ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落040

040 Our habits of thinking in relation to past and present teachings in all fields of life are the rough spots that must be removed. Some will be harder to remove than others, but determination of purpose will bring the desired results. Then will come the polishing or establishing of new habits which perhaps will not be easy or pleasant at first. But when all of this is accomplished the Glory of God will manifest through the form once known as man.
040 生命の全ての分野についての私達の思考習慣は取り除かなければならない荒削りな汚点なのです。ある部分は他より取り除くのがより困難かも知れませんが、目標に向けた決意は望む結果をもたらすでしょう。その後、研摩即ち、最初は容易でも快適でもない新しい習慣が来ることになるのです。しかし、この全てが達成される時、神の栄光が人として知られる形有る者を通じて現われるでしょう。


【解説】
 ここでは、取り除かなければならないものは、私達の長年の思考習慣であると述べています。こびりついた古い習慣を取り除いて、本来の意識の指導を受け入れる態勢を構築し、それを新しい習慣とせよと言っています。
 ポイントは継続の力であると思われます。何事もそうですが、物事を始める時、最初は苦労するのですが、回を重ねるにつれ、次第にうまく出来るようになるものです。また、継続することによって、良くも悪くも大きな影響を及ぼすことは言うまでもありません。ブランコの揺れと同じように、少しずつの振れでも、回を重ねるにつれて大きな振幅(影響)となる訳です。
 まして日常の思考パターンのように時々刻々の場合は、なおさらその影響は顕著なものになる筈です。私達がこれまで続けて来た自我(エゴ)を中心とした世界観は、何千年もの間、地上で受け継がれて来た訳ですから、これを一朝一夕に改めることは容易ではありません。しかし、ここではむしろ、新しい思考習慣を開始することの大切さを述べ、一度、各自の思考パターンがその方向に転換し始めれば、やがて人間本来の輝きが現れることを確認しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落039

039 A perfect diamond will reflect pure light from each facet that is cut upon it, and there can be no imperfections if the cosmic frequencies are to manifest in full.
039 完璧なダイヤモンドはカットされた一つ一つの面から純粋な光を反射するでしょうし、宇宙の諸振動が溢れるほどに現わされるなら、欠点などというものはあり得ない筈です。


【解説】
 多くの苦痛を経て到達する私達自身は、最終的にカットされた宝石のダイヤモンドに例えられています。ここでは、ダイヤの輝きについて述べていますが、注意したいのは輝くダイヤはそれ自体から光を作り出しているのではないということでしょう。外からもたらされた光を自らの多才な表現分野を通じて余す所無く100%反射し、周囲にその美しい輝きを無償で与えていることに気付きたいものです。
 言い換えれば、私達自身は自ら輝くようなものではなく、意識からもたらされる光のパワーに対し、何らの変更も加えることなく、個々人の方法や分野で外部に向けて多面的に反射し表現する中で、私達自身が無垢の光輝く存在になると言っているのです。真に美しい存在とはこのようなものと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落038

038 This is not a pleasant process for each removal, in most cases, will cause a pain of one kind or another. But the more pain he is able to endure -- the finer the stone will be.
038 これは多くの場合、心地よい過程ではありません。ひとつひとつの取り除き作業にあれやこれやの痛みをもたらすだろうからです。しかし、その者がより多く痛みに耐えられればそれだけ、よりすばらしい宝石になることでしょう。


