ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落052

052 I continued to study things close at hand; at the same time letting my thoughts encompass the solar system of which we are only a small part. From there, it was but another step into the infinite vastness of Cosmic Whole. Throughout all creation I found a constant blending, with never a dividing break. Therefore, I could not stand apart, but was one with creation.
052 私は身近な物事の研究を続けましたが、それと同時に私の想念を私達がその一部でしかない太陽系を取り巻くようにしました。そこからは、宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階となったのです。全ての創造作用を通じて私は一時の切れ目も無く絶え間なく続く融合を見い出しました。ですから、私は創造作用から離れて存立することは出来ず、創造作用と一つになったのです。


【解説】
 何事につけ、秘訣というようなものを求め、目的を達成したいと思うのは人情です。ここではアダムスキー氏がさり気なく、「宇宙全体の無限の広大さに入るもう一つの段階」(another step into the infinite vastness of Cosmic Whole)と述べた中の、another stepに着目したいと思います。つまりは、それまでの段階から一歩進んだ段階に立っていると言っているように私には思われるからです。
 その具体的手法とは、その前に記述されている、「身近な物事の研究」を「太陽系を取り巻くような」概念の下で行うことと記されています。個別な物事を詳細に観察することと、その観察を宇宙的視点から理解するように心掛けることで、全宇宙で絶え間なく続けられている創造作用の中に、私達が存在していることを自覚することが、次の段階に進める鍵であると示唆しているものと私には思われます。これは、「生命の科学」において自動車の運転をエンジン内部の状況を十分理解しながら行うこと、目に見えない原因とされる要素を十分知覚しながら、現象に対処すると述べられているのと同様です。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落051

051 My problem then was, how could I open my mind to became aware of this Supreme Intelligence?
051 私にとっての次なる問題は、どうしたら私は自分の心を開いてこの至上なる英知に気付くようになれるかという事でした。


【解説】
 私事ながら、最近相次いで父母が亡くなった関係で、このところ休日はもっぱら遺品整理に充てています。最近もある会合でお話しましたが、その中でも写真の整理や処分をする中で、改めて人間の一生について学んだような気がしています。
 もとより写真はその時々の人間の表情を記録します。それら写真を年月を追って見るとその人の内面の変遷が良く分かります。子供としてはこうすれば良かった等、反省することも多いのですが、整理する作業の中では、その人の生涯を受け止め、理解することがメインになっています。
 さて、地上における形あるものの宿命として、命は有限であることは言を待ちません。その生涯の中で何を学び身に付けたかが、次なる段階の人生に直結する訳で、そのバトンタッチで引き継がれるものは、いわゆる知識ではなく、その人が心底理解し体得した、いわば身に付けた理解力だと考えています。本項で言う、至上英知を知覚する感性等は、この最も大事なところです。その理解力を身に付けられるかどうかは、やがて各自に迫って来る生涯終焉の時、本人に大きな影響を及ぼすようになります。つまり、その時までに多少なりとも身に付けられれば、老いても生き生き暮らせるでしょうが、学習の機会を失ったままの場合には、その逆の状況となり得ます。
 そもそも私達がUFO問題やアダムスキー哲学を何の目的で学んで来たのかを振り返る時、進化した他惑星人の文明を修得したいという強い思いがあった筈です。その他惑星人の具体的な指導の言葉が、この至上英知に気付くことの重要性を指摘しているのです。「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」とは孔子の言葉とされています。「人として真の生き方を悟ることができたら、たとえその日の内に死ぬようなことになっても悔いはない」という意味とされ、解説(http://www.nihonjiten.com/data/43.html)によれば、真理や道徳の尊さ、それを学ぶことの困難さを説いた言葉とされています。本項の課題を言い得た言葉であり、孔子(BC552~BC479)はこのことを十分理解されていたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落050

050 The answer came silently, yet with unmistakable knowing. "Those who do not receive have closed their minds to the Cosmic Intelligence."
050 その答は静かに、しかも揺るぎない知識を伴ってやって来ました。「感受しない者は宇宙の英知に自らの心を閉ざして来たのです。」


