ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落096

096 The Creator gives us the power of life, and intelligence through the avenue of consciousness. The personal ego mind can use this in accordance with the law or it can transgress the law and receive either bad or good results, as with the electricity. Every individual has been granted this free will.
096 創造主は私達に意識という大通りを通じて生命の力(パワー)と知性をともに与えています。個人のエゴ(自我)の心は法則に従ってこれを利用できますし、法則を逸脱することも出来ますが、その結果、電気の場合のように良い結末あるいは悪い結末を得ることになります。各自は皆、この自由意志を許されているのです。


【解説】
 私達が心を鎮め、静かに自己の存在を見つめる時、私達は言わば、空間に広がったある種の感性に取り巻かれていることに気付きます。通常の私達にはこの程度の認識でしかありませんが、この感じこそ、本書で繰り返し述べられている「意識」を示しています。実際にはこの意識は無言ではありますが、とてつもない可能性を秘めており、宇宙の生命の源に通じている存在です。
 さて、本稿では、その意識を通じて、生命の力と知性の両方が私達に贈られていると言っています。力(パワー)のみならず知性もです。つまり、肉体(物質)を備えた者(人間)にとって、この意識により必要な要素は全て与えられていることになります。今日では、電力線で電気(パワー)の供給のみならず、情報もやりとり出来るようになっていますが、この意識という経路を通じて、私達は創造主から喜んで与えられている贈り物(ギフト)を進んで受け取り、贈り主(創造主)が本来望んでいる生き方に応用する為に、各自努力すべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落095

095 i.e. An electric socket is made to hold a light bulb and not for a finger to be placed in it when the current is on. Even when it is not, should one be standing in moisture, he can receive a shock. If one gets hurt or has an unpleasant experience by the misuse of the law, he cannot blame the man that is willingly giving him the power. He can only blame himself, either for ignorance of the law, or aggression on his part.
095 即ち、電球のソケットは電球を固定する為に作られたもので、電流が流れている時に指を入れる為のものではありません。指を入れなくても、湿った場所に立って(ソケットを触った)場合にはショックを受けるかも知れません。仮に法則の誤用によって痛い目に逢ったり、不愉快な体験をしたとしても、電力を喜んで送っている係員を責めることは出来ません。自分自身が法則について無知であったか、自分の無謀な行為について自分自身を責めるべきなのです。


【解説】
 私達は自由勝手に動き回るやんちゃな子供のようなものです。しかし、法則は全ての末端においても等しく働く訳で、例外はありません。誤った法則の使用は当然、誤った結果をもたらします。
 本文では電球のソケットに指を入れる例が述べられていますが、実際にはどのような事柄が想定されるのでしょうか。宇宙の隅々から支えている法則の誤用の例としては、「ねたみ」や「うらみ」「不安・心配」「恐れ」等の人間の心が放つ想念があると考えます。それらは内容の善し悪しに係り無く、いずれ現実(結果)世界に作用することでしょう。それほどに想念の放つパワーは大きいものがあると思われます。しかし、同時にそのパワーは発信者自身にも相手と同様に作用します。従って、よく「怒りは敵と思え」と言われますが、それはそうしたマイナスの想念は相手のみならず、自分にも帰ってくることを指摘しているのです。
 このような法則の誤用は、法則について無知なことに原因があります。因果応報、私達は否応なく、宇宙の秩序、大法則の直中に生きており、その法則を自ら理解しようと努力し、自然と調和して生きることが大切なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落094

094 An attendant at a power plant that manufactures electricity sends out the current that you may use it for your benefit. He knows what the electricity is capable of doing and how it is to be used. And we are instructed how to use it. When used as instructed, many benefits are derived in many ways. We can even experiment with it providing we follow the law, without being hurt.
094 電気を起こす発電所の係員はあなたが自分の恩恵の為に使うことが出来る電流を送りだしています。彼は電気というものでどのようなことが出来るかや、どのようにして使用されるべきかを知っています。また、私達はその使い方について教えられています。教えられた通り使用する場合は、様々な面で多くの恩恵が引き出されます。私達は法則に従えば怪我をすることなく、電気で実験すらすることができます。


