ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落038

038 This is not a pleasant process for each removal, in most cases, will cause a pain of one kind or another. But the more pain he is able to endure -- the finer the stone will be.
038 これは多くの場合、心地よい過程ではありません。ひとつひとつの取り除き作業にあれやこれやの痛みをもたらすだろうからです。しかし、その者がより多く痛みに耐えられればそれだけ、よりすばらしい宝石になることでしょう。


【解説】
 自らの課題に関して様々な機会を捉えて克服努力を行うことが求められています。各自の人生はそうした道程を絶え間なく歩む中で自然と磨かれて行くことでしょう。
 一方、私達の自我(エゴ)は、変化・改革を好みません。今までの自己にしがみつき、自己保身のみを主張し、惰眠を好む怠けものです。私達が生きるこの世界は諸法則の下に動いており、入力(原因)に対して得られる出力(結果)が対応しています。これは物理や化学の分野のみならず、想念を含めたあらゆる分野に適用されます。良い原因と作れば、良い結果が得られ、誤りを放置すれば、それに呼応した結末を得るのみです。私達は一つ一つの体験から学ぶ努力を積み重ね、時には痛い思いをしながらも前進することが求められています。
 前項(037)の冒頭で、私達はダイヤモンドの原石だと表現されていましたが、こびりついた一つ一つの不要な部分を取り去り、本来の純粋(純真)な部分を輝かせる努力(精進)によって、私達一人一人は輝く存在に十分なり得ることを著者は伝えています。ただの路傍の石でなく、宝石の原石であることが重要で、磨けば誰もが必ず価値を置く宝石となるという訳です。

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ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落037

037 You see we are like a diamond in the rough. When man first found the substance that turned out to be a diamond, he saw a rock through his physical sense of sight but something inside of him told him that this rock was different from others. It was his consciousness and not his mind that alerted him to the fact that if he would cut and polish it, it would be the most beautiful thing that he had ever seen. Radiating every color conceivable. But this result would require patience and a lot of hard work, even pain at times when cut by the sharp edges. Every man is a diamond in the rough and there are many rough edges that must be removed before he can see the purity of himself.
037 私達は未加工のダイヤモンドのような物です。人が後でダイヤモンドと判明する物を最初に発見した時、人は自分の肉体の視覚を通じては一つの岩を見たに過ぎないのですが、自分の内部の何かが彼にこの岩はその他とは違うと知らせたのです。彼にもしそれをカットとして磨けばありとあらゆる色彩を放ち、これまで見たことのないような最も美しいものになるという事実を警告したのは彼の意識であり、彼の心ではありません。しかし、このような結果に至るには忍耐と努力、更には鋭い刃先でカットされる時の痛みさえ必要とされることでしょう。すべての人間は未加工のダイヤモンドであり、自分自身の純粋さを見い出す為にはそれ以前に多くの粗い角を取り除かなければなりません。


【解説】
 著者は私達各々が素晴らしい才能を持ち、皆輝く存在となり得る十分な素材を持っていることを、ダイヤモンドの原石に例えて述べています。その本来の輝きを出す為に自分に付いた不要なものを取り除けば、光を受けた際にその光を美しく反射させることが出来るという訳です。身を削る努力がなければ、輝くものとはならないということでしょう。
 一方で、その原石は外見からでは他と見分けがつかないものであり、その違いを知るのは各々が持つ因の知覚力です。そのものの本質(中身)を知るのは目や耳の感覚ではなく、私達に本来備わっている意識的な知覚力としています。
 石は道の下に敷かれたり、建物の壁や床に貼り付けられたり、その使われ方は様々ですが、最も人々が価値をつけているのが宝石だという訳です。その代表物がダイヤモンドですが、私達一人一人がそれ程、貴重な存在であることを著者は記しているのです。なお、ダイヤモンドは光り輝く美しいものですが、重要なのは宝石自体は輝く機能はなく、外部からの光を受け、その光の美しさを表現する存在であるということでしょう。創造主の意図を身をもって表す故に美しい存在となる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落036