【解説】
 宇宙英知の海の中にあって、心を閉ざして来た私達は、丁度、自ら目を閉じた状態で、「見えない」と叫んでいるような幼児のようなものです。その目を開こうと思うかどうかは本人次第なのですが、本人自ら目を開けようとしない限り、光は射し込んでは来ません。しかし、多くの場合、永らく生命の源泉である意識に目を背けていた私達には、それは意外に難しいことであるかも知れません。習慣の奴隷になって来たからです。
 しかし、本来は、草むらの虫達や野の花達等、人間に比べて小さな創造物が、意識に対しては、しっかり目を向け、耳を傾けて、その恩恵を享受し、各自の本来の役割を果たしている事実を知れば、私達人間(地球人)は更に高いレベルまで向上する潜在力を有していることが分かります。それまでの間は、ひたすら自然観察を通じて、自然界の創造物がどのように生き、意識を感じているのかについて学ぶ他はありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落049

049 As I continued to watch the birds, insects and animals, I noticed they were alert to climatic changes before these took place. Heretofore, I had been content, as were others, to say, instinct; and relegate it to the realm of the mysterious extrasensory perceptions. But now this answer no longer satisfied me. I wanted an understanding of the awareness that had alerted the seedling oak to the topography of the terrain, then guided its roots in the proper direction; for I could now see that in the animal kingdom, this same instinct, or awareness, alerted the squirrel to the coming of a severe winter, warning him to store extra food to carry him through until spring. Why did not man, the highest expression of the Creator of forms, participate in this alertness?
049 私が鳥や虫、動物達をじっと見守るにつれ、彼らが気候変化が起る前にそれらに十分気付いていることに気が付きました。これまででしたら、私は他の者達と同様、本能と称して満足し、それを神秘的な超感覚的な知覚力の領域に追いやっていたことでしょう。しかし、今はこの答えでは私を満足させません。私は樫の木の苗木に土地の地形を知らせ、その根を適切なる方向に導いた覚醒状態に関する理解が欲しかったのです。何故なら、今では、動物界の中でもこれと同じ本能、ないしは覚醒状態がリスに厳しい冬の到来を知らせ、春までの余分な食料を保持するように警告しているのを見ることが出来るからです。形有るものの最高位の表現である人間がこの覚醒状態に参加していないのは何故なのでしょう。


【解説】
 日本では木の枝に産みつけられたカマキリの卵の位置が、その年の積雪の最大値を示すとする新聞記事を以前、読んだ事があります。雪の季節より、はるか前の秋にカマキリは卵が雪に埋もれることのないよう、適切な高さをどうやって知るのか、まさに本項の問いでもあります。もちろん、動物達が持つとされる地震予知もその能力の一つです。
 本文中にあるalert(警戒)に関連して、意識もそれと近い状況だとどこかで述べられていたと思います。生命の根源から提供されている印象に呼応できる能力が重要な訳です。こうした目に見えない、耳に聞こえない、印象と呼ばれる想念を理解することは、私達地球人の最も遅れた分野の一つです。他惑星人ははるかに、この分野でも進化しており、私達だけが極めて鈍感なレベルにとどまっているということでしょう。
 本来、万物の最高位にある人間が、その本来備わっている能力を発揮できずに長年月を送っていることは、同じ創造主を父とする他の文明や他の生き物の日々の楽しげな生き方に比べて大きな違いがあり、創造主も心を痛めていらっしゃることは想像に難くありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落048

048 The longer I contemplated the wonders of nature, the more I realized my oneness with all I beheld. All forms breathed the same air; all enjoyed the blessings of the same sun and wind; all obtained their sustenance from the one source. In fact, no division existed; all were created under the same law of Nature.
048 自然の不思議について考えれば考えるほど、私が見る全てのものと自分との一体性についてより深く認識するようになりました。全てのものが同じ空気を吸い、全てが同じ太陽や風の祝福を享受しており、全ては一つの源泉からそれぞれの支えを得ていました。事実、如何なる区分も存在していませんでした。全ては同じ大自然の法則の下で創造されていたのです。

【解説】
 生とし生けるもの全てが同じ環境の下に共存していること、更には共通の源泉から生命を与えられていることが実感できれば、とりあえずの目標レベルは達成されたということでしょう。
 また、この「共通の」という概念には、自と他の各々の生命が同期したり、共通の性質があり、互いに他を感じあえるまでの感受性(すなわち意識)を高めることにつながっています。
 日常的な自然観察の大切さについては、これまで数多くの優れた哲学者や作家も同様な歩みがあることに気付きます。その一例として、ジェームズ・アレン James Allen(1864-1912)の場合について、その著書"As a Man Thinketh", in "The Wisdom of James Allen Five Classic Works" (Laurel Creek Press, San Diego, California 2004)の序文に書かれている、思索の日々を以下に紹介します。

