ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落123

123 Even today man is going into the depths of the ocean and into space, only to learn from nature.
123 今日でさえ、人間は海洋深く潜ったり、宇宙に進出していますが、それらはただ自然から学ぶ目的からです。



【解説】
 重要なのは自然、即ち宇宙と向き合う態度であろうと思われます。海洋深く探査することや地中の奥を調査することは、私達の棲む惑星を理解することが目的であるべきです。また、地面を掘り進める中で、過去の文明の遺構も発見され、地上でこれまでどのような事柄が起こったかも分かることでしょう。
 東日本大震災以来、貞観(869年)の地震や津波の痕跡が注目されていますが、過去1000年単位で繰り広げられる大きな変動も地球のそこここに記憶されています。
 このように自然を探究することは私達に宇宙の経緯やこれまでこの惑星が辿った道程の多くを学ぶ機会となっています。
 同様に私達自身の過去についても先ずは知ろうとする努力も必要だと考えています。自分はどのような体験を本来持っているのか、自分自身を掘り下げ理解することも必要でしょう。それは必ずしも楽しい体験ばかりではないのですが、自分と向き合うことで学ぶことも多い筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落122

122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。



【解説】
 実は本項と類似したことが私達の置かれた状況とも言えるのではないでしょうか。アダムスキー氏や他惑星からの支援者達が私達の近くに居る訳ではなく、私達は独りで自らの道を求めて進んで行く状況にあるからです。
 その中で本項は、身近な自然に注目せよ、自然から学べと説いているように思います。丁度、原始の時代に人間が初めて笛を作ったように、自然を観察し真似ることで成長して来たということでしょう。
 同様に、現代の私達の教師は常に身近にある自然であると言えます。先日もあるアジアの地で休日、寺巡りをしていた所、幹の所々から房(ふさ)のように束ねたたくさんの実を出すヤシの木と出会いました。残念ながら名前は分かりません。気が付くと木の上の方にはそれらが熟した大量の実が稔っています。数珠や房の形といい、お寺に相応しい植物ではと感心した次第です。おそらくは何らかの薬効成分も含んでいるものと思われます。
 私達の身の回りには、まだまだ初めて見る自然の不思議がいっぱいあります。それら学習、観察の機会を通じて、私達は自然から様々な事柄を学ぶことが出来ますし、その心境になれば私達は自然の一員となり、孤独ということはありません。多くの植物画の作家がそうであるように、自然観察の中には楽しみがいっぱい詰まっているということでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落121

121 Ninety per cent of life as we see it is governed by the law of direct guidance. The 10% which is man, has separated himself from the law by using his free-will.
121 私達が見るところ生命の内90%が直接の指導によって治められています。残り10%の部分が人間については、自分の自由意志を使って法則から自分自身を分離させて来ているのです。



【解説】
 私達人間が地球全体に10%程の影響を与えていると著者は指摘しているように思います。その人間自身、自分に与えられた自由意志が自分を宇宙の法則性からかけ離れたものにして来たという訳です。
 宇宙から来る無言の印象に従うのではなく、人源は自ら考え、行動して知識を積み重ねて来ました。その結果、もはや他の動物をしのぎ、惑星を支配する文明にまで発展させています。
 しかし、その自由意志が私達を堕落させ、倫理をおとしめ、欲望を助長する殺伐とした社会を作り出しているのです。何をしても自己責任、何をしても他人に知られなければOKという風潮は、私達が本来めざすべき姿ではありません。それらの結末は、決して好ましいものになることはないからです。
 仏陀は人々に守るべき戒律を説きましたが、それは私達の自由意志をコントロールする一環でもあったと思われます。また、モーゼの十戒にも同様な響きを観ることが出来ます。最もいけないことは、自身の内側にある創造主の期待を裏切ることです。時には横道に入り込むこともある私達ですが、重要なのはこれらの反省に立って、私達は自らの意志、自由意志で創造主の門を叩いて、中に入れてもらうことだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落120

120 When we say Nature, it is used as a representative of The Mother Principle of Divinity. For she is the one through which forms are born. This is the feminine side of life, while the Supreme Intelligence is the masculine. And the two are working as one to bring forth the many manifestations.
120 私達が自然と言う時、それは神の内の母性原理を代表するものとして用いられています。何故なら、そこから形有るものが産まれるからです。これは生命の内の女性的な面を示しており、一方で至上なる英知は男性面を表わしています。そして両者は多くの創造物をもたらす為、一体となって働いているのです。


