ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落187

187 Man should become aware of living two different experiences at the same time, for he is living on top of the earth of three dimensions, yet depending and living in the fourth dimension. For from the crust of the earth towards the sky is the invisible fourth dimension which we call space. Outside of it we could not live any more than the fish that cannot live out of the water. No form could live without the support of the fourth dimension for it is the air which we call atmosphere in which earth forms live and breath. And if it were withdrawn no form could live, not even the earth.
187 人は同時に二つの異なる体験を生きていることに気付くべきです。何故なら人は3次元である地上の頂上に生き、かつ4次元に依存しその中で生きているからです。地上の塊から大空に向かって私達が宇宙と呼ぶ目に見えない4次元が広がっています。魚が水無しでは生きて行けないのと同様、私達はその外側では生きて行けません。如何なる形有るものも4次元の支援が無ければ生きられません。何故なら地上の形有るものが生き、呼吸する私達が大気と呼ぶ空気が無ければ如何なるものも生きては行けないからです。そしてもし、大気が取り去られたら、如何なるもの、地球でさえも生きることはできません。


【解説】
 水が無ければ魚は生きられないように、私達は意識が無ければ皆、存続することは出来ません。それ程に意識は重要な要素なのです。この意識なるもの通常、急病人が救急車で運ばれる際に、患者本人の意識があるかないかが重大な要素となるように、本項の宇宙的意識についても、それ程に重要なポイントにある訳です。
 言い替えれば、私達自身の自覚の有無に関わらず、私達は宇宙的一体感にも似た静かなる連帯感の中にあり、その一体感の中で莫大な量の想念波動が行き来し、生命活動を支えているように思います。その活動が無ければ、私達は存続することが出来ないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落186

186 The whale, although there are others, masters the pressures and elements of the sea, for it is able to go to great depths yet it can swim on the surface of the water and partake of the invisible gases from space that enshroud the earth. And there are some like the flying fish that leave the liquids for an experience in the sea of gases. Thus they have experience in two different kingdoms. The liquid of the water and the gases of which the liquid it made. 
186 クジラは、他の者もいますが、海の様々な圧力や要素をマスターしています。何故なら海中深くまで潜ることが出来ますし、水面付近で泳ぎ地球を覆っている宇宙から目に見えないガス類を取り込むことが出来るからです。そしてトビウオのようにガスの海での体験を求めて液体を離れる者もいます。そのようにして彼等は二つの異なる王国での体験を持つのです。液体としての水とその液体を造ったガスの二つです。



【解説】
 今日、世界の趨勢として捕鯨は禁止されているように、クジラは愛すべき動物とされていることは確かです。また、ホウェイルウォッチング塔、彼らの生活を観察する楽しみ方も増えているところです。
 巨大な体格を誇るクジラですが、地球規模で移動し、集団の結束力も高い等、優れた動物であることは確かです。
 本項はそのクジラが海中の世界だけでなく宇宙空間をも知っており、両方の世界を理解していることを示しています。時として空中に身を乗り出してその世界を自ら確かめようとする姿は、私達にとっても参考になる仕草なのかも知れません。三次元世界に身を置きながら、時として宇宙意識の世界に身を乗り出すという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落185

185 Let us now place the mind in relationship to consciousness as an observer of conscious action. And for this the shore of the ocean can be used as an example. For as we gaze out over the vast stretches of water we know that there is untold life within its body. So let us become consciously aware of the activity that is taking place within its depths that the sense mind does not see. We should now become consciously aware through impressions of the many active forms and see those as small as a grain of sand searching the bottom of the ocean for food. And millions of kinds of form life from the bottom to the surface doing the same thing. Some never rise from the bottom to see the light near the surface, while others do.
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするものもいます。


【解説】
 先ずは意識の世界を観察することから始めるべきだと説かれています。特に海を眺める中で私達は水面しか認められない自分の感覚の限界を悟り、いち早く海の中で行われている諸々の活動について、別の方法で知ること、観察することを探らなければなりません。
 このいわば「透視」能力とも言える能力は、私達がそれを身に付けようと望むなら、自ずと発達する能力だと考えますし、先ずは私達自身が眼が把握できない視野の奥の生命活動について知ろうとする気持、透視能力を身に付ける必要があると認識することが大切です。
 その為には、私達が認識する外界の奥には、目に見えない様々な活動が起こっていることを認め、自らその世界と融合したいとする気持が重要となるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落184