James Allen has been called the "literary mystery man" of the twentieth century. Although his bestselling classic As A Man Thinketh has inspired million around the world, little is known about the author himself.(中略)
At the age of 38 he reached what can be called a crossroads in his life. Influenced by the writings of Tolstoy, Allen came to the realization that a life devoted to making money and spending it on frivolous activities was a meaningless way to live. He retired from his employment and moved with his wife to a small cottage on the southwest shore of England to pursue a life of contemplation. (中略)
A typical Allen day would be to rise very early in the morning and walk to a bluff overlooking the ocean, where he would remain in meditation for an hour or so. And as the cobwebs which had obscured his spiritual vision lifted, the secrets of the universe would unfold before him. Quietly these impressions would be recorded within. Afterwards, he would return home and pen his insights on paper. Afternoons were committed to tending his garden; evenings to communion with townsfolk who wished to discuss loftier philosophical issues.
For ten years Allen led this quiet, pensive life, earning a small stipend from royalties paid on his writing. Then suddenly, at the age of 48, Allen passed away. He died the way he lived, a virtual unknown, untouched by fame, unrewarded by fortune. It would only be afterwards that the literary world would come to recognize the genius and inspiration of his work. But this is the way the anonymous English mystic would have wanted it-to posthumously share his spiritual insights with the world.
 「ジェームズ・アレンは20世紀の「文学上の神秘的人物」と呼ばれて来ました。氏のベストセラー的古典であるAs A Man Thinkethは世界中で何百万人もに霊感を与えて来ましたが、著者自身についてはほとんど知られておりません。(中略)
 38才の時、氏は人生における分岐点とも呼ばれる所に到達しました。トルストイの著作に影響を受け、アレンは金を稼ぎ、それを軽薄な活動に使うことに費やされる人生は生きるに無意味であることを悟るに至ります。彼は勤めをやめ、妻と共に思索の生活を求めて英国の南西海岸の小さな小屋に移り住みます。(中略)
 アレンの典型的な1日は、朝とても早く起きて、海を見渡す断崖に向かって歩き、そこで1時間ほど瞑想しとどまります。そして氏の霊的展望を不明確にしていた蜘蛛の巣が取り除かれるとともに、宇宙の神秘が氏の前に明らかにされることになる。その後、氏は家に戻り、自分の洞察を紙に書き留めます。午後は自分の庭の手入れをし、夜は哲学的問題をこの小屋の住人と議論したいと願う町の人達と親交を深めることに委ねられました。
 10年間、アレンはこの静かで思索的な生活を送り、自身の著作に払われた著作権料からの手当を得ていた。そして突然、48才の時、アレンは亡くなりました。彼は自分が生きたやり方で、事実上知られることなく、名声とは無縁、未来から報われることなく亡くなりました。文学界がこの天才とその業績の素晴らしさを認識したのは、その後のことに過ぎません。しかし、これは世に自身の霊的洞察を死後分かち合うという、その無名の英国の神秘的人物が望んだことでもあるのでしょう。」(訳:竹島)

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落047

047 Volumes could be written on this, yet never cover the subject completely. But I believe from the simple illustrations given that the sincere student will find much to intrigue his thoughts. Understanding the interdependency of life-forms is essential before man can grasp the universal truth that, in reality, all life is an expression of the one Cosmic Intelligence.
047 これについては何冊も本が書けるでしょうが、そのテーマを完全に覆い尽くすことは出来ません。しかし、私はこれまでに示された単純な諸実例から、誠実な学習者は自らの思いをめぐらすのに十分なものを見つけられるものと信じています。生命体の相互依存関係を理解することが、人が宇宙普遍の真理を把握する為には必須であり、その真理とは、実際に、全ての生命は宇宙的知性の表現の一つであるということです。


【解説】
 これまで、「テレパシー」講座にもかかわらず、著者アダムスキー氏は、もっぱら自然界の様々な営みを説明するのみで具体的な想念伝達については、一切触れて来ませんでした。それは何故でしょうか。
 私には、それが各読者が最低限、身に付けなければならない基礎的概念であり、その理解無しに、今後踏み込む深層域の分野を取扱うことが出来ないように思われます。万物、各構成員が相互に一つの生命力と結ばれている共通点に気付ことが求められています。
 テレパシー学習は決して、特定の技術・技能の修得で終わっては意味がないどころか、危険でさえあります。テレパシーは人が本来の生き方に戻る為の手助けとなる必要があります。その為には、その人が同調すべき対象は低次元な想念波動ではなく、万物の起源から続いている創造主の想いに応えるレベルまで高める必要があります。そういう意味から、具体的な創造の現れである自然界の諸活動の様子をよく観察し、自らとのつながりを実感せよと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落046

