ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。

【解説】
 ここでは既に学習者に送付されていた「第1課」の反響について記されています。元来、「生命の科学」は一課毎の通信講座として設定されていました。著者アダムスキーは執筆を進めながら、書き下ろした段階から、随時印刷配布を行っていたことがこの記述により分かります。
 今となれば、本文に紹介された報告がどのようなものであったかは不明ですが、その内容は「本人の過去の記憶が鮮やかによみがえった」、「太古の光景を目の当たりにした」等の報告であったかと推測されます。
 本文では意識は膨大な記憶を保持していると言っています。いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれる記憶の書と言われるものです。決して神秘的なものではなく、真面目に本講座に取組む者全てが、これら宇宙の記憶にもアクセスする能力が自然に備わってくると述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたを苦痛を伴う結果をもたらすあなた自身の心の意志によってあなたを学ばせようとします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 通常、私達は自分達ではどうしようもない状況に至った時、自分達の責任を放棄して、人智の及ばない存在に運命を委ねる意味で「神の御意志」に従うことを宣言します。もちろん、本来の言葉の意味は異なります。自然界を見ればあらゆる物が調和した生命活動を行っています。これらの行動を支えているものこそ、「神の御意志」というものです。自然界の構成員は微生物から植物、高等動物にいたるまで、個々の能力を発揮しながら、しかも全体として調和を保ち、かつ個々の生き方を謳歌しているように見えます。これらは皆、神の御意志に従って、秩序を保ちながら全体として地球という惑星の環境を支えている訳で、神の御意志自体には私達の思い及ばない深い意図があると言わざるを得ません。
 その神の御意志は常に私達の上から、あるいは内部から私達に注がれており、その片鱗に気付くことができれば、より良い生き方をすることが出来ます。各自は常時、ある意味、無料で注がれている意識(神)の導きに対して先入観に捕われがちな自己(心)を鎮めて、心自身が気付くようになることが一番の早道です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。


【解説】
 ここでのポイントは印象に対する心の誤った解釈かと思います。本文では熱いストーブに対する幼児への両親の注意の例が述べられています。この場合、「熱いストーブに触れると火傷をするから、触れてはだめよ」と両親が子供に注意しますが、この注意の言葉こそが意識が発する印象です。これに対して、子供(心)がそのような親(意識)の忠告を無視して、自分勝手に行動し、火傷を負って痛い目を見るのが私達の心です。親(意識)の忠告を無視した結果、自らの体験により「貴重な」体験を得ることになった訳です。
 しかし、より深刻なのは、私達は往々にしてその失敗を繰り返すということです。過去の体験が生かされないことがむしろ多いのではと思っています。その理由は、私達がその失敗の原因を十分分析せず、改める作業を行って来なかったことにあります。本来、その時の自分の心がどのような事柄で占められていたか、等を調べれば少しはその原因を理解でき、再発を防げたかも知れないのです。正直にありのままの自分を見つめることが大切です。よく重大事故の後、原因調査が行われます。こうした失敗事例を分析して得た知識を基に再発防止策を策定し、皆がその事故についての知見を共有することで技術は進歩して来ました。それと同様なことを本来、人間の精神面についても行うべきなのです。
 これまでも繰り返し述べられているように、体験からしか学べない者は決して望ましい姿ではありません。しかし、体験から学べない者は更に救いがたいと言えるでしょう。私達は考えること、反省することを止めてはなりません。毎日、少しずつ進歩する努力の積み重ねが遂には成就へと導くからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落086

086 Regardless of what the expression may be, one should make the mind recognize and respect the consciousness as the life of the expression. Consciousness is not a respecter of forms or persons, it lends itself to all in all acts. For itself knows neither good nor bad, but its guidance is always for what we call the good.
086 その表現物が何であれ、人は自らの心に意識をその表現物の生命体として認識し尊敬させなければなりません。意識は形有るものや人物の尊敬者ではなく、それはありとあらゆる行動に自らを貸し与えています。何故なら、意識自身は善も悪も知ることはなく、それでいてその導きはいつも私達が善と呼ぶものに向っているのです。


