ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落031

031 Now we must school ourselves to see the cause and the effect manifesting as One when we look at an effect. Form, we recognize with our physical sight as an effect to an effect. The mind must become aware of cause through consciousness. The moment that your eyes glance upon a form the consciousness will give the mind an impression of the life within the form. And you become single minded, as Jesus said man should be.
031 そこで、私達は一つの結果を見る時は、原因と結果が一体となって現れていることを見るように自分自身を訓練しなければなりません。私達は形あるものを自分の肉眼という結果に対して一つの結果として認識します。しかし、心は意識を通じて因について気付くようにならなくてはなりません。一つの形有るものをあなたの目が一瞥した瞬間、意識は形有るものの内部にある生命の印象を心に与えるでしょう。そのようにして、あなたはイエスが人はそうあるべきと言ったように二心の無い状態になるのです。

【解説】
 如何なる物を見る時も、私達はその物をもたらした原因と現れた結果を一体のものとして見るように自分自身を「訓練せよ」と言っています。この場合、「訓練」としていますが、原文では"school"(教育する、調教する、学校で学ぶように自分を成長させる)となっており、やみくもな(体力まかせの)苦行ではありません。もっと穏やかな学習課程を想定していることに注意したいと思います。
 さて、これまで再三、述べられて来たように、事物を見た際にその背後にある(因なる)要素にも同時に気付き、それらが一体となっていることを認識するようにと言っています。これを日常生活に応用し、日々の生活を学校のように見なして、個々人が自らの責任において成長して行くことが求められています。
 おそらく、その成果が最もよく現れるのは芸術の分野かも知れません。例えば写真。皆が同じものを見ていても、また、同じ道具(カメラ)を持っていても、写真家と一般の人とでは、その作品には大きな差が出るものです。この違いは何処にあるのでしょうか。写真家は、対象の中に秘められた美しさを発見し、それをカメラの視野に表現しようとします。自分が感動したものをもっと率直に他人に分かるように切り取って端的に表現しようとしているのです。人に感動を与えるのが芸術だとすれば、まず、自分が人に分かち与えるまでの感動(印象)を得ることが必要です。「心一つになる」(二心の無い)と本文にありますが、万物の背後にあってそれを支えているもの、その相手こそ、万物を創造している創造主の心であることに気付くことができれば、私達の日常生活は素晴らしいものに一変することでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落030

030 In observing the effect of forms we do not see the liquids or life blood, which we call sap in the tree, which flows through it making it a living thing. Nor do we see the roots in the depths of the earth and the work that they do in drawing energy from the earth unto themselves. Nor do we hear the molecules that make the form speak to each other in guiding it to the fulfillment of its purpose. This could be called the cause behind the effect.
030 その形ある結果物を観察する時において、私達は木の中の樹液と呼ぶ液体、生命を支える血液を見ていません。しかし、それは木の中を流れてそれを生き物と成しているのです。私達はまた、地表深くある根を見ることもありませんし、根が木々に土壌からエネルギーを引き出す為に果す仕事を見ていません。また、私達はその形有るものを構成する分子が互いにその形あるものの目的を果すために導く中で、互いに話しをする声を聞くこともありません。これは結果の背後にある因と呼べるものでしょう。

