ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落009

009 We must follow this same procedure of study in order to know nature and thus be able to free ourselves from the mysteries that have surrounded us and made us an entity separated from our creator. Then we shall come into an understanding of Cause and Effect. And our mental senses will perceive all forms and their purpose. And consciously we will understand the cause back of the manifestation.
009 私達が自然を知るためにはこれと同じ手順に従う必要がありますし、そうすることによって私達を取り囲み、私達を創造主から分離した存在にしていた諸神秘から私達自身を解放することが出来るようになるのです。そうなれば私達は原因と結果の理解に到達することでしょう。私達の心の感覚は全ての形有るものとそれらの目的について気付くようになるでしょう。そして意識的に私達は出現の背後にある原因を理解することになるのです。


【解説】
 これまで記されていたように、丁度医師になろうとする場合のように、物事の分析と診断、更には全体との関わりを探求して行く中で私達は大きな成長を遂げるとしています。
 これは私達自身を学ぶ姿勢でもある訳です。ここで本文に記されている「神秘」について考えたいと思います。
 例えば「自分と他者との違いは何処から生まれるのか」「自分の想いがどのようにして相手に伝わるのか」「想念は何処から来るのか」「自分の起源は何処か」「自分の生命の終焉の時に何が起こるのか」「未来が予見できるとはどういうことか」「他の生物はどのようにして意思疎通を行っているのか」等々が思いつきます。これらの「神秘」がこの学習によって解明され、内容がよく理解できるということだと考えますし、そうなれば、楽しい「学び」でもあることが分かります。
 とかく「神秘」は浮ついた心の興味本位から取り扱われますが、解明に当っては、先ずそのテーマに真面目に取り組む必要があります。いつまでも神秘のままにしておきたいのは、自我(エゴ)の隠れた願望かも知れませんが、これらを冷静に観察し、因の領域にまで見通す洞察力を育成することが重要な点ではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落008

008 Some doctors go deeper when studying the manifested form of man and observe him with his consciousness. Thus he perceives the invisible or cause back of the effect. In this way he learns the purpose of every artery, muscle and organ and how each is related to the whole form. Thus when one part is out of order he knows what to do.
008 医者によっては人体の具現化された姿を研究する際、深部まで探究し、自らの意識でその人体を観察します。そうすることで、彼はその結果をもたらす目に見えない、或いは背後にある原因を知覚するのです。このようにして、彼はあらゆる動脈、筋肉そして組織、また各々が如何に全体と関連しているかを学ぶのです。このことにより、身体の一部分が乱れた時に何をすべきかが分かるのです。


【解説】
 優れた医師が患者を観る時、自分の意識を用いて行う場合には、その病気の原因を特定することが出来ることも、本項では示されています。
 その場合、本文中の「自分の意識」という所が本項のポイントの一つです。つまりは外見上の症状はあくまで結果であり、その症状の真の原因はここだと直感させるには、どうしても意識の力を必要とする訳です。この意識なるものについて私自身、正確には理解できていませんが、自分の中にある本来的知性、想念波動や創造主からのメッセージを理解するもので、私達が日常、「意識」と表現される「感じ、感覚、覚醒状態」に似た感覚実態を指すものと思っています。その意識を患者の身体内部に染み込ませ、何処に問題があるのかを探すことを指しているように思います。
 生命の探求を医師になるための訓練を見なす時、本文にあるように医師が自分が専門とする身体部位の個別機能を学ぶだけでなく、各部の相互関係について学ぶように、私達は生命の探求についても相互関係の視点を持って行う必要があります。
 とかく私達の日常は、「おいしい・まずい」、「キレイ・キタナイ」等の2極で判断しがちですが、これらの表層的な裁きを避けて、意識や想念という精緻な面から、自分自身を教材として研究を進めることが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落007

007 When one studies to become a doctor he does not study just a man's eyes or nose, but he studies every intricate part of the body. This includes every nerve, muscle, etc., and their purpose or function.
007 人が医者になるために学習している時、人の目や鼻のみを研究することはせず、肉体のあらゆる入り組んだ部分をも学びます。これにはあらゆる神経、筋肉等、及びそれらの目的や機能についても含まれます。


