ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落116

116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。


【解説】
 私達の最大の問題は意識から自分自身を分離させてしまったことにあると言っています。自我(エゴ)を増長させ、自我のみで人生を送って行けるとして、やりたい放題に人生を謳歌して来た結果が、現在の混乱した状況と言えるでしょう。様々な時代を通じて多くの賢人達がこのことを指摘しています。(例:Wayne Dyer,は講演の中で"貴方の唯一の問題は貴方自身の源泉から自分を分離させてしまった、You've separated from your sourceと述べています)。
 本文ではまた、私達は知識の面では巨人になっているとも言っています。何世紀にもわたって私達は自然を研究して来た結果、自然界を支える宇宙の諸法則について、利用出来そうな結果面では着実に成果を吸収して来ました。その結果、今や遺伝子操作技術から原子炉まで多くの技術を確立しています。しかし、自然界で起っている調和した生命活動の根幹には私達が無視して来た宇宙の創造主の意志があり、創造物はそれらの指導に従って行動していることを私達は忘れ、目を向けておりません。それらの指導が無ければ、多くの動物達が災害を事前に察知して避難したり、渡りの時期を決めること等、出来ない筈です。私達は先ず、前提となるこの目に見えず、耳に聞こえないけれど私達の最も身近に居て、絶えず私達を抱擁している意識なる存在に心を向け、敬い、慕うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落115

115 So it is with the law of the Cosmos. Positive Thinking, that you may have heard about, has hurt more people than it did good. God's purpose cannot be divided and give good results. Nor can one judge His laws and omit parts of them, be it through lack of understanding or egotistical aggression, which has been done through the ages. People judge the Creator's creation without knowing the reason for each part. And in this way they have been judging the Creator and exalting the ego mind above His Intelligence.
115 ですから、それは宇宙の法則についても言えることです。陽性の考え方(ポジティブ・スィンキング)は、貴方が聞いたことがあるかも知れませんが、それが為す良い事以上に多くの人々を傷つけて来ました。神の目的は二分されて良い結果をもたらすことは出来ません。人は理解力の不足に由来するにせよエゴの侵略行動に由来するにせよ、神の諸法則を裁いてその一部を除くことをしてはならないのですが、それを長年行って来ました。人々は創造主の創造物を各々の部分の存在理由等を知らないまま、裁いて来ました。そしてこのようにして、人々は創造主を裁き、自らの自我の心を創造主の知性の上位に置き増長させて来ているのです。


【解説】
 ここではいわゆる東洋の「陰陽」に類似したことも示唆しているように思われます。
 陽性(Positive)の考え方は一見、積極的、行動的で好ましいように思われがちです。しかし、私達の劣った心の段階では、それは断定的になったり、更には攻撃的になったりする大きな問題要素を持っていると言っています。陽性は過度になれば、相手の立場を考慮することなく、相手を非難し、裁くことを平気で行うようになります。また、極端な場合には残虐な事件を起すことにもなりかねません。戦争はその端的な例です。
 このように陽性の考え方を突き詰めて行けば問題がある訳ですが、反対に陰性(Negative)の考え方についてはどうでしょうか。陰性の考え方は、想念を受け入れようとする開かれた態度である一方、自ら積極的に働きかけることはしない為、常に受け身の対応となります。その結果、様々な他の主張に耳を貸す一方、自らの意見の発信を行わず、他に影響を及ぼすことができないことになります。即ち、陰陽のどちらか片方を取り入れることでなく、両者をバランスさせながら発展させることが必要なのです。
 しかし、まずは陽性の考え方に注意しなければならないと言っているのです。本文では、特に陽性の考え方を自我(エゴ)の増長に結びついているとしており、先ずは創造主に対して心を謙虚にすること、どちらかと言えば陰性の考え方を最初のステップとするよう、助言しているものと考えられます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落114

114 And remember you cannot have a manifestation or good results if you do not use both sides of the law. The objective and the subjective, or the negative and positive - male and female. You cannot use one and exclude the other and expect good results. Let us go back to electricity for an example. Electricity is one power consisting of two phases, negative and positive. One phase cannot be used in the absence of the other and give useful power. But when they are combined and balanced the manifestation is perfect.
114 ここで覚えていて欲しいのは貴方は法則の両面を用いなければ、創造の現れや良い成果は得られないということです。主観と客観、積極性と消極性、男性と女性がそれです。一方を用いて他方を排除しては良い結果は望めません。一例として電気について振り返ってみましょう。電気は2つの側面、マイナスとプラスからなる一つの力です。他方無しで片方を用い、有益な電力を得ることはできません。しかし、それらが統合されバランスがとられた時、そのもたらす創造の現れは完全になります。