036 What is consciousness ? No one definitely knows except that it is a life force that is the creator of all forms. For without consciousness man would not be a living being. And in man the best way that we can describe it is -- a state of alertness. And a state of alertness is a state of feeling or awareness. In the animal it is known as instinct which does not have to depend upon sound. The language of consciousness is the language of the Creator that one feels when he becomes conscious of things not yet experienced. Jesus expressed it in these words -- Blessed are those who see and hear not yet believe. For they shall enter the Kingdom of Heaven. And the kingdom of heaven was used in reference to the realm of Cause, a sea of consciousness or everlasting life. For consciousness proceeds all manifestation.
036 意識とは何でしょう?誰一人、それが全ての形有るものの創造主である生命力であるということ以外、明確には知ってはいません。何故なら意識無くしては、人は生き物とはならないだろうからです。そして人間においてはそれを最も適切に表現するとすれば、それは警戒の状態ということができるでしょう。そして警戒の状態というのは印象もしくは気付きの状態です。動物においてはそれは音声に頼らない本能として知られています。意識の言語は未だ体験していない物事について意識的になる時に感じる創造主の言語なのです。イエスはそれをこのような言葉で表現しました。「見もせず、聞きもしないのに信ずる者は幸いなり。何故なら彼等は天の王国に入るだろうからである。」そしてこの天の王国とは因の領域、即ち意識の海、永続する生命について用いられたのでした。何故なら意識は全ての創造の現れに先立つからです。


【解説】
 おそらく「生命の科学」を学ぶ人の全員が、各々「意識」について何らかのイメージを持っておられることでしょう。その「意識」について、本項で著者は明確に解説しています。また、驚くべきことは、この「意識」については2000年以上も前にイエスからも同様な教えが与えられていたという訳です。
 即ち、私達が学ぶ「生命の科学」の本質は、宇宙普遍(不変)の真理法則であり、用いられる言語やその伝え手の個性により、表現方法は多少異なることがあっても、皆同一の法則について述べているのです。
 さて、その意識なるものは、ある種の状態を指すとしています。ここでは「警戒の状態」と解説されており、その状態が創造主から発せられる印象類を現実化する大きな力を発揮すると解釈されます。これは全くの現時点での私見ですが、そのような状態は印象を活性化する機能があり、各々の分子・原子が呼応して印象に沿った活動を進めて行くのではと考えています。
 つまりは、様々な事象が現実化する前には、必ずそれを促す作用が必要であり、その段階で状況をキャッチ出来れば未来は予見出来るということになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落035

035 Faith is the foundation of all manifestations. And one without faith is like a ship without a rudder or captain. Once your mind has trust in faith, it will trust the instructions of consciousness, thus allowing the consciousness and mind to work as one. Then the consciousness of God which is the cause, and the sense mind of man which is the effect, have been united. And the biggest Mystery of Life has been dissolved.
035 信頼は全ての創造の現れの基礎です。そして信頼の無い者は舵や船長のいない船のようなものです。ひとたびあなたの心が創造主への信頼に委ねれば、心は意識の指導を信頼するようになり、その結果、意識と心が一体として働くようにさせることになります。そうすれば因である神の意識と結果である人間の感覚の心が一体となって結びつくのです。そして生命の最大の神秘が氷解することになるのです。


【解説】
 人間性として最も大事な要素が、このFaith、即ち創造主への信頼ではないかと私は考えます。能力や技量といったものは訓練次第で身に付く訳ですが、このFaith(信頼感)が無いと長い年月には進歩が出来ないように思うのです。実際には人生の間には波風にもさらされ、初期の自分の能力に頼っていると次第にエゴに支配され、次第に本来とは異なる方向に進んでしまうことも多いからです。
 その点、創造主へのFaith(信頼)の姿勢を絶えず心の中心に据えていれば、たとえどのような波乱が起きようと、また一時的に流されることがあっても、やがては本来の道に戻ることが出来ます。まさに羅針盤のような基本的姿勢が、意識への信頼、創造主への感謝なのです。
 本項ではFaith(信頼)が全創造物の基礎だと明示しています。どんな外乱があっても、落ち着いて自分本来の役目をまっとうしようとする自然界の生物達を見ると、彼らは信頼感において人間を遥かに越える段階を生きているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落034

