ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落178

178 For if we desire to be as our creator we must face all phases of life without being disturbed. The Creator faces his creation without discrimination. For should he like one and dislike another he would be dividing himself, and thus do no better than man. But all phases of creation are loved by its creator for its purpose is known. It is a human trait to discriminate and through this many hurts are received because the ego mind separates itself from the whole.
178 もし私達が創造主のようになりたいと望むなら、私達は心を乱されることなく生命のあらゆる側面を直視しなければなりません。創造主は自らの創造物を差別なく直視しています。何故ならもし創造主があるものを好み、他のものを嫌うならば、創造主は自らを切り裂くことになり、人間よりましなことができなくなるからです。しかし創造のあらゆる側面はその目的が知られているが故にその創造主によって愛されています。区別するのは人間の特徴であり、エゴの心が自身を全体から分離してしまう為、この過程を通じて多くの痛みを受けることになります。


【解説】
 本文で述べられていることは、全てをありのままに受け入れ、好き嫌いを無くすということです。この一見、当たり前に思われることが実は難しいのです。私達の日常の心の動きを観ていると、多くは好き嫌いで判断していることがわかります。つまり、自分の気に入るもの、気に入らないものを区分けして、自分(エゴ)が好むものを重用し、それに傾くのが人間の常です。これに対しては、まず、心に好き嫌いの判断をさせる前に、もっと公平に愛情をもって諸物に接することです。万物をいとおしく見ることが、心の好き嫌いを封じる唯一の手立てです。
 一方、本文ではこのような好き嫌いの原因となる「区別すること」が人間の本性だとも言っています。確かに人が幼児期から物事を覚える際、一つ一つの物の名前を覚えることから始まります。ここでの物の名前は他から区別する上で必要となる作業です。諸物の理解の為にはその特徴を知ることが重要で、そのためには分類作業が必要となります。昆虫や植物の世界で新しい種が発見されたと報じられるのも、こうした分類学が人間の世界においては確立されているからに他なりません。しかし、分類ばかり行っていては、肝心の個体の観察がおろそかになってしまいます。
 好き嫌いは、エゴの実像がよく現れる現象です。各自、これらの反応を観察した際に、その反応をありのままに直視し、それが何故、どのような理由や根拠で発生したのかを知ることができれば、少なくても同様な反応は以後、姿を消すことでしょう。エゴ自身がその誤りに気付いたからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落177

177 This is where duality sometimes comes in. For you may love someone dearly and yet you do injury to them. This conflict is caused by memory cells of a lower nature, and those of a higher nature. If we knew something about our self we would combine these memories in relation to each other instead of the extremes with nothing between to support either of them. This lack of understanding is the cause of mysteries and misunderstandings. And when we hurt anyone we hurt ourself for we are all the same. We do this because our mind has not been trained to act as a good catalysis. This can only be done when the mind knows the reason for life.
177 ここが二重性が入り込む所以です。何故ならあなたは誰かを愛おしく愛しているかも知れませんが、それでもあなたはそれらを傷つけるかも知れません。この矛盾は低次な記憶細胞と高次な記憶細胞とによって引き起こされているのです。もし私達が私達自身についてなにがしかを知っていれば、私達はこれらの記憶を相互に補完することなく極端に走ることを止めて互いに関連づけてこれらの記憶を統合させることでしょう。この理解不足こそが神秘と誤解の原因なのです。また、私達が誰かを傷つける時は私達は自らをも傷つけることになります。何故なら私達はすべて同じ存在だからです。私達の心が良い触媒として行動するよう訓練を受けていないが故に私達はこのようなことを起こしているのです。その心の行動は心が生きて行くことの理由を知るようになる時にはじめて実現することになります。


【解説】
 アダムスキーは、かつて私的な会合で「人は誰でも殺人者の体験を持っているものだ」という趣旨の発言をしています。その意味は本文で述べられているように、人体の細胞が記憶として運んでいるものの中には低次なものも多いということでしょう。また現実世界では紛争地帯では今も互いに殺しあいを行っていることや私達の日常の近くでも殺人事件や傷害事件が起っていることに注意する必要があります。当事者になった場合には本人の全身の細胞がその体験を等しく記憶する筈です。また、映画やその他の娯楽についても、私達は疑似体験をさせられているというのが実体であり、社会の風潮を改善する為には、より高度な文化、芸術の普及を図る必要があります。
 一方、人は生きて行く上で、他の生き物を奪って、これをあやめ自らの身体の維持に利用しています。それは生物としての大きな自然の食物連鎖の一つとして考えれば、創造主の意図に従った姿であると言うことが出来ます。しかし、これらの循環の中では本来、最高位の創造物である人間としては自らの中にあるこれらの獣性を神性に調和させ、本来の役割を果たすことが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落176

