ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落351

351 If the sense mind pays close attention without self opinions it can differentiate between the two. For one will have a personal tinge to it, while the other remains cosmic, like the shades between the riley water and the clear water. And the sense mind with its free will can choose one or the other. The astronauts will have to learn this in order to differentiate between the wishful thinking of the sense mind and cosmic reality.
351 もし感覚心が利己的な意見を持たず注意深い配慮を払えば、その二つを識別することが出来ます。何故なら丁度濁り水と清水との間に陰影が違うように、一方には個人的な色合いがあるでしょうが、他方は宇宙的なままであるからです。そして感覚心は自由意志を持つ為、そのどちらか一方を選ぶことが出来ます。宇宙飛行士達は感覚心の希望的考えと宇宙的現実とを識別する為、このことを学ぶ必要があるでしょう。


【解説】
 宇宙飛行士の神秘体験については、日本でも立花隆氏の著書「宇宙からの帰還」が有名ですが、ジム・アーウィン(James B. Irwin)やエドガー・ミッチェル((Edgar D. Mitchell)等、後に宗教分野に目覚めた宇宙飛行士が多いというのは有名な話です。(ちなみに、ジム・アーウィン氏については、日本における初期の頃からのアダムスキー研究家である根岸邦明氏が「月に別世界の宇宙船がいた!-宇宙飛行士ジム・アーウィンの証言」(朋興社)を出版しています。)
 実際に宇宙空間に出ると、人は地上にいる時よりもはるかに強い想念を感受できるのかも知れません。これまでは、この原因として、暗黒の中に美しく輝く地球の姿を見て感動したことや人類が生息する惑星全体が宇宙空間では手に取るように実感できるという体験が影響しているとされて来ました。しかし本文によれば、むしろ宇宙空間に生息する細胞群の諸活動に、その背景があることが分かります。
 宇宙空間におけるこれら宇宙的細胞についての形態については本文では述べられておりませんが、それらの発する想念は地上よりも遥かに強くまた高密度でやって来るのだと思います。その中で、宇宙飛行士達は自分の感覚心が発するものと宇宙の源泉から送られて来るものをしっかり識別しなければ、かえって混乱することになりかねないと言っているのです。いずれにせよ、宇宙空間に出るということは、精神面についても大きな変革を受けることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落350

350 Here also one must be careful which ones he will give recognition to for abnormal impressions created by cells of that type join and move with the normal ones, just as fast. Like riley water mixing with clear water.
350 ここでもまた、人はどちらに承認を与えるかについて注意しなければなりません。その種の異常細胞で造り上げられた異常な印象類は正常なものに取り付き、一緒になって素早く動くからです。それは、清らかな水に混じる濁り水に似ています


【解説】
 ここでは、人が想念を感受する時、注意すべき点として、多くの正常な印象に混じって、感覚心の手先に成り下がった細胞群からの邪悪な想念も同時に紛れ込んで来ることを指摘しています。いわゆる、「出来心」や「魔がさした」等の日本語の表現がありますが、それらは入り込んだ異常な想念に従って本人が行動した結果、招いた結末を後日、反省した時に出る後悔の言葉です。
 このように、ありとあらゆる機会を捉えて、不正常な想念が入り込もうとしている訳ですから、油断は出来ません。やって来る印象を何らのチェック無しに受け入れることは危険でもあります。しかし、一方では一つ一つ分析し、判断していては行動が遅れて、折角のチャンスを活かせないことも確かです。本当は、自分を創造主の僕(しもべ)として、宇宙的細胞をはじめとする正常な印象類を行動に移す発現の道具に成りきれれば良いのですが、それには全身がそれら、正常な想念のみに同調するような高次な状態を保つこと、また、そのような高次な想念を引き寄せる体質にまで育てる必要があるということです。まさに、自分にやって来る想念は現在の自分のレベル相応のものである訳で、その現実を先ずは直視する必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落349

