ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落276

276 We have used the flower for everyone loves beautiful flowers. And if the love for it is equal to the love that one has for himself and he acknowledges its intelligence as firmly as he would of another person, with the same feeling, the flower will respond. And this can be observed if it is asked to turn its face from one side to the other. For it will follow your instructions as it follows the Sun. But you must remember at all times that you are consciously talking to an intelligent form.
276 私達は花を誰もが美しい花を愛することから用いて来ました。そしてもし、花に対する愛情が自分自身への愛情と等しければ、そして花の知性を他の人物に抱く感じと同じくらい確信し認めるなら、その花は応答することでしょう。そしてこのことは、片側からもう一方へ花の向きを変えるように求められれば、そのように観察されるでしょう。その花はそれが太陽に従うように貴方の指図に従うようになるからです。しかし、常に憶えておかなければならないのは、貴方は意識を用いて知性ある形に話し掛けているということです。


【解説】
 植物が私達の発する想念に反応することは、植物にウソ発見器を取り付けたバクスターの実験その他でも証明されていますし、ルーサー・バーバンクのトゲ無しサボテンその他の育種結果によっても知られているところです。
 本項では更に深く植物に私達と同等の知性を私達自身が認識出来れば、植物とも交流が出来ると説いています。つまり、私達の半身である意識を通じてあらゆるものの意識と融合し、互いに意思を通わせることが出来るという訳です。
 草花に毎日水をやり、肥料(栄養)を与えることでも植物は育ちますが、遠く離れていても意識を通わせることで、その植物は元気を取り戻すことが出来るのです。愛情が必要なのは人間ばかりではないということです。
 「星の王子様」にあるように、周囲のあらゆるものに対して、その存在の中に自分と同等の知性を知覚し、それらと交流すること以上に素晴らしいことはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落275

275 Do not become too absorbed with labels as they may confuse you. Do not expect the same kind of reaction as you have been accustomed to from the mental side. For when you become aware of the life of a flower you will also be aware of the intelligence that produced the effect. The flower will not speak to you in sounds you are accustomed to but it will react to you as intelligence speaking to intelligence. And all forms can be addressed in the same manner, for you will not be recognizing the form alone, but the intelligence manifesting through the form.
275 レッテルにはあまり没頭しないようにして下さい。それらは貴方を混乱させるかも知れないからです。また、感覚心からの反応に馴れて来たのと同じ種類の反応を期待してはいけません。何故なら貴方が一つの花の生命に気付く時、貴方はまた、その結果(訳注:花)を造り出した知性について気付くようになるからです。その花は貴方に貴方が馴れ親しんだ音で話し掛けることはないでしょうが、知性が知性に話し掛けるように貴方に反応することでしょう。そしてすべての形有るものはこれと同様なやり方で呼び掛けることができます。何故なら貴方は形のみを認識しているのではなく、その形を通して具現している知性を認識しているからです。


【解説】
 私達が外界を見る時、多くはこれまでの分類に従い、生物と無生物、植物と動物、更には各種属へと細かい分類名として認識しますが、本項で著者はこれからはこれら既存のレッテルにあまり左右されないようにと注意しています。
 元来、宇宙的生命活動の上からはいわゆる生物も無生物も、植物も動物も大きな差違はありません。分子・原子のレベルでは共に想念・印象を記憶し発信する実体なのです。
 そういう意味から私達はそれらを見る際、努めて印象でのやり取りを進める必要があります。植物の成長を願って水をやり、土を耕して実りを夢見ることはそのまま彼らに伝わりますし、彼ら植物もそれに印象で応えるに違いありません。
 重要な点は自然界のあらゆる存在は私達と同等であり、同胞であるという意識です。また、こうした交流を通じて私達はこれまで以上に植物や動物達、またいわゆる無生物と称されて来たもの達から、印象を通じて多くを学ぶことが出来るのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落274