【解説】
 第3課「宇宙的法則の応用」の例示として、電気を挙げています。目に見えず、しかも今日の私達の生活の隅々に行き渡って私達の暮らしを支えているのが電気です。各々の末端で機能を果たしている電気ですが、その源を遡れば、発電所に行き着く筈です。この発電所には私達と直接顔をあわせることはありませんが、発電機を運転し電気を起こし地域にくまなく送電する操作を担っている発電所の担当者がいます。電気を宇宙あまねく意識とすれば、その発電所の担当者こそ私達が神と呼ぶ存在とすることが出来るでしょう。私達は発電所に赴くことはできませんが、そこから電気(意識)が送られてくることに間違いはありません。
 また、この電気にも取扱う上での注意点があり、その作用を良く知っておくことが必要です。より多くの電力を引き込む程、その影響は大きなものとなるからです。私達は学習を進めるにつれて、ますます宇宙の法則について正しい理解を身につける必要があることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落093

093 In lesson two we left you with the term, "The Will of God." And the explanation that God is not responsible for your experiences. And to clear this we will use electricity as an example.
093 第2課では「神の御意志」という言葉で、そして神はあなたの体験に責任がないという説明で話しを終えました。そしてこのことを明確にする為、一例として電気を取扱うことにしましょう。


【解説】
 神の御意志に対比するものとして私(心)の意志があります。以前にも述べましたように神の御意志は差別なく、あらゆる者(物)に等しく注がれ、自然界の全てがその意志に従って行動しています。唯一、人間だけが自らの意志を尊大化させて来ました。
 神の御意志は言わば宇宙の法則であり、万物はその法則に基づいて行動しています。しかし、わがまま勝手な人間の心は多くの場合、忠告の声(意識からの印象)に耳を貸さず、その結果、避けられた筈の痛い結果を味わうことになるのです。
 もちろん、私達(の心)も本来、生き生きした生活を送りたいと望んでいます。ただ、その実現を自分(心)の意志で達成しようとするのでなく、自分という存在を通して神の御意志が通過し、自分自身が神の道具として働き、その中に一切の自分(心)の意志を入れないことがポイントです。自らを通じて神の御意志を現実世界に具体的に体現することが求められています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落092

092 Until now, man has been doing everything the hard way with his mind. And has created mystery upon mystery where no mystery exists. And nothing is impossible.
092 今日まで人間は自分の心を用いてあらゆる物事を辛いやり方で行って来ました。そして神秘の無い所に神秘に次ぐ神秘を造り上げて来ました。しかし、不可能なことは何も無いのです。


【解説】
 ”努力は報われる”と言いますが、何事もただ(心によるガムシャラな)頑張りでは効果が上がらないことも確かです。多くの場合、エゴによる過度の努力は周辺との摩擦を生み、ストレスを増して遂には身体や精神をゆがめる結果に陥りがちです。
 一方、自然界ではどうでしょうか。植物は道端の舗装のわずかな隙間からも芽をだし、茎を拡げて遂には大きな花をつけるまでになることがあります。私達が外から見て大変だと思う反面、植物にとっては静かに生長進化の道を歩んでいるに過ぎないと言うかも知れません。春夏秋冬、それぞれの状況の中で植物は気候に適した身辺活動を行っています。人間に比べれば、植物の1年は劇的な変化のある1年であると言えるでしょう。自然界の生命活動は皆、苦労を味わうことなく、ゆったりとした状態を保ちながらも、大きな変化、進化の道を遂げているのです。
 また、本文では、神秘についても言及しています。とかく私達は、自分の理解できない事に「神秘」のレッテルを貼って特別扱いする傾向があります。ジンクスやオマジナイ、運命やタタリ等、現代社会にあっても古代と変わらない神秘主義が横行しています。私達はこの教科を通じて、これら神秘として分類されてきた事物にも光を当て、より確かな理解力を養う必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落091