349 I stated at the beginning of this lesson that space is permeated with cosmic cells. All cells are conscious entities that make up the mind and all forms known and yet to be known. Our scientists recognize this now and our astronauts are being taught how to receive impressions from the living cells in space. These cells do not lend themselves to personal opinions of sense minds. But there is not a moment in life that the sense mind does not receive impressions from the cosmic source. The mind may not be alerted to them because it is preoccupied with its own abnormal conditions, but the impressions are there just the same. The only time that the sense mind becomes aware of them is when it loses its interest in itself. Sometimes this is called meditation or silence, for it is then that thoughts or impressions move before the sense mind at terrific speeds.
349 この教課の冒頭(訳注:327)で宇宙は宇宙的細胞が行き渡っていると述べました。全ての細胞は心や知られている、またまだ知られていないあらゆる形有るものを造り上げる意識的存在なのです。地球の科学者達は今やこのことを認め、宇宙飛行士達は宇宙空間において生きている細胞達から如何にして印象を受けるかを教わっています。これらの細胞達は感覚心達の個人的意見に自らを委ねることはしません。そのかわり、感覚心がその宇宙的源泉から印象類を受信しないことは片時もないのです。心はそれ自身の異常な状況に夢中になっている為、それらに警戒できないのですが、その印象類は全く同様のままそこにあるのです。感覚心がそれらに気付く唯一の時とは、感覚心が自分自身への関心を無くす時です。ある場合にはこれは、瞑想あるいは沈黙と呼ばれます。想念或いは印象が感覚心の前を猛烈なスピードで移動するのはそのような時だからです。


【解説】
 宇宙空間には宇宙的細胞が言わば行き渡っているという点について考えて見ます。この場合、これまでの原表現から著者はcell(細胞)とmolecule(分子)とは区別して表現されていますので、ここで言うcellとは文字通りの「細胞」という意味で用いられていることになります。それでは「宇宙空間には宇宙的な細胞が行き渡っている」とはどのような状況を示すかということになります。最も容易な解釈は宇宙空間にある各惑星や衛星、流星に存在する生物体を構成する細胞です。しかし、一方では同乗記に書かれているように空間自体にも様々な色を発する物体が飛び回っているとも言われています。宇宙空間を海に例えるなら、海中深い暗闇の中で様々に発光する深海生物がいるのと同様な光景があるのかも知れません。
 宇宙空間は何も無い真空の空間だと教えられて来ましたが、実際には海洋と同様に、海洋(宇宙)に浮ぶ島々(惑星)の生命を支える大切な環境であるかも知れません。
 こうした宇宙空間に直接生息する生物が存在するとすれば、それらはまさに創造の間近に生きている訳で、それらの持つ精神レベルは著しく優れたものである筈です。また、私達は地上に生きているとされて来ましたが、実はその生きる空間はこれら宇宙と何らの境目がなく、つながっていることに留意したいものです。空を飛ぶ鳥達に古来から特段の高貴さを感じるのも、これに似た要素があるのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落348

348 We can use this illustration; A man on a tall building can observe all that is taking place below him. He sees the confusion but is not affected by it nor does he become a part of it. This is what you can do when you observe the actions of sense minds through your consciousness.
348 このような例を用いることが出来ます。高い建物の上にいる者は下で起っていることの全てを観察することが出来ます。彼は混乱を見ますが、それに影響を受けたり、その一部になることはありません。これが感覚心の行動を貴方の意識を通じて観察する際、貴方がなし得る内容です。


【解説】
 感覚心に振り回されないようにする為には、自ら自分の感覚心を観察することが必要です。アダムスキー氏は多くの著作の中で、”想念観察”について述べていることは周知の通りです。
 とかく右往左往しがちな自分を切り離して、客観的に眺めることによって、その本質が見えて来るということです。しかし、一方では、観察だけで、行動を伴わければ、”体験”として残らないことも確かです。まさに”観察”が”善悪の裁き”になっても困ります。ここでは、横暴な感覚心が騒ぎ出した時、あるいは恐怖を抱いて混乱し始めた時、自分自身に対する全責任を負う当事者としては、それらの混乱に巻き込まれることなく、高みにあって、その印象の出所や作用について冷静に観察し、影響を受けないようにせよと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落347