【解説】
 樹木についての観察の有り様を本文では示しています。樹木はそれほどに私達の身近な存在なのかも知れません。
 古来より、日本では巨木に対して神(生命)が宿るとして畏敬の念を持って大切にして来ました。今日残る千葉県清澄山の「千年杉」をはじめとして各地の神社や寺院に残る杉や楠の巨木はいずれも、こうした日本人の樹木に対する尊敬の証しでもあります。また、古代の日本には文化史的には「神人融合」の時代があったとされています。西田直二郎「日本文化史序説」(昭和7年発行、改造社)には以下の記述があります。「『草木ことごとくよくものをいい』。また『天地わかるの代、草木ものかたりせし時』ありとしたのは、古代の日本人が、わが住む世界について考えたこころである。われらの祖先はその四周の山川草木のことごとくから、よく生ける声を聞いたのである。このこころのうちには自然の事象と人間の生命との区分がなお明らかについていない。而してこれはまた神と人との境がいまだ大きく分けられていない状態であった。かかるこころの裡には神はつねに人とともにある。(以下、略)」
 この「自然と人間についての生命の区別が無い」ことや、「神(創造主)と人との境が無い」とする日本古代の概念は、この「生命の科学」本文の言う樹木の内部の生命を認識する観察に極めて類似しているように思われます。目に見えない(因に属する)生命活動を日常的に観察できる感性については、わが国古代の人々の方がはるかに鋭敏であったと言えるかも知れません。また、そのような感性を持てば、自分よりはるかに長年月生きて来た巨木に対し、畏敬を持って接するのは当然のことなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落029

029 As an example we will use the form of a tree and analyze its purpose. As we observe the effect we find that its services are many, both as a living tree and the products that can be made from it. For many useful things are made from the wood of its trunk and it fertilizes the earth by dropping its leaves. But we do not see the energy or life force which eminates from it and without which we would not have the pure air which is found in virgin forests. For it transmutes monoxide gas to oxygen which is essential to life. And all plant life serves in this field.
029 例として、樹木を取り上げることとし、その目的を分析しましょう。私達がその結果を観察すると、私達は生きている樹木及びにそれから作られる製品共に木がもたらす便益は多種に及ぶことを発見します。何故なら、木材からは様々な有用な物が作られますし、その葉を落すことで土壌を肥沃にするからです。しかし、私達は樹木から発せられているエネルギー、生命力は見ていません。その生命力が無ければ、処女林に見られる純粋な空気は生じないでしょう。何故なら、樹木は一酸化炭素ガスを生命に必須である酸素に変えるからです。そして全ての植物生命体はこの分野で務めを果しているのです。

【解説】
 樹木を例に具体的な分析例を示しています。私達は道端に生える街路樹を見ても、普段は余り印象を持ちません。私達は自分自身のことで常に頭がいっぱいで、地上に共生しているその他の生き物まで関心が回らないのが実状なのです。
 さて、樹木ですが、良く見ると春夏秋冬、様々な変化を見せています。春には芽吹きを、夏には生い茂った新緑で周囲を爽やかな空気にしますし、秋には落葉の舞いを見せてやがて来る冬の到来を知らます。そして冬には、枝先の芽が寒さに耐える姿を見せています。そのような樹木の変化はいうまでもなく、誰もが認める(どんな鈍感な人間でも気付く筈の)生きている証です。また、本文に書かれているように、樹木は木材として私達の日常生活に不可欠な様々な生活用品や家具等の材料としても役立っています。また、植物の呼吸作用として葉から吸収した二酸化炭素を一方では動物が必要とする酸素に変え、他方では炭水化物の養分を葉や根、茎に蓄え、動物の食糧としても提供しています。
 これら樹木は惑星上の一大家族の一員としての自らの役目を果していることは、ちょっとわずかの時間、観察すればこのように分かる筈なのです。知識としては、十分、私達は教えられています。問題は、如何に自分自身の日常的な感覚の理解力をそのレベルまで高めるかにあります。目に見えない生命力を感じること、感じようとすることが大切で、これらの感受性を高める努力は、ある意味、芸術家や宗教者の精進や修行と近いと言えるかも知れません。

 注:原文では"monoxide"(一酸化物)となっています。通常、植物は二酸化炭素("carbon dioxide")を酸素に変える「光合成」を行うとするのが定説であり、原文の"monoxide"は"carbon dioxide"、あるいは"dioxide"の誤りかと思いますが、原文に従って敢えて「一酸化炭素」と訳しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落028

