ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。


【解説】
 求めているのは実は自分のもう一つの半身であるというのは、大変重要なポイントです。私達は失敗の原因を外、即ち環境のせいにし、生きる目的もまた、何か外に求めて様々に放蕩して来ました。その都度、街には勧誘の声があり、成功事例を伝える本も多数出回っています。私達はこれまで、それ程に外界に目を向けて来ましたが、これらのいずれもが結局は期待を裏切るものであった訳で、探し求めて来たものは最も近くにあったということです。
 従って、逆の言い方をすれば、外に答えを求めても目的は達せられず、己の内面の隅々を照らすことで真の生きる満足が得られるということでしょう。それにつけても動物達は見ていて、実に満足そうな生活振りです。どのような環境に置かれようとも、日々の生活は楽しさで満たされているように思えるのです。わずかな距離でも喜んで飼い主と散歩に出る時の犬の姿からも満足することの大切さを知ることが出来ます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。


【解説】
 そもそも心に意識からの印象を受け入れる余地がなくてはなりません。元々、自己主張が強く、それなりに自分で頑張って世の中を渡って来た人達にとって、取りあえず順調に推移している間は、問題も顕在化しないのですが、ひとたび、状況が悪化すると己の限界を過度に考え込んでしまうことになるのではないでしょうか。
 個人的には本稿事例のような状況を明確にイメージすることが出来ませんが、そもそも他人の意見を喜んで受け入れる度量が無くては、エゴに支配される人間に早晩、陥ることでしょう。むしろ、それまでの自分を振り返り、不要なもの、未整理な状況を自ら明らかにして整理する作業が必要だと考えています。いわゆる心の「棚下ろし」作業です。自分の心の状況を左右している要素は何と何であるかを改めて整理すると、意外に悩みの本質的内容は小さいものであることが多いものです。心が勝手に騒いでいたという事例も私自身、数多く体験しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature.
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。

【解説】
 自らが長年求めていたものを見つけた場合でも更に迷う者も多いと言っています。その原因は私達の心の怠け癖であり、折角のチャンスもみすみす失ってしまうということは大変、残念なことです。”慣性の法則”に身を委ねていては、所詮、下るだけです。少しでも向上する為には、自ら自分の心を叱咤激励するしか方法は無いでしょう。自らの現状を損なうことを恐れるあまり、冒険したがらないのがエゴの自己保身の特徴です。
 その結果、本当は千載一遇のチャンスであった筈のものが、再び去ってしまうことは悔しいものです。多くの事例では本人は一歩を踏み出すことを躊躇していた為に、その後、何十年も改善の機会を失っているケースもあります。他人から見ると良い機会だと思うのですが、本人の自覚がそこまでに至っていないのです。
 その根本の原因、踏み出せない原因はやはり信頼感、創造主から愛されているという信仰心が十分、内面に育っているかどうかに架かっていると考えています。信頼を何処に置いているのか、移り気の他人に置くのか、万物を貫く宇宙の意識に置いているのかの違いです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。


【解説】
 ここでは各自が求めているものの起源の中にはかつて自分が失ったものを穴埋めし、取り戻す為のものも含まれていると指摘しています。人によって求める分野は異なりますが、その本人の志向性には、場合によっては過去生にまで遡る理由がある場合もあると言っています。
 もちろん、求道という側面もあるでしょうし、隠れた才能に気付き育てたいと願う気持もあるでしょう。しかし、強い本人の志向性には過去の人生ともかかわりのある要素も強いということでしょう。一度、しくじった学習テーマに再び巡り会うことは容易ではないと本文では言っています。ですから、できる限りその場で修正への行動をとるべきなのです。
 また、「求めよ、さらば得られん」とされるように、求めていることはいつかは実現することでしょうが、本文に書かれている部分で特に大事なのは、”But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do.”(しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。)という感覚です。
 何もあせる必要は無いのです。それが実現することをひたすら確信し、あとは意識の仕事として意識を信頼するという姿勢が大切だと考えています。これは自然界、一般に言えることで、今どきの季節(冬)にあっては、土や枯葉の下でじっと春の到来を待っている虫達や草花の芽がそれに当るのでは無いでしょうか。
 一方、このような過ちについて最も心が痛む問題は人間同士の関係です。これまでにもUFO・アダムスキー問題には多くの人々が関与され、また去って行きました。私自身、当初熱心であった多くも方が、その後離れて行かれた事例を知っています。その原因の多くは、その時々の会の運営や人間関係、他人を利用した、しない等々、様々でした。原因はどうであれ、結果的にせっかく大切な知識に触れた方がもし、アダムスキーを離れてしまったとしたら、大変残念なことです。会の運営者としても大きな責任があると言えるでしょう。一度、離れた方を再び、引き戻すことは容易ではありません。ある種の拒絶反応から長期間にわたってこの問題への取組みを避けて通りやすいからです。そういう意味では、各グループ活動を主催されている方には、人並み以上の責任があり、常に誠実、柔和、オープンな姿勢が不可欠だと思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。



