ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落098

098 So it is with man. For he has all the potentials of expression built in, as it were. And he must inhale and exhale the breath of life to be of service. Should he cease breathing he would become a stilled instrument without any motion. Yet to inhale and not exhale the continuous state of life expression would cease. THE BREATH OF LIFE must pass through the form continuously for it to be active. It is comparable to the ether waves that feed the television set. Notice that the breath of life and the ether waves are everywhere and know no barriers, but they need an instrument to express through.
098 それは人間にも当てはまります。何故なら、人は内部に言わば全ての表現力が組み込まれているからです。そして人は役立つ為には、生命の呼吸を吸込み、吐き出さねばなりません。人がもし呼吸を止めたとしたら、何らの行動もしない静止した装置になってしまうでしょう。また、吸込むだけで吐き出さなければ、生命の継続状態は止まってしまうでしょう。「生命の呼吸」は形有ある物が活動的である為には絶えず体内を通っていなければなりません。それはテレビを養っているエーテル波に例えることができます。注意して欲しいことは、生命の呼吸もエーテル波も何処にでも存在し、それを妨げるものは無いのですが、それらは表現される為には道具が必要なのです。



【解説】
 あらゆる才能が各自に備わっており、要はそれを如何に引き出し表現するかが、課題となるということです。テレビ受像機の例のように、私達はその才能を表現する為には、電力即ち生命力を必要とする訳で、その生命力を常に呼吸し、吐き出す必要があります。
 つまりは自身に取り入れた生命力を、今度は自身の才能を開花させ、表現されたものとして社会に放出、表現することです。
 よく人間の役割を生命力を通すパイプであるとされて来ましたが、本来の意味は現実世界に向けて、生命の意図する姿を表現し、世に示すことかと考えます。
 本文にあるように、生命力はあらゆる場所にくまなく存在し、その表現者を待っているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落097

097 We can use the television set again, as a good example. The set in itself has no power or intelligence. But there are instruments in it equivalent to the brain or mind of man which cannot act until the power is turned on. When this is done, intelligent expression follows. Let us say that the intelligence is inhaled into the set through the ether or radio waves which carry the message. And as they come into the set the expression takes place, and not only the message comes through, but the individuals are shown as a living image on the screen. As I understand it, there are 80 different frequency channels in this nation over which programs are carried. Each channel is separated from all the others, yet some are so close that they encroach upon another. This calls for a very fine instrument to keep them separated. All channels use the same power and the same law, but there are sets that can only pick up a few channels. Yet all must depend upon the power and the ether waves to be of service. And they must inhale and exhale the waves to have the continuence of the program.
097 テレビ受像機を再び好例として述べましょう。テレビ自体には電力も知性もありません。しかしその中には電力が入れられない限り行動出来ない人間の脳や心に相当する装置があります。それが為されると、知性的な表現が続いて起るのです。メッセージを運ぶエーテルもしくは電波を通じて知性がその受像機に吸込まれると言うことにしましょう。そしてそれらが受像機に入るや、表現が起りますし、スクリーンに個人が生きているイメージで映し出されます。私の知る限り国内には番組を放送している80の異なる周波数チャンネルがあります。各々のチャンネルは他と分離されています。この為、それらを分離し続けるにはとても繊細な装置が必要になります。全てのチャンネルは同一の電力と同一の法則を用いていますが、中には数チャンネルしか受信できないテレビもあります。しかし、全ては機能を発揮する為電力とエーテル波に依存しているのです。そしてそれらは番組を継続する為にはこれらの波を吸込み、吐き出す必要があります。



【解説】
 とかく私達は自分(エゴ)が自らの身体をコントロールし、これまでの知識からあらゆる事柄を自由に推し進められるし、そのようにして来たと考えています。しかし、よく考えれば、このテレビのたとえのように、私達は電波に乗せられた情報・知識を再現するテレビ受像機に過ぎないことが分かります。
 即ち、本文にあるようにテレビ受像機自体に番組のコンテンツがあるのではなく、それは単に電波を体内に取り入れて、その電波が刻々に示す知性を表現しているのに過ぎません。知性の内容は送り手の側にあるのです。
 そういう意味では、私達は英知の表現者であり、仲介者ということになります。時々刻々湧き上がる想念・印象を如何に損なうことなく、体現するか、現実世界に表現するかがそのテレビ受像機の価値となる訳です。高性能のテレビになる為に、私達は心身共に精進する必要があるのです。