046 With the dying of the vegetation the herbivorous animals would starve; the carnivorous ones, their natural prey extinct, would follow suit. And Man, relying upon both the animate and inanimate phases of manifestation for food, could not survive.
046 植物が死に絶えると共に、草食動物達は飢え、自然界の餌となるものが消滅する肉食動物達も同じ後に従うことになります。そして食物を創造の生物、無生物の両面に依存している人間も生き延びることは出来ません。


【解説】
 地上において支配生物である人間は植物から動物に続く食物連鎖の輪の中にいます。その存在はこれら下位の生き物達に全てを依存しています。このことを自覚していないと、その文明は滅びることになります。かつて地球には数多くの古代文明があったとされています。しかし、ムーやアトランティス等、辛うじて名前が伝わっているだけで、記録のほとんどは失われています。
 人間が生きて行く上での基本は環境であり、その環境がもたらす良質な食料供給です。より多くの富を得る目的から過度に食料を増産する為に農薬を使用し、植物から搾取するのではなく、自然の恵みを感謝して受け取り、他の生き物達と調和した暮らしはかつての日本ではごく普通にありました。いわゆる里山の自然、カエルやドジョウと共生する水田での米栽培です。
 私達日本人は、稲作を基本とする農耕の民でした。季節の変化を肌で感じ、田に鳴くカエルの声を聞きながら、青々として風にそよぐ稲の葉を愛でて、米を育む自然に感謝する。神社における夏祭りや秋の祭礼は、いずれも自然に感謝する古来からの人々の気持を表現する場でした。
 宇宙時代に入った今日、私達は宇宙空間から改めて自分達の住む球体の全貌を見詰め、その球体表面で繰り広げられている植物から動物にいたる様々な活動の姿を頭に描いて、各自、新しい展望を開く必要があります。また、一方、現実の世界では各国による漁業資源や穀物の奪い合い等、食を巡る争いと金儲け主義がはびこる時代にもなっています。食料自給率40%(2003年農林水産省「食料需給表」)は主要12ヶ国の中で最低であり、とりわけ日本においては農業政策の在り方についても見直しが必要な状況になっていることは皆様、ご存知の通りです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落045

045 The bird would no longer have the high, sheltering branches of the tree in which to build a nest to protect her young from prowling animals. Her food supply of insects, grubs and worms would be gone; and the wild berry bush on the hillside, no longer pollinated, would not bear.
045 鳥はもはや幼鳥をうろつく動物達から守る為の巣を作る高く、身を隠す木の枝を手に入れることは出来ません。鳥の餌となる昆虫や地虫、ミミズ達は姿を消すでしょうし、丘の斜面の木イチゴの茂みはもはや受粉することはなく、実を付けることもないでしょう。


【解説】
 自宅から車で20分程の所に自然公園があります。丘陵地の間の谷間を地主が市に提供し、市が自然公園として整備したものです。中央には小川が流れ、湿地が広がっています。その湿地を巡るように木道が整備されていて、季節の野草や湿地に生きる水生植物が観察できます。小川の行き着く先は池になっていて、隣接するバラ園も合わせて見られる等、自然観察には適した場所となっています。
 自然公園の池には、よくカワセミがやって来ます。その写真を撮るべく、毎日のように朝早くから多くの人々が巨大な望遠レンズを構えてカワセミの来るのを待っています。鳥はどの鳥も美しいものですが、とりわけカワセミはその瑠璃色の美しさから、飛ぶ宝石とも言われる程です。
 しかし、これらの鳥達も、池に住む小魚や辺りに住む昆虫達が居なければ、生きながらえることはありません。事実、かつては日本に数多く生息していたトキも、農薬の使用によって田圃からドジョウが消えてからは絶滅したことはよく知られています。
 私達生物は実は他の生物あるいは無生物に依存していることに気付かなければなりません。もし、それら他のものに何らかの変化があれば、やがて私達にも影響が及んで来ます。もちろん、関連する相手は地上ばかりではありません。太陽の活動の変化も地球全体に影響を及ぼしています。先日、友人からアラスカで撮影したオーロラの写真を見せてもらいましたが、刻々大空に揺らめくオーロラの神秘な光は、大気もそれら影響を直接的に受けていることを我々に示しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落044