【解説】
 自身の純粋さを発現する上で妨げになる要素は進んで取り去らねばならないのですが、これは、快・不快に分ければ、実は不快なものになると言っています。つまり、私達の心にとっては、当初は決して心地よい体験ではないのです。しかし、ある意味(心にとって)辛い体験でも、それに耐えれば、次なる世界が開けると言っています。丁度、筋力トレーニングにおいて自分の限界近くまでのウェイトをかけて訓練することが、必要なことと似ています。このようなジムでの訓練は、やがて自分の筋力アップに繋がることが分かっている為、皆、自ら進んで訓練に励むことができる訳ですが、自身の心についてはどのような事柄を指すのでしょうか。
 まず、その前にそもそも自分が取り去るべき所は何処かを探し出すことが必要になります。例えば他人が素晴らしい才能を発揮している時、或いは人格的に優れた人物の足跡に触れた時、正直に自分自身と比較すれば、自身の欠点にも気付くことが出来ます。また、逆に他人が地上の習慣に陥って惰性の思考パターンに埋没して行くのを見て、自分自身にある同様の要素に気付く必要もあるでしょう。
 しかし、病気の場合と同様に、治療や苦痛に耐えられる体力も考慮して一度に全ての患部を治療することは得策ではありません。時々の状況に応じて、一つ一つ取組んで行くことが必要だということです。もちろん、そのような辛い体験にも向き合って行けるのは、前節まで述べて来たように、宇宙を貫く創造主の力が現存していることに気付き、例え一時、苦痛を味わおうともその暖かい指導の御手に自我を委ねることが出来るからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落037

037 You see we are like a diamond in the rough. When man first found the substance that turned out to be a diamond, he saw a rock through his physical sense of sight but something inside of him told him that this rock was different from others. It was his consciousness and not his mind that alerted him to the fact that if he would cut and polish it, it would be the most beautiful thing that he had ever seen. Radiating every color conceivable. But this result would require patience and a lot of hard work, even pain at times when cut by the sharp edges. Every man is a diamond in the rough and there are many rough edges that must be removed before he can see the purity of himself.
037 私達は未加工のダイヤモンドのような物です。人が後でダイヤモンドと判明する物を最初に発見した時、人は自分の肉体の視覚を通じては一つの岩を見たに過ぎないのですが、自分の内部の何かが彼にこの岩はその他とは違うと知らせたのです。彼にもしそれをカットとして磨けばありとあらゆる色彩を放ち、これまで見たことのないような最も美しいものになるという事実を警告したのは彼の意識であり、彼の心ではありません。しかし、このような結果に至るには忍耐と努力、更には鋭い刃先でカットされる時の痛みさえ必要とされることでしょう。すべての人間は未加工のダイヤモンドであり、自分自身の純粋さを見い出す為にはそれ以前に多くの粗い角を取り除かなければなりません。


【解説】
 この節では私達自身をダイヤの原石に例えています。確かに私達人間は他の創造物に無い優れた要素を有しています。しかし、実際にはその本来の輝く部分は、もっぱら人間社会の塵垢に覆われています。事実、毎日の通勤の電車で見る人々の顔に、喜びを見い出すことはありません。電車の窓から夜明けの空に輝く太陽が昇る光景を見て、宇宙を感じる人も少ないようです。このように、この惑星における長年の社会システムの支配と各個人が背負っている環境その他の影響から、私達地球の人間は、その元来の輝きを蝕まれ、各自がようやっと生きている状態が続いています。
 この状況を打開するには、私達が私達自身の本質を知ろうと努力し、ある場合にはこれまでの自尊心を打ち砕き、自己(エゴ)を見つめ直して、不要な習慣を打破することが必要です。
 自身(原石)から不要なものを取り去って、本来の輝く美しい要素を現すには、それなりの苦痛が伴います。しかし、それを躊躇し尻込みしていては、何事も達成されません。
 ここで、自らの純粋さを現すために不要なものを取り去ることに関係して、ジェームズ・アレン(James Allen 1864-1912)が"As a Man Thinketh"の中で「進歩に必要な自己犠牲」について述べている部分を参考までに引用しましょう。(出典は"As a Man Thinketh"in "The Wisdom of James Allen Five Classic Works", Laurel Creek Press, San Diego, California 2004, p.27.)
"Men are anxious to improve their circumstances, but are unwilling to improve themselves; they therefore remain bound. The man who does not shrink from self-crucifixion can never fail to accomplish the object upon which his heart is set. This is as true of earthly as a of heavenly things. Even the man whose sole object is to acquire wealth must be prepared to make great personal sacrifices before he can accomplish his object; and how much more so he who would achieve a strong and well-poised life? "
"人は自分達の環境を改善しようとやっきになっていますが、自分達自身を改善しようとはしないものです。だから束縛されたままなのです。自己犠牲から尻込みしない者に自らの心が望む目的が達成できないことはありません。このことは地上でも、天上でも同じく真実なのです。富を獲得しようとすることが唯一の目的である人でさえ、その目的を達成できるためには、その前にいつでも大いなる個人的な犠牲を成すよう備えがなければなりません。それを考えても強く、落ち着いた生活を達成するには、それだけ多くの犠牲が必要と言えるのでは無いでしょうか。"
 人の進歩にとって、不必要なもの、不都合なものを自ら進んで取り除く(喜捨の)覚悟が必要だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落036