184 No form or mind can live independent of consciousness. For outside of it, if there were any, would be absolute nothingness. So it is up to man to strive to have his mind listen to the teacher, the parent of all creation.
184 如何なる形有るものも、また心も意識と独立して生きることは出来ません。何故なら、その外側というものがもしあったとしても、そこは、絶対的な無であろうだからです。ですから、自らの心をすべての創造物の教師、両親に耳を傾けさせようと努力することが人間の義務なのです。



【解説】
 幸いなことに私達はいわば、全能の神とも言える”意識”の中に生きているということです。全てを包む”意識”と呼ばれる英知なる者、全てを知り動かす存在は声なき声で、或は目に分かる姿でなく印象というより高次な情報の形態で、その庇護の下にある者達を絶えず指導しているという訳です。
 この辺の理解は仏教的なニュアンスがあり、世界はその意識の現れとして”諸仏”等と称されるようにあらゆる所に仏性が存在しているということです。
 そういう意味では、私達はいつも仏達に包まれた環境に暮らしているという大変有難い恩恵の下、生きていることを忘れてはなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落183

183 Even some marine life strives to see the light above the water. And the liquid of water would not be if it were not for the essence of hydrogen and oxygen which are invisible. In this invisible state the prime of life cannot be seen with the sense of sight of the human mind. But it can be known to the mind through consciousness. For consciousness is the intelligence and power that is independent of the forms, yet it activates all forms when it acts through them. Consciousness knows no light or darkness as man classifies these frequencies. Nor does it know good or bad for these are classifications of the mind through misapplication of the law.
183 ある種の海洋生物でさえ水面上の光を見ようと努力します。また液体である水は目に見えない水素と酸素の基本化合物が無ければ存在しないでしょう。この目に見えない状態の中では生命の本源は人間の心の視覚では見ることは出来ません。しかし、意識を通じて心に知られることは可能です。何故なら意識は形有るものから独立している知性であり力であり、それを通じて働く全てのものを活性化するからです。意識は人がこれらの振動を分類するように光とか闇とかを区別することはありません。また、善悪も知ることはありません。これらは法則の誤用を通じた心の分類だからです。



【解説】
 以前、三宅島から船で竹芝に帰る際に、トビウオが界面近く飛ぶ姿を見る機会がありました。著者は海の世界に生きる魚が空中に飛び上がり、新たな体験を得ようとしていると捉えているのです。
 日常を過ごす三次元の世界を脱して、それを包み込む宇宙空間にあこがれ、その世界を知りたいとジャンプした結果、トビウオは自分の暮らす海の世界の上には、更に広大な宇宙空間が広がっていることを自分の身体で体験し、学んでいるという訳です。
 私達も同様に宇宙の意識を理解しようとして時としてジャンプする必要もあるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落182

182 Living as we do, guiding ourselves by other effect no different than ourselves, we remain close to the form life of earth. Which is in itself only an expression from its lowest state of awareness. 
182 私達は自分達と何ら変わらない他の結果物に頼って自らを導いて生活している以上、地上の生物体に近いまま留まっています。それらはそれ自身、悟りの最も低位な状態から来る表現でしかありません。



【解説】
 私達はいずれにせよ、一人(孤独)で生きている訳ではなく、常に何かを頼りに生きていますが、それは家族も含め、私達自身と大差の無い存在ばかりです。その為、時に裏切られたり、争ったりすることもある訳です。
 しかし、頼りにしている相手が私達自身と同程度のものであれば、自ずとその進歩の程度も知れたものとなることでしょう。
 本項では、こうした状況に鑑み真に私達が頼りにすべき存在について暗示しているのです。

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2021.12.28
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落181

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE 
LESSON FIVE 
Consciousness, The Intelligence And Power Of All Life 
181 We are actually living in an invisible sea of life. And as I have said before, we should school ourselves to become aware of the visible and invisible at the same time. For today we are only mentally aware of the visible forms with which we have contact. Yet all forms rise from the lowest upwards, looking so to speak into invisible space. And why should this be so? Does not all creation look to its creator as a child looks to the mother for guidance? And as space is the birthplace of all forms, they look to and live within the household of their birth.
生命の科学学習コース 
第5課 
意識、即ち全生命の知性と力
181 私達は実際には生命の目に見えない海の中で生きています。そして以前にも述べたように、私達は私達自身を目に見えるものと見えないものとを同時に気付くように訓練すべきなのです。何故なら今日、私達は私達が接する目に見える形あるもののみに気付いているからです。しかし、すべての形有るものは最下位から上部を目指して、言わば目に見えない宇宙に向けて昇っています。そして何故、このようなことが起るのでしょうか?全ての創造物は丁度、子供が母親に導きを求めるように、創造主を求めているのではないでしょうか。そして宇宙は全ての形有るものの生誕の地であり、それらの生まれた家庭を見つめその中で生きているのです。