044 Have you ever stopped to consider what would happen to our planet if insects were to be suddenly withdrawn? Life, both animate and inanimate, would cease. Mother Nature depends largely upon these tiny life-forms for pollination. Remember, it is the bees and others of the insect world, laboriously traveling from blossom to blossom that propagates for her. So without the vital part they play, all vegetation would eventually die out.
044 貴方はもし、昆虫達が突如として引き上げたらこの惑星にどのようなことが起るかを考えたことがありますか?生物も無生物もともに生命は途絶えてしまうことでしょう。母なる自然はこれら小さな生命体に受粉の多くを依存しています。花から花に精一杯移動し自然の為に繁殖しているのは、昆虫の世界のミツバチやその他のもの達であることを忘れないで下さい。ですから、彼らが果たすその極めて重要な役割無くしては、全ての植物はついには死に絶えてしまうことでしょう。


【解説】
 最近、ミツバチの減少がニュースで度々報じられるようになっています。現象は世界的傾向のようですが、原因は明確になっていないとのことです。実はその影響は私達の日常生活にも影響を及ぼすだろうとされています。例えば、ビニールハウスでの果物の栽培にミツバチは欠かせません。イチゴの一つ一つの花の受粉はミツバチに依存しているからで、彼らの働き無しには、十分な収穫量は望めないと報道されています。
 一方、私達は古来より、蜂蜜を好む等、この小さな生き物を利用して来ました。春先、ようやく野原に花が咲き始めた頃からハチ達は労を惜しまず働き続け、各々が約一ヵ月の短い生涯を終え、また次代のもの達へとこの重要な役目を引き継いで行きます。こうした働きバチの一つ一つの労働は、マクロレンズを通して見る限り、彼らは息盛んに活動しており、疲れや不平の表情は一切ありません。各々の短い一生を十二分に生き、結果として植物の受粉を助けるという大事な役割を果たしています。
 重要なことは、これらの仕組み、動植物界を通じて幅広く相互関連・相互依存の輪が築き上げられていることであり、創造主の英知の奥深さがそこにあるということです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部第2章-段落043

043 Tracing the intricate blendings of nature makes a fascinating study. Every level is interlaced with all others. For example, the little insects and burrowing creatures contribute their important share to the common welfare; for their subterranean activity aerates the soil to promote lush growth. Now, let us take this thought a step further, and look at the indispensible part insects actually play in the perpetuation of life-forms on earth.
043 複雑に融合している自然を探究することは魅力ある研究になります。あらゆる段階が他の全てと織り込まれています。例えば小さな昆虫や穿孔動物は共通の福利に対する自分達の重要な役割で貢献しています。何故なら、彼らの地下の活動は土壌に空気を与え、青々と繁茂する植物の生長を促進しているからです。今度は更にこの考えを一歩先に進めて虫達が実際に果している地上における生命体の永続にとってかけがえのない役割を見ることにしましょう。


【解説】
 複雑に融合する自然を探究することが大切だと述べられています。本文では地中に暮らす昆虫やミミズ等の動物の果している役割が述べられていますが、このことは陸地の他、海や川でも起っています。
 水辺に集まる渡り鳥や空を映した水面は芸術家ならずとも、それを見る者に安らぎを与えます。浅瀬は一方で、水質の浄化や稚魚の生育、更には多様な生き物の棲息場所として貴重な環境であることは広く認識されるようになりました。遠く長い距離を毎年飛行しやって来る鳥達が、このような水辺を目指すのも、それほど価値のある場所だということでしょう。
 このように鳥達が飛来するのは、餌が豊富であったり、幼鳥を育てるのに適した環境である訳ですが、その環境をもたらしているのは、小魚やゴカイ等の餌となる生物が豊富であること、更には砂や泥の中に多様な微生物が暮らし、それらが水中の有機物を処理し増殖するとともに、自らはそれらを餌とするもの達の食料となるべく増殖を繰り返す絶妙なバランスへと生態系が構成されているからです。結果として、その環境には多様な生物種が生存でき、安定した社会を構成している訳です。
 私達、個人個人は果して、本来、自分に与えられた役割を果しているかどうか、この折に考えることも必要です。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
プロフィール

ganetworkjapan

アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