【解説】
 本項については、この「生命の科学」学習の最初に、何故、医師の話が掲載されているのか、考えて見る必要があると思います。想念や祈り、或いは行動のあり方といったテーマではなく、生物体、とりわけ人間についての問題を修復し更生させる職業人である医師になろうとする場合について、著者は敢えて意図を持って記述しているのではないでしょうか。
 生命の研究対象として何が最も相応しいかと言えば、私達人間であり、またそれも他人ではなく私達自身が最適の研究対象です。最も身近であり、物理手法では捉え切れない心の動きや意思の内容等、自分自身の反応を併せて研究できる等、生命を探求する上では格好の材料と言えるでしょう。
 私達はとかく日常をこれら探求とは関わりのない習慣的な暮らしを送っていますが、著者は「汝自身を知れ」の言葉があるように、医師のような冷静で科学的な分析思考で物質面、精神面ともに自分自身に起こっている様々な活動全体を研究せよと言っているように思えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落006

006 As stated, we cannot see Him as a person for he embraces all, and manifested creation is the Effect from His Cause Intelligence.
006 先に述べたように、私達は創造主を個人的人物のようには見ることは出来ません。何故なら、創造主が全てを包み込んでおり、創出された創造物は創造主の因なる知性から出た結果物である為です。


【解説】
 キリスト教や仏教は各々イエスや仏の像を有するのに対し、イスラム寺院では一切の像を展示することはありません。代わりにモスクにおいては多くの場合、アラビア文字等で創造主を称えるメッセージが美しい字体で掲げられています。
 イスラムについて知る者ではありませんが、より厳格に創造主に向き合う姿勢であるように思っています。祈りの殿堂であるモスク内部に入ると高い丸天井があり、トルコで見たブルーモスクではドーム一面に青を基調とした美しいタイル模様で装飾されており、何か整然とした「宇宙空間」を表しているような印象を持ちました。1日5回の礼拝の場として、イスラムの人の心の拠り所となっている訳です。
 一方で、本来は特別な祈りの場が無くても、各自の自覚次第で同様な心境で日常を送ることは出来る筈です。本文に記されているように、私自身も含め全てを直接、創造主が包み込んでいることを自覚することこそが重要です。原文にあるembraceという言葉には「母親が子供を抱きしめる」というイメージがあります。それを理解していないのは、自我(エゴ)だけなのです。私達がそのことに気付こう、自分を包み支えてくれている創造主に従おうとする気持を起こすことが、先ず最初の一歩ということでしょう。心臓の鼓動一つをとっても分かるように、創造主から発せされている生命エネルギーが一瞬一瞬、私達を支えているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落005

005 As we cannot see the Creator the God of the Cosmos in person, we then must study Him through His creation. And this manifests in what we refer to as nature, for it is the embodiment of His Supreme Intelligence.
005 私達は創造主、宇宙の神を個人的人物として見ることはできない以上、私達は創造物を通じて創造主を研究する必要があります。そしてこの創造物は私達が自然と呼ぶものの中に現れているのです。何故なら自然こそが創造主の最高英知の体現であるからです。


【解説】
 ギリシャやローマの時代、あるいはそれ以前の文明においては様々な名称を持つ神々が設定され、その神々の名が当時の神殿や街路に建立されました。古来から私達は創造主の存在を感じ取っていたと言うことが出来るかも知れません。しかし、このような偶像に囚われ、その像のみに私達の気持を込めることは果たして妥当と言えるでしょうか。この答えは是でもあり、否でもあるのです。
 つまりは初学者に創造主の偉大さ、優しさを伝えるには芸術家が描いた(或いは彫った)神の像が有効ですが、それが行き過ぎて本尊への寄進によって自分の罪が許されたり、その本尊のみが力を持つ存在とするのは誤りということでしょう。
 一方、これに対し、ことごとく偶像を排するイスラムの場合ですが、先日トルコに行った際の感想としては、私達仏教徒の日本人としては、何か今ひとつ物足らない感じがありました。全くの私見ですが、イスラム以前の各宗教が多くの偶像を拝していたこと、その弊害に対する反省の意図もあったのではないかと考えます。イスタンブールのアヤソフィアという今日ではモスク、以前はキリスト教寺院に残る壁画も国王がキリストにひざまずく等の壁画が描かれており、何か権威を主張するための宗教画であるように思えたからです。
 創造主への想いや感謝というものを向ける対象として、私達にとってはより人に近い創造主像を求めかちです。現に宇宙兄弟達も各宇宙船や家庭にそのような絵画が掲げられていると私達は聞いています。それは私達人間が創造主の似姿に造られていることにも根拠があるものと思います。
 とは言え、私達にとって真の意味で創造主を知る為に、本文では創造物を通じて創造主を探求せよと解説していることに注意したいものです。各自にとって自分自身も含め、身の回りの人間や草木から足元の小石に至るまでそれらがどのような構造、仕組みによって存在しているのか、あるいは長い年月の間にどのような分子原子が集まってそのような形あるものに集約したかについて、研究しながら、創造主の意図を学ぶ姿勢が重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落004