【解説】
 「過ち」、即ち「失敗」への対処が重要であるとこれまで述べられて来ました。しかし、実際に失敗した当座は、思うように行かなかった原因を他人のせいにして憤まんをぶつける、或いは自分の能力の不甲斐無さを悲嘆するものです。本文で言う「修正」という行動には容易に移れないのが実状です。また、いやな結果を忘れようと気晴らしに向かうことも多いものです。
 しかし、アダムスキーは厳しくも、その十分な記憶がある内に修正することが大事だと言っています。そうしないと再び、そのテーマを学びとることが難しいと言っているのです。
 一般に、自らの誤りを認めることには勇気が必要です。他人に対する自分のプライドがそれを阻むでしょう。また、私達が結果が全てだと思い込んでいることも、わずか1回の不成功で自分の努力や意志が無駄になったと感じてしまうことも背景にあります。また、特に他人に対する過ち(過失)については、再びその問題に直面することなく、むしろ避けて通りたいものですが、そうした場合、その関連は自分が通りたくない道として断絶(ギャップ)を自ら設定しているようなものとなり、今後の人生を狭くすることにもなるということです。
 私も数少ない経験ですが、何度かトライする内に難しいとされていたハードルも越えることができるようになったケースもあります。後から考えて、成功した時の自分の心の状況、印象への対処行動等、成功の背後には思い当たるポイントもある訳で、この成功体験を大事にして、次回に繋げられればと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 そもそも「過ち」に気付くこと自体が容易ではないと考えています。日常的には、「自分は特段、過ったことはしていない」と考えているのが普通です。もちろん、常識的には当人が暮らしている社会の許容範囲内であれば、どのような過った考え、過った行動を行っていても、自由な行動が許されます。また、ギャンブル等の社会経済の歯車に組み込まれてしまった人生も中にはあるかも知れません。
 しかし、ここでの「過ち」とは更に高度な内容を指すものと思われます。つまり、宇宙意識との関係で貴方は過ちを犯していないかということです。前項(203、204)において意識から来る印象を受けた際の心の在り方について述べられて来ました。その関連においての「過ち」が本稿の主題です。例え意識からの印象を受信できたからと言って、早合点して他人に言いふらしたりしてはならないことは前項で述べられました。意識からの印象は確かに迫力があり、受信した本人が喜びの余り全部の内容が伝えられない間に有らぬ方向に突っ走って、全体のイメージを掴み損ねる結果、かえって他人を傷つける結果もあることを本稿では意味しているものと思われます。
 また、結局は自分の心の有り様や行動について、正しかったかどうかは、常にその結果を良く観察することで判断すべきと言っています。精神レベルの内容については、評価は自分自身でしか出来ません。自分がそのように感じ、そのような行動を執った結果は、その後の様々な状況として顕在化すると考えるべきです。そういう意味では、自身が一番良く結果を評価することが出来る訳です。キリスト教でいう懺悔もこれと同類の意義を持つものと思われます。
 この自身とその環境についての観察と分析評価は、実は大変重要なテーマだと考えています。再三述べて来たように特定の教師を持たない私達が個人でこの講座を学ぶ場合にこの過程が不可欠だからです。「狭き門」と言われるように多くの脇道が眼前には広がっており、導き手の無い時代に生きる私達は過ちに陥ることはごく当然なことです。しかし、過った道に入ってしまったと思ったら、その原因を明確にし、修正すれば再び元の王道に戻れるということです。特に過ちの行動の結果が他人に影響を及ぼした場合には、その相手の立場に立っての修復が必要と述べられておりますが、これが一番難しい。どのように修復すべきかについては、一概に言えませんが、少なくてもある種の負い目は付いて廻ることになるかも知れません。
 いずれにせよ、意識からの印象のパイプを揺るぎないものとして行くことは学習の目的の一つですが、その応用、言い換えれば、行動への適用については、更に自我の制御が必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 余談ですが、このところ毎日、50件ほどのアクセスを戴くようになりました。どのような方がご覧かは存じませんが、ありがたいことです。また、一方ではこの解説文の内容についての真価がますます問われますし、責任も増していると考えています。ご覧戴く方になにがしかの得るところが無くてはなりません。筆者としては地に足の着いたコメントをと毎日パソコン画面と向き合っていますが、この画面を通じて、ご訪問戴いた方、アダムスキーの「生命の科学」を本格的に学びたいと思われる方と意気投合が出来ればと思っています。
 さて本論です。自分のことは良くわからなくても、他人の行動はよくわかります。中にはいろいろなことを教えて上げると言ってくれる方も多いものです。しかし、多くの場合、それは自慢話に終わるものです。つまり、相手の理解程度はどうか、相手の関心はどうかという配慮はすぐに失せて、いわゆる「知ったか振り」で終わってしまうということに注意する必要があるということです。
 特に自分が得た意識からの印象には取り扱いに十分な配慮が必要だと言っています。前項(203)で紹介したように、印象は光景としてもはっきりしたものですが、残念ながらそれが「いつ」現実になるのかについては不明でした。受けた本人はすぐにも現実のものになると思いがちですが、実現には時間が必要の場合もあるということです。意識の世界にはもともと「時間」は無い訳で、私達が思う以上に短時間で達成できてしまうことも多い反面、遠い未来を指し示すものも多いと思われます。従って、折角与えられた意識からの印象、つまり色彩も明瞭で具体的なイメージを受けた場合には、大事に取り扱い、不用意に喋らないことです。いつか自分が体験することになるようなことですので、心に暖めて置く方がよいと思われます。
 アダムスキーは何処かで「右手で知った内容を左手に漏らさない」という趣旨の話をしていたように記憶しています。それほど、多くの事柄を知っていましたが、秘密は守ったということです。とりわけUFO問題は地球の政治・経済の根幹にも関わる大きな問題です。おそらくは自分が地上から去った後の世界の行く末も見通していたものと思われます。今思えば、1952年11月20日アメリカのデザートセンターから始まったアダムスキーの公生涯は、折からの原水爆実験に明け暮れる最中に始まりました。言わば公然と外宇宙からの宇宙船の飛来が挙行され、お蔭で時代は例え、一時期であれ核戦争への道から大きく宇宙科学、宇宙哲学への道へと大きく転換したということです。
 しかし、一人の人間の生涯には限りがある訳で、代々継承される地上の既存勢力と異なり、アダムスキーが伝えた他惑星の生活指針は、各々授けられた者が引き継ぎ、発達させて行かねばなりません。一人で歩む以上、誤りはつきものです。その誤りから何を学び取るかが大事だと本文でも述べられています。出来れば、各自が「自分はかつて、こういう過ちをしたが、そこからこういうことも学んだ」ということも分かち合うべきでしょう。いわゆる「失敗事例」です。その根底には、宇宙には揺るぎなくあらゆる場所で働く絶対真理が貫いており、ある条件を設定すれば必ず同様な結果が発生するという原理と結果の関係があることを意味しています。私達の取り扱う宇宙意識との関係もそのようなものと理解して良いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるだろうという確信をもたらす筈です。