347 We are told that Jesus went to a prison and talked to the prisoners. But he was not affected by the environment or impressions that came from the prisoners.
347 イエスは牢獄に行き、囚人達に話をしたとされています。しかし、彼はその環境や囚人達から来る印象類に影響を受けませんでした。


【解説】
 ここでさり気なくイエスが牢屋に行って、囚人達に会った時の話として例に挙げられていますが、実は、これはイエスが捕われて遂には十字架につけられることになる状況での話と考えるべきだと思っています。
 この場合、古代イスラエルの牢屋は暗く、劣悪な環境であったことは容易に想像できますし、囚人達は荒んだ心にあったに違いありません。またイエスご自身もこれからご自身の肉体に加えられる苦難を十分、ご存知であった筈です。
 しかし、本文ではそのようなことに一切触れず、牢屋にあっても何ら周囲の影響を受けなかったと述べられています。これら地上の誤り、劣った環境から一切の影響を受けず、淡々と人間達の下す判決を待つと同時に、哀れみのまなざしを囚人達に注いでおられたのだと思います。宇宙的細胞、宇宙意識に完全に同化同期した者には恐怖は無力になるということです。

第1課から第3課までの小冊子が出来ました

 現在、これまでの内容を各課1册の小冊子(簡易製本、各課A5版約50ページ)として製作し始めています。
 やはり、後に残す為には本の形にまとめた方が良いと思ったからです。
 つきましては、御希望の方には、¥500(送料込)でお送りしますので、希望される方は以下のメールアドレスに「生命の科学逐次解説冊子希望」と題するメールを送付し、希望の課と册数をご連絡下さい。折り返し、振替口座の番号をお知らせいたします。
 なお、なにぶん小冊子製作は手作業の為、当方の事情によりお待ち戴くこともありますので、御承知下さい。
 メールアドレス:ganetjpn@cream.plala.or.jp
 第4課以降については、出来次第、同様な形でお知らせしますので、それまでお待ち下さい。海外からのご依頼については別途ご相談下さい

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落346

346 There are two avenues of impressions. Those from abnormal or carnal cells created by the mind of distorted nature so well known in this world, and those that come from the normal cells of cosmic nature that give a constant feeling of elevation. The doors to both are open for manifestation and they permeate all space like the television and radio waves do. We live in the sea of them and it is up to the individual to make the choice of which ones he wants. If we want a war picture depicting misery we can tune into that type and live in that environment. Or we can choose a program of beautiful melodies or a performance of kind deed and enjoy that environment. One is of noble life and the other is of abnormal life. And we must remember that all of this is taking place in the sea of life. And we have been given a free will to choose which environment we wish to live in. I do not mean that we should ignore the abnormal actions of any phase. For if we are to know life from its lowest expression to its highest potential we must observe all actions. Then we will understand the cause back of them, observing the law of action and reaction - cause and effect. But we do not have to become the actors. We can watch a prize fight and not become a fighter but we can see how the human mind operates. When we can do this we are better equipped with knowledge and aware of the type of impressions that come upon us which could take over. This is where wisdom begins.
346 印象には二つの道があります。この世の中ではあまりに良く知られているねじれた性質の異常細胞群、即ち肉欲細胞群から来る経路(訳注:複数)と常に高揚する気分にする宇宙的性質の正常細胞群からくる経路(訳注:複数)です。現出に向けての扉(訳注:複数)は両者ともに開いており、それらの印象はテレビやラジオの波のように全ての空間を通過しています。私達はそれら(訳注:印象)の海に生きており、自分がどれを望むのかを選択するのは各自に委ねられています。もし私達が悲惨さを描く戦争の映像を求めるなら、私達はそのタイプのものに同調出来ますし、その環境に生きることが可能です。あるいはまた、私達は美しいメロディーの番組か親切な行為のふるまいを伝える番組を選択し、その環境を楽しむことも出来ます。一方は高貴な生涯であり、他方は異常な生涯です。そして私達が覚えていなければならないのは、この全てが生命の海の中で起っているということです。また、私達はどちらの環境で生きたいかを選ぶ自由意志が与えられています。私は如何なる側面の異常な行為であっても無視すべきと言っているのではありません。私達が生命をその最低の表現から最高の可能性まで理解しようとするなら、私達は全ての行為を観察しなければならないからです。そうすれば、私達は作用と反作用、原因と結果の法則を観察することによって、それらの背後にある因を理解することになるでしょう。しかし、私達はその行為者になる必要はありません。私達は懸賞試合を観戦することが出来ますが、選手にはなれません。しかし、人間の心がどのように働くかを見ることは出来ます。これが出来れば、私達は私達にやって来て自分を支配しかねないる印象のタイプに関する十分な知識を身に付け気付くことが出来るようになります。これが知恵の始まりです。


