ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落427

427 This is the only true entrancement that there is - a Cosmic principle where the mind and consciousness work together. All other phases of so-called entrancement are either illusions, wishful thinking or self hypnotism, especially when your mind is impressed with guides or highly developed souls. Beware when you get a feeling of a so-called guide for there is only one that you can trust and that is consciousness - the other half of yourself.
427 これが唯一存在する真の忘我であり、それは心と意識が共に働く宇宙原理なのです。その他の忘我と呼ばれる側面は、幻覚であったり、願望の想念や自己催眠であるかのいずれかに過ぎません。特に貴方の心が指導霊や高度に発達した霊と出会ったような印象を受けた時はそうです。貴方がいわゆる指導霊のような感じを持った時は気を付けなさい。何故なら貴方が信じられるものは一つしかなく、それは意識、即ち貴方の半身であるからです。


【解説】
 結局のところ、私達に必要なことは、各自自分と向き合うことではないでしょうか。それを避ける為に他に娯楽を求めたり、諸々の神秘に身を投じてはならないのです。
 前項ではイエスの変容の場面が紹介され、各自についても自身の歩みを振り返ることが推奨されて来ました。そうする中で私達はこれまで、様々な試練の中にあっても何とか今日まで辿り着いたことが分かることでしょう。そうすることが出来た背景には、私達に与えられた因からの支援が大きく関わっています。いわば不毛の地に湧き出す泉が瀕死の私達を潤し、安らぎや生きる力を授けて来たということでしょう。
 この経過を見れば、次に私達のなすべきことは明らかと言えるでしょう。即ち、わずかに潤す泉をより大きく広げ、他者にもその恵みを分かち与えることです。自分自身の本体である泉は汲めども涸れることはありません。その泉の源流は宇宙に繋がっているからです。先ずは各自の持つ泉を汚さぬよう大切に取り扱う心構えが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落426

426 This is no different than if you were to go back to the day of your birth, entrancing your mind or interesting it with your growth to the present day. Your consciousness would bring to mind the various stages of your development and experiences through which you have gone. And with this would come the many changes of facial expressions. And this is what happened to Jesus at that time for he was having the experience of realization while the disciples were just observing.
426 これは貴方が自分の今日までの成長に対して自分の心を忘我にするか、関心を持たせることによって自分の誕生の日に戻る場合と違いはありません。貴方の意識は様々な貴方の発達段階や貴方が乗り越えた体験類を心にもたらすでしょう。そしてこれと共に多くの表情の変化が生じるのです。そしてこのことがその時、イエスに起りました。彼は弟子達がただ見守る間、その具現化体験をしていたのです。




【解説】
 私達は時折、各自の人生を振り返る必要もあります。もちろんそれは昔を懐かしむことに意義があるのではありません。これまでの人生の歩みを総括して、自分自身の中の至らない要素を洗い出し、これからの人生にその体験を活かす為ですが、人知れず助けて戴いた人生の師や創造主の慈愛に感謝する為でもあります。
 長い人生を生きることは各自貴重なそして時には苦痛を伴う体験を経ることでもあり、それらを乗り越えた今日がある訳です。そういう意味からもこれらの体験で得た知識・知見は貴重なのですが、私達地球人の場合、その多くは高齢期に記憶から失い、更に死後の転生時に継承することも出来ていないようです。その結果、再び同様な体験を繰り返すことになるのだと思われます。事故対策では再発防止が重要であるとされていますが、私達自身の痛い体験こそ、十分その要因や生じた仕組みを解析して再発を防ぐ必要があるのです。
 私達各人は生きて行く中で様々な体験・学習を積み重ね、進化して行くものと思われますし、その過程で私達の容姿もそれを反映したものになっているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落425