034 Here you may say that you do not wish to follow blind faith. Yet to accomplish what you feel down deep within yourself that you can -- you must use it. For what is blind faith? When you were planning your house you were using blind faith for the house was not present as a finished structure of concrete and plaster. Whatever you do in your life is performed with blind faith, for you never know what the results will be in any act. Whether walking or riding or whatever you are doing you hope that all will be well, but you are never sure. In fact 99 % of our life depends upon blind faith. I leave the 1 % to past experiences, but even there you are not sure the results will be the same if repeated.
034 ここにおいてあなたは、盲目的な信頼に従がおうとは思わないと言うかも知れません。しかし、あなた自身の中の奥底であなたが出来ると感じていることを達成する為には、あなたはそれを用いなければなりません。何故なら、盲目的な信頼とは何でしょうか?あなたがあなたの家を計画している時、あなたは盲目的な信頼を用いています。その家はコンクリートとしっくいの仕上げられた構造物として存在していないからです。あなたが人生の中で何を成そうと、それは盲目的な信頼とともに成されます。あなたはいかなる行動においても結果がどのようになるかはわからないからです。歩いている、或いは乗り物に乗っている時、或いはどのようなことをしているにかかわりなく、あなたはすべてはうまく行くように願いますが、確信を得ることはありません。実際には、あなたの人生の99%は盲目的な信頼に頼っているのです。私は残りの1%を過去の体験に残していますが、それでさえ、あなたは仮に繰り替えしであったとしても結果が同じになるかどうかは確かではないのです。


【解説】
 本項ではいわゆるBlind Faith(盲目的な信頼)について解説しています。物質的なものでなく、現象界に属さないいわゆる「意識」に絶対的な信頼を寄せることが、どういうことかを述べている訳です。従来、ややもするとFaithを「信念」と訳出して来ましたが、日本語の「信念」の中には、「我武者羅に頑張る」とか「心の意志を強調する」ようなニュアンスが含まれており、違和感があります。本項で著者が言うのは、もっと静かで信頼感を寄せ、何らの不安も感じないような状態、いわば信仰心とも呼べるような状態を意味しているのです。
 さて、本文にあるように私達自身、実は日常的に盲目的な信頼感を活用しているところが重要です。つまりは改めて議論するまでもなく、私達は意識による指導を頼りに生きているという訳です。
 しかし、そのままでは進歩はありません。日常、私達は改めて結果の世界の背後にある生き生きとした因の領域を感じ取り、そこからもたらされる印象を自分の生活に役立てることが重要です。
 その為には、如何なる時も静かに印象を受容するよう心の状態を整え、その持つ意図をはっきり理解すること、またそれに従い応用した結果、得たものをはっきりと関係づけ、記憶することが大切です。どのような場合にどのような結果を得たかを記憶することによって、次なる機会にそれを応用することが可能になるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落033

033 This could be called the development of the mind in intelligence. There is really nothing that you do that does not have the consciousness behind it. Your mind may change and modify an impression either for good or bad results, depending upon the mind's intelligence or how well it accepts the instructions. To produce good results the mind must have total faith in consciousness and permit itself to be guided by it.
033 これは知性における心の発達と呼んでもよいでしょう。あなたが成すことで背後に意識の無いものはありません。あなたの心は、その心の知性に依存して、あるいは意識の示唆を如何に良く聞き入れるかによって、良い結果となるにせよ悪い結果になるにせよ、印象を変化させ或いは修正するかも知れません。しかし、良い結果をもたらす為には、心は意識に全信頼を持ち、自らが意識によって導かれることを良しとしなければなりません。