【解説】
 個人的な体験として、わずかですが本文で言うような事例を経験したことがあります。いずれも昔のことなので寝ている間に見た夢であったのかは、詳しいことはよく覚えておりません。しかし、随分年月が経過した後に、「この光景は昔、夢で見たものそっくりだ」と思ったものです。
 いずれも夢の中の印象は色彩を伴ったもので、一つは自動車の色(赤)、一つは電車の色(青緑)でした。簡単に内容を紹介すれば、自動車の例では当時、自室は前に庭があるだけの家でしたし、自動車を持つことなど思いも寄りませんでした。赤い自動車が置いてある筈もないのに何故か自室の前に赤い自動車が置いてある光景が見えたのです。また電車の例については、当時(おそらく私が中学・高校の頃かと思います)はチョコレート色の電車が普通の時代でしたが、ある駅の光景が見え、何故か見たこともない青緑色の電車が高架ホームに止まっているという光景でした。それぞれの印象を得た当時は全く現実とは離れた光景でした。しかし、それから年月が10年、20年を経過した後、不思議なことに結局、かつて夢で見た環境が自分の周囲に実現したという訳です。
 以上の話はとるに足らない話ですが、個人的にはやって来る印象を大切に扱うという例にはなっています。いずれにせよ、やって来る印象を大切にし、その印象に従って、次々に行動できればしめたものかも知れません。よく調子の良い時には、次から次に仕事がはかどるものです。また、一方では悶々としていつまで経っても仕事が進まないという時もあります。その大きな違いは、「エゴの心で考えている」か「エゴを放棄して意識の指導に身を委ねているか」の違いにあるようです。各自がとことんエゴの心で取り組み、それでも一向に改善できないことを実体験した後、命までも喜捨する覚悟を持つようになれば、このような印象に従うことも容易になるということではないでしょうか。

