ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落132

132 Once man realizes this and makes daily use of it, he will no longer complicate things and he will feel himself one with his creator.
132 一度、人がこのことを悟り、それを日々活用すれば、以後は物事を複雑化したりすることはなく、自分自身が創造主と一体になっているように感じることでしょう。



【解説】
 上達のカギは日々の生活の中で実践に移すことであると本項は説いています。理論を一時的に学ぶことや、非日常的な精神状態の中で何かを掴もうと努力することよりは他の動植物たちと同様に、日常生活の中で意識の声を知覚し、印象に従うことの方がはるかに効果的だということでしょう。
 とかく私達は様々な理屈を設定し、議論して来ましたが、実際の真理とはもっと単純明快なものかと思います。その単純さを如何にして知覚するかが重要となります。多くの哲学者が困難な課題を前に苦悩しているかと思いますが、真実はもっと単純であり、幼子でも理解出来る包容力を持ったものかと思います。
 一度その包容力に包まれれば、他に望み得るものはなく、安心して身を任せることが出来る筈です。私達が目指すべきこれらの自覚に向けて、日々の生活を誠実に送る中で、これまで私達をすっぽり覆っていた心のベールを取り去り、身の回りの世界の素晴らしさをいち早く認識すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落131

131 It is not the prayers, the mantrums or the meditations that will bring this to us. But a re-birth into a fully conscious being of cause instead of the mental effect. In other words we must reverse the process of our learning. Instead of being mentally aware as an ego of the mind the mind must become aware of consciousness, as it has in the past of itself. For conscious awareness is the key that unlocks the storehouse of knowledge to the mind. It is the link between the Creator and creation.
131 このことを私達にもたらすのは祈りでもマントラでも瞑想ではなく、心による結果に代わって因による完全に意識的存在への生まれ変わることなのです。言い換えれば、私達は自分達の学習の過程を逆転させなければなりません。即ちそれまでの自分自身のように、心に属する自我として認識するのではなく、心は意識に気付く必要があるのです。何故なら意識への気付きは心に知識の貯蔵庫を開く鍵であるからです。それは創造主と創造物との間をつなぐ環(きずな)なのです。



【解説】
 真の意味での”生まれ変わり”への転換を本項で、著者は求めています。しかし、まだ私達はそのわずかな糸口を掴んでいるに過ぎません。本項では、それらは瞑想や読経等では到達できないとも述べています。
 もちろん、厳しい苦行だけでもその覚醒は得られないのかも知れません。
 本件について私達が思い出すのは、仏陀が長い苦行に従事し、多くの教師に出会う中でも覚醒には到達できず、最終的にはスジャータから捧げられた乳粥を摂り、これら行き過ぎた苦行では覚醒は得られないことを悟り、その後、数々の誘惑を克服して、最終的に悟りに至ったという話です。
 つまり、私達のこれまでの考え方を一転させ、宇宙生命を支える”因”を知覚し、因に従うという一大転機が必要だということでしょう。これまでの自分を捨てること、全く異なる価値観に従って人生を送ることにも通じていることでしょう。どうやって生まれ変わることが出きるかというニコデモの問いにイエスが答えたように、私達にはこれまでの心への依存でなく、自身の内側にあるもう一つの自分である意識への一大転機が必要だという訳です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落130

130 Luther Burbank expressed himself well when he said that nature gave him the knowledge of how to improve upon vegetation. He stated that he was working with the Creator, and through His creation he saw Him face to face. Man will never be free from the drudgery he now is enduring, and the confusion in which he finds himself, until he returns unto the true teacher, the conscious director of all creation. We live in and are a part of its manifestation.
130 ルーサー・バーバンクは、自然が自分に植物に対する改良の仕方の知識を与えてくれたと言ってその実態を良く表現しました。彼は創造主と共に働いていることや、創造主の創造を通じて彼は創造主を間近に見ているとも述べていました。人間は真実の教師、すべての創造物の意識の指揮者の元に帰らない内は、現在耐え忍んでいる骨折り仕事や自分自身の混乱から決して自由になることは無いでしょう。私達は創造の現れの中に生き、その一部であるからです。


【解説】
 実際にこの宇宙的知性の指導に従った例として、著者はルーサー・バーバンクを挙げています。ご存知のように丁度エジソンと同時期に生きたバーバンクは日本でもトゲ無しサボテンやアイダホポテトその他、珍しい品種の開発者として知られています。現在でもサンフランシスコ郊外のサンタローザにはバーバンクの居住跡や温室等が保存され、記念公園(http://www.lutherburbank.org/)が立っています。
 そのルーサー・バーバンクは膨大な数の苗から驚くほど手早く目的の苗を選定したとされています。私も以前、その記念館を訪問したことがありますが、当時の作業記録はわずかな手帳のメモが残る程度で、具体的な記録は残っておりません。おそらくバーバンクは畑を見回る中で、どれを育種すべきか瞬時のインスピレーションを得ていたということでしょう。
 日々の行動を宇宙からのインスピレーションに委ねることが如何に大切かを私達に示す好例が、ルーサー・バーバンクなのです。