036 What is consciousness ? No one definitely knows except that it is a life force that is the creator of all forms. For without consciousness man would not be a living being. And in man the best way that we can describe it is -- a state of alertness. And a state of alertness is a state of feeling or awareness. In the animal it is known as instinct which does not have to depend upon sound. The language of consciousness is the language of the Creator that one feels when he becomes conscious of things not yet experienced. Jesus expressed it in these words -- Blessed are those who see and hear not yet believe. For they shall enter the Kingdom of Heaven. And the kingdom of heaven was used in reference to the realm of Cause, a sea of consciousness or everlasting life. For consciousness proceeds all manifestation.
036 意識とは何でしょう?誰一人、それが全ての形有るものの創造主である生命力であるということ以外、明確には知ってはいません。何故なら意識無くしては、人は生き物とはならないだろうからです。そして人間においてはそれを最も適切に表現するとすれば、それは警戒の状態ということができるでしょう。そして警戒の状態というのは印象もしくは気付きの状態です。動物においてはそれは音声に頼らない本能として知られています。意識の言語は未だ体験していない物事について意識的になる時に感じる創造主の言語なのです。イエスはそれをこのような言葉で表現しました。「見もせず、聞きもしないのに信ずる者は幸いなり。何故なら彼等は天の王国に入るだろうからである。」そしてこの天の王国とは因の領域、即ち意識の海、永続する生命について用いられたのでした。何故なら意識は全ての創造の現れに先立つからです。


【解説】
 この第一課は、意識の存在と心の関わりについて述べています。通常の論説では言葉の定義が有って、それに基づいた論理展開が行われますが、この「生命の科学」は違います。その理由は、問題となる「意識」の存在は、単に「知識」として記憶するのではダメで、自らが日常的に自覚、認識することが求められていることにあります。これは実際、難しい課題で、決して論理的な組み立てを見せればよいというものではありません。意識に関する一つ一つの要素、側面を学習者に実感させることが必要で、その積み重ねによって、やがてハメ絵パズルのように、全体のイメージが掴めるようになるよう、本文は構成されているように思われます。
 そこで、これまで述べて来たことのおさらいです。おぼろげながら、これまでの例示から私達は、目に見えない「意識」と呼ばれる存在から常にインスピレーションを受けて日々を送っていることを自覚できました。この「意識」とはどのような物か、という問いに対して、本書では「警戒の状態」であるとしています。目に見えない空間からやってくる印象に対して絶えずレーダーのパラボラを回転させるように、絶えざる警戒の状態、いつでもやって来る印象をキャッチでき、意識の指導を受け入れられるよう心を静かにしかも感度を高めて置く状況が大切だと言っています。
 そして、それらの言葉になっていない言わば原始の段階の意志(印象)を心に受け入れられることが、本講座の目的の一つであり、このことは、他の多くの宗教修行の目的と類似しています。この能力は実は自然界の生き物には本来備わっていると本文は述べています。日本には毎年、遠く南半球から或いは北極圏からも、多くの渡り鳥が飛来します。小さな身体一つで何千キロもの距離を飛行する渡り鳥の例を見ても、彼等はこの意識の指導に自らの命を託して、毎年、冒険旅行を行っていることが分ります。しかも、人間にありがちな疲れや苦痛の表情を何一つ見せず、命の危険に取り囲まれているにも関わらず、むしろ、一瞬一瞬を楽しみながら、所定の生命の営みを続けています。私達こそ、これら野生動物が備えている意識なるものへの信頼の姿勢こそ学ばなければならないと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落035