【解説】
 ここではその普通の生活を送る上での注意点を述べています。もちろん意識による指導を常に受けていれば、このような注意も必要ないのでしょうが、私達の心得のポイントとして、法則の両面をバランスさせながら生活に生かせと言っているのです。
 自然界の法則には対比性(対極性)があると言っています。電気のプラスとマイナス、磁気のN極とS極、動植物の雌雄がそれです。また同様に人間の身体の例えば心臓の収縮・拡張の運動による血液の循環、更には呼吸における呼気と排気の動作等々の他、分子の振動にも当てはまる等、深遠な意味を持っているものと思われます。
 この両極性の片方を排除せず、その両方を素直に受け入れて行けば、成果が出ると言っているのです。これを進めて行けば、自分一人で行う精進には限界があると言うこともできるでしょう。自分と異なる性質、違う意見を持った者とも進んで交流し、バランスをもって相互に影響を与えあうことによって新たな成果が得られることをも意味しています。動植物を含め、様々な個体と接触することで世界が広がると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落113

113 Also notice that we did not forbid you to live a normal life. All that is asked of you is - live a conscious life and not a mental one. And do, and use, all things in moderation. That is all that is necessary to fulfill the purpose of life. This is how our space brothers have grown in knowledge and live a heavenly way of life.
113 また、私達が貴方に普通の生活を送ることを禁じていなかったことにも注意して下さい。貴方に求められていることの全ては、心による生活でなく、意識による生活を送ることです。そして全ての物事を適度に行い、また用いなさいということです。それが生命の目的を成就する上で必要なことの全てです。この方法によって私達の宇宙兄弟達が知識において成長でき、今、天上の生活を送っているのです。


【解説】
 本文で述べているのは何も特殊な修行をするのではなく「通常の生活を行いなさい、但し心でなく意識を使って」ということです。確かに極端な修行や行為を行うことによって一時的には私達の日常感覚を超えたいわゆる神秘体験を得ることもあるでしょう。その時は既存の心が解放され、意識からの莫大な印象が流れ込むことになります。しかし所詮、その行為を長続きさせることはできません。すぐにも過去の一体験として終わってしまいます。
 問題は24時間、一刻一刻における私達の生活の中における心の反応なのです。本来の私達の心の進化の道を歩む為には「あせらず、怠けず」、意識の存在を少しずつ自ら確認し、意識の指導を求めながら歩むことです。
 道は長く遠くまでつながっています。以後、何代にわたって歩む道でもあるのです。しかし、労苦を求める訳ではありません。自然界の調和した姿を愛で、その一員として毎日の営みを楽しむ(enjoy)することが必要だとも言っています。釈迦も苦行の道からは悟りを開けず、少女が差し出したミルク粥を食べた時、生命の歓び(悟り)に気付いたとされています。私達は見えざる意識の指導を仰ぎながら、あらゆる事を調和をもって行うことが求められており、長い道程を各自のペースで日々、少しずつ歩むことが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落112

112 The thing that we ask you to do is - become aware of your real self, the eternal part of God, or The Creator. Let your mind become conscious of consciousness as your guide in everything that you do. Then the admonition "Man know thyself and you shall know all things," will be your reward. But the mind must learn to trust the consciousness at all times.
112 私達が貴方に実行して欲しいとお願いしたいことは、貴方の真実の自我、神の永遠なる部分、創造主に気付くようにすることです。貴方の心を貴方が為す全てにおけるガイドとして意識を意識するようにさせて下さい。そうすれば、訓戒「汝自身を知れ、そうすれば全てを知るだろう」を褒美として受け取ることになります。しかしその為には、心は意識を如何なる時も信頼することを学ばなければなりません。


【解説】
 精神集中や瞑想よりも、真自我(Real Self)を日々の生活の中で意識することが重要だと言っています。目に見えず、耳に聞こえない微妙な意識からの指導に気付くようにせよと言っているのです。
 別の言い方をすれば、次々にやって来る印象に自分の心を鋭敏にする為には、先ずは心自体を静かに落ち着かせ、内部の意見や偏見を鎮めることが前提となりますし、心自らが目に見えない存在からの指導に従おうとする誠実な志向性を必要とします。つまり、心を謙虚にさせること、自然や宇宙に対して畏敬の気持を育てることでもあるのです。
 こうした中で、印象に従う行動を積み重ね、最初の内は失敗も多い筈ですが、習熟するにつれて自分自身の中にある惜しみ無く与えてくれる目に見えない存在をますます信頼するようになり、全ての面で各自が自分の人生を次第に有意義なもの、創造主がお望みになる方向に発達させることができるようになることでしょう。
 これまで奉仕して奉仕して来たこの永遠の生命の贈与者に気付き、感謝すると同時にそのアドバイスを受け入れ、各自の行動の中で現世に実現することが、贈与者への恩返しでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落111