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3月14日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落129

129 With all of the intelligence we have today, no man can give the exact answer of how an apple or any fruit became such from a flower. This shows us that as great as man's intelligence is, it is still puny compared to what is manifesting in nature, the expression of the Creator.
129 今日、私達が持つ知性の全てをもってしても、誰一人として一つの花からりんご、あるいは何らかの果物がどのようにしてそのように成るのか正確な答えを出せる者はいません。このことは人間の知性が偉大だとしても、創造主による表現、自然における現れと比べればそれは依然としてちっぽけなものであることを示しています。



【解説】
 私達が如何にちっぽけな存在であるかについては、自分自身を観察すれば良く分かります。一生の内でどれほどの事柄が達成できるかや自ら考え出した事柄等、大自然を生かしている一大知性に比べれば取るに足らないものと言えるでしょう。
 そうした中、私達は自然を観察し、その秘められた機構や仕組みを学ぶことで創造主の深い配慮を知り、またそれらの指導に素直に従う動植物たちの潔さに感銘するものです。
 よく見る光景として、車庫の地面を足早に移動する蟻たちがいますが、彼らは自動車が動き出し、タイヤで轢かれそうになっても、それら命を落とす危険を恐れて活動をやめたりはしません。気温が上昇し、蟻たちの行動に適した状況になれば、たとえ人に踏まれても何ら気に止めることなく、自分の使命を果たそうとするのです。
 そこには失敗や死に対する恐怖は微塵も無く、ひたすら宇宙の法則に対する信頼があるということでしょう。そしてその信頼の延長戦上には生命の再生、生まれ変わりについての確信があるということかと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落128

128 All nature is expressing intelligence in varying degrees, for there is not a form, even a grain of sand, that does not express the purpose for which it was created, even better than man. A blade of grass as a tender shoot will come through the hard crust of the earth as it uses the power of the cosmos and obeys the intelligence that directs it. Yet man finds it difficult to penetrate a hard surface.
128 全て自然は様々な程度に知性を表現しています。何故なら形有るものはどれ一つ、砂粒一つでさえ、それが創造された目的を表現していないものはおらず、人間以上に良く表現しているものさえいます。一枚の草の葉は、柔らかな新芽の時、地面の硬い塊を貫いて現れますが、それは宇宙のパワーを用い、それを導く知性に従っているのです。しかも人間には硬い地表を貫くなどということは困難であることが分かります。




【解説】
 最近よく食卓に"スプラウト"がのぼるようになったのは、種が芽を吹く時点の生命力を私達も取り込みたいと思っていることに他なりません。種が発芽し、若芽が地中を上昇し伸び上がる様は、種から新芽へステップアップする目覚ましい光景として捉えることが出来ますし、その過程こそ本項で言う"知性"が顕在化している状況と言える訳です。
 そういう意味では私達は春にこそ私達自身も含め自然界を貫く原理、宇宙的知性の働きを観る絶好の機会ということが出来ます。
 種が芽吹くことについて思うことは、彼らは迷うことなく自らに示唆された指示を忠実に実行し、芽を伸ばした先が安全な環境なのかどうかは厭わないことです。芽吹いた直後に牛に食べられてしまうかも知れませんが、種はそのような保証を求めたり、躊躇することなく、変身を遂げようと精一杯の行動をするのです。
 その多くは成長する過程で、他の者の餌となり、他の者に役立ち、自然界全体を回しているのです。その種たちに示唆する宇宙的指導には私達の考えが及ばない程の深い意味合いがあるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落127

127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.
127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。



【解説】
 その者の知性は外見ではなく、その者の行動や発言等、表現の中に表われると説いています。とかく私達は外見を整えること、見た目の良しあしという自らの視覚の判断によって評価しがちです。しかし、その者の内側の知性と外見とはあまり関係がないと本項は私達に諭しているのです。
 その証拠に私達は私達の身の回りに他惑星から来ている宇宙人に気付くこともありませんし、だまそうと近づいてくる者に容易にだまされ餌食になりやすいのです。
 外見ではその人の本質が分からないことは、イエスも聖書の中で自分が復活して戻って来た時に多くの人達がその人物がイエスであることに気付かないと話していたこととも一致しています。
 私達は形あるものの内部にある不変の魂、知性にもっと関心を持つべきで、視覚の反応に過ぎない外見への関心を捨て、そのものの本質を理解しようとする融和、融合的な心境になる必要があります。いわば自分の意識を対象の内部まで浸透させ、相手の意識と一体となることで相手を理解するというような感じかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落126