028 So we must first -- condition the mind which is made up of the senses to not accept the effects as the ultimate answer as it has been doing. But patiently analyze the reason for the effect before coming to any conclusion. It should not make any difference whether it be a personal effect related to one's self, or another person or form of life.
028 ですから、私達は最初に、過去にやって来たように結果を最終的な答として受け入れることの無いよう、諸感覚から成り立っている心を慣らさなければなりません。代わって、何らかの結論に到達する前にその結果に対する理由を忍耐強く分析することです。それには御自身の個人的な結果であろうと他の人の或いは他の生命体についてであろうと何ら違いは無いはずです。

【解説】
 前項(026)で述べられているように、私達の心は学習課程にある訳ですが、具体的にはどのような姿勢で望んだら良いのかをここでは明確にしています。つまり、当面、私達にとっては目の前にある結果の世界しか目に入らない(認識できない)のですが、その背景にある(それを支えている、或いはその原因となっている)様々な要素に気付くように努力せよと言っています。
 とかく私達は結論を急ぎがちです。私達の心は「好き嫌い」や「善し悪し」等の判断(裁き)を半ば自動的に下し、世の中全てを自分中心に見て来ました。そこで必要となるのは心の訓練です。原文では"condition"(訓練する、慣らす)となっています。自らの心を事物の原因(それに至った要因)について知ろうと仕向けるようにと言っています。これらの思考パターンを繰り返し訓練することによって、私達の知覚能力は高められることを示唆しているのです。
 また、ここで必要となるのは、心の動きを客観的に見ることではないでしょうか。自分の心の動きを見るためには、騒がしい現象世界にあっても、丁度鏡のように静かな水面がわずかな波紋にも反応するように、心が微妙な印象をも感じ取る鋭敏さを備える必要があります。こうした因に対する絶えざる探究心と感受性を日々の生活の中で育成することが必要だと言うことです。心の習慣を変えることは容易ではないのですが、浮ついた心を落ち着かせ、事物の背後を支えている因なる要素へ自らの関心を高める努力を忍耐強く続ければ、成果が出ることに間違いはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落027

027 We can observe that life lends itself to all nature without divisions. And it seems that man's free will has separated him from his natural expression of life.
027 私達は生命は分け隔てなく自然全てに自らを貸し与えていることに気付きます。そして、人間の自由意思こそが人間を生命の自然な表現から分離させて来ているのです。

【解説】
 「人間とは何であるか」、「自我(エゴ)の学習課程で陥りやすい課題」を述べた上で、物質世界を根底から支えている「生命」についてコメントしています。
 端的に生命はあらゆるものに区別なく、貸し与えられていると言っています。ここでは「生命」について詳しくは述べていませんが、いずれにせよ、生命(いのち)の息吹き(活動)という共通の源泉によって、自然界のすべてが生かされていると言っています。これが自然が調和を保っている根本原因なのです。
 しかし、私達の自由意志が私達を宇宙にあまねく生命から分離させてしまっているのです。人間だけに与えられた「自由意志」については、いずれ本文で述べられることと思いますが、ここでは、自然界の生命活動に同調出来ないでいる私達自身の問題点を指摘しています。
 実は、この生命の源から離れてしまったことの問題について、おそらくほとんどの宗教や哲学が取り上げているものと思います。最近、聴いたウェイン・ダイヤーの講演記録(Dr.Wayne W. Dyer: Live Lecture 6-CD Set, "The Secrets of the Power of Intention" , 2004 Hay House Inc.)の中でも"Source"(源泉)と再び結びつくことの大切さを訴えていました。しかし、実際の問題は、どうしたらその源泉に戻れるのかという点であり、単に「生命の源と一体になる」と叫んだだけでは問題解決にはなりません。その点でもこの「生命の科学」は様々な角度からその原因や解決策につながるヒントを私達に授けているものとされています。もちろん、単に理屈が頭に入っただけでは、知識が増えたに過ぎません。自らの刻々の精神活動がそれに沿って実行され、自分が体験したことを通じてのみ、理解のレベルを上げることができることになります。この生命の源泉と一体になれれば、他の自然界にあるものと同様に、常に若々しく新鮮な人生を送ることになることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落026