004 We, as his highest creation are intrusted with that responsibility. The study should be no different than a careful observation of a famous painting would be when the artist is not known in person. For the more that it is studied, the better one understands the mind responsible for the painting.
004 最高位の創造物である私達は、その責任を任されています。その研究は画家を個人的に知らない場合に著名な絵画を注意深く観察するのと違いはありません。研究が進むにつれて、人はその絵画を描いた本人の心をより深く理解することになるのです。


【解説】
 私達が創造物を通じて創造主を知ろうとする態度は、絵画作品を見てその画家を理解するのと似ていると著者は語っています。私達自身について言えば、自分自身を探求する中で、自分をこの世に生み出した根源の存在を知ることにもなる訳です。
 自然観察、あるいは社会情勢の分析等により、様々な物体や事象の理解を深める中で、私達は次第にその表面的な結果の背後にある原因や法則性に気付くようになるものと思われます。絵画の場合、具体的な結果物としては各々の絵の具の色とカンバスでしかありませんが、それらを組み合わせて描かれている全体像は風景であったり、人物描写である等、より深遠な内容があるという訳です。
 同様に私達が現象世界にあって、事物を観察する場合、私達はそれらが全体としてどのようなつながりを持っているか、あるいは何故、そのような状態になっているかの法則性等、背後にある創造の原理や製作者の意図を学ぶ必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落003

003 And in dealing with the religious or spiritual side, one should not be disturbed regardless of his faith. For the Creator whom we call God, created everything that is known and yet to be known. And to know the Father of all creation, one must study His creation and its purpose.
003 また、宗教や精神的な側面を取扱う際には、人は自身の信条がどのようなものであっても妨害を受けるべきではありません。何故なら、私達が神と呼ぶ創造主は、知られている、そして今後知られることとなるあらゆる物を創造したということ。そして、全ての創造物の父を知るために、人は父の創造物とその目的を研究しなければならないからです。


【解説】
 本項は私達日本人にとっては著者の意図した背景について十分理解できないかも知れません。西欧においては古来より、宗教戦争が数多く行われて来ました。古くはキリスト教への迫害の時代や十字軍とイスラムの戦い、近年においても中近東やアフガンでの争いは外見上、宗教上の争いとして説明されているところです。
 現代においても各々が信奉する宗教の違いによって互いに敵対的になったり、争いが深刻になれば殺し合いになる場合もあることは少し歴史を見れば明らかでしょう。
 こうした中、各自にとっての創造主を探求することに対して他人の妨害が有ってはならないと本項は指摘しています。もちろん、現代の私達も、各自それぞれの表現で自分の把握した創造主像を述べることがある訳で、それらは他人を強制するものであってはいけないことになります。各々が抱く創造主にイメージを互いに尊重し、互いにその優劣を争うよりは、各々の探求の道を歩むことを優先させる必要がある訳です。
 私達は同じ山を登っている訳で、どの道を選ぼうとも、頂上では必ず一緒になって、良い眺めを得るに違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落002