【解説】
 あらゆる物の生命体こそが意識であり、各自は意識を敬うように言っています。ある意味、私達はその意識によって生かされていることを考えれば、当然なことでもあります。しかし、私達は通常、心は尊大であり、わがままになっています。自分の肉体は自分(心)の意のままに動かせますし、自分の自由意志で好きな行動が出来るとしています。
 しかし、私達の中に無言のまま存在し、全ての生命活動を支えている意識の存在の上に私達の日常があり、体内の生命活動無くして自分の存在が成り立たないことを思えば、この意識を尊び、その指導に従うことはごく自然の成り行きと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落085

085 To make the blend it is necessary for an individual to cultivate the habit of having the mind think of the cause behind the action, what ever it may be. And analyze each action to see if it was habitual from the past experiences and purely mental and self centered, or of a cosmic nature, which one must strive to attain.
085 この融合を造り出すには各人は自らの心に行動の背後にある原因についてそれが何であろうと常に考えさせる習慣を養うことが必要になります。そして個々の行動についてそれが過去の体験から来る習慣的なもので単に心によるもの、自己中心のものか、あるいは宇宙的な性質のもの、人が達成しようと励まねばならないものかどうかを見分けるよう分析することです。


【解説】
 人体という同じ家に住むと言っても、片方(心)が相手(意識)の存在に気付かずに過ごしているのが日常です。気付く為には、日頃から相手の存在、作用に関心を持ち、自らの行動についてそれが従来の心の指令なのか、意識の導きのいずれに由来するかを観察し、見極めよと言っています。
 このような各自の行動の基となる拠り所を分析し、更にはその原動力である想念の由来を観察することで、本来の目指すべき意識による導きに対する感受性を高めることになるからです。
 しかし、一般的には日常生活のほとんどが過去の経験に沿った行動パターンで過ごしており、私達の生活が色あせ、ルーチン化した毎日の繰り返しになっていることに気付きます。それに対し、一日一日を新鮮に迎え、過去を振り返らず常にフレッシュな観察眼を開いて様々な側面に感動できる単純素朴な幼児の心を自分の中に育むことが、宇宙の息吹きにも、万物を支えている宇宙の意識との融合にもつながる姿勢と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落084

084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。


【解説】
 この部分の解釈には迷うところもありますが、本稿では「私達の心を発達させれば、(テレビの助けを借りなくても)テレビが造り出すような映像も目に見えるようになる」と解釈しました。なお、一方ではテレビやラジオの受信器を造り上げたのは人間の心であり、私達が実際に気中に流れる電波を増幅して放送番組を楽しんでいること自体が「心の発達である」と解釈することを付け加えて置きます。
 さて、ここでのポイントは、心と意識の関係です。心(感覚)を鋭敏にすれば遂には大気中を飛び交う映像信号も感知でき、感覚の受信能力を高めることができる一方で、これら感覚は常に意識という遥かに大きな存在に依存しているということです。ヘレン・ケラー女史の例を待つまでもなく、人間は感覚を失っても肉体の維持に大きな支障はありません。意識があるか無いかが重要だとしています。これについては医療の現場で「意識があるか無いか」ということが大きな問題になっていますが、このことも本稿でいうテーマと関連しているものと思われます。
 肉体という家の中に心と意識の両者が住んでいるという例えは、私達にある意味、安心感を与えます。私達(心)は遥かに力があり家を絶えず守っている意識から多くのことを本来、容易に学ぶことができる筈だからです

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落083

083 On this highway we shall find that all creation expresses a Divine intelligence. For consciousness is the life of even a grain of sand. It lives independent of forms, yet it activates all matter. It speaks the silent language which we call impressions, yet moves with a force far greater than any sound. And you and I are the highest manifestations of it, for without consciousness the mind would be nothing.
083 この大道では、私達はすべての創造物がある一つの神聖な知性を表わしていることに気付かねばなりません。何故なら意識は砂粒一つの生命でもあるのです。意識は形とは独立し、しかも全ての物質を動かしています。意識は私達が印象と呼ぶ無言の言語で話していますが、どんな音よりもはるかに大きな力で揺り動かしています。そしてあなたも私もその意識の最高位の創造物と言えます。何故なら意識無くしては、心は何らのものでもないのです。