176 It seems cruel to us to see a big fish swallow another, but it is just as cruel to see a man eat a carrot. For it is a living thing made of molecules just as you or I, or the fish. And the memory carriers do have records of all phases of life, from what we might call the cruelest to the highest.
176 大きな魚が他の魚を飲み込むのを見ると残酷に思えますが、それは人間が人参をかじるのを見て残酷と思うのと同じです。何故ならそれはあなたや私、或いは魚と同じ分子群からなる生き物であるからです。そしてその記憶を運び手は私達が最も残酷と呼ぶものから最高位のものまでの生命のあらゆる側面の記録を持っているのです。


【解説】
 確かに蛇が蛙を飲み込む姿を見ることは、私達の心にとっては心地よいものではないかも知れません。一方、人間社会の中では、これらの残酷に見える部分は巧妙に隠されています。例えば、きらびやかな照明の下、雰囲気のある生演奏が流れる中で著名な三ツ星レストランで高級な肉料理を戴く場面等、私達にとって上等とされる生活の中ではこれら自然界の残酷な光景は表に出て来ません。しかし少し考えれば、牧場で肉牛として飼育され、成長した牛が、食肉市場に送られ、屠畜され肉が取り出されてレストランに供給されるシステムがあるからこそ、私達は肉料理を味わうことができる訳です。また、関連して言えば、靴や鞄等、身の回りで愛用されている革製品もこれらの過程で原材料が提供されます。
 このように私達が生命を維持し、生活して行く為に、他の多くの生物を犠牲にしている訳です。私達が生きて行く為に犠牲となったもの全てに対して、日頃から慰めと感謝の念を忘れる訳には行かないのです。また、目に美しい物、耳に優しい物、舌を喜ばせる物だけを追求することは、心(感覚)にとって理解できない都合の悪い事柄に目をそむける姿勢でしかなく、生命の実態を直視し、理解しようとする態度ではないことに注意が必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落175

175 If we are to know what we feel that we should - who we are - and what we have been, then we must use the same method that they have used. There is one thing that we must remember, we cannot judge and divide and discriminate, or resent, according to likes and dislikes and have this knowledge. For once you get impressions coming from the memory buds there will be all kinds. And some you will have a tendency to dislike or even be frightened by them. For remember here on earth there are very low stages of life's manifestation that the ego might not like. But without these manifestations life would not be complete, for all phases are necessary. But once they are understood the judgement against them ceases. Like a drama on the stage where cruelty is resented, yet without it the phases of life would not be truly expressed.
175 もし私達が知るべきだと感じている私達が誰で、また何であったかを知る為には彼等が用いて来たのと同じ方法を用いなければなりません。ここで覚えておかなければならないことは、私達はこの知識を持った上で、好き嫌いによって裁いたり、分割したり、差別したり、腹をたててはならないということです。何故なら、ひとたび記憶の芽からやって来る印象類を捕捉するや、あらゆる種類のものがやって来ます。そしてあるものについては、あなたは嫌う傾向になるでしょうし、恐怖すら覚えることでしょう。何故なら、地球ではエゴが好まないようなとても低い段階の生命の現れがあるからです。しかし、これらの現れが無くては生命は完全にはなりません。全ての側面が必要なのです。しかし、一度それらが理解されれば、それらに対する裁きの気持は消えてしまいます。残忍さに憤りが湧く舞台の上の劇のように、それがなければ生命の側面が真に現されているとは言えないのです。


【解説】
 知覚力や感受性が高まること自体は私達が目指している方向です。しかし、本人が十分、その能力に対する備えがなくては危険でさえあるということです。当然に感受性が鋭敏になれば、この地上の惨澹たる歴史から残っている多くの苦しみや憎しみの想念波動にも同調してしまうかも知れません。その時、それらの印象に対して哀れみや慰めの気持で接することが大切であり、誤っても怖がったり、拒んだりすべきではありません。能力が高まるにつれて、本人自身の人格の向上も必要になるということです。ですから、この講座を単に、能力を高める為だけに学ぼうとするのは誤りです。地球上で行われて来たたくさんの悲しい歴史を直視し、また自然界でも日常的に起っている一見残忍な事柄についても正視する気構えが必要です。最下層の段階から最上層の領域まで余す所なく含めて見届ける必要性を本文では述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落174