026 The average human is a mentalist governed by the ego which is itself an effect of the cause. And as the mind is the process of learning it seeks to guide itself by other material effects and there are many things that it does not understand. And the things that are not understood are feared and disliked. And the things that are pleasing to the senses (or ego mind) are liked. Yet oftimes the likable things become blocks that prevent the individual from progressively learning.
026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。

【解説】
 成長の過程にある私達は、丁度、幼児が母親に常につき従うように、その保護者を常に求めています。結果の世界に生きている私達は、その存在の拠り所を結果(現象)世界に求めがちです。目に見えるもの、明らかに手元にあるものを土台として、自らの体験を広げながら学習を続けることは、自然の成りゆきでもあります。その為、「努力」はしていても根本的な認識対象を最初から結果(現象)世界に限界を設定している為に、現状から抜け出ることが難しいのです。
 多くの場合、私達の感性は通常の感覚器官では感知できない「意識」という印象レベルに発達していない為に、その認識レベルは現象にとどまっています。その場合、問題なのはとかく受け入れ側の私達の心が心地よいものを求め、一見醜いものや耳障りなもの、まずいもの、臭いものに対して、拒絶反応を起し、受け入れようとしないことです。
 以前、ある達人から「美しい音楽を聴き、美しい風景を見て、美味しいものを食べること、またそれらを求めることには問題がある。そのようなことをしていてはダメだ。」というような主旨のお話を伺ったことがあります。当時はその意味は分りかねていましたが、本文に言う「心を喜ばせることを求めてはいけない」という意味であったことが、今日ようやく分ります。日常の自分を支配しているのは何か、自分がどのような時に喜び、どのようなことに悲しみ、また何に恐れるのかについて、分析する必要があるようです。太古の昔から繰り返されて来た人間の成長の限界を飛躍させる為にも、自分が現在、どのような要素に捕らえられているか、調べ上げることが大切です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落025

025 First -- What is a human being ? As we see the body which is an effect, we observe that it is composed of flesh, bone and liquid. And not much different than most animal forms. But that which makes up the form is never seen with the physical sight as it is made of myriads of cells. Each cell is independent yet it blends with all of the others for the common good and maintenance of the form. Just as the three billion people of the earth make up the human family. But because they have not been taught the part which they may play in life, disorder results. This disorder is minor compared to the total order on earth. For if it were not so the planet earth would be in a chaotic state. So now we must try and learn the cause of disorder.
025 第一に、人間とは何でしょう? 人体を見ると、それは一つの結果であり、私達はそれが肉と骨、そして体液から構成されていることに気付きます。そしてそれらは大部分の動物の身体と大差が無いことがわかります。しかし、身体を作り上げているものは肉眼では決して見ることは出来ません。なぜならそれは無数の細胞から出来ているからです。一つ一つの細胞は独立していますが、同時にその形有るもの共通の目的や維持の為、他の全てのものと融合しているのです。丁度、地球の30億人の人々が人類家族を作り上げているのと同様です。しかし、人々は生命において果すべき役割を教えられて来なかった為、混乱が生じています。それでもこの混乱は地球の秩序全体と比べれば小さいものです。何故ならもし、そうでなければ、この惑星は渾沌状態になっていることでしょう。ですから、今、私達は混乱の原因を学ぼうと努力しなければならないのです。

