ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落048

048 In order to better understand the action of the mind, let us consider it in four parts, like four different people.
048 心の活動をより良く理解する為には、それを4つのパーツ、丁度、4名の異なる人のように考えることにしましょう。


【解説】
 心が四つの構成、即ち視覚、聴覚、味覚、嗅覚の四感覚からなるとするのが、アダムスキー哲学の大きな特徴の一つです。本項ではそれを4人の異なる人物のように表現しています。つまりは各感覚自体が判断の意志を持つ存在としている訳です。
 この状況について、かつてこのように考えたことがありました。つまり、私達は部屋の中央に座って居て、外界に関心があるのですが、4つの窓を通してしか外界を知ることが出来ない状況です。しかも各小窓自身が外界の情報を各々勝手に解釈して中央の本人に伝える為、本人は混乱するという図式です。
 そもそも小窓から見える景色はその家を実際に取り囲む大自然に対してあまりにも限られた世界しか写しようが無いのですが、本人がその限界を自覚せず、ひたすら暗い部屋の中から、時々小窓から垣間見る景色に釘付けになっているというのかも知れません。 
 小窓に依存することなく、自我という囲いの壁を取り去れば、広大が風景が目の前に広がっていることが分かる中で、私達は固執した薄暗い暮らしを続けているのかも知れないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落047

047 Now we proceed to analyze the mind, which is made up of the senses. This sense mind is actually in the process of creation through its constant learning. It is like a sensitive plate which receives impressions from its observations of effects. And most of the time its conclusions are not in accord with natural law.
047 これからは、感覚から成り立っている心なるものを分析することにしましょう。この感覚の心は実際にはその絶えざる学習を通じて創造される過程にあります。それは結果の観察から印象を受ける感受性のある板のようなものです。そしてほとんどの場合、その出す結論は自然法則と調和していません。


【解説】
 具体的に心が肉体内の何処にあるかについても知りたいところではありますが、心の進化発展を目指す上からは、あくまでその運用手法において改良努力が為されなければなりません。それは自動車の各部の機能や能力についてある程度の知識は必要ですが、その車(肉体)の運用(運転)にあたっては、それらの細かい知識は当分の間、必要ではなく、外界との調和や運転技能が重要となることに似ています。
 心がどのような反応を示し、どのような特徴を持っているのかを肉体(車)を操作する立場として、把握しコントロールすることの方が遥かに重要です。
 本項では心を感受力を持った感光板と表現しています。外界を観察した結果、各感覚が発した印象が表現される機能を持った存在という訳です。通常、これらの現象は自動的に行われる為、それに対する心の反応(判断、裁き)も自動化されているように思います。そのような心の作用を先ずは、分析し、実態を掴むことから始める必要があるとしています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第2課-段落046

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON TWO
The Mind and Its Component
046 In lesson number one we left you with the idea of driving a car in full conscious awareness of all of its parts.
生命の科学-学習コース
第2課
心とその構成要素
046 第1課ではすべての部品を完全に意識しながら自動車を運転しているという概念で話しを終えました。


【解説】
 第1課では、心と肉体と意識について凡その仕組みを学んで来ました。その中で私達は精緻な印象が実は大きな力を有し、現象世界の各原子・分子に作用する力を持っていることや、それら印象等、現象の背後にある創造的な力について、現象を観る際に表面的な現象と同時にそれら因の要素についても感じるようにすることの大切さを教えられました。
 この「生命の科学」講座は宇宙兄弟達から授けられたものとされており、その秘められた価値は、私達には十分把握出来てはいないように思われます。
 与えられた自然環境や肉体等、他惑星人と地球人との間には大きな違いはありません。まして肉体内部で働く生命力の仕組みなるものは全く同じだと考えます。それに対して、大きく異なるのが心の発達程度です。おそらく想像以上の大差があるでしょうし、私達は自分の心をどう発達させるかが、当面の課題なのです。その為には、先ず自らの心を知る必要があります。研究対象は常に私達とともにあり、遠く調査に出かける必要はありません。四六時中十二分に観察できる環境にある訳で、この「生命の科学」の学習環境に関する限り、私達に不足しているものは何一つありません。後は実施に移すだけの問題です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落045