【解説】
 誰でも年配になると自分の故郷、自分が生まれ育った所を懐かしく思い、出来ることなら再び帰りたいと思うものです。本項は私達自身が生まれ出た故郷は宇宙空間であり、目には見えない意識から生まれた為、私達自身が自然と意識に憧れ戻りたいと思うのであると説いています。
 全ての生まれる源が宇宙であり、私達はそこに回帰したいという傾向にあるのです。その点では誰でも本来の進化の途に戻りたいという思いがある訳ですが、それこそが大いなる救いでもある訳です。
 故郷を思うのは苦しい時、辛い時が多いものですが、その際に自ずと本来、目指すべき世界への方向性に目覚めると言い替えた方が良いのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落180

180 Can a man become immune to pain? Yes, we hear of those who can walk on hot coals without pain. But they have learned how to discipline their mind, and the mind had to be willing in order to be disciplined. This shows that whatever unpleasant conditions the mind faces, it is of its own creation through misapplication of the law. So it behooves the mind to become a willing student of cosmic principle if it is going to enjoy the blessings that life offers. This is where the memories from the past can serve man in recalling values he has gained through experiences he has had.
180 人間は痛みに動じなくなることが出来るでしょうか? もちろんです。私達は痛みを感じることなく、焼けた炭の上を歩ける人々について聞いています。しかし、彼等は彼等の心を如何に訓練するかを学んで来ており、心は訓練されることを喜んで応じなければなりません。このことは、例えどのような不愉快な状況に心が直面しようとも、それは法則の誤用によりそれ自身が造り上げたことを意味しています。ですからもし心が生命が提供する祝福を享受しようとするなら、心は宇宙の法則について喜んで学ぶ学生にならなければなりません。ここがこれまで体験を通じて得た貴重なものを人間に思い出させる過去の記憶が役立つところなのです。


【解説】
 著者は私達に痛みや苦しみは心が造り出すものであることを説いています。即ち、リンゴがかじられた時、リンゴに痛みは感じられないように、私達も苦痛から解き放たれることが出来るという訳です。
 古来、仏陀が生きていた時代、インドでいわゆる苦行に耐える修行が行われました。もちろん、これら「苦」に対する心の有りようをコントロールすることは大切なのですが、本講座ではこうした表面上の課題だけでなく、更に深い側面まで含んで学んでいることは特筆すべきでしょう。このように自らの苦痛をコントロールすることは私達が目指す長い道程において通過点の一つに過ぎないことも重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落179

179 The apple is made of matter and supported by conscious life the same as we are yet it does not scream when we bit into it. Why? Because it does not have the kind of mind that man has, endowed with a free will which is in constant opposition to Cosmic law.
179 りんごは私達と同じ物質から成り立っており、意識ある生命によって支えられていますが、私達が噛み付いても悲鳴を上げることはありません。何故でしょうか? それは人間が持つような、宇宙の法則に常に反対している自由意志を授けられているような心を持っていないからです。



【解説】
 著者は第4課の終りに当たり、リンゴを例えに出して説いているのが象徴的です。創世記に出て来る知恵の木の実をはじめとして聖書にはリンゴの話が多く出現しています。かじりかけのリンゴを会社のロゴとしてApple社の意図までは存じませんが、人間にとってリンゴは象徴的なものであることは間違いありません。
 そのリンゴについて私達が食べる際にリンゴはどのような感覚を抱いているのか、著者は私達に探ることの必要性を説いています。私達動物だけが、痛みを訴え、大騒ぎをする訳ですが、リンゴにはそのような感情を起こす部位はなく、生存すべてを宇宙の法則に委ねている為、苦痛は感じないということでしょう。このことは、卑近な例を揚げれば、肉体の痛みは十分にコントロールできることにも繋がるものなのです。
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