【解説】
 私達自身、母の身体から生まれ出た訳で、この身体の源は各自の母に由来します。全ての生きものがこうして母なる存在からこの世に生み出され、その同じ法則は地球全体に行き渡っており、"母なる大地"と表現されることになります。
 一方で、本項ではその一つ一つの生誕を指導する究極の英知を父なる存在としています。各々の生き方、暮らし方に示唆を与える知性の存在もまた、その生育に不可欠であり、母性、父性の2つの働きが一体となってはじめて形あるものが創造されるということでしょう。
 重要なのは、これら創造作用の中には他者への裁きや敵対的な要素は一切無いということでしょう。昔、"Love and Peace"とう表現がありましたが、大自然本来の営みの中には、豊かな愛情表現はあっても、好戦的な要素は無いところに気付いていた人達が当時も居たということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。


【解説】
 前項(118)の最後に述べられている「知性」について、本来どのようなものかを本項で解説しています。
 本項では知性を行動や表現から推し量ることが出来るとし、私達は知性の海の中、即ち私達を取り巻くあらゆるものが知性を持った存在だと説いているのです。
 また、全ての形あるものがその本来の生存の目的の為に、創造主の指導そのままに生きて居る訳で、「置かれた場所で咲いている」のです。誰もが春には道端の草地で小さな蝶が楽しげに舞う姿を見たことはあるでしょう。また、地面を覗き込むと蟻達がせわしげに働いており、それぞれ与えられた状況の中で不平を言うことなく、むしろ喜々として生命を謳歌しているように思われます。
 それに引き替え、人は様々な問題を抱え、身の回りのこれら小さな生きもの達の暮らしを観る余裕もなくなっているようです。しかし、生きものには各々に応じた本来の行動や表現の為の知性が絶えず与えられており、それを受け入れ享受しさえすれば、楽しい本来の人生が待っている筈です。その贈り手を信じること、結局は自我だけではやって行けないことを早く気付く必要があるのです。古今東西の教えは全てこの一点において同じ要点を説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。



【解説】
 よく"若気の至り"という表現を用いますが、私達はその人生において学習の課程にあることは確かです。そして生涯の終末を迎えた時、自身で何か本質的なこと、本講座で学びつつある領域の事柄について理解出来、創造主の意図が多少とも実感出来ていれば、今人生は大成功ということになるのではないでしょうか。
 もちろん、各自の歩む人生は人それぞれでありますが、最も身近な存在である家族や友人に対し、その生涯を手本として見せることが出来れば、役割の一つを果たすことが出来たと言えるように思います。たとえ高齢になっても毎日、何かに向かって努力をすればそれは少しずつでも積み重なって人生を豊かにして呉れるものと思われます。また、自然の美しさや精妙さに気付くことも多くなることでしょう。
 従って、もし私達が進歩の道を歩んでいれば、必ず目的地にも到達出来るでしょうし、過去、即ちこれまでの自分に比べて向上させることが出来ている筈です。芸術家と同様、習作を積み重ねた上でやがてその代表作が生まれる程の技量の段階に至るのと同様です。

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2017年2月23日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落117

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.
117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをしない代わりに、私達はそれらを分割し分離して来ました。これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達が私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく「汝の意志」が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。



【解説】
 何も植物や動物を調べるのに、分類したり種を特定したりする研究をすべきでないとする訳ではありません。問題としているのは、私達の日常の在り方が外形のみを見て、それらを区別し仕分けする一方、それらの内部に存在する共通した生命力を見ようとしない点にあるのです。外見や形だけがそのものの価値だと見做している点が問題なのです。
 しかし、それでは真の一体感は生まれません。同じ情景を見ても、感動する人と何らの興味を持てない人が居ることも確かです。その原因は何処にあるかと言えば、一人はその形あるものの中に自分と同じ生命が宿っていることを知覚でき、またその情景の中にそれらが調和交流して生命を躍動させていることに気付くことが出来るからでしょう。
 同じ世の中に生活している私達は、本項で著者が説くように、宇宙兄弟達のものの見方をいち早く身に付けてせっかくの美しい世界を享受し、創造主に感謝すべきです。「もったいない」という言葉が日本語にはありますが、日々の生活に意識からの働きかけを取り入れないことこそ、その最たるものと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落116