【解説】
 揺れ動く心によって脇道に迷い込むことなく、進歩の大道を歩むことが前節で述べられました。
 その大道上では、私達は否応無しに万物が意識によって支えられていることを知ることになります。あらゆる物がその大小にかかわらず、内部で支えている生命の源を備えており、そのことを体験を通じてより深く理解することによって、人間本来の目的地に導くと言っているのです。
 また、意識の用いる無言の言語の力はどんな大きな音よりも万物を揺り動かす力があると言っています。この現実世界を突き動かすパワーが意識にあることに気付けば、それに自分の心を同調しさえすれば、私達人間は本来、とてつもない力を発揮できる存在なのです。進歩の道はこのように本来、幅広くゆったりしているものなのですが、その存在に気付くまでには困難があり、私達の日常からこの大道に入る為には「狭き門」があると言えるのでしょう。既存の迷いの脇道から私達はいつでも、この大道に乗換えることができますが、その決断までの心の躊躇の過程が曲がりくねった小道ということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落082

082 All of our life we have been doing things the hard way. Either in one extreme or another. Now the time has come to settle down into the middle, which is the conscious eternal highway. And stop taking the mental by-ways, for the center balance will make life much easier.
082 私達はこれまで生活のすべてを困難なやり方で物事を行って来ました。ある極端から他の極端のいずれかであったからです。しかし今や、意識的な永遠の大道である中庸に落ち着く時期を迎えています。そして心の横道を取るのを止めるべきです。中央のバランス状態は生活をはるかに容易にすることになるからです。


【解説】
 一口に「中庸の徳」と片付ける訳ではありません。しかし、私達の精神生活は浮き沈みが特に激しいように思われます。たまたま幸運が重なり好ましい結果を得た時は私達の心は有頂天になり、あたかもこの調子が将来ともに続くかのように強気になる一方、思いがけず不運な結果に終われば心は前途を悲観し、打ひしがれて何らの意欲も生じない憂鬱状態に陥ります。
 このように私達の心は何事にも一喜一憂、本文で言う極端から極端へ振り子のように揺れ動いています。しかし、その結果、様々なストレスが自らの肉体に、更には周囲の環境に悪影響(危害)を与えているのです。
 そこで本文が指摘しているのがバランスのとれた中道の大切さです。つまり、心の動揺が消え、安定安心した落ち着いた場所に心を持ち続け、意識からの無言のメッセージに心を鋭敏にして置くことを勧めています。言う間でも無く、そのような創造主からの直接の導きを感受するようになれば、各自の行動は効果的なもの、実りのあるものとなり、結果としてより楽な生き方が出来るとしています。本文で言う中庸とはこのような人間の進歩の大道を意味しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落081

081 F.D.R. expressed it well when he said, "there is nothing to fear but fear itself." For fear promotes fear. Our late President Kennedy made the statement, "Ask not what the Nation can do for you but what you can do for the Nation." I would say it this way ; it is not what God will do for you but what will you do for God? And God is the consciousness of our being. Or we could put it this way, it is not what the consciousness does for the mind, but what the mind can do for the consciousness.
081 F.D.R.(フランクリン・D・ルーズベルト、Franklin Delano Roosevelt)は「恐怖以外に恐怖すべきものは無い」と言ってそれを上手に表現しました。恐怖は恐怖を助長するからです。故ケネディ大統領はこう声明しました。「国家があなたに何を為せるかと問うのでなく、あなたが国家に何を為せるかを問え。」私ならこう言うでしょう。「神があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが神に何をなすかである」。そして、神とは私達自身の意識なのです。そこでこういうようにも言えるでしょう。「意識が心に何をなすかではなく、心が意識に何をなすことができるかである」。