274 And how is this done? It is no different than memorizing things while in school or elsewhere, and is done with repetition until you are sure that it is well impressed upon the sense mind. When this is done you will never forget. But this should be done in the Cosmic Allness, and can be done by seeing with Cosmic Sight or God's eyes.
274 そしてこれはどのようにして成されるのでしょうか?それは物事を学校かその他で覚えるのと何ら変わるものではなく、貴方が感覚心に十分印象づけたと確信するまで繰り返すことで果たされます。これが実行された後、貴方は決して忘れることはないでしょう。しかし、これは宇宙的調和の中で成されるべきであり、宇宙の目、神の目で見ることによって成され得るのです。



【解説】
 私達が如何にしたら、自分の半身である意識を自覚し、宇宙的記憶を蓄えることが出来るか、本項で著者は私達に、それは学校での学習と同様、繰り返し学ぶことで自分の心にしっかり記憶させることだと説いています。
 私達は学校で言葉や単語を学ぶことから始まり、やがては高次な事柄も学んで行きますが、小学生がいきなり高校や大学の授業を受けるのは無理であるように、私達は少しずつ自分のレベルに応じて自分の道を進まなければなりません。
 そこで初心者に必要なことは、先ずは自分の現在の学習段階を自覚して必要な次のステップに進むということでしょう。つまり先月、昨日に比較して、どう成長したかを自分で考え、成果が認められれば、自分の歩む道が正しいことが分かる筈です。その際、重要なのは、私達各自は独りでなく、常に自身にはもう一つの半身・意識があり、その支援を喜んで受けながら、今までの肉体の目でなく、宇宙的な目で世界を観るということでしょう。チベットやネパールの寺院には目のシンボルが描かれていると聞きますが、私達は肉体の目でなく、宇宙的な目で物事を理解することが肝要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落273

273 You may say here, but I am conscious. That is partially true for if you were not you would not be alive. But are you conscious of cosmic consciousness as the Creator whom we call God is ? For this conscious intelligence is aware not only of the cosmos but all the created effects. In other words its records consist of cause and effects. And if we are to fulfill the purpose of our creation we must cultivate the other half of our life which is cosmic consciousness. For this in turn brings life eternal with all of its records.
273 貴方は自分には意識があると言うかも知れません。それは部分的には真実です。何故なら意識が無ければ生きてはいないからです。しかし、私達が神と呼ぶ創造主が意識している程に宇宙意識を意識していますか?何故ならこの意識の知性は宇宙のみならず全ての創造された結果物を知覚しているからです。別の言葉で言えば、その諸記録は因と結果物を含んでいるのです。そしてもし私達が創造された目的を満たそうとするなら、宇宙意識である私達のもう一方の半身を育まねばなりません。こうすることがひいてはそのすべての記録を携えた永遠の生命をもたらすことになるのです。



【解説】
 もちろん、本講座で言う「意識」は、私達が救急救命の現場で有無を問う場合の「意識」を含んでいます。そう言う意味では私達は意識を有しているのですが、その把握する範囲は極限られたものに留まっているのです。
 意識は本項で述べられているようにはるかに広範囲に広がっており、原因や結果を記録しているのです。この膨大な記録と知性とのつながりが「意識」と表現されていると言うことでしょう。私達は各自、先ずは自らの半身である「意識」の存在に気付く必要がある訳です。
 しかし、それを実行に移し、成果を挙げるのは本人でしか出来ないことです。他人が代わってそれを行うことは出来ません。唯一支援出来るとすれば、各自これまでの体験から学び取った事柄を共有することで、他者が得た経験を教材とすることでしょう。本シリーズもそのような観点から続けています。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落272