111 We are now in the third lesson and I have not asked any one to concentrate or meditate, as taught in other fields. If anything, these ancient methods have brought the unpleasant conditions that we today face in the world.
111 私達は今や第3課に入っており、私はこれまで誰一人にも他の分野で教えられているように精神集中や瞑想をするようにとは言って来ませんでした。むしろ、これら古代の手法は今日私達が世界で直面している不愉快な状況をもたらして来たのです。


【解説】
 この種の人間の知覚力・精神性の養成において難しいのは、教師側が伝える内容に対して、学習者が容易には理解できないということです。教師が自覚し、イメージしていることを言葉で生徒に伝える訳ですが、生徒に相当する理解力がなければ、形だけ、上辺だけの模倣が始まってしまいます。
 精神集中や瞑想も上級者にとってはごく自然な行為の一つですが、私達初心者にとっては有益ではないと言っているのです。つまり、ただでさえ、自己中心的であり、結果世界から大きな影響受け、恐怖に支配を受けて日常を送っている私達は、例え沈想したからと言って、何か素晴らしい想念が直ちに流れ込んで来るなどということはありません。むしろ、ますます自意識過剰、あるいは自己の醜さだけが自覚され、憂鬱な気分に陥るかも知れないのです。
 出典ははっきりしませんが、ある人が「あなたはこれ以上、自分に関心を持たなくてよいのです。既に十分過ぎる程、自分に関心を支払っています。」という主旨の発言をしていたことを思い出します。精神集中や瞑想は自己の殻の中で空回りさせる危険性もあることを本文では述べているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落110

110 This shows that consciousness knows no fear - for it is the possessor of all knowledge. The mind does not have the knowledge and lives in fear. And as a result it has promoted all kinds of mysteries in relationship to life and its continuance.
110 このことは、意識は如何なる恐怖も知らないことを示しています。何故ならそれはすべての知識の持ち主であるからです。一方、心はその知識を持ちませんし、恐怖の中に生きているのです。そしてその結果、心は生命とその存続に関連してあらゆる種類の神秘を助長させて来ているのです。


【解説】
 不安や恐怖こそ、地球の人間が克服すべき最大の課題です。誰しもこの世に生まれ落ちた時は皆等しく創造主から才能や素質を授けられていた筈です。その創造主の子供達が成人し、造り上げたのが現在の社会です。そこには幼子を待ち受ける地上にはびこった既成の仕組みが大きく作用していることも確かです。しかし、人間の生涯は高々90年です。即ち、このスパンで、ほとんどの人間が入れ替わる訳で、過去の制度や仕組みに加えて、私達今日生きている人間こそが現在社会の諸問題発生の原因となっていることは間違いありません。
 その最も大きな問題が恐怖の問題だと言っているのです。恐怖心は人間の理性を失わせ、極端な場合には殺人や戦争をも引き起こします。この恐怖は実に巧妙に自我の心の中に入り込みますし、既存社会の体制維持の道具としても用いられています。
 何度となく申し上げることですが、一方で自然界の生物達は例え自らの生命の危機にあっても恐怖に支配されることはありません。自らの寿命が明日で尽きる場合でも、皆現在を楽しみ、まさに為すべきことを為しています。特に夏に野原に出て見ると、虫たちは短い夏を精一杯楽しむかのうように、休まず働いています。これら虫たちが知っている「生命の永続性」こそが、ある意味、人間が身に付けなければならない最大のポイントだと考えます。その生命の永続性をベースとして人間本来の進むべき方向に向けて、日々の生活を楽しみながら、必要な訓練を続けることだと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落109

109 The Breath Of Life is proof of that, and it is given freely to all forms of life. For was not the first clay form of man activated into life by THE BREATH OF LIFE, breathed into its nostrils by the Creator? And it became a living soul, or a conscious being. A new born child is slapped on the buttocks and made to take the first breath, or it would not be alive. And notice here, the mind is only partially active, yet the baby is consciously alive. We know that a young mind knows no fear until fear is imposed upon it. Or until it begins to act with the mind and gets hurt, then fear takes over.
109 生命の呼吸はその証しですし、それは生命のすべての形有るものに無償で与えられています。人間に形取られた最初の粘土が創造主によって鼻から息を吹き込まれ、生命の呼吸によって生けるものになったのではありませんか。そしてそれは生ける魂、意識ある存在になったのです。生まれたばかりの赤ん坊がおしりを叩かれて、最初の呼吸をさせられますが、そうしなかったら、生けるものとはならないでしょう。そして、ここで注意して欲しいのは、赤ん坊の心は一部しか生きていませんが、赤ん坊は意識的には生きているのです。若い心は恐怖が押し付けられない限り、恐怖を知らないことを私達には分っています。あるいは赤ん坊が心といっしょに行動し、痛みを得るとその時から恐怖が支配するようになるのです。


