如何なる物体も動かしはじめると、何らかの外力が作用しない限り、それと同一の直線、同じ方向に運動を続けようとする傾向を持つ」としています。




【解説】
 私達は各自、これまで培ってきた習慣の上に毎日を送っていると言っても良いでしょう。馴れた道、馴れた仕事の方がスムーズに行くことも確かですが、そればかりではマンネリ化し、やがて単に惰性に流される人生にもなりかねません。実は習慣性ほど注意すべき要素はないと考えています。
 本項で示される物理法則は、私達人間にも当てはまるという訳ですが、決して私達の人生の歩みをこれで良しとするのではありません。基本的にそのような傾向があることに注意すべきだとしているのです。
 この問題を回避し、日々新鮮な気持で生きる為に各自それぞれ工夫も必要です。私も若い頃、毎日の通勤途上でその日一日を何か新しい事柄を摂り入れることを考え、歩いていたものです。努めて新しい分野や要素にチャレンジすることが私達には必要です。歳をとる中で一日一日を新たな気持で迎えることは、若い頃よりもはるかに大切になっているように思います。


ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落287

287 I have said that in general, lack of receptivity is due to lack of interest on the part of the individual. We know that some persons are intensely interested in all that goes on around them, whereas others have limited interests. Why should this be? What causes the psychological difference?
287 私は一般論として、感受性の不足はその個人の側における関心の不足に起因すると言って来ました。私達はある人々は身の回りで起る全てに強烈に関心を持つ一方で、他の者達は限られた関心しか示さないことを知っています。これは何故でしょうか。その心理面の違いは何によるのでしょうか。



【解説】
 本項を読んで思うことは、人の関心や感受性の差はどこから来るのかということです。仮に同じものを見ても、感じる内容は人によりさまざまです。どうもこれらの差は長い人生の中で各自が培った偏りや各自が人生を歩む中で得た経験も影響しているものと思われます。
 そう考えれば、過去生も含め、歩んだ人生が個々人で異なる以上、感受性の差はやむを得ないと言えるでしょう。しかし、各自が成長する為にはより広い分野に関心を拡げ、次々に新しい世界を開拓する必要があるのです。
 よく芸術家が年配になってますますその技量が増し、傑作が生まれるように、本来は年齢(即ち経験)を積むにつれて、進化すべきという訳です。その原動力こそ、関心(interest)にあるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落286

286 More than once I have heard the remark: "Oh, I was in such a beautiful state of relaxation. I was barely conscious of having a body, and my mind was simply a blank!" That is not relaxation. It is merely a state of lethargic indifference; and has almost no constructive value. When a person is truly relaxed his body feels tremendously "alive," and thoughts pass through his consciousness at such a high rate of speed it may seem to him afterwards that he has lived years in a few moments. Relaxation is the releasing of personal desire to the natural sequence of relativity, or continuity of thought; and the person has normal, unbiased interest in everything while in this state.
286 一度ならず私はこうした発言を耳にしたことがあります。「そう、私はとても素晴らしくリラックスしたことがあった。ほとんど自分が肉体を意識することなく、心もまっさらな状態だった。」しかし、これはリラクゼーションではありません。それは単なる無気力で無関心の状態でしかなく、建設的な価値はほとんどありません。人が真にリラックスしている時は、自分の肉体はとてつもなく「生き生き」感じ、想念は本人の意識の中を非常な高速度で通過する為、後でわずかの時間に何年間も過ごしたような感じをその者に与えます。リラクゼーションとは個人的な願望を人の手を加えない一連の関連性の流れ、即ち想念の連続性に解放することであり、その時、人はこの状態の中にあって、あらゆるものに先入観の無い関心を抱いているのです。




【解説】
 本項は私達が目指すべき心境を明示しています。
 従来、私達は肉体を静置させ、心を無気力にすることがリラックスだとして来ましたが、真のリラックスとは随分と活発な状態を指すというところに着目しなければなりません。私達生命体の本来の姿はこのような静置状態ではなく、もっと活動的な状態であるということです。
 これまで私達は仏教で言う”悟り”(Enlightenment)を目指して来ましたが、これこそがその状態であると言うべきでしょう。肉体的には過度な行動状態ではなく、むしろ安静にしている状態かも知れませんが、その精神活動は活発です。本項で言うように短時間でもおびただしい数の想念が行き来する訳で、私達はその中でこれまでとは比較にならない穂との数の想念・印象と出会う訳で、その記憶量の大きさは、本文で言う短時間にも関わらず何年も過ごした程の記憶となる原因です。
 感知する想念の数こそが私達の心身の状態を表すバロメーターと言えるかも知れません。充実した1日とはこのことを表しています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落285

285 Not unlike the goldfish in the small bowl, the individual nearly always reverts from the extreme of tension to the extreme of lethargy . . . completely ignoring the half-way house of relaxation. Usually, if a person is told to relax, he simply lets down and loses interest in everything. By doing this he not only retards the cell action of the body, but he often goes even further and by main force of will tries to create a mental vacuum. This torpid state is what takes place in nature when certain animals hibernate through the cold weather, but with them it is in obedience to a natural law for the perpetuation of the species. You will notice that the customary foods of these animals is not available during the winter months; therefore, nature slows down the activity of their body cells, so they may husband their energy until Spring sets her bountiful table.
285 その小さな鉢の中の金魚とは異なり、個人はリラクゼーションという中間施設を完全に無視して極端な緊張から極端な無気力に逆戻りする程の方向転換を大抵は行います。普通、もしある者がリラックスするように言われると、その者はあらゆるものに対する関心を低下させ失わせてしまいます。こうすることで、彼は肉体の細胞活動を遅くするばかりか、しばしば更に進んで意志の主力を使って精神的な空白状態を作り出します。この不活発な状態は自然界ではある種の動物が寒い季節を通じて冬眠する時に起るものですが、動物達にとっては種の永続性の為に自然法則に従っているものなのです。皆さんは冬の間、これら動物のいつもの食べ物が手に入らないことにお気付きでしょう。それゆえ、自然はこれらの肉体細胞の活動を低下させ、彼らが春が食卓を用意するまで自分達のエネルギーを節約出来るのです。