272 Some may feel I use the word consciousness too often, yet it is this consciousness that is the real you. It is also back of all creation - the primal force - the most important part in a mental life. For the sense mind must remember its experiences if life is to continue, as consciousness is the recorder of all actions in life. If the sense mind does not associate itself with the consciousness its memory is short for it is not eternal. But as we have said before, it can become eternal by blending with consciousness.
272 中には私が意識という言葉をあまりに多く用いていると感じている人もあるかも知れませんが、真実の貴方はこの意識なのです。それはまた全ての創造の背後にあるもの、原動力であり、精神生活において最も重要な部分です。何故なら、感覚心は生命を継続するつもりならその体験を記憶して置かねばなりませんが、意識は生命の全ての行動の記録者なのです。もし、感覚心が意識と仲良くならなければ、その記憶は永続しない為、短いものとなるでしょう。しかし、私達がこれまで申し上げたように、心は意識と混じりあうことで永遠のものになり得るのです。



【解説】
 自分の半身である意識について、著者はその重要性を繰り返し述べていますが、それほどに私達が重視しなければならないのがこの意識なる存在です。しかし、私達は長年この意識について教わっておらず、もう一方の半身である心の支配を受けて来たという訳です。
 イエスが”父とともにある”という言葉を残し、弘法大師が”同行二人”という表現を伝えていますが、いずれもこの意識について覚醒した導師ならではの言葉と言えるでしょう。
 この意識の中に全ての記憶が蓄えられ、想念が記録される訳ですから、この意識から助言を受ける中で、意識との信頼関係を構築出来るものと思われます。私達の半身である意識は実は自身の肉体の範囲に制限されるものでなく、宇宙にも広がっている存在であり、空間という制限を越えている存在だと考えられます。

ご連絡

いつもご覧戴き、ありがとうございます。

都合により、明日の更新はお休み致します。


2017年10月17日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落271

271 The sense of sight is reflecting the effects, but not the life of the effects. It is like the window or mirror. But to have a reflection there must be a cause. So in a way we are half dead, or living only half a life. And Jesus said, let the dead bury the dead. Meaning that the pallbearers bearing the corpse are as dead the corpse. The form within the coffin lies unconscious of life and the ones carrying it are equally unconscious of life in full, or cosmic life. For the corpse lived a mental life as the ones who bear it do and once the consciousness withdraws, the mental is silenced. For it never knew itself as the real part which is the consciousness.
271 視覚は結果物を反映していますが、その結果物の持つ生命は反映していません。それは窓や鏡のようなものです。しかし、映像を得るには因がなくてはなりません。ですからある意味、私達は半分死んでいる、或いは生命の内、半分しか生きていないと言えます。また、イエスはこう言いました。死者をして死者を葬らせよと。死体を担いでいる者も死体と同様に死んでいるという意味です。棺の中の肉体は生命の意識は無くなり横たわっていますし、それを運んでいる者達も等しく満ちた生命、宇宙の生命について意識していません。何故なら、その死体はそれを担ぐ者達同様に心による生活を送って来ましたので、ひとたびその意識が退くと、その心は沈黙させられます。何故なら、心は意識である真実の部分に関する自分自身について知らないで来てしまったからです。



【解説】
 「死者をして死者を葬らせよ」というイエスの言葉の意味は、死者を埋葬する者も、実際は死者と同様に自分の半身に気付いておらず、半ば死んだようなものだということです。即ち、現在生きている者も自分の半身に気付かなければ、肉体の死とともに消滅することを示唆しています。
 私達は常に結果のみに着目し、すがっていますが、大切なのは物質・物体ではありません。それを生み出した知性・生命力とそれに呼応して活動する生命の息吹なのです。確かに私達の肉体も例外なく、日々の消耗の中で衰えて行きますが、その内側にある精神麺は若さを保つことが出来ます。移り行く物質世界の中ですが、常に変わることなく降り注いでいる生命力にこそ私達は同化・同調すべきです。
 私達がやがては死すことは明らかなのですが、その際に少しでも真実・真理を理解し、再び再生出来る心であるよう、毎日を探究する人生でありたいものです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落270