425 In other words the Cosmic Mother and the Cosmic Father never wean their creation. When the mind does not understand this process it has a tendency to label the effects as the mystics have done. Let me give you an example of how the mind labels things it does not understand. For this we can use the experience of Jesus on the Mount of Transfiguration. His mind at that time was entranced by consciousness for he had given his mental will over to the will of consciousness as he became a listener and observer. And when he did this his face changed to represent the many individual forms through which his mind and consciousness had expressed before and he was fully aware of what was going on. And the disciples that were watching him observed the many changes of facial expressions and told him that to them he had appeared as Moses, etc. His answer to them was, "My life is the life of the many." In other words he had lived all of those stages of life and the consciousness reviewed the stages on the screen of his mind, thus bringing his mental life up to the present stage while the others observed.
425 別の言葉で言えば、宇宙の母と宇宙の父は自分達の創造物を決して乳離れさせることは無いということです。この過程を心が理解しない時、心は神秘主義者達がこれまでして来たようにその結果に偏見のラベルを貼ろうとする傾向になります。ここで心が自分が理解しない事柄に対して如何にラベルを貼ろうとするかの例をお示ししましょう。この目的の為、変容の丘におけるイエスの体験を例に用いることが出来ます。この時、イエスの心は意識によって忘我の状態にありました。イエス自らの心の意志を意識の意志の上に捧げた為、聴く者、観察する者となった為です。そしてイエスがこのことを行う時、その顔はイエスの心と意識が以前表現した多くの個人の顔かたちを再現しはじめたのですが、イエスは何が起っているのかを完璧に気付いていました。そしてイエスを見守っていた弟子達はイエスの表情が多くの変化を起こすのを観察し、イエスにイエスがモーゼやその他のように見えたと話しました。彼らに対するイエスの答えは「私の生涯は多くの生命からなっている」でした。別の言葉で言えば、彼はこれら全ての生涯の各段階を生きて来ており、意識がイエスの心のスクリーンにこれらの段階を回想させ、今日に至るまでのイエスの心の生涯を引き寄せ、それを他の者が見たということです。



【解説】
 本項はイエスの変容として伝えられている場面について述べられています。以前からアダムスキー氏はイエスの時代に地球に来ていて、高弟ヨハネであったと伝えられています。あたかもその場面に立ち会った者しか分からないような描写が為されており、その言い伝えを裏付けるものとなっています。
 ここでのポイントは、私達の容姿は私達の精神的内面を反映したものであるということです。時が経ち、転生を経たとしても当時の心境を再現出来れば、容姿は当時を再現するものとなるという訳です。私達の肉体は私達の内面の状況をそのまま反映するべく絶えず活動しているのです。
 言い換えれば、各自の容姿はこれまでの精神性を反映するものであり、結果物ということになります。それ故、少しでも穏やかで安定した風貌を保ちたいのなら、先ずは私達の心境を温和なものに精華させる必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落424

424 Remember your mind cannot absorb all inclusive consciousness in a moment so it must come in parts or different phases in the beginning until the mind is firmly developed in relationship to consciousness. i.e. A one inch hose will carry one inch of water but when the water comes out through the nozzle it separates into hundreds of drops of various sizes and shapes and each could be labeled as different according to our specifications. But each drop that falls upon vegetation gives moisture and life giving substance to that which it touches. Yet the essence of the drop of water unites with all the other drops of water as a whole, no different than it was in the hose. And the flow of Cosmic Consciousness is like the water in the hose. And it constantly separates itself for the service to be rendered to the lesser manifestations without which they could not live.
424 貴方の心は一度に全てを内在する意識を吸収することは出来ない為に、意識は心が意識との関係において確実に成長するまでは、最初は部分的或いは異なる種々の側面としてやって来るということを覚えておいて下さい。それは即ち、1インチのホースは1インチの水を運びますが、ノズルを通して水が撒かれる時は水は様々な大きさや形の何百もの水滴に分裂します。その一つ一つは私達の分類によれば各々異なるラベルを貼られるのです。しかし、植物に降り注ぐ一つ一つの水滴はそれに触れるものに潤いと命を与える物質を授けます。しかし、水滴の本質は他の水滴と共に全体として統一されており、ホースの中にあった時と何ら違いはありません。そして宇宙意識の流れもホースの中の水のようなものです。それはそれ無しには生きて行けない、より下等な生命の現れに自らを委ねるという奉仕の為に自らを絶えず分ち与えているのです。