【解説】
 私達が自覚するしないに関わらず、私達は印象(想念)の海の中に暮らしています。電波と同様にあらゆる物を通過するそれらの印象を理解するには、テレビその他の受信機と同様、それらに心を同調させる必要があります。しかし、テレビでどのような番組を見るかは大切なことです。良い番組を見れば、為になりますが、不自然で暴力的な内容を見れば、しばらくは見た者に邪悪な要素を植え付けることになります。そうすることはやむを得ないこと、そのようにエゴを発動しても許されるのだと納得させることになるからです。
 このように私達は自らが取り込む印象(想念)に大きな影響を受けています。しかし、自分にどの印象を取り入れるかは全く各自の選択に委ねられています。しかし、一方で、これら体内を通過する外部の想念を断ち切ることは決して良いことではありません。反対に私達は感受性、即ち想念に対する感受性を高める道を歩んでいるからです。良くも悪くもあらゆる印象を感受感得し、冷静に分析、学習することが、生きる上での大切な知恵を各自に蓄積されることになると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落345

345 All normal cells operate as consciousness impressing the sense mind with its potentials. And as the cosmic cells are not a respecter of persons they lend themselves to the sense man even though the man makes a mistake. For he can learn from the lesson and seek the corrective way of executing his impressions. All cells use the language known as telepathy - the language of impressions that come in silence.
345 意識が感覚心にその(訳注:感覚心の)可能性を印象づけることによって全ての正常な細胞は動作します。また宇宙的細胞群は個人を尊重する者では無い為、それらは自らを例えその者が過ちを犯すことになっても、感覚心に委ねるのです。何故ならその者はレッスンから学び、自分の得た印象類を実行に移す上での修正方法を探すことができるからです。全ての細胞はテレパシー、即ち沈黙の内にやって来る印象の言葉として知られる言語を使用しています。


【解説】
 ここでは宇宙的細胞群の特徴について語られています。本文はじめの "as consciousness impressing the sense mind with its potentials"部分については、訳者として若干迷う要素もありますが、ここでは「意識が感覚心にその可能性を印象づけることによって」と解釈しました。つまり、宇宙意識が感覚心を刺激することで全ての細胞(即ち、宇宙的な細胞も肉欲的な細胞も共に)が働き出すという意味になります。
 また、特徴的なのは、宇宙的細胞が肉体の主人に重きを置いておらず、ひたすら宇宙の法則に従う活動に徹しているということです。場合によっては主人(エゴ)による法則の誤用によって、肉体そのものの存在が不可能になることがあっても、これら宇宙的細胞群は一切、気に止めることはないと言っているのです。ある意味、法則に自身を委ねる潔さがあると言ってもよいでしょう。また、それほどに宇宙の法則を支えている創造主を心から愛しているとも言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落344