045 Just reading this lesson will be of very little value but daily and momentary practice will bring results. When you have questions pertaining to any of the lessons you should write them down. And if you do not find the answer in the forth coming lessons after receiving three, you may send them to me.
045 ただ、この教科を読むだけでは何らの価値にもなりませんが、日々のそして刻々の実践が結果をもたらすことでしょう。この教科のどの部分についてであれ、疑問がある時は、それらを書きとめて下さい。そしてもし、3課を受取った後もあなたが次ぎに来る教科までに回答を見つけられなければ、それらの疑問を私に送って戴いても構いません。



【解説】
 本項で第1課が締めくくられる訳ですが、著者はそのまとめのポイントとして、日々の実践の必要性を揚げています。また、読むだけの学習では価値がないとも述べています。
 いつも思うことですが、とりわけ、日本においてはアダムスキー哲学は広く知られており、学習者の関心も高いのですが、私も含めとかく従来は頭で理解する、即ち、本の記述内容を記憶しているものの、実践には至っていないケースが多かったように思います。
 しかし、本項で指摘されているように、自分が理解した事柄を自ら試し、実行する中で経験を得ることが大切で、実践のない思想は進化の役に立ちません。
 また、本項では日々のmomentary(刻々)の実践が重要だとしており、印象を感受する姿勢として瞬間瞬間の対応が図れるような印象への鋭敏さと全面信頼の重要性を伝えています。
 これまでの経験からも、地球上では印象感受は実に微妙な感覚であり、それらを感受するには、心を鎮め、感受性を高めておく必要があります。これらは印象への訓練として有効だと考えます。物質世界を生み出す因の作用である印象の潜在力を日々探求することが本項で言う実践の一つです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落044

044 So the first thing a student of life should do is to cultivate the ever present awareness of Cause and Effect. Where not only the mind will see the form as it has in the past, but also it will permit the consciousness to reveal the invisible supporter of the form. It will be like driving a car with full awareness of all of its working parts which produces the power, that the sight does not see.
044 ですから、生命の学習者は原因と結果に関する不断の警戒感を養うことを最初にしなければなりません。心がこれまでそうであったように形を見る他に、意識が形有るものの目に見えない後ろだてを明かすことを容認させることです。それは自動車を視覚では見えないその動力をつくり出す作動部品の全てを完全に意識しながら運転することに似ています。


【解説】
 私達が努力すべき分野は多様ですが、それに共通する事項として心掛けるべきことを、本項で著者は明示しています。つまり、あらゆる行動において目に見える結果と同時に、その背後にある因の要素の活動に気付くことです。このポイントは心が落ち着いて印象に即応できるよう、心が印象に誠実である必要があります。
 やって来る印象に対して、それを印象とすら認識しないほど即時に自らの行動をそれに従わせることが重要で、心の介在を無くすことが良い結果を生むように思います。各自が日常の生活の中で心の状態をどのようにしたら、そのような結果を得ることになったかを、じっくり分析することも必要です。
 さて、文中にある自動車を運転する事例については、同様な例として、人体が当てはまるように思っています。肉体を制御して日々行動する私達は丁度、自分の車を運転することと似ています。自分の車(肉体)の中でどのような活動が起こっているかを熟知し、問題の有無を張り巡らされた神経ネットワークを駆使して把握しながら、無理の無い範囲内で人体を運用する中で、様々な体験を積むという、ドライブ旅行にも似ています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落043

043 It may take ages to do this, but through patience and determination a human can express this beauty in ever increasing fineness. And thus become The Christ in God's Kingdom.
043 このことを成すには年月を要するかも知れません。しかし、忍耐と決心を通じて、人間は永遠に高まる繊細さの中、この美しさを表現することができます。そして、このようにすれば、人間は神の王国におけるキリストになるのです。