091 The Creator's laws are very simple. If this were not true Jesus would not have said, you must become as a little child. A child is trusting and uncomplicated in its way.
091 創造主の法則はとても単純です。もしこれが本当でなければ、イエスは幼子のようにならなければならないとは言わなかったでしょう。子供は信じ易く、その行動に複雑さはありません。


【解説】
 私達の心は言い訳に長けており、また私達の住む社会は他人から糾弾されないよう責任を限定、回避する様々な仕組みを設けており、それだけ複雑な仕掛けになっています。その合間をぬって一般人から多額の資金を集め、またその集めた資金によって逆に人々の暮らす社会全体を支配するような者が現れる時代となっています。人々の将来に対する不安につけ込んだ新手のビジネス(商売)もその一つです。
 しかし、その一方で、これら人間社会の複雑な仕組みとは一切係り無く、惑星上の生命を支えているのが創造主の法則です。この法則は虫や鳥、植物に至るあらゆる生き物に作用し、その者達に理解されています。そのことをイエスは幼子のように(素直に)ならなければ理解出来ないと表現したのです。本来の物事の原理、法則は単純なものです。私達は長年、物事を自分達の都合の良いように分類し、解釈して来ましたが、この本質的な法則に基づいた別の見方をすれば、全く違った世界が目前に広がることでしょう。他の全ての生き物と一体感が芽生え、やがて嬉々とした生命の躍動する光景の中に御自身がいることに気付きます。それはまさしく、幼子の住む世界と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落090

090 This is the reason the course has been simplified by the Brothers, and is different than any course of study presented before. In its simplicity it gives the major parts of self that the student must work with.
090 このことがこのコースが宇宙兄弟達によって単純化されて来た理由であり、これまで提示されたいかなる学習コースとも異なる理由です。その単純さの中で、学習者がいっしょにやって行かなければならない自己の主な部分を理解させているからです。


【解説】
 通常、私達は複雑に入り組んだ社会に生きており、その中で自分の生き方を見失った毎日を送っています。その間にも心や肉体が疲弊し、やがて死を迎えます。しかし、この惑星における人間社会が例えどんなにか混沌としたものであっても、自らの心を見つめ直し、その実像を知ろうと努力すれば、その束縛や迷い、悩みもいずれは解消することになります。
 その為には、様々に多様化した現実から、余分なものを削ぎ取って、本質を浮かび上がらせることが理解に直結します。物事を理解するには、その原理をわきまえておくことが大事です。この生命の科学学習コースは、宇宙兄弟達(ブラザーズ)が特別に制作した教材だとされています。難しい表現をせずに、平易な言葉の中により大きな真理が埋め込まれていると言ってよいでしょう。私達は、この趣旨を十分に心に留めて、素直に自分の内面に照らして各教科を学ぶことが大切です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落089

089 Some reports have come in from the first lesson. And wonderful results are being obtained by those who are really sincere. This is not surprising as every thing that has even taken place is recorded in consciousness, and can be drawn upon when the mind of man becomes attentive.
089 いくつかの報告が第1課から寄せられています。そして実際に誠意ある学習者によって素晴らしい結果が得られています。これは驚くべきことではありません。何故ならかつて起ったあらゆる出来事は意識の中に記録されており、人間の心が敏感になる時、引き出されることになるからです。

【解説】
 ここでは既に学習者に送付されていた「第1課」の反響について記されています。元来、「生命の科学」は一課毎の通信講座として設定されていました。著者アダムスキーは執筆を進めながら、書き下ろした段階から、随時印刷配布を行っていたことがこの記述により分かります。
 今となれば、本文に紹介された報告がどのようなものであったかは不明ですが、その内容は「本人の過去の記憶が鮮やかによみがえった」、「太古の光景を目の当たりにした」等の報告であったかと推測されます。
 本文では意識は膨大な記憶を保持していると言っています。いわゆる「アカシックレコード」と呼ばれる記憶の書と言われるものです。決して神秘的なものではなく、真面目に本講座に取組む者全てが、これら宇宙の記憶にもアクセスする能力が自然に備わってくると述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落088