【解説】
 座禅その他の沈想の際、良く分かるのは自分の呼吸です。私達は独りでに、何らの努力をせずとも、人体が生きて行く為に不可欠な呼吸、生命の息を休みなく行っています。これは各自が赤ん坊としてこの惑星に生まれた時に始まる永続する宇宙の活動の一つでもあります。私達は通常、その言わば目に見えない創造主から無償で授かった生命活動に対して、もはや当然のごとく見なしており、その有り難さを自覚しておりません。唯一、自覚するのは、水に溺れた時や臨終の時、言い換えれば自らの生命活動の終わりに瀕した時です。無くてはならないこの呼吸こそ、全創造物に贈られた生命の根源的な活動なのだと言っているのです。
 ありとあらゆるものが惑星上の同じ大気を身体に取り入れることによって、生命を維持している訳で、聖書にあるように人間の創造に関わるのがこの呼吸です。ヨガや禅の例を引き迄も無く、おそらく呼吸にはより深遠な意義と仕組みが隠されているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落108

108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。


【解説】
 「意識」という表現は、アダムスキーが特別な意図を持って表現した言葉と考えられます。ある意味、人間、否、そればかりでなく、ありとあらゆる創造物に宿っている、より深い目覚め、感性、知覚その他の認識を示しています。実際に各自の内なる存在の中に表層的な自我(エゴ)とは別の、根源的で創造主につながっていて、各自の様々な機能を司っているものを「意識」と表現しているのです。また、この「意識」なるものは、私達が通常、使用する「意識」、例えば「○○を意識して」(即ち○○の所に自分の感性を置きながら)、あるいは急病人が倒れて「患者の意識はあるか」(即ち、患者が覚醒しており、精神あるいは感覚の基本的機能が無事かどうか)という時に用いる場合と極めて類似した要素があると考えられます。
 古来より、創造の真理は不変ですし、「意識」についても昔から存在していた訳で、多くの哲学者や宗教家がこの意識について、各々の時代や言語で語って来ました。科学が進化し、生命活動の仕組みが次第に明らかにされて来る中で、今日、私達は再度、原点に帰って、生けるもの、とりわけ自己の内部で「意識」がどのような活動を行い、私達の自我とどのように関わっているのかを深く観察することが重要となって来ました。他の自然が創造主の指導に従っているのに対して人間だけがその光明を見出せないでいるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落107

107 You may say here, it is a mess. Yet it is the product of the exalted ego or human mind. For it no longer allows itself to be guided by the consciousness or creator.
107 ここであなたは、それをめちゃくちゃだと言うかも知れません。しかし、それは増長したエゴ、即ち人間の心の造り上げた所産です。何故なら、エゴはそれ自身を意識あるいは創造主によって導かれるものとはしていないからです。


【解説】
 あらゆる物事に原因がある訳で、この混乱した世の中も、所詮人間のエゴが造り出してしまったものです。人間の増長した自我(エゴ)は創造主の導きの手から離れてしまい、その結果、何十世紀もの間、形を変えながらも流れ着いた先が現代ということでしょう。
 しかし、その問題の原因は明確だとしています。エゴが創造主の指導に耳を傾けなくなったことに原因があると明言されています。実は、これと同様の指摘は多くの哲学者、宗教者が異口同音に訴えていることなのです。Wayne Dyer(ウェイン・ダイヤー)も「貴方の持つただ一つの問題は、ご自身の源から離れてしまっている」ことだとも言っています。本来、最も身近な存在であるべき自分の中の宇宙的な存在、常に進むべき道を示して下さる導き手を受け入れないなどというもったいないことを私達は日常行っています。唯一、自我のプライドが捨てられない為や不安を払拭できない為に踏み込めないでいるのです。
 聖書では息子が放蕩の限りを尽くし疲れきって家に戻って見ると、両親は暖かく迎い入れてくれたとしています。各自が自我を自ら訓練し、日常生活を通じてより誠実に創造主に向き合うようにすることで、自我の増長を戒め、本来の道を進むことができることでしょう。その先には両親である創造主が暖かく迎えてくれる筈です。
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