【解説】
 せっかく、意識からの印象が来ても心の理解力に問題があればそれは受けた印象を捻じ曲げてしまうことも多い訳で、いったい正しい印象とはどのように掴むのか等、印象を感じ取る訓練が必要です。その訓練が前項(032)で述べられた「創造的な仕事」を進める際の心の持ち方にあると本項で示唆されています。
 つまり、心が未経験の新しい取組みを行う時、心は意識からやって来る印象を頼りに進める他はありません。その際に心は印象との係り方を学ぶということです。
 もちろん、印象をどう取り扱うかは心次第であり、中には心が理解出来ないため放置したり、勝手な解釈を加えてしまうこともある訳です。しかし、その場合には良い結果は得られない訳ですから、心は次々に得る体験によって学び取ることが出来ることになります。
 いずれにしても、日常、私達の生活の中で最もいけないことは惰性であり、習慣的な生活です。それに対し新しいことに挑戦する中でこのような意識からの印象(アドバイス)を求める心の姿勢を保ち、なおかつその応用体験を持つことが私達の心の発達にとって大変大事だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落032

032 When the form is seen with the mind and the consciousness reveals the cause we then see the visible and invisible at the same time. i.e. If you start making a plan for a house by drawing it on paper, you are producing the first effect that comes to the mind by conscious impression. You are using the consciousness and the mind as one. The consciousness alerts the mind what the design is to be. After the plan is drawn you may make many changes due to the experience you have had with houses. Even then the consciousness will point out the improvements that can be made which were not present in the houses you have known.
032 形有るものが心で見られ、意識がその因を漏らす時、私達は目に見えるものと見えないものを同時に見ることになります。即ち、もしあなたが紙に図を描くことによって家を作る計画を立て始めるならば、あなたは意識の印象によって心にやってくる最初の結果を作り上げていることになります。あなたは意識と心を一つにして用いているからです。意識は心にデザインはどうあるべきかを注意します。計画が図面化された後、あなたは家について得たこれまでの経験に基づき多くの修正を行うかも知れません。しかしそれでも、意識はあなたがこれまで知っている家には存在しない改善点があることを指摘するでしょう。


【解説】
 画家がインスピレーションにより絵を描くのと同様、建築デザインにおいても創造的な作業になることを本項では、意識との関係において説明しています。
 家を新築する際の間取りその他を検討する場合、実際にはその「家」自体は結果物になっておらず、因の領域にある訳で、その段階では意識は心に対し印象を与え、心が経験したことのない設計上の改良点や全く新しい要素を提供するとしています。その背景にはデザイン作りの作業を担う心が全くの白紙の状態からイメージを作り上げる必要から、何か目に見えない存在からのインスピレーションを求める姿勢を持つことがある筈です。その受け入れ体制が心の側に出来ると、意識は積極的に心に印象を与えるということでしょう。
 その結果、心はそれら意識の声を聞きながら、得た情報を元に紙に家のデザインを書いて行く訳です。もちろん、デザインを仕上げる過程では、多くの試行錯誤がありますが、それも一つのデザインを紙に描いて見て(即ち、一つの結果を出して見て)、心がその結果の評価を行い、修正作業を進めるといった具合の作業になります。
 このように何か新たなものを作成する作業には、心と意識の共同作業が必要になる訳で、他の生きものには見られない、創造物の頂点に立つ人間ならではの機能だと言えるのです。そして重要なのは、心が意識の声、即ち印象を感受する為には、まず一切の障壁を捨てて、意識への受容的態度を貫く必要があることです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落031