【解説】
 実際には日々の精進と言うことは簡単ですが、実行は容易ではありません。知らず知らずの内に私達は習慣に流されていますし、まして困難にめげずに進歩する道を維持することを選ぶには、大いなる決心を必要とします。
 もちろん、上流には本項に記されているように各自のゴールがある訳ですが、丁度、堰を越えようとするアユの稚魚のように、何度も失敗を重ねながら、あきらめることなく努力を続ける中で、流れを遡ることが出来る訳です。上流に向かって泳ぐことを止めれば、流れと共に下流に流されてしまうことも明らかです。
 何度も試行錯誤する中で、体験を学び知恵を身に付けられる訳で、本講座のように特段の導師の居ない中では、私達は各々、自らの毎日の体験から少しずつ何かを学んで必要な知識を身に付けて行く必要があります。
 毎日の心の状態をどのようなものに保つと、どのような結果に結びついたか等、精神と物質との相関関係について得た体験を大切に記憶し、自らの知恵とすべきです。その蓄積によってのみ、私達は進化を遂げることになるのだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落042

042 The real beauty of man's finer abilities has become covered with moss and lost to his vision. For all that he can see is the moss which is a parasite that lives on the body of another form. This is equivalent to human habits that cover the real man. While the rolling rock may come up against many problems and rocks twice its size and endure pain while bumping against them and losing parts of itself, it keeps on rolling. And finally it is polished to a high degree and shows the colors and minerals of which it is made. And in some rocks beautiful designs are formed when the minerals by the law of affinity adhere to one another.
042 人間の繊細な能力に関する真の美しさは苔に被われ、見失われています。人が見ることができるもの全てはその肉体あるいはその他の形有るものにとりついて生きている寄生生物である苔なのです。これは真実の人間を被う人間の習慣に相当しています。転がる岩は多くの問題やその大きさの2倍もある岩に出くわして、衝突して痛みを堪え、自らの一部を失いながら、それは転がり続けます。そして、最後にはそれは高度に磨き抜かれ、それを造り上げている様々な色彩や鉱物を示すようになるのです。そして岩の中には鉱物が親和の法則によって互いにくっつきあうことにより美しい模様を形作られているのです。


【解説】
 本章037項から、人間をダイヤモンドの原石に例えて来ました。その原石を覆っているのが私達自身の習慣的想念であり、実際にはそれらは原石をも覆い隠すほど、はびこっているという訳です。
 これに対し、毎日行動を起こし、新たなる課題にチャレンジする中で、今まで自分を覆っていた汚れが次第に取り除かれ、その者が本来持つ美しさが現れるようになるとしています。
 しかし一方では、人間は生誕以来、身体は老化が進み、外見上の姿は次第に老けてしまうのは、所詮は未熟な中で生きている私達にとって、止むを得ないことです。そうした中で自分の原石を磨いて行くということについては、自身の内面の変化を意味しています。おそらくはこの内面の進化こそがその者の次なる人生に引き継がれる筈で、日々の精進とはそのような来世に備える意味があるのかと思っています。もちろん、磨く中では自身の環境もそれに応じて変化して来ますが、環境も肉体も所詮は「結果」の世界のものであり、もっと重要なのは目には見えない「原因」に属する領域での進化、次の人生に格段の影響をもたらす内面の進化であると考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落041

041 It has been said that a rolling stone gathers no moss. But moss used in reference to man's accumulation of things has deterred his growth in cosmic intelligence. But the rolling one becomes polished by striking problems or other rocks and thus the debris is removed.
041 転がる石には苔が付かないと言われています。しかし、人による物事の蓄積に関連して用いられる苔は人の宇宙的知性における成長を遅らせて来ました。しかし、転がる石は諸問題や他の石とぶつかることによって、不要なものが取り除かれるのです。