174 There is no specific pattern that can be given by which man must work, as there are no two people alike. So no set formula is given in this course as in others. Just become awakened or aware of the conscious intelligence that is operating within your being. And eventually this will become habitual to the mind's way of thinking. And the mind and the intelligence will become a unit instead of two separate parts as they are today. This is the way the space people have developed and they now can commune with any form without words.
174 人がそれに基づいて取組まなければならないような特定の行動形式というものは授けられるものではありません。二人として同じ人間はいないからです。それ故、この講座においても他と同様、定められた形式は与えられません。只、貴方の中で作用している意識的知性について目覚め、気付くようになることです。そうすれば、遂にはこれが心が考える際の習慣になることでしょう。そして心と知性は今日そうであるような二つの分離した部分から一つの一体物になることでしょう。これが宇宙人達が発達させてきた方法であり、彼等は今やいかなる形有るものとも言葉によらず交流できるようになっているのです。


【解説】
 人は一人ひとり異なる以上、画一的な処方箋は無いと言っています。要は各自の状況、経過に応じて自分に合った方法を捜せということです。人の内面の発達具合は本人でしかわかりません。もちろん、有能な指導者の下につく場合は適切なアドバイスを受けることができるでしょうが、大多数の私達は自ら、意志を固めて独り進む必要があります。いわゆる仏典でいう「サイの角」です。
 しかし、そのとっかかりとなる部分は難しいことではありません。自らの身体を動かしている知性の存在を先ず認めること、そしてそれから心が教えられることが多いことを自覚することが第一歩です。自分自身にそのような知性があることがわかった後は、それを他の対象に広げるということです。そうすれば様々なものが相互に語り合い、宇宙全体を成していることがわかることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落173

173 The method that the space people use in working with this great intelligence is, to observe all forms with their consciousness instead of the mind. In plain they become conscious of the form as though they were the form, which they really are for nothing is separated from the whole. And in this way man as a mind blends with the whole.
173 この偉大な知性とともに働く上で宇宙人達が用いている方法は、心に代わって意識で全ての形有るものを観察するということです。平易に言えば、彼等はあたかも彼等がそのものになったかのようにその形あるものを意識するようにするということであり、実際、彼等はそのもの自身になります。何故なら何物も全体から分離することがないからです。またこのようにして心としての人間は全体と混和するのです。


【解説】
 ここでは宇宙人達が行って来た具体的な方法について述べています。その方法は、特殊は修行を行うというものではなく、日常の観察の仕方にあるとしています。即ち、観察と言う場合、大人になってからの私達は冷静に相手(の行動)を見ることを指しますが、本文では別の観察方法を言っています。対象となる相手に自分の意識を没入させて、あたかも相手になったかのような”一体感”、”融合感”を持つまで、相手に入り込むということです。そうした一体感の中で相手の住む世界を知るということだと私は解釈しています。
 小さい子供が人形と遊ぶように、容易に対象と一体になることが出来れば、相手の知性から教わるものも多い筈です。こうして、身近なものから宇宙全体へと”一体化”できる対象が広がれば、自然とより多くの知性から印象を感受できることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落172

172 You can see that the mind is seldom aware of the conscious intelligent operation within the form. For when we sleep the consciousness operates the form while the mind knows nothing. Thus proving that there is a form of intelligence which never rests. And the mind must unite with this intelligence in order to be the knower. Once this is done man will eliminate all the unpleasant ways of life he now endures. And he will know what goes on in every form known, and its purpose. And divisions will no longer cause mysteries.
172 あなたには心は身体の中の意識的知性活動についてまれにしか気付かないことが分かるでしょう。何故なら、私達が寝ている時も意識は心が何も知らない間にその身体を運営しているからです。このことは決して休むことのないある知性体が存在していることを示しています。そして心が知る者となる為にはこの知性と結びつかなければなりません。ひとたび、これが為されると、人は現在耐えているあらゆる不愉快な人生を取り去ることでしょう。そして全ての形有るものの中で起っていることやその目的を知るでしょう。そうなればもはや分裂が神秘をもたらすようなことはなくなります。


【解説】
 心は大変、情けない代物です。内部で起っている奇跡とでも言えるような絶妙な身体維持活動の大切さに気付くことなく、外界に対する我が身(心)の保全や絶えず新たな物への所有・獲得だけに目を向けて日常を送っています。しかし、環境は絶えず変化しておりますし、宇宙本来の流れに沿ったものでない心の活動は所詮、多くは実現する筈もありません。その結果、不安感が広がってしまうのです。
 しかし、自分自身の中にこのような知性が存在することに気付けば、随分と自信が付く筈です。他に求めなくても、既にその知性を所有しているからです。唯一の問題は、その知性の取扱いを知らないことだけであり、時間をかければいつかはその語る言葉を理解することができることになります。死ぬまで、一緒にいてくれるその存在に私達はもっと感謝し、誠意を尽くす必要があることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落171