【解説】
 人間とはどのようなものかを観察する際の視野の奥行きを深める必要性を述べています。肉眼ではどんなに目を凝らしてもほんの大まかな対象しか見えません。また、通常、私達は自分自身の物である(本当は「預かりもの」なのですが)自らの肉体ついて、実はあまり良く知りません。普段、気にかけるのは顔にシワがあるとか、ホクロがあるなど、些細なものしか目に入っておりません。しかし、真実は莫大な数の細胞があり、各々が人体という構造体を維持すべく活動しているということです。私達はこれらを「知識」として知っているに過ぎず、日常的にこれらの莫大な数の細胞の動きに気付こうとはしていません。それら微少なる存在が活発に活動しているイメージに気付く必要があると言っているのです。
 ここで、自分にとって最も身近な身体の部位を例に考えて見ます。私は「手」が最も身近な存在のように常々思っています。よく悪い意味で「手先」という言葉があります。それほどに、自分の意向に沿って動く器官が「手」なのです。この器官が如何に大事かということは指先の一つでもケガをすればすぐにわかります。それほどに私達の日々の生活はこの器官の助けを借りています。
 その器官はどのようにして作用しているのでしょうか。こうして文を書いている時も、手は私の思いを着実に文字に変換しています。また、自分の身にどのようなことがあろうとも、常に私に随行し、用事を行ってくれます。暗い中で両手を触れて見てください。右手を通じて左手に貴方の意思を感じ取ることができるでしょう。
 しかし、この部位も一つの結果であると文頭で言っています。即ち、手を動かす為、その部位が本来の活動を始める為には神経指令が必要ということになります。その指令エネルギーがその筋肉、腱、その他に正しく伝わらなければ、スムーズな動きは出来ません。脳硬塞等に罹患した方の場合、その部位の肉体上の問題は無くてもその部位を動かすことが出来ません。手を動かす指令を仲介する脳の一部に問題が生じたからです。
 一方、高レベルの場合は、ピアニストの例が該当します。著名な作曲家の作品をピアニストが演奏する場合、ピアニストは楽譜に沿ってものすごい早さで鍵盤を叩きます。この場合、ピアニストの手には高速度の指令が伝達され、その指令に従って指先が連打しています。それが実現されるのは、作品のレベルに合致した伝送速度を流すだけの能力が先ず有って、その指令を受ける出力装置がそれに耐えうるまで機能を高めていることで初めて実現する訳です。
 このように普段、何気なく接している自分の肉体ではありますが、私達として、身近に備わっているこれら優れた器官に改めて感謝する必要があることに気付きたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落024

024 So we will endeavor to understand the self by knowing the equipment we have to work with.
024 ですから、私達は私達が日々共に働かなくてはならない道具を知ることによって自分自身を理解するよう努力する必要があるのです。

【解説】
 二人と同じ人間がおらず、各自に託された才能が異なる以上、その天分を開花させるのは各自の責任です。そしてその為には先ず、自分自身を理解しようと努力することが必要になると言っています。
 ここでは日本語訳では「努力」と訳していますが、原文では"endeavor"となっています。その意味合いは単に試しにやって見る「試み」に近い努力ではなく、「何とか実現しようとありとあらゆる手法を試みながら、目標に向かって一歩でも前進しようとする継続的な取組み」を意味しています。
 また、その知ろうとする対象として私達自身の相棒である自らの「装置」(肉体)について研究すべきであると言っています。なお、この肉体、私達が活動する上で無くてはならないもので、いやおうなく自身の生涯の伴侶である為、"have to work with"と表現されています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落023

023 We find no two human being that are alike. For the different talents with which each is endowed makes the difference. But like the keys on a piano, when one learns the tone of each and strikes it accordingly a beautiful harmonious melody is the result. The opposite can be brought forth when not understood.
023 私達はそっくりな2人の人間を見つけることはありません。何故なら各々に授けられた異なる才能が相違を作り出しているからです。しかし、ピアノの鍵盤のように、人が各々の音色を学び、適切にそれを打ち鳴らせば、結果として調和のあるメロディーが生まれます。理解されなければ、その反対が引き起こされ得るでしょう。