116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。



【解説】
 私達は本来のあるべき姿、即ち自らの内部に宿る意識が黙していることを良いことに、長年、自我の心を増長させ、自分の都合の良い言い訳を作り上げて生活して来ました。その結果、私達は創造主を裁き、倫理に劣るが知識の上では巨大化したイビツな存在になってしまいました。
 他の生きものたちは、知識や知性は劣りますが、意識に従うという点では人間よりはるかに優れています。その結果、大自然はかくも調和した美しさを保ちますし、私達人間もそれらの静かで調和した世界に憧れるものとなっています。
 一方、知の巨人となった人間の世界はどうでしょうか。世の中の経済の動きをコンピュータが自動で収集し、株の売買を自動的に行って利益を得る等、AI(人工知能)を金儲けに活用することも行われ始める等、他人を出し抜く競争社会、他人を利用する風潮は社会を悪化させています。
 これに対し多くの教師、先人が本来の人間のあるべき姿を説いて来ました。その教えが自身の中にある意識の声に耳を傾け、それに従えということです。自分のこれまでの経験や知識等はどうでもよく、自らに与えられる意識の声、即ち印象をはるかに大切なものとして受け止め、それらを表現し、実現することだということでしょう。今読んでいる「釈尊の生涯」(中村元、平凡社)の中に、釈尊が説く教えを聞いた者が直ちに、悟りを得たという記述が多くあります。本当に真理を得た者と接し、お話を伺うことで、長年の曇りがたちどころに覚めるということでしょう。その背景には、私達自身の内側に、既に十分な備えがある為、それに気付くきっかけが必要なだけだという訳です。同乗記における他惑星の長老との会見がそのような事情を示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落115

115 So it is with the law of the Cosmos. Positive Thinking, that you may have heard about, has hurt more people than it did good. God's purpose cannot be divided and give good results. Nor can one judge His laws and omit parts of them, be it through lack of understanding or egotistical aggression, which has been done through the ages. People judge the Creator's creation without knowing the reason for each part. And in this way they have been judging the Creator and exalting the ego mind above His Intelligence.
115 ですから、それは宇宙の法則についても言えることです。陽的思考は、貴方が聞いたことがあるかも知れませんが、それが為す良い事以上に多くの人々を傷つけて来ました。神の目的は二分されて良い結果をもたらすことは出来ません。人は理解力の不足に由来するにせよエゴの侵略行動に由来するにせよ、神の諸法則を裁いてその一部を除くことをしてはならないのですが、それを長年行って来ました。人々は創造主の創造物を各々の部分の存在理由等を知らないまま、裁いて来ました。そしてこのようにして、人々は創造主を裁き、自らの自我の心を創造主の知性の上位に置き増長させて来ているのです。



【解説】
 まさに本項は今日世の中で起こっていることを警告している所でもあります。断定的な考え方で世の中全てを断じることは、多くの人達を傷つけるということは、現在米国等で起こっていることでもあります。一部の真理を盾に全てをその考えで押し通すことは危険です。その断じることの中にエゴの裁きが入り込んでいるからです。もちろん過去の人類の歴史が民衆の支持によって上り詰めた独裁者が引き起こした惨状を記憶している筈です。
 そういう意味で"Positive Thinking"(断定的、陽的、積極的な考え)の中には、私達の想定を超える危険性もはらんでいるのです。戦意高揚し国民を戦場に送り出す初期の頃は組織的な作戦で人々を盲目にさせて来たということでしょう。
 一方、私達の目指すべきは、もっと静かで精妙な世界です。最も肝心な存在である”意識”は普段、誰からも気付かれないまま、私達の肉体を支えています。その宇宙普遍の存在こそ、私達が本来求めてやまないものです。そういう意味では仏教も真理を悟ること、その法則(ダルマ)に寄り添うことを目指しており、個人の死などを頓着しない冷静、科学的な立場にあるように思いますし、本項で言う断定的な態度とは対極を成す立場のように思われます。

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