126 From experience we know that nature is governed by the Supreme Intelligence.
126 経験上、私達は自然が至上なる英知によって治められていることを知っています。


【解説】
 本項で言う"至上なる英知"の機能を最も良く実感できるのは、私達自身の身体活動でしょう。私達の身体は私達の心が発する感情等から悪影響を受けることはあるものの、大部分は独自に活動を続け、身体を維持しています。それらは誰の指示で動いているのか、私達は考えて見る必要があるのです。
 血液がくまなく全身を流れ、各細胞に必要な栄養素や酸素を運び、各細胞は各々の機能を果たし、絶えず更新を果たしていることでしょう。こくした全細胞は一説に60兆とか、37兆とかの数があるとされており、ある統制の下、地球の人間の数ほどの細胞が調和した人体を運営維持していることは驚きです。この統制者を"至上なる英知"と本項では呼んでいるのです。
 私達はこの英知から各細胞に与えている指導の声、無言の印象にもっと関心を持ち、それらと調和した精神生活を送るべきです。生命力を表現している肉体を妨げる行動や想念活動をすべきでないことは明らかで、いち早くこの指導の声に従う心境を確立しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落125

125 Today we have scholars and learned men in all fields of endeavor, but all of them have to depend upon nature for their knowledge by studying nature's material and production of form life. And since man must depend upon nature for life itself, then it behoves him to let nature, rather than his ego, guide him. Or let his consciousness be his guide instead of his mind.
125 今日、私達の回りにはあらゆる努力分野において学者や知識人がいますが、彼等全ては自然界の物質や生命体の産生を学ぶことによって彼等の知識を自然に依存しなければなりません。そして人間は生命自体を自然に依存している以上、人間には自分のエゴよりは自然をして自分を導くようにする義務があるのです。言い換えれば自分の心に替えて、自分の意識を自らの導き手とすることです。


【解説】
 おそらく本項で述べられているのは、多くの研究活動における秘訣と呼べるものではないかと考えています。研究の中では失敗はつきものですが、それは誤った概念の下、考え出された想定が現実と異なっていたことを意味します。しかし、それら失敗と思われる現象の中により価値のある要素が潜在していることも多々あるものです。それらの存在をそっと示唆するもが意識からの印象なのです。
 結局、私達はこの意識の声である印象とどのようにして親しみ、受け入れやすい体質、心境になるかが問われているということでしょう。自らの心を常に謙虚にして、与えられる印象、インスピレーションを大切に取り扱うことです。特別な「行」を行うのではなく、日々の生活の中で心掛けるテーマとして著者は説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落124

124 The most unfortunate part of man's learning is that his ego is impatient and tries to exalt itself above his teacher or Creator. And it is here that he makes his biggest mistakes, for he applies his will instead of Thy Will, and thus complicates things instead of simplifying them. He follows his mind which should be a pupil, instead of the consciousness which is the teacher and the life of every form. And yet his only salvation is to return back to Nature's guidance. For he can never become independent of it no matter how much he learns or how old he becomes. It will have to be nature by which he evaluates his knowledge.
124 人間の学習における最大の不幸は、人間のエゴが短気で自らを自分の教師である創造主の上に増長させようとすることにあります。そして人間がその最大の過ちを犯すのがここなのです。何故なら人間は「汝の意志」の代わりに自分の意志を用い、そうして物事を単純化する代わりに複雑化しようとするからです。人間は形有るあらゆるものの教師であり、生命である意識の代わりに、生徒であるべき自分の心に従っています。そして人間の唯一の救いは自然の導きに立ち返ることです。何故なら人間は如何に多くを学び、如何に年老いても自然から独立することは決して出来ません。人間が自分の知識を評価するのは自然によらざるを得ないのです。


【解説】
 じっと解決策を授けて呉れる意識からの印象を待つこともなく、あるいは騒ぐ心の声があまりに大きすぎる為、それら差し伸べられる助言に気付くことなく、私達は自分自身で勝手な対応を続けています。もちろんその結果は更なる問題の拡散に繋がって行くという訳です。
 本項で短気を戒めていることにも注意が必要です。他の者に命令ばかり、裁きばかりをして玉座に座り続けている私達は、一たび何か物事が思い通りに進まないと、直ぐに問題視したり、騒ぎ立て、混乱を助長しがちです。
 それもこれも私達が意識から来る精妙なる印象の振動に同期することが出来ない低レベルの振動の持ち主であることにも起因しているのでしょう。謙虚に自然や宇宙に対して自らが学習者、訓練生の一人であることを自覚し、他の動植物がどのようにして安寧な暮らしを続けられているのか、観察を通じて学ぶことが肝要です。

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