035 Faith is the foundation of all manifestations. And one without faith is like a ship without a rudder or captain. Once your mind has trust in faith, it will trust the instructions of consciousness, thus allowing the consciousness and mind to work as one. Then the consciousness of God which is the cause, and the sense mind of man which is the effect, have been united. And the biggest Mystery of Life has been dissolved.
035 信頼は全ての創造の現れの基礎です。そして信頼の無い者は舵や船長のいない船のようなものです。ひとたびあなたの心が創造主への信頼に委ねれば、心は意識の指導を信頼するようになり、その結果、意識と心が一体として働くようにさせることになります。そうすれば因である神の意識と結果である人間の感覚の心が一体となって結びつくのです。そして生命の最大の神秘が氷解することになるのです。

【解説】
 あらゆる創造作用において、この意識への信頼というものが、基礎であり、基本です。
 そして大事なのは、私達がどのような進路を目指すにせよ、意識は時々に必要なアドバイス、指導的印象を各自に授け続けているという認識です。本文では船の進路を例えていますが、様々な行く手の困難に対しても、意識を信頼すれば必ず目的地まで導いてくれると言っています。
 ここで、ポイントとなるのは、私達の心が如何に意識が授ける指導印象を受け入れ、自らの行動に結び付けるかであると言っています。どんなに思いを込めたメッセージも、それを受け取るべき者が、それを無視したり、読もうとしなければ、本人の役に立たないのと同様です。しかし、直接会えなくとも、必要に応じて的確にアドバイスを送ってくれる師、あるいは父母のアドバイスは有り難いものです。私達は、この目に見えない存在、意識に対し、もっと感謝し、信頼を寄せる必要があると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落034

034 Here you may say that you do not wish to follow blind faith. Yet to accomplish what you feel down deep within yourself that you can -- you must use it. For what is blind faith? When you were planning your house you were using blind faith for the house was not present as a finished structure of concrete and plaster. Whatever you do in your life is performed with blind faith, for you never know what the results will be in any act. Whether walking or riding or whatever you are doing you hope that all will be well, but you are never sure. In fact 99 % of our life depends upon blind faith. I leave the 1 % to past experiences, but even there you are not sure the results will be the same if repeated.
034 ここにおいてあなたは、盲目的な信頼に従がおうとは思わないと言うかも知れません。しかし、あなた自身の中の奥底であなたが出来ると感じていることを達成する為には、あなたはそれを用いなければなりません。何故なら、盲目的な信頼とは何でしょうか?あなたがあなたの家を計画している時、あなたは盲目的な信頼を用いています。その家はコンクリートとしっくいの仕上げられた構造物として存在していないからです。あなたが人生の中で何を成そうと、それは盲目的な信頼とともに成されます。あなたはいかなる行動においても結果がどのようになるかはわからないからです。歩いている、或いは乗り物に乗っている時、或いはどのようなことをしているにかかわりなく、あなたはすべてはうまく行くように願いますが、確信を得ることはありません。実際には、あなたの人生の99%は盲目的な信頼に頼っているのです。私は残りの1%を過去の体験に残していますが、それでさえ、あなたは仮に繰り替えしであったとしても結果が同じになるかどうかは確かではないのです。