【解説】
 私達地球人は極端から極端に移行するだけで、全体として調和が取れた状態というものを知りません。進むべきはバランスの取れた道ということです。
 結局、私達が進化する為に必要なのは、エゴの指令ではなく、宇宙的な想念・印象による導きです。その導きに出会う為には先ずは心自体を受け入れ可能な状態に保ち、求める解決策の方向に耳を傾ける必要があるのです。従来のような心身を静止させるような不活発な状態は無関心・無気力であり、リラックスとは言えないという訳です。
 一端、宇宙的印象への道筋がつながれば、あとはその心境を維持すればよく、以降次々に貴重な知識が流入することになります。自らこのような成功体験を持つことが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落284

284 The same holds true of the cell entities of the human body. Our minds are constantly "bumping" into the worries and anxieties around us in the crowded fish bowl of our own creation; and each contact-shock dissipates a certain amount of energy. So we can safely say that tension is the chief cause of non-activity of the cells, and non-receptivity of telepathic impressions. But due to a misunderstanding of the true meaning of relaxation, there exists another condition that is just as detrimental as tension.
284 これと同じことが人体の各細胞実体についても当てはまります。私達の心は私達自身の創造物である混み入った金魚鉢の中の私達に心配と不安を常に「ぶつけて」おり、一つ一つの接触の衝撃が何がしかのエネルギーを消耗させています。ですから私達は確かに緊張は細胞の非活発やテレパシー的印象の非感受性の主原因であると言うことが出来ます。しかし、真のリラクゼーションに対する誤解から、この緊張と同じくらい有害な状態も存在するのです。



【解説】
 先ずは私達はあまりに多くの心配事や欲望その他強烈なる想念を自らの心の中に投げ込んでいることに注意しなければなりません。それらの想念は私達自身の身体細胞を痛めつけ、それらを疲弊させていることに気付く必要があります。これこそが身体細胞を本来の状態に戻すカギであります。
 即ちこれら過度の心配や悲しみ、怒り等々の想念を解消し、心の中から捨て去ることです。それは”心を貧しくする”、心を空にすることでもあるのです。心が心配事やその他の感情から解放されれば、やがて本来の宇宙的想念を取り込むゆとりが出来、進化につながる道を歩むことが出来るというものです。
 エゴを縮小させることは、同時に宇宙的要素を増やすことでもある訳で、自らの心は貧しくして置くことに越したことはありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落283

283 As an illustration; let us imagine we place a large number of goldfish in a small bowl. This crowded condition will not enable them to move about freely, and any motion on their part will cause them to bump into other fish. Each contact-shock will result in the expenditure of a certain amount of energy. If they try to force their normal activity in such congested surroundings, they will soon become fatigued. If they are wise, they will instinctively lessen their action; in which case they are reduced to a condition of lethargy. But as soon as these fish are placed in a larger receptacle they will again expand their activity to its natural state.
283 例示として小さな鉢に沢山の金魚を入れた場合を想像しましょう。この混み合った状況は金魚達に自由に動き回ることを出来なくさせており、少しでも動くと他の魚にぶつかってしまうことになります。この接触の衝撃は幾分かのエネルギーを消費します。もし、金魚達がこのような詰め込み状態の中で通常の動きを無理にしようとすれば、すぐにも疲れてしまうでしょう。彼らが賢ければ本能的に活動を低下させるでしょうし、その中で彼らは不活発状態に弱められて行きます。しかし、これらの魚達がより大きな容器に入れられるや否や、彼らは再び自然な状態まで活動を広げることでしょう。




【解説】
 この金魚鉢の事例は私達に何を示唆しているのでしょうか。先ずはその事柄から考えて見る必要もあるでしょう。
 一つの例として、自分自身の器(うつわ)の中に整理し切れない程の問題を抱えてしまっている場合も当てはまります。問題を自分に?き集めてしまい、解決が出来ずにいる例も多いのです。
 しかし、課題は一度に一つずつ対応することで、自分の中で自由に構想することが出来れば、却って全体としての解決は早まるものです。また、問題点を明らかにして再発を防ぐことも容易になることでしょう。
 一方、問題を多く抱え込んでいる場合には、解決策が見つからず悩んでいるだけで長期の時間を要するものです。
 また、同時に自分が当面している諸課題に対して、何が真の問題であるか、解決すべき課題を絞り込むことも必要になります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落282

282 Relaxation is generally misunderstood. In consequence, there few people who have ever experienced true relaxation. Contrary to popular belief, it is not a state of inertia. It is a condition of intensified activity . . . because it is free activity.
282 リラクゼーションは概して誤解されています。結局のところ、これまで真のリラクゼーションを体験した人は少ないのです。よく信じられているのとは反対に、リラクゼーションは何もしない惰性の状態ではありません。それは、自由な活動であるが故に、激化した活動の状態なのです。




【解説】
 様々な場面で”平常心”という表現が用いられますが、私達が真に課題に直面した時、必要になるのはこのような心身の状態であると言えます。
 仮に危機的な状況であっても解決策に巡り合うには本項に示されているように宇宙からやって来るインスピレーションに同調出来る健全な心境が必要なのです。
 その為にも私達は普段から、自ら進んでこのようなバランスを取れた心身の状態を作り出し、それを維持するよう心掛けることです。これら一連の訓練は日常生活を通じて私達が実践可能なのです。

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