088 THE WILL OF GOD is a term often used. If you cannot learn by His guidance which is the consciousness, then He lets you learn by your own mental will which brings painful results. So God is not responsible for your experience.
088 神の御意志という言葉がしばしば用いられます。もし、あなたが意識である神の導きによって学ぶことができないなら、神はあなたを苦痛を伴う結果をもたらすあなた自身の心の意志によってあなたを学ばせようとします。ですから、神にはあなたの体験への責任は無いのです。


【解説】
 通常、私達は自分達ではどうしようもない状況に至った時、自分達の責任を放棄して、人智の及ばない存在に運命を委ねる意味で「神の御意志」に従うことを宣言します。もちろん、本来の言葉の意味は異なります。自然界を見ればあらゆる物が調和した生命活動を行っています。これらの行動を支えているものこそ、「神の御意志」というものです。自然界の構成員は微生物から植物、高等動物にいたるまで、個々の能力を発揮しながら、しかも全体として調和を保ち、かつ個々の生き方を謳歌しているように見えます。これらは皆、神の御意志に従って、秩序を保ちながら全体として地球という惑星の環境を支えている訳で、神の御意志自体には私達の思い及ばない深い意図があると言わざるを得ません。
 その神の御意志は常に私達の上から、あるいは内部から私達に注がれており、その片鱗に気付くことができれば、より良い生き方をすることが出来ます。各自は常時、ある意味、無料で注がれている意識(神)の導きに対して先入観に捕われがちな自己(心)を鎮めて、心自身が気付くようになることが一番の早道です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落087

087 Our misinterpretation of its impressions gives us bad results. For many times the mind does not want to be dictated to and acts on its own. The mind in some cases is like a child who is told that if he touches a hot stove he will be burned. But he does not want to be told, so he burns his hand and it is painful. But he did have the experience even though this is the hard way of learning.
087 そのもたらされる印象への私達の過った解釈は私達に悪い結果をもたらします。何故なら多くの場合、心は指図されることを嫌いますし、自らの判断で行動してしまいます。ある場合には心は熱いストーブに触ると火傷すると教えられている子供のようなものです。しかし、彼は教えられることを嫌って、手に火傷をして痛い思いをするのです。しかし、これが学ぶ上で辛い道であったとしても彼は体験を得た訳です。


【解説】
 ここでのポイントは印象に対する心の誤った解釈かと思います。本文では熱いストーブに対する幼児への両親の注意の例が述べられています。この場合、「熱いストーブに触れると火傷をするから、触れてはだめよ」と両親が子供に注意しますが、この注意の言葉こそが意識が発する印象です。これに対して、子供(心)がそのような親(意識)の忠告を無視して、自分勝手に行動し、火傷を負って痛い目を見るのが私達の心です。親(意識)の忠告を無視した結果、自らの体験により「貴重な」体験を得ることになった訳です。
 しかし、より深刻なのは、私達は往々にしてその失敗を繰り返すということです。過去の体験が生かされないことがむしろ多いのではと思っています。その理由は、私達がその失敗の原因を十分分析せず、改める作業を行って来なかったことにあります。本来、その時の自分の心がどのような事柄で占められていたか、等を調べれば少しはその原因を理解でき、再発を防げたかも知れないのです。正直にありのままの自分を見つめることが大切です。よく重大事故の後、原因調査が行われます。こうした失敗事例を分析して得た知識を基に再発防止策を策定し、皆がその事故についての知見を共有することで技術は進歩して来ました。それと同様なことを本来、人間の精神面についても行うべきなのです。
 これまでも繰り返し述べられているように、体験からしか学べない者は決して望ましい姿ではありません。しかし、体験から学べない者は更に救いがたいと言えるでしょう。私達は考えること、反省することを止めてはなりません。毎日、少しずつ進歩する努力の積み重ねが遂には成就へと導くからです。
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