【解説】
 よく言われる言葉に"私達はパイプのようなものだ"という言い方があります。つまり、私達自身には何ら機能は無く、ただ内部を通じて因から来るものを放出し、表現することだけだというものです。本項で著者が説いているのも、同じ意味合いです。私達は自身を通じて"因"から来る知性を表現する者であるのです。
 しかし、人によってパイプの大きさは異なり、表現する規模や影響の大きさに差があることは確かです。それでも精一杯の表現は次の発展に繋がります。こうして一つ一つ私達は体験を積み重ねて成長して行くという訳です。
 ここで重要なことは、十分な表現が出来なかったからといって、焦らないことです。たとえパイプの径が小さくても中を流れるものは皆、同じ要素を備えており、完璧なものです。一人一人から表現されるものは、皆一つの源泉から湧き出し、個々の領域に与えられた恵みとして尊ぶ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落423

423 What is meant by entrancement? The accepted idea of this is a misrepresentation of reality in the belief that a master is guiding one as spoken of before. Should such an impression or vision come to you during your development do not be alarmed for your conscious self will have this feeling when viewing other parts of consciousness.
423 忘我とは何を意味するのでしょうか。これについて一般に容認された概念は、以前にも述べたように、師がその者を導くと信じるという現実を誤った表現なのです。貴方の進歩の過程でこのような印象あるいは光景がやって来ることがあったら、怖れないで下さい。何故なら貴方の意識上の自己は意識の他の部分を見るとこのように感じるものだからです。



【解説】
 普段、なかなか"忘我"という状況にはなりにくいかも知れません。しかし、それが起こった時に慌てず、事の本質を理解して置くことが必要です。決して何か他の存在に操られるような事ではなく、忘我の状態にある者は、別の側面の意識を見ているのだということを知って置いて欲しいと著者は私達に説いているのです。
 おそらくこのような状況は意識による旅行においても生じていることでしょう。即ち何か通常とは思えない意識的体験をしている時に、部外者から見ると本人は忘我の状況に見えるものです。
 画家が大作に向かって絵筆を振るっている時や、音楽家が楽器と一体になって楽曲を奏でている時、本人は忘我の状況にあるものと思われます。時空を超えてその行動に没入している中で、優れた芸術性が生み出されているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落422

422 I am only giving my experiences to show that man's innate ability is of his own consciousness and has nothing to do with mysticism. But rather it is an understanding of the law or the other half of oneself - the conscious part. 99% of humanity is living the mental side of life unaware of their conscious ability or conscious consciousness. Consciously you are free to go any place in the Cosmos but mentally you are anchored to one place. As I was anchored to the classroom but consciously I went to where I was needed. And the law is just as real on the conscious side as it is on the mental side. Consciousness is the permanent side while the mental is the changing side of life. Always changing because the mind is learning while consciousness is all knowledge.
422 私は人の生来の能力は自身の意識によるものであり、神秘主義とは一切関係が無いことを示す為に自分の体験を述べているだけです。むしろそれは法則の理解、自身の半身即ち意識の部分の理解と言えます。何故なら99%の人類は自分達の意識上の能力即ち意識的意識について気付かぬまま心の側で生きているからです。意識の上では貴方は宇宙の何処にでも行ける自由がありますが、心の上では貴方は一箇所に錨で繋ぎ止められています。私がその教室に繋ぎ止められていた時でも、意識の上では私は私を必要とする場所に行ったのです。そして法則は心の側でも意識の側でも現実に働きます。意識は永遠の側にありますが、心は人生の変化する側にあるのです。意識は全ての知識である一方、心は学ぶ過程にある為、常に変化しているのです。




【解説】
 このような遠隔地への意識の移動能力について、アダムスキー氏は本文で誰にも生来持っている能力だと説いています。その発揮が出来ないのは、普段、私達は意識ではなく、心に依存しているからだとしています。私達の心はこの意識の存在を認めることなく、その限られた体験を通じて学習の途にある一方、意識は生来、全ての知識を有しているという訳です。
 おそらく本課は私達にとっては難解な教科なのかも知れません。自由自在に自身を移動させるとは分かり易く表現すれば、"天狗"や"仙人"のような能力であり、私達は究極のレベルとしてそのような能力を開発しようとしているのです。
 意識、心、肉体の3要素がある中で、もちろん肉体は物質から構成されていますが、心もまた、もし結果(物質)に左右されているとすれば、それは物質に左右されていることになります。私達各自が生来、受け継いでいる意識の活用こそ、求められているということです。その意識との融合を通じて私達は文字通り、宇宙を自由に行動することが出来ることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落421