031 Now we must school ourselves to see the cause and the effect manifesting as One when we look at an effect. Form, we recognize with our physical sight as an effect to an effect. The mind must become aware of cause through consciousness. The moment that your eyes glance upon a form the consciousness will give the mind an impression of the life within the form. And you become single minded, as Jesus said man should be.
031 そこで、私達は一つの結果を見る時は、原因と結果が一体となって現れていることを見るように自分自身を訓練しなければなりません。私達は形あるものを自分の肉眼という結果に対して一つの結果として認識します。しかし、心は意識を通じて因について気付くようにならなくてはなりません。一つの形有るものをあなたの目が一瞥した瞬間、意識は形有るものの内部にある生命の印象を心に与えるでしょう。そのようにして、あなたはイエスが人はそうあるべきと言ったように二心の無い状態になるのです。


【解説】
 結果と因の両方を同時に観るように、本項は私達に命じています。その裏には、これまでのように目に見え、手に触れることが出来る結果物にしか相手にしないことはもちろん問題外なのですが、現実世界を無視してひたすら因の世界にのみ関心を向けることも誤りであることをも示唆していることがあります。
 しかし、当面は私達は因の領域を印象への感受性を高めることで感じ取り、日常生活に適用することで少しずつ能力を高めて行く必要がありそうです。通常、私達は形あるもの(結果物)を観る時、本当の姿をよく観察するというよりも、ろくに見ないまま自分の判断を下してしまいます。エゴによる長年の習慣から判断(裁き)をしてしまう訳です。これに対し、物を一瞥した際にそれを存在させている陰の生命力に気付くようにせよと本項はアドバイスしているのです。
 結果と同時に原因を観ることで、その対象物の真の姿が正しく理解されるようになることは間違いありません。「観音」ということがありますが、文字通りに解釈すれば「音」という目に見えない存在を「観る」ということになる訳で、これも従来に感覚を越えた知覚能力を意味する言葉なのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落030

030 In observing the effect of forms we do not see the liquids or life blood, which we call sap in the tree, which flows through it making it a living thing. Nor do we see the roots in the depths of the earth and the work that they do in drawing energy from the earth unto themselves. Nor do we hear the molecules that make the form speak to each other in guiding it to the fulfillment of its purpose. This could be called the cause behind the effect.
030 その形ある結果物を観察する時において、私達は木の中の樹液と呼ぶ液体、生命を支える血液を見ていません。しかし、それは木の中を流れてそれを生き物と成しているのです。私達はまた、地表深くある根を見ることもありませんし、根が木々に土壌からエネルギーを引き出す為に果す仕事を見ていません。また、私達はその形有るものを構成する分子が互いにその形あるものの目的を果すために導く中で、互いに話しをする声を聞くこともありません。これは結果の背後にある因と呼べるものでしょう。


【解説】
 前項(029)に引き続いて、樹木を例に因の領域についての具体例を解説しています。
 このように外見には現れない所で、そのものの本質的な活動が為されていることが重要な所です。
 また、同様に、他人から自分が見られる時、他人は私の表面の姿しか見ておらず、木々と同様、私自身の中を流れる血液や肉体の状況、更には現在の心境等、内側のものについてはほとんど知らないまま、外見だけで相手を判断していることになります。少なくても多少は自分自身については因なる部分は感じ取ることが出来ますが、他者についてはそのような感性が働いていないということでしょう。
 このような事柄を合理主義の米国社会の中で説くことについては、様々な抵抗があったものと思われます。アダムスキー氏に関する伝記類を見ると、1952年のコンタクト以前から氏は同様の教えを人々に伝える活動をしており、コンタクト以降はそれらの教えを宇宙兄弟達から支持、確証され、その内容を深める上での指導を受けたことが分かります。
 このような因への感性は、別名テレパシックな感知能力と呼ばれるものですが、地球でも人間以外の他の創造物は皆、身に付けているものと思われます。自然界に暮らす多くの生きものが来るべき季節や気象変化に対してたくみに備えるのも、こうした能力によるものでしょう。私達もこれらの能力を身に付ければ、もっと柔軟に生き抜くことが出来るものと思われます。
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