【解説】
 前述のように恐怖はまた更なる恐怖を造り出します。薄暗い道を歩いていると、ちょっとした物音にも心は驚きます。とりわけ目は暗闇を恐れます。恐怖が恐怖を呼ぶエスカレート振りはその恐怖心を許しておくと容易に勢力を増し、心臓の鼓動を高め、身体に鳥肌を立てるほど高まることは誰でも経験することでしょう。しかし、私達の肉体の各器官は光の有無に関せず、休むこと無く一瞬一瞬を全力で所定の任務を果たしています。唯一、私達の感覚器官の一つである視覚だけが不安に思っているだけのこと。視覚がその不安を肉体全体が置かれている危機だと騒ぎ立てているのです。
 ここで本文の「恐怖以外に恐怖すべきものは無い」という言葉と「神があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが神に何をなすかである」との関係について整理しておきましょう。恐怖は次の瞬間に心の拠り所がどのような状況になるか確信が持てない不安から生じます。その背景には心はその理解不足から不安定な結果や結果の世界における他者に依存していることに遠因があります。これを反転させて、その結果を造り出す創造主側に奉仕する、言い換えれば創造主の道具になり切って、刻々の任務を果たすことに生き甲斐を見い出せば、未来に対する不安は軽減します。本文は「求める」側から「進んで奉仕する」側、「生み出す」側に転換することで失う恐怖は無くなることを示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落080

080 The mind acts as it does mostly through fear caused by a lack of knowledge and faith. For if it changes, it knows not what the next moment might be like. Fear is the master of the mind and governs nearly every human being on earth, in one form or another. Very few people realize that fear is a dominant factor for we have been children of its household for centuries and now feel that it is a natural way of life. We do not even know that we fear, yet fear is nothing but a lack of understanding of the laws that govern life. And these laws cannot be learned by studying effects, especially of human experiences. For most of these are the result of fear dictation.
080 心というものはそのほとんどが、知識や信頼の不足が原因で生じる恐怖を通じて行動しています。何故なら、もし変化があった場合、心は次の瞬間にどうなるのか知らないからです。恐怖は心の主人であり、地球上のほとんどの人間をどのような形態にしろ支配しています。私達は何世紀の間、そのような(恐怖に支配された)家庭にいる子供であった為、私達の中で恐怖が支配的な要素であるということを知っている人々は極くわずかであり、今やそれが自然の生き方だと思うようになっています。私達は私達自身が恐怖していることすら知らないのですが、恐怖は生命を支配する諸法則の理解が欠けていることでしかありません。そしてこれらの諸法則は結果、とりわけ人間の体験を学ぶことによってでは学習することができません。何故なら、これらのほとんどが恐怖による指図の結果だからです。


【解説】
 私達の日常の生活には「心の恐れ」が隅々まで浸透しています。そしてこれに対して保険や貯蓄等、数多くの仕組みがこの世の中に設けられています。需要がある以上、それを商売(ビジネス)にする者が生まれるのです。また、恐怖は組織を維持するツールとして多くの社会組織の中で用いられています。会社で言えば、社員と上司の間、更に役員や社長、大株主や資金提供者(スポンサー)との間等、上から下までその指示命令を通す上で「命令」には服従し、その指示内容の実現に命令を受けた者は奔走しなければなりません。その目標レベルを達成できなければ、ペナルティーを受けるという恐怖がサラリーマンを支配しています。
 また、恐怖は国家間の防衛問題にも関係しています。相手国の脅威が自国の戦力の増強を追い立てています。
 しかし、一瞬、恐怖を少し離れて見つめ直すことをお勧めします。例えば自分は何を恐れているのかを紙に書き出して見ます。そしてその正体が分かれば少し前進です。恐怖の正体を突き詰め、所詮、自分の心の自己保身でしか無いことが分かれば、恐怖は消える他はありません。
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