421 But when my interest was taken up with flying saucers these experiences ceased. For as Jesus said, you cannot serve two masters without neglecting one of them. But now as I start to teach again I am returning to my original service.
421 しかし、私の関心が空飛ぶ円盤に奪われた時、これらの体験は無くなりました。何故なら、イエスが言ったように貴方は片方を無視しないで二人の主人に仕えることは出来ないからです。しかし、今や私は教えを再び始めましたので、私は元の奉仕に戻りつつあります。




【解説】
 前項でも述べましたように、このような(教師の幻が現れる)現象には、その教師の意思が強く働いていることが分かります。導師が弟子を思って遠方からメッセージ(思念)を伝えようとしない限り、そのような現象は起きないのです。
 そういう意味では、アダムスキー氏は常に求めて来る人々に惜しげなくその者に必要となる知識と助言を与え続けていました。私も氏のミーティングテープの中で「私に質問をせよ」と語っている場面を聞いたことがあります。人々の持つ疑問や知りたいことを通じて、人々に必要な知識をタイムリーに与えていたということでしょう。同様の事は同乗記にも、ロスアンジェルスのホテルで宇宙人と初めて会見する前に、氏が教え子と久しぶりで会った時の模様が記されていることはご承知の通りです。
 もちろん、このような意識による遠隔地への移動は、私達の目標の一つですが、その実行に当たっての第一の心構えは、本項に記されている通り、他者への支援にあることは明らかです。遠く離れた地で病の床にある友人を支援することもその一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落420

420 And now I will explain what I mean by a thought form. Man is a thought manifestation of consciousness like a shadow is a manifestation of a form. So in the classroom I was manifesting as a solid form and at the bed side I was manifesting as a shadow of that form. A thought form can be sent and felt at any distance while a solid form cannot. This has happened many times even outside of the classroom. When I was lecturing in Pasadena someone would ask my help for a sick friend. I would deliver the lecture on a normal bases and at the same time go to the bedside of the sick person. I did not need to know the person nor the address for consciously I was in both places. When I next met the person that had asked for my help she was happy for the friend had improved immediately and in a short time he was out of bed and well on the road to recovery. My experiences are not limited to sickness alone for I have been able to help out in other types of trouble. These things did not take place during my sleeping hours but when I was active with something else. So this has been my experience with conscious traveling.
420 そしてここで、私が想念の形態と言うことで何を意味したかったかを説明しましょう。影が形あるものの現れであるように、人は意識による想念としての現れです。ですから、その教室の中で私は固体の形態として現れており、ベッドの脇ではその形態の影として現れていたのです。想念の形態は如何なる距離にあっても送られることが出来、感じ取られますが、固体の形態はそれは出来ません。このことは教室の外でも数多く起りました。私がパサデナで教えていた時、誰かが来て病気の友人を助けて欲しいと私に求めて来ました。私は通常の通りのレクチャーを行う一方、同時にその病気の人物のベッドの脇に行ったのです。私にはその人物やその住所知る必要はありません。何故なら意識としては私はその両方の場所に居たからです。次に私の助けを依頼したその人物に会った時、彼女はその友人が直ぐに良くなり、わずかの内にベッドから離れて回復への道程に進むようになったことで喜んでおりました。私の体験は病気に限られてはおりません。他の種類のトラブルから助け出すことが出来たからです。これらの出来事は私の寝ている間には起らず、私が何か他のことで活動している時に起っていました。ですから、これは意識による旅行に関する私の体験であった訳です。



【解説】
 本項で記されている内容は、このシリーズにおける究極の学習レベルではないかと思われます。意識を用いた自分自身の投影も最終的には私達に可能となるという訳です。
 前項でも述べましたが、古来から聖人達の奇跡として数多くの逸話が伝えられていますが、おそらく一つ一つを本項に照らして精査して見ると、皆、それら聖人達が意識を用いて行った行動であることが分かるのではないでしょうか。
 もちろん、各自にとってその段階まで精進することは大事なのですが、それより遥かに重要なことは、それら聖人達が私達を助けたいと発願し、自らの意識を用いてその姿を具現させ、私達に示して呉れたということです。その意図を受け止めた上で、私達もそれに倣うよう、心して精進する必要があります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第11課-段落419