ご挨拶

 新年あけましておめでとうございます。

 いつもこのブログをご覧戴きありがとうございます。
昨年3月から始めたこのブログも既に、第5課の半ば過ぎに至っています。
 「生命の科学」学習コースには、簡単そうに記述されていますが、その内容には進化した諸惑星の文明の英知が詰まっているとされています。
 皆様にとって、このシリーズがどれほどのお役に立てたかは自信がありませんが、これからも少しずつでも理解を深めて行ければと思っています。
 折しも、地球を巡る環境は社会経済的にも、自然環境的にも大きな変化•変動の時期を迎えているように思います。この日本においても人々の心の荒廃等、私達は大きな課題を抱えた新年になっております。その中にあって、走らず、丁度、ウォーキングで道端の花を愛でながら歩むような自我の訓練ができればと思いますし、このブログをご覧戴ける方も、そういう気持ちで私とおつきあい下されば幸いです。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

 平成20年元旦

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。

【解説】
 本文で記述されていることは、一見当たり前のように通り過ぎてしまうかも知れません。しかし、物事は連続的に進化の段階を辿るとすれば、特定の段階を区別し、固定視すべきではありません。例え相手から不快な行為を受けたとしても、その原因や過程を観察し、貴重な学習材料として研究することはあっても、自ら当事者としてエゴの怒りに身を任せるべきではありません。そのようなことをすれば、自分のエゴを増長させ、自らの肉体を痛めつける等、悪循環に身を委ねることになりかねません。
 ヒトという創造物は宇宙くまなく同様な形態を持っていると本文では述べられています。それに関して思うのは仏像に対する人々の思いです。人には寿命があり、やがては一生を終える時が来る等、限りがあります。各時代においてかつて地上に存在した祖師や別の惑星にいる尊敬すべき人物に思いを伝え、あるいはその方達から教えを受けたい気持から、人々は人間の理想の姿として仏像を造って来たものと思います。本来は目に見えない存在こそ大事なのですが、先ずは目をそのような美しい存在から感化されるよう、理想とする容姿やかつて教えを受けた尊敬すべき祖師の似姿を見て、心を整える意義もあるものと思われます。「同乗記」の中にも宇宙船内に創造主を描いた絵が掲げられ、宇宙兄弟達はその絵を見ることで若さを保っていることが伝えられています。私達より遥かに進歩した彼等でさえ、日々の訓練を積み重ねているということでしょう。
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