【解説】
 河口や海岸にある石は、いずれも丸みを帯び手に包むとその円満な形は温かみや安らぎを感じさせます。しかしこれらの石は最初からその形を成していた訳ではありません。はるか遠い昔、上流の岩が割れて生まれた時には形も鋭く、時には人を寄せ付けない鋭さがあったもの達だったことでしょう。
 それらが毎年の大雨や洪水などの試練の度に、流され様々なものにぶつかって身を削る体験をしたものと思われます。その結果、たどり着いた先が大洋の波に洗われ、ますます磨かれる環境に身を置くことになったという訳です。
 様々な行動を通じて体験を得た結果として、円熟した姿になり更には磨くことを止めない。その結果として石自体の美しさを表現する存在になったという訳です。
 一方で現状に留まり、行動を起こさなければ風化は進み、コケに覆われて石そのものの存在も危うくなり、石自身の内部にある美しい結晶は表に現れることなく終わってしまいます。
 私達がどちらの道を執るべきかは明らかだと著者は指摘しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落040

040 Our habits of thinking in relation to past and present teachings in all fields of life are the rough spots that must be removed. Some will be harder to remove than others, but determination of purpose will bring the desired results. Then will come the polishing or establishing of new habits which perhaps will not be easy or pleasant at first. But when all of this is accomplished the Glory of God will manifest through the form once known as man.
040 生命の全ての分野についての過去及び現代の教えに関連した私達の思考習慣は取り除かなければならない荒削りな汚点なのです。ある部分は他より取り除くのがより困難かも知れませんが、目標に向けた決意は望む結果をもたらすでしょう。その後、研摩即ち、最初は容易でも快適でもない新しい習慣が来ることになるのです。しかし、この全てが達成される時、神の栄光が人として知られる形有る者を通じて現われるでしょう。


【解説】
 太古の昔からこれまで私達は様々な教師から話を聞いて来ました。しかし、そのいずれに対しても正しい受け取り方は出来ず、誤った概念のまま自我の現世利益の対象として勝手に取り扱って来たのではないでしょうか。
 著者アダムスキー氏は度々、イエスの言葉を引用しますが、それはイエスも同じ主旨の発言をされていることを示している訳であり、いつの時代でも教えの本質は変わらないことを意味しています。
 これは、地球という問題惑星に派遣される教師に似ています。地球の文明の発達レベルに応じて適切な教師が派遣されているのかも知れませんが、肝心なのは教わる側の私達が、その教師の言葉に対してどれほど真剣に学ぼうとする態度を持っているかでもあります。
 仏教もしかりで、お坊様の唱える仏典の言葉をその意味には一顧もなく、只有り難く聞き流している姿が日常的であり、死者をともらう儀典の背景音楽に近い位置づけに近い存在と言えるほどです。
 今回、たまたま旅先で知ったトルコにおけるイスラム教の聖人、メブラーナ・ルーミ(1207-1273)の語った言葉を見ると、その内容は本書に通じる面も多く見られます。実は千年に1度かの割合で地球に教師が訪れ、繰り返し生命の科学について私達に教えを説いている一大プロジェクトがあるのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第1課-段落039

039 A perfect diamond will reflect pure light from each facet that is cut upon it, and there can be no imperfections if the cosmic frequencies are to manifest in full.
039 完璧なダイヤモンドはカットされた一つ一つの面から純粋な光を反射するでしょうし、宇宙の諸振動が溢れるほどに現わされるなら、欠点などというものはあり得ない筈です。


【解説】
 ダイヤモンドが他の宝石と異なるのは自分自身には色を持たず、外から照らされる光をそのまま受ける中でキラキラと光輝く物体に自身を表現することです。著者が他の宝石ではなく、ダイヤモンドに例えた背景にはこのようないくつかの理由がある訳です。
 類似した教えは先日のトルコ旅行で巡り会ったメブラーナ・ルミーも述べているところです。人の中にある価値あるものを宝石に例える教えは時代を超えて伝えられて来たということです。
 "There is a soul in your soul, seek that soul; There is a jewel in your body, seek that jewel."(Mawlana Jalal Al-Din Al-Rumi His Life and His Path(2010年)より。
 オーソドックスなダイヤモンドのカット数は58(ブリリアントカットの場合)であり、その一つ一つがいわば人間の才能であるとすれば、輝く人物はそれほど多くの魅力と才気を発揮している存在と言えます。原石の状態から晴れて輝く存在になるまで、注意深く自らを磨く先に、私達は各自の目標を定めるべきと言えるでしょう。
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