344 We read in the Bible; As it is in Heaven so it is on Earth. Or, as it is in consciousness so it must be in the sense mind.
344 聖書にはこのように書いてあります。天に行われると同じく地にも行われますようにと。それはまた、意識に行われると同じく感覚心にも行われますようにとも言えます。


【解説】
 聖書のこの言葉は、これまで他の天体で実現しているような生活が、この地球にもいち早く訪れますようにと願う気持だと思って来ました。しかし、私達自身の中にも、宇宙的細胞群が営む世界があり、感覚心の配下にある肉欲的細胞が支配する世界があり、感覚心の世界も早く体内にある宇宙意識の世界と同じことが行われますようにと祈る言葉でもあるのです。
 地球とその他の惑星にしても、大宇宙に比べると実に小さい、限られた空間に位置しています。当然、そこで行われていることは本来、同様な発達段階であろうとするのは自然です。しかし、実際にはこの地球だけが大幅に遅れ、進化と破壊を繰り返しています。昨今の情勢を見ても一度、衝突が起れば、殺戮はもちろん、略奪等が平気で行われます。そもそも人間の心の中にそうした要素が多く存在する為、外国に渡り、命の怯えと裏腹に極端な残忍性が出てしまうのでしょう。
 私達は自らの心の中に平安を保ち、自らのエゴを訓練し続け、そうした自分の心の現実にいち早く気付くかなければなりません。そうした中で人体を含め、広く自然観察をする中で、自然を動かしている宇宙意識に気付くことになります。また、その時、両者の間の相違に驚くことになります。エゴの世界と意識の世界の違いを実感しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第9課-段落343

343 As you can see this true phase depends upon nothing but yourself. And the old interpretations of guides etc., are not involved. And as we stressed throughout the lessons, until now you have been living almost entirely within the realms of the sense mind with half of yourself searching for the other half. In other words longing for the cosmic part known as consciousness. For it is the cosmic one that makes the sense man feel that there is something more to be known. And man will not rest or be content until he finds that other half of himself.
343 お分かりになるように、この本物の局面は貴方自身以外何物も頼りにするものではありません。ですから指導者の古い解釈等は含まれていません。また、私達がこれら教科を通じて強調したように、皆さんはこれまでほとんどすべてもう一方の自分を探しながらも、その感覚心の領域内にのみ生きて来たのです。言い換えれば、意識として知られる宇宙的部分を切望しながらです。何故なら、感覚人に何か更に知らねばならないものがあると感じさせるのはこの宇宙的半身であるからです。そして人は自分がその自分自身のもう一つの半身を見つけるまで、落ち着いたり満ち足りることはないでしょう。


【解説】
 私達が普段生活している世界、ここでは物理的な環境を言っているのではなく、精神活動の場がそもそも何処にあるかということです。例え広大な大自然の中を歩いていても、その人の心はあいも変わらず都会の日常生活の雑事のことを考えているかも知れません。また逆に、朝の混み合う通勤電車の中で車内の吊り広告の一枚の山の写真を見て爽やかな印象を味わえる人も居る筈です。
 このように私達の心が住む世界についてのお話です。本文はその世界はこれまで感覚心の世界といういわば半分の世界に過ぎないことを言っているのです。感覚心(エゴ)を一つの世界とするなら、もう一つの世界、宇宙意識の世界が自身の中に表裏一体として存在し、その「自分探し」を長年、志しある者は続けて来たということです。それには実は身内から囁き続ける宇宙的細胞の声があったからと本文は言っています。
 このように全ては皆様、各自に備わっている訳で、他に必要なものは何も無い、言い換えれば、その存在に気付けば他に何も失うものも無いことも分かります。自分の中から湧き出る印象を活用するようになればその贈り主はようやく自分の意思が伝わったかとお慶びになることでしょう。
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