270 Jesus made the statement, ye have eyes yet see not, and also, the blind lead the blind. Yes, we do have eyes, as your home has windows. And the windows would say if they could speak, through me the forest is pictured. And if I became a mirror I would reflect the forest, but not its life.
270 イエスは、汝は目を持っているが見ていない、また盲人が盲人を導くようなものだと発言(訳注:マタイ15:14)しています。確かに、私達は皆さんの家に窓があるように目を持っています。そして、その窓がもし話すことができたとしたら、私を通してその森が見えるのだと言うことでしょう。そして、もし、私が鏡になったとすれば、私はその森を映すでしょうが、その生命までは映すことはありません。



【解説】
 「悟り」という言葉は仏教用語でしょうが、同時に本項でイエスが説いた事柄と同質の内容を表現しているように思われます。肉眼で物の外観や形を見る一方、いわゆる心眼でその背景やその対象物が発する想念・印象を同時に観ることで、その対象を深く理解することを「悟り」と思うからです。
 しかし、進化を遂げた者にとって、私達のような未だ十分に本質を理解していない者は何とも危なげな存在に映ることでしょう。ましてその中で他の者を導く立場の者には盲人が盲人を導くように思えた筈です。
 こうした中、私達はこれまで時々の様々な教えに従い歩んで来ましたが、それでも本当のゴールに到達出来た人は少ないのかも知れません。何よりも先導者自身の理解が十分でないからです。
 そういう意味では、私達は改めて他惑星社会から贈られた本講座の中身を注意深く学び、実践を通して各自実績を積み重ねて理解を深めることが肝要です。本講座はテキスト本文であり、実践編は各自で作り上げる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落269

269 THE EYES OF GOD, OR CONSCIOUSNESS
We have been taught in our religious faiths that God sees all acts, yet we know that the sense mind does not see the invisible cause back of every effect. This means that we see less than half of what is to be seen. But we as an effect of God have the potential of seeing what God sees. The reason that we do not see as He does is because we do not understand life.
269 神の目、即ち意識
 私達は宗教の教義の中で、神は全ての行為を見ておられると教えられて来ましたし、私達は感覚心はあらゆる結果の背後にある見えざる因を見ていないことを知っています。このことは、私達が見るべきものの半分も見ていないことを意味します。しかし、神のひとつの結果である私達は、神が見ていることを見る潜在力を有しています。私達が神が見ておられるように見ない理由は、私達が生命を理解していないからです。



【解説】
 事実、目の前に自分の手があるのですが、私達の肉眼はその内側に血液が流れ、各細胞が活発に活動するような姿に気付くことはありません。普段は当たり前の存在として特に気にかけてもいないのです。
 しかし、私達にとってこれら自分の身体こそ学習教材として最も適したものと言えるのです。自分の行動や自分が発信・同調した想念・印象が如何に身体細胞に影響を及ぼしているか、或いは自分の身体各部が如何に調和し、生命を表現しているか等々を観察し、自覚するのに最適の教材なのです。
 これら深遠な世界を探訪するには私達のもう一つの自分である意識の力に頼る他ありません。自分の内側にある意識との融合を進める中で、私達は少しずつ目には見えない世界に気付いて行くのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第7課-段落268

268 The marriage of the sense mind and consciousness has been referred to as The Lion and The Lamb lying down together. And when this takes place one is on the way to Eternity, and the Book of Remembrance will be opened unto you as promised in Revelations.
268 感覚心と意識の結婚は共に横たわるライオンと小羊の関係として引用されてきました。そしてこのことが起る時、人は永遠へと続く道の上にあり、ヨハネの黙示録に約束されているように記憶の書が貴方に明かされることでしょう。


【解説】
 キリスト教会にはライオンと子羊が互いい傍に仲良く描かれている絵があり、ライオンは全能の神を子羊は罪なく殺された生贄を示すとされています。また、同時にこの2つは共にイエス・キリストを表現するものとされているようです。また同時に万能であり、最大最強の創造主に迷える子羊が頼っているという姿も示唆するものと思われます。
 本講座の中ではこの姿こそ私達の内側の状況を意味しているという訳です。子羊は私達の心であり、ライオンが意識ということになります。つまりはライオンの比護の下、私達子羊は少しずつ成長して行くということです。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