【解説】
 この世の中に「私」という存在は一つしかありません。各々が異なる才能、役目を担っていると言っています。
 その違いをピアノの鍵盤のように例えていますが、そもそもの自分に課せられた音色(表現)とはどのようなものかを良く知ることから始める必要があると言っています。人間の常として、他人の欠点は良く分かります。しかし、これが自分のこととなると途端に分からなくなるものです。そもそも、自分に適した才能を見い出す努力を行っているかも疑問です。自分自身を顧みることなく、成り行き上の日常生活を送っているのが私達です。
 従って、先ずは自分の才能に気付くよう努力することから始めることになります。普段とは違う側面に明るくチャレンジして自分の可能性を確かめるのも良いかも知れません。本文に言うように、人類全体を通じて流れる調和したメロディーに貢献できるよう、各自が精進することしか、全体のレベル向上は無いのです。
 一方、逆説的にはなりますが、個人的体験から、世の中には自分と似ている人もいるように思っています。以前に米国に行った時、日本の私の職場の関係者と顔形や喋り方、物腰等の雰囲気が似ている人物と出会ったことがあります。当然、米国人と日本人との違いはありましたが、雰囲気は大変似ていたことが印象的でした。その方とお話をしましたが、その応対や話し振りもそっくりなので、驚いた記憶があります。地球全体では、おそらく同じような思考パターンを持った人間は存外、多いのかも知れません。
 自然界に目をやると、多くの生物がその種に独特な姿を見せる一方で、各個体は皆同じような顔形(かおかたち)をしているように思います。植物や昆虫等においては、各々の種で同じ顔形をしています。これを人間に当てはめたらどうなるでしょう。外見は皆一様なので容姿を気にする必要はなくなる一方、各自が他人をひきつける為には、内面深く魅力を持たなければならなくなることは確かです。バッタや蝶等においては種による容姿の統一化が図られており、その中で各々の個体はある意味、命がけで生命の継続に向けての営みに自分自身を捧げています。結果としては、植物の受粉を助け、他の動物に食物を授ける役割を果す等、地上に調和ある自然の営みをもたらしています。
 人間その他の動物では顔形で本人が区別できるようになっています。それはそれで便利なことではありますが、反面、容姿に捕らわれると、各自の内面についての訓練や学習という面では疎かになりがちです。外見に囚われず、内面から湧き出る各自の才能にもっと鋭敏になって、その発展に尽すことが必要です。自然の中の存在である人間にとって、各自の本来の役割を果すことがその個体の存在理由であるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落022

022 The major purpose for man seems to be -- an unlimited Expression of Cosmic Intelligence -- as no other form seems to have that scope of ability. Yet to do this, every phase of creation must be understood. When Jesus instructed his followers to be "about the Father's business" he had reference to this way of life. And in order to do this one must study each manifestation from the lowest to the highest.
022 人間の主な目的は、宇宙英知の限り無い表現であるように思えます。他の形有るものがそのような能力の可能性を持つとは思えないからです。しかし、これを成す為には、創造のあらゆる段階が理解されねばなりません。イエスが弟子に「父の務め」にとりかかるようにと命じた際、彼はこのような生き方との関連で述べたのです。そして、これを成す為には、人は最低位から最高位に至るまでの各々の現れを学ばなければなりません。

【解説】
 人間の主要な目的は宇宙英知の表現者になることだと言っています。他の個々の創造物は生き物にせよ、鉱物にせよ、それらの固有の美しさを自ら表現しています。自然界にある全てのものは、いかなるものも、その種、特有のパターンや形式を保ち、その詳細な構造を調べれば、調べるほど、美しい側面が現れます。そして、その表現には種によって一定の枠があり、それ以上の変化を示すことはありません。
 しかし、人間はそれらの枠を超えて、宇宙英知を制限無く表現できる能力があり、また表現することが本来の人間の目的だと言っているのです。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