【解説】
 ここでのポイントは盲目的な信頼です。(従前は"faith"を"信念"と訳される例が多かったのですが、faithには信仰の意味もあり、"信念"という"やみくも的"、"断定的"なニュアンスを避ける上から創造主への信仰の意味合いも込めて、"信頼"としました。)
 これまで述べて来たように、何かを創り出す際に、私達は実際には99%、この盲目的な意識への信頼関係を活用していることに気付く必要があります。私達の心がどうさわごうとも、物事が生まれる際の一つ一つの過程を少し考えれば、私達は常に未知なる存在からの指導(印象)に従っていることを認めざるを得なくなります。
 逆に言えば、それほどに私達は日常的に意識から、その時々に必要な印象を受けているのです。心が今後、よりスムーズに宇宙の源泉から来る印象を取り入れやすくする為には、その存在に対して、信頼を寄せ、印象の流れを妨げないようにすることが重要です。それが、意識に対する全面的な信頼が求められる由縁です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落033

033 This could be called the development of the mind in intelligence. There is really nothing that you do that does not have the consciousness behind it. Your mind may change and modify an impression either for good or bad results, depending upon the mind's intelligence or how well it accepts the instructions. To produce good results the mind must have total faith in consciousness and permit itself to be guided by it.
033 これは知性における心の発達と呼んでもよいでしょう。あなたが成すことで背後に意識の無いものはありません。あなたの心は、その心の知性に依存して、あるいは意識の示唆を如何に良く聞き入れるかによって、良い結果となるにせよ悪い結果になるにせよ、印象を変化させ或いは修正するかも知れません。しかし、良い結果をもたらす為には、心は意識に全信頼を持ち、自らが意識によって導かれることを良しとしなければなりません。


【解説】
 ポイントは、私達の日々の行動において、実は意識の助けを借りずに行われているものは無いということです。
 前項(032)の本文で述べられているように、私達の日々の活動は、印象を基としていますが、その印象(アイデア)は「意識」から来ているものだと言っています。自分自身の経験から言っても、「あのとき、最初の印象に従っていれば良かった」等、後から思い出すように、私達の心は通常、やって来る意識の指導(印象)を素直には受け入れないものです。一つ一つ、自分(心)が判断し、これまでの経験に無い場合には、その印象をねじまげ、勝手な解釈をしがちです。
 誰もが、演奏家が楽譜を見ること無く、長い曲を完璧に再現するのを見て驚嘆しますが、まさにその姿は宇宙を流れる意識という大英知に人間の心が完全に従っている光景です。
 しかし、直ちにそのような理想的レベルに到達することは出来ません。先ずは第一学年からで、各自の心を意識の指導の声に耳を傾けさせ、心を少しずつ本来の姿に純化することです。当面は指導の手を差し伸べている意識なる存在に信頼を寄せることが大切だと言っています。
 ラジオやテレビの場合と同様、いかに意識が印象を発しようとも、肝心の受像機である心がそれらを受信できる感度が無い、あるいはせっかく受信しても自分の志向に合わないからといってスイッチを切ってしまったら、役立つ内容を視聴者に伝えることが出来ないのと似ているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落032

032 When the form is seen with the mind and the consciousness reveals the cause we then see the visible and invisible at the same time. i.e. If you start making a plan for a house by drawing it on paper, you are producing the first effect that comes to the mind by conscious impression. You are using the consciousness and the mind as one. The consciousness alerts the mind what the design is to be. After the plan is drawn you may make many changes due to the experience you have had with houses. Even then the consciousness will point out the improvements that can be made which were not present in the houses you have known.
032 形有るものが心で見られ、意識がその因を漏らす時、私達は目に見えるもとと見えないものを同時に見ることになります。即ち、もしあなたが紙に図を描くことによって家を作る計画を立て始めるならば、あなたは意識の印象によって心にやってくる最初の結果を作り上げていることになります。あなたは意識と心を一つにして用いているからです。意識は心にデザインは如何にあるべきかを注意します。計画が図面化された後、あなたは家について得たこれまでの経験に基づき多くの修正を行うかも知れません。しかしそれでも、意識はあなたがこれまで知っている家には存在しない改善点があることを指摘するでしょう。