419 Many times when I was teaching in the early thirties a student would be sick and would not be at the class, yet on the following week when they returned he would report that he had not missed the class. For I was at the bedside giving the instructions yet I was not missed in the classroom. I was there before the students giving instruction through my mind and body while at the same time my consciousness was at the bedside of the one who was sick. It is like using two speakers with one microphone. Consciously I was conveying to the mind in my body that which was given to the students. In one place I was a solid form and in the other a thought form.
419 1930年代の初期、私が教えていた時に何度となく一人の生徒が病気になりクラスに出席することが出来ないことがありました。しかしそれでも、翌週にある次の授業にはその生徒は決まって自分は授業を受けられなかったことはないと報告するのでした。その理由は私は彼のベッドの脇に居て、教えを授けていたからというのですが、私はクラスに出席しなかった訳ではありませんでした。私は当時は生徒達の前で心と肉体を通じて教えを授けておりましたが、同時に私の意識は病気の一人のベッドの脇に身を置いていたのです。それはマイク1つで2つのスピーカーを使っているのに似ています。意識的に私は私の肉体の中にある心に生徒達に教える事柄を伝えておりました。一つの場所では私は固体として形あるものでしたが、他の場所では想念の形態であったのです。



【解説】
 アダムスキー氏がUFO問題に関与する以前、ラグナビーチ周辺でThe Royal Oder of Tibetという精神改革活動をしていたことは良く知られているところです。本項はその1930年代に起こった事柄について紹介し、今後の私達の訓練の参考とするべく記載されています。
 これら肉体から離れた遠隔地に姿を現すことは、丁度、映画「スター・ウォーズ」に出てくるホログラム投影のように考えられますが、より重要な所は、先ず教師本人がその場に居ない生徒にも同一の教えを授けたいという意志があり、また受け手の生徒の側にも教師の教えを受けたいとする願望があった上での現象という点です。送る側と受ける側の波長が一致する中で、はじめて実現する事柄だということです。
 聖書には同様なことが頻繁に起こっており、イエスが多数の場所に出現したという状況も記載されていたと記憶しています。また、現代での聖母マリアの出現等々、多くは奇跡と称されますが、これらも本項に記されている通り、送り手の意識が現象化して現れた姿であると考えられます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第11課-段落418

418 Man can have this same alertness from the conscious sea of life when his mind is aware of its possibilities of receiving impressions from anywhere in the Cosmos. When this phase is understood and used man can be anywhere he wishes to be, either near or far away. For the Real You remember is the consciousness. The mind and the body are instruments which you use.
418 人はその心が宇宙の何処からの印象でも受け取ることが出来ることに気付いた時、その生命の意識の海からこれと同じ覚醒を得ることが出来ます。この側面が理解され応用されると、人は近くにも遠くにも自分が望むどのような所にも身を置くことが出来ます。何故なら、ここが大事なところですが、真実の貴方という存在は意識なのです。心と肉体は貴方が用いる道具です。




【解説】
 これまで私達は「心」と「肉体」そして「意識」について学んで来ました。その中でどれが最も大切なものかは本項が端的に述べている通り、「意識」こそ最重要視しなければなりません。今まで現実主義者或いは広く一般の地球社会では「肉体」を重要視して来ましたし、一方の精神主義者は「心」こそが重要だとして来ました。しかし、このアダムスキー哲学を学ぶ人達の中でも精神性を重視するあまり、現実社会に適応出来ずにいる方々も残念ながら多いのが実情でしょう。
 しかし、本項で述べられているように、「肉体」も「心」もこの「意識」の前には単なる道具に過ぎない程のものであることが分かります。それ程に宇宙を貫く「意識」は私達に多くの恵みをもたらす存在であり、この「意識」こそが創造主に直結した力を持っているという訳です。
 私達は自らの中にこの「意識」の要素を感じ取り、それらと親しむことによって常に若々しい生命の発露となる必要があります。

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