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2017年1月24日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落096

096 The Creator gives us the power of life, and intelligence through the avenue of consciousness. The personal ego mind can use this in accordance with the law or it can transgress the law and receive either bad or good results, as with the electricity. Every individual has been granted this free will.
096 創造主は私達に意識という大通りを通じて生命の力(パワー)と知性をともに与えています。個人のエゴ(自我)の心は法則に従ってこれを利用できますし、法則を逸脱することも出来ますが、その結果、電気の場合のように良い結末あるいは悪い結末を得ることになります。各自は皆、この自由意志を許されているのです。



【解説】
 私達の自由意志とはどのようなものかについて、本項では説かれています。
 創造主から示された法則を正しく用いることも、誤った方向に応用することも私達自身に委ねられているという訳です。
 これまで私達はただ自分本位に法則を利用することだけに生きて来ました。本来はその法則をより正しく用いることが求められている訳です。自らに与えられた生命力と知性をどのように活用するかは私達各人に任されている、そのことを自由意志と称しているのです。
 しかし、その応用の結果については創造主の責ではありません。原子力は物質の本質に迫るエネルギーを解放させる意義もありますが、大量殺戮に活用しようとするのは全く人間の側の誤りであることは明らかです。またその結果、文明が滅んだとしてもそれは人間の側に責任があるのです。
 私達は自由意志の中に生きていくべきですが、自ら学び経験を重ねる中で、真に学ぶべきことはそれら生命力の贈り手の意思であり、贈り手の意向です。身近な意識の中にその息吹を感じ取ることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落095

095 i.e. An electric socket is made to hold a light bulb and not for a finger to be placed in it when the current is on. Even when it is not, should one be standing in moisture, he can receive a shock. If one gets hurt or has an unpleasant experience by the misuse of the law, he cannot blame the man that is willingly giving him the power. He can only blame himself, either for ignorance of the law, or aggression on his part.
095 即ち、電球のソケットは電球を固定する為に作られたもので、電流が流れている時に指を入れる為のものではありません。指を入れなくても、湿った場所に立って(ソケットを触った)場合にはショックを受けるかも知れません。仮に法則の誤用によって痛い目に逢ったり、不愉快な体験をしたとしても、電力を喜んで送っている係員を責めることは出来ません。自分自身が法則について無知であったか、自分の無謀な行為について自分自身を責めるべきなのです。


【解説】
 法則を認識した以上、私達はその法則を本来の正しい使い方に留意しなければなりません。本項の電球のソケットのたとえのように無謀な行為は自ら痛手を負うことでその者自身の体験になるのですが、本来は必要のない経験である筈です。
 重要な点は良くも悪くも「法則性」は大きな力を発揮しており、この物事を実現に向かって推し進める力を有しているということです。これについては古来から「畏れ多い」という表現が日本神道にありますが、まさにその通りの対応、心境が必要です。
 具体的には各自の心が抱く想念、私達自身が受け入れる想念が物事を実現させてしまう力を持っていることだと考えます。実はこの学習講座を進めて行くにつれて、私達が直接、創造主と様々な経路で結びつきが強く、また大きくなる結果、自分が願うことが実現するようになることに皆様気付かれるのではないかと思っています。
 つまり、学習を続けるにつれて、私達の日頃の想念が周囲に与える影響がまずます大きくなるという訳で、実は学習を進めるについてこれまで以上に私達は自分を律することが求められることになるというものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落094

094 An attendant at a power plant that manufactures electricity sends out the current that you may use it for your benefit. He knows what the electricity is capable of doing and how it is to be used. And we are instructed how to use it. When used as instructed, many benefits are derived in many ways. We can even experiment with it providing we follow the law, without being hurt.
094 電気を起こす発電所の係員はあなたが自分の恩恵の為に使うことが出来る電流を送りだしています。彼は電気というものでどのようなことが出来るかや、どのようにして使用されるべきかを知っています。また、私達はその使い方について教えられています。教えられた通り使用する場合は、様々な面で多くの恩恵が引き出されます。私達は法則に従えば怪我をすることなく、電気で実験すらすることができます。