【解説】
 これまで、事物の背後にある原因を見るようにと述べて来ましたが、ここでは逆に、未だ現実世界に無いものが、原因の世界からどのように結果の世界に生まれるのかについて示しています。家の建築を例にとって印象が心に受け入れられ、図面に仕上がるまでを説明しています。この場合、当初、私達の心には家については「こうしたい」という希望はありますが、通常、それらは漠然としたものに過ぎません。それでも、家の図面を引きはじめるのですが、この時、心は因なる「意識」の助けを借りようとしていると言うのです。
 よく考えれば、この種のことは私達自身の日常においても、何か新しいことを始める時によく経験することです。このような場合、当初、私達(の心)は果たしてそれがどのようにまとまるか、全く検討もつきません。只、心を静めて「何とか良いものが出来ないものか」とアイデア(印象)が湧いて来るのを待っています。この時、私達は意識の指導に耳を傾けているのだと言っています。心が意識の指導を受け入れて(印象を受け入れて)、自分の手を使って図に表現すれば、成果(結果)が得られることになります。これは意識と各自の心の共同作業であると本文では述べています。
 実際、多くの創造的な仕事においては、既存の感覚器官では捉え切れない世界に多くの部分を依存しています。作曲家にメロディーのひらめきを与えるのも、画家にモチーフを授けるのも、この目に見えない意識です。この本文の例示を少し考えただけでも、私達は日々の生活や仕事の中で、実は多くの部分を因なる意識との共同作業によって行っていることに気がつくことでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落031

031 Now we must school ourselves to see the cause and the effect manifesting as One when we look at an effect. Form, we recognize with our physical sight as an effect to an effect. The mind must become aware of cause through consciousness. The moment that your eyes glance upon a form the consciousness will give the mind an impression of the life within the form. And you become single minded, as Jesus said man should be.
031 そこで、私達は一つの結果を見る時は、原因と結果が一体となって現れていることを見るように自分自身を訓練しなければなりません。私達は形あるものを自分の肉眼という結果に対して一つの結果として認識します。しかし、心は意識を通じて因について気付くようにならなくてはなりません。一つの形有るものをあなたの目が一瞥した瞬間、意識は形有るものの内部にある生命の印象を心に与えるでしょう。そのようにして、あなたはイエスが人はそうあるべきと言ったように二心の無い状態になるのです。

【解説】
 如何なる物を見る時も、私達はその物をもたらした原因と現れた結果を一体のものとして見るように自分自身を「訓練せよ」と言っています。この場合、「訓練」としていますが、原文では"school"(教育する、調教する、学校で学ぶように自分を成長させる)となっており、やみくもな(体力まかせの)苦行ではありません。もっと穏やかな学習課程を想定していることに注意したいと思います。
 さて、これまで再三、述べられて来たように、事物を見た際にその背後にある(因なる)要素にも同時に気付き、それらが一体となっていることを認識するようにと言っています。これを日常生活に応用し、日々の生活を学校のように見なして、個々人が自らの責任において成長して行くことが求められています。
 おそらく、その成果が最もよく現れるのは芸術の分野かも知れません。例えば写真。皆が同じものを見ていても、また、同じ道具(カメラ)を持っていても、写真家と一般の人とでは、その作品には大きな差が出るものです。この違いは何処にあるのでしょうか。写真家は、対象の中に秘められた美しさを発見し、それをカメラの視野に表現しようとします。自分が感動したものをもっと率直に他人に分かるように切り取って端的に表現しようとしているのです。人に感動を与えるのが芸術だとすれば、まず、自分が人に分かち与えるまでの感動(印象)を得ることが必要です。「心一つになる」(二心の無い)と本文にありますが、万物の背後にあってそれを支えているもの、その相手こそ、万物を創造している創造主の心であることに気付くことができれば、私達の日常生活は素晴らしいものに一変することでしょう。
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