171 We all must admit that as mentalists we know little about what is going on in our bodies. But we do know that a certain kind of knowledge is operating through the body that knows what to do when the mind does not. So the mind has been accepting this on blind faith as an established fact. Yet it is the duty and privilege of the mind to learn all that takes place within the form if it is ever to have a peaceful existence. And thus fulfill the purpose for which it was created and eliminate the conditions brought on by confusion and fear caused by uncertainties. Then the mind would not repeat mistakes as it does today.
171 私達は皆、心至上主義者の私達は自分の身体で何が起っているのかほとんど知らないでいることを認めなければなりません。しかし、私達は心が知らなくても身体を通して何を為すべきかを知っているある種の知識が作用していることは分っているのです。ですから、心はこのことを確立された事実として盲目的信仰の上に受け入れて来たのです。しかし、心が平安な存在であり続けたいのであれば、形有るものの中で起っているすべてを心が学ぶことが心の義務でもあり、また特権でもあるのです。そしてこのようにすることが、その形有るものが創造された目的を成就させ、不安状態による混乱や恐怖によってもたらされた状態を取り除くことになるのです。そうなれば、心は今日のように誤りを繰り返すことはなくなるでしょう。


【解説】
 自らの身体は、その主人であるべき自我(心)が、全く勝手がわからぬまま、忠実な部下である細胞達にその維持を任せ切りにして、自分は勝手な振る舞いをしていてよい筈がありません。先ずは分からないながらも部下の仕事振りをよく見て、学び取る姿勢が求められます。ましてそれらの奉仕活動を邪魔するようなことはあってはならないことです。
 しかし、多くの場合、心はこの大切な人体の活動とは離れた世間のこと、社会の問題、人間関係等、人体以外の諸事に振り回されて、肝心のこれら肉体の日々の活動への関心は薄らいでいます。本来は最も身近な所に英知の宝庫を抱えているというのに、答えを外界に見つけだそうと心は不安定になっているということでしょう。
 先ずは心を落ち着かせて、その感覚を深く静かに自分の身体の隅々にまで浸透させ、意識を心の中から解放させ、広げることです。その中で人体各部からのメッセージを受け取れるようになれれば、少なくとも身体のある部分の痛みや病変等の自然治癒には大いに役立つものと思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落170

170 This is the reason that the Will of man must will itself to the Will of this process if it is to know what it has been and its reason for being. We bring this to you in relation to our present science which is only on the brink of this knowledge. And as stated before, the space people have known and used it for thousands of years. And if man is ever to know his true self, this knowledge is very essential. For within it lies the absolute certainty of life.
170 これが人間が過去どうであったか、またその存在の理由を知りたいとするならば、人間の意志は自らをこの過程の意志に従わせようとしなければなりません。私達はこのことをこの知識のふちにいるだけの私達の現在の科学に関連してあなた方に授けているのです。そして以前述べたように、宇宙人達はこのことを何千年も以前から知っており、活用しています。そしてもし、人間が自分の真の自己を知るというのであれば、この知識はとても必須なものです。何故ならその中に生命の絶対的な確実さがあるからです。


【解説】
 私達が自らの体内で時々刻々行われている記憶の継承から学ぶためには、先ずそのことを認識し、そこから学ぼうとする意志がなければなりません。60兆もの細胞が各々共通の記憶や知識を備え、人体の維持を担っている訳です。
 通常、私達は自分の過去や現在に至る経過について表面的なつまらないものにしか関心を持ちません。髪の毛のスタイルだとか、たまたま出来た顔のシミ等、表層的な視覚が気にするうわべだけが気になるだけで、体内にどのような変化が起りつつあるか等に気が付かずにいるのです。しかし、油断は禁物です。現在の世の中には様々な危険因子が取り巻いています。食物や空気、あるいは水に人体の正常な活動を阻害するような有害物質が含まれているかも知れません。中でも最も影響を与える私達の心の動き、受け入れ発する想念には自他共に害する要素を含めぬよう警戒する必要があります。そういう意味では真っ先に心が注目しなければならないのは、このような細胞達の無数の働き手が自分の体内にいて、これまでの一切の記憶を運んでいること、その中に人生の歩みも事細かく記憶されているということです。頼れる百科事典は各自の細胞の中にあるということです。

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 昨日、母が亡くなった関係で、諸事があり、一週間程、お休みをさせて戴きます。
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