【解説】
 ここでは著者が発電所で電気が製造され、各地に送られる様子を描写していますが、このことは何を示唆しているのでしょうか。
 やはり想起されることは、電気は各家庭のコンセントから発電所までそれぞれ繋がっているということでしょう。つまり発電所は私達の生命力の源、文字通り「パワー」(注:英語では"電力"の意)の源ということになります。そしてその発電所長は送り続ける電力の持つ役割、人々を豊かにする潜在力を十分に知る責任者ということになり、贈り主、創造主を示唆しています。
 重要な点は、私達各人はこの生命の糸(電線)によって各々繋がっていることであり、各人は常にこのパワーを享受して毎日を暮らしているということです。日常、この基本的な事柄に私達は気付くことは少ないのですが、いざ自分の生命が尽きる時になって私達はようやくその事実をかみしめることになるのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落093

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON THREE
The Application of Cosmic Law
093 In lesson two we left you with the term, "The Will of God." And the explanation that God is not responsible for your experiences. And to clear this we will use electricity as an example.

生命の科学-学習コース
第3課
宇宙的法則の応用 
093 第2課では「神の御意志」という言葉で、そして神はあなたの体験に責任がないという説明で話しを終えました。そしてこのことを明確にする為、一例として電気を取扱うことにしましょう。


【解説】
 私達は宇宙を貫く法則(仏教では"法"と表現しています)の下に生きています。それは物理や化学の法則と同じで何処でも誰にでも当てはまるものです。即ち、ある原因を作れば必ず遅かれ早かれ同様の結果が生じるということ、いわば"播いた種は刈り取らなければならない"という原理です。もちろん、精進努力を積み重ねれば思わぬ時に飛躍的に自らの環境が変化し望み通りになることもその一つですし、またその逆も同じです。
 本項では電気を例に、この後創造主の意志、宇宙の法則について説いて呉れるとしています。
 宇宙における様々な要素の一つである電気については未だ私達はその上辺だけの現象しか知りませんが、それでも電燈をはじめ様々な電化製品、電子機器を作り上げている現代では電気の無い生活は考えられません。それほどに生活に欠くことのできない要素をどのように観たら良いのか、以後の各段落で考える機会を得られればと思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。



【解説】
 "全て自分の力で思うように進めて行く"ということは、その反対に"何もせず、惰性に流れる"生活よりは良いのかも知れませんが、実はそれにも多くの問題があるのです。多くの場合、誤った心の解釈から他人を傷つけ、自身も後で後悔するような行為も多くなるからです。
 つまりは私達はこれら両極端でしか生きて来なかったのではないでしょうか。これに対し本講座では私達内部に、著者アダムスキー氏が何処かで述べたように"自分の手"よりも近い場所、私達の内側に"意識"があり、絶えず必要な指導を与えて呉れる状況を自覚、認識せよと説くものです。
 そのことを知覚出来れば、失敗は少なくなり、より充実し成果の挙がる生活に変貌させることが出来ると本章をまとめています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 期せずして段落087の解釈文と同じ主旨の内容が本文に記されておりましたが、まさにその通り、相手(即ち"意識")を信頼し、その指導の声に素直に従うところが重要となるということです。
 つまりはこの現世においては自分自身も含めて人間(エゴ)は平気でウソをつく者も多いのですが、各自の内側にある"意識"は私達を裏切ることなく、常に良い方向に導きの手を差し伸べてくる訳で、その導きに素直に従うことが必要で、あれこれ思いわずらうことはありません。
 そういう意味で、かつてイエスは"幼子"や"野のユリ"その他のように、私達は自分の中に与えられている本来は最も近しい存在である"意識"を信頼し、安寧に生きて行けと諭したということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。



【解説】
 確かに仏教も含めてあらゆる宗教、哲学上の究極の教えと本講座の目指す所は大変類似しています。その延長で言えば、どの宗教の教えを学んでも同じ頂上に辿りつく筈で問題はないとも言うことが出来ます。
 しかしそれでも重要な点は、本文に記されているように、私達が身に付けなければならない"意識"との関係について出来るだけ簡潔に現代の私達が分かりやすいように他惑星の兄弟達の支援によって制作されたのがこの講座であることです。
 他に様々な重要点はあるでしょうが、まず第一段階として取り組むべき内容、身に付けるべき事柄が本講座に記されているということです。既にマスターし、進化を遂げた他惑星文明から私達に向けてそのエッセンスを贈られたものと言うことが出来ますし、教えの当初から長年月を経過し一部は本質からずれてしまった既存の宗教を、今更時間をかけてトレースするまでもないことになります。
 それよりは自分自身も含めて身の回りの生きている自然の生命を教材として直接、本講座の内容を学ぶことの方が遥かに大切ということです。

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