002 When we speak of life, we mean in every phase of life's expression. In plain -we are going to explore life.

002 私達が生命について語る時、私達は生命が表現するあらゆる側面を意味しています。簡潔に言えば、私達は生命を探究しようとしているのです。


【解説】
 実は先日、機会があり、友人とトルコ旅行のツアーに参加しました。その中でコンヤというトルコ中部の文化都市で13世紀に活躍したメヴラーナ(正式な名前は「メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー」1207-1273)という以後、トルコの精神的な支えとなる思想家の足跡に触れることが出来ました。
 日本では旋舞(回る踊り)の宗教の創始者という何か神秘主義思想のように思われがちな人物ですが、現地トルコではメヴラーナは今もって多くの人々から敬愛されている方で、文字通り人々の心の神の愛、人の愛を蘇らせた人物です。イスラムについて日本ではその中身について知る機会は少なかったのですが、今回のトルコ旅行で、モスクの中にキリスト教時代の壁画やモザイク画が残っている等、イスラムの寛容さについて初めて知ることになりました。
 いずれ詳しくご紹介する機会もあると思いますが、その後日本で探し当てた本の中にメヴラーナを評したトルコの詩人クサクレクの言葉があり、本項に関連するため、一つご紹介しておきます。「私は思い知った。真の道とはすなわち神の探求である。これこそが真の技術であり、他は全て児戯に過ぎない」(「神秘と詩の思想家メヴラーナ」丸善プラネット(株)、p.62(2006))
 同様に「生命の科学」においても最も大事なポイントは、私達被創造物の最大の義務は、私達に授けられた創造主からの贈り物をよく観賞し、その内容を学ぶことです。生命を与えられた者は、まずその本当の価値を知っておく必要があります。世に言うように自分の命を粗末にしたり、折角の自分の才能を埋もれさせるなど、もったいない行為は、このご自身の中の宝物に気付こうとしないことに原因がある訳です。
 私達、各自の中に潜んでいる才能や知識に気付くことは私達の義務でもある訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落001

SCIENCE OF LIFE - STUDY COUESE
FIRST LESSON
Analysis of Life - Awareness of Cause
001 This course on the science of life will get deeper as we proceed with the study.

生命の科学-学習コース
第1課
生命の分析-因への気付き
001この生命の科学コースは学習を進めるにつれて次第に深遠なものになるでしょう。


【解説】
 前回は2007年1月にこの「生命の科学」第1課を始めた訳ですから、あれから5年近くが経過しました。その間、「テレパシー」、「宇宙哲学」と学習を続け、今回再び「生命の科学」に戻って来たという訳です。
 再開するに当っては、私としては前回、遠い昔に述べたことを特に参照はせず、新たな気持ちで各章各段落に対峙したいと考えております。
 重要なのは、継続的な探求、即ち創造主への探求の道を歩むことだと様々な教師が伝えていることです。もちろん、その継続の中では時に過失を犯しながらも、本来人として望まれている方向に自身を訓練することで、次第に人間性も磨かれて行くものと思われます。
 よくある年齢以上になると、老化防止に健康維持に様々な努力、即ち若者の時代には不要であった努力を続ける傾向がありますが、本来、歩む道は退歩か進歩かのいずれかであり、こうした精進の道が全てのような気がしています。
 一方で「生命の科学」は一見、理路整然と記述されているようには思えませんし、そもそも「意識」という特別な言葉の概念が説明もなく出現する訳で、多くの読者はとまどうことも多いように思います。これら「生命の科学」の記述を理解する上でのポイントは「、本文中(第10課段落378)に記述のあったジグゾーパズルのたとえに記されているように思います。決して知識として記憶するための学習書ではなく、各自が心の底から理解した断片を大切に保持し、やがてそれらが多数組み合わさることで、自分自身で全体像が見えて来るようなこと、即ち「悟り」を目的としているように思います。
 従って、一度に全てを理解しようと思う必要はありません。一行一行読む中で自分で気付いたポイントを大切に書きとめ、次なる本文に取り組めば良いのかと思っております。
 本講座で学ぶ「生命」とは大宇宙に遍満する宇宙空間を母体とする生命エネルギーを指す訳で、それらが全宇宙空間で同じ源泉、同じ法則によって動かされていることを次々に実感して行く訳ですから、その学習は進めるにつれ、深遠なものとなることは容易にうなずけます。

新ブログサイト開設のお知らせ

本ブログサイトは来年も「生命の科学逐次解説」としてアダムスキー哲学を中心にして再開するつもりですが、それとは別に来年から新たに「ジョージ・アダムスキー アーカイブズ」と称して、限られた関係者以外知られていないアダムスキー氏に関する未公開資料を公開して行くこととしました。(http://georgeadamski.blog.fc2.com/)
当初は故エマ・マーチネリ女史から戴いたアダムスキー氏からの書簡をご紹介するつもりです。
何分不定期になると思いますが、本ブログサイトと合わせてご覧戴ければ幸いです。

2011年12月31日
竹島 正
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