ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落011

011 This is the method that the planetarions or space people use in their development.
011 これこそが、惑星人達、スペースピープルが彼らの発達に用いている方法です。

【解説】
 かつてアダムスキーを通じて進化した宇宙人達が伝えたこの生命の科学が重要な著作である理由の一つが、この内容が進化した宇宙人の原動力になったそのものの哲学であるということです。人間の発達において必要なことは、表面的な知識ではありません。かつて太洋に沈んだとされるアトランティスやム-大陸等、失われた文明について、その当時必要であった知識等、今日では何の役にも立ちません。同様に、現代社会における約束事等、所詮、その時代の社会の都合で出来上がったもので、本来の人間が身に付けるべき、知識ではありません。
 私達は、既存の宗教や哲学を一旦、脱ぎ捨てて、まずは新鮮な気持で、この本に書かれている内容を幼児のように一つ一つ自分で身に付けながら、進んで行くことが、真の進化の道と言えるというのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落010

010 So we not only are going to develop our minds with the help of consciousness, but also expand our conscious perception at the same time. And in this way we shall see the Creator face to face through the mind and the consciousness as they become one.
010 それゆえ、私達は意識の助けを受けて自らの心を発展させようとしているばかりでなく、同時に私達の意識的な知覚力を広げようとしているのです。そしてこのようにして、私達は一体となった心と意識を通して創造主を面と向って間近に見ることとなるのです。

【解説】
 しかし一方で、現実の日常生活において、私達の行動を支配しているのは「心」です。目に見えない存在や耳に聞こえない指令に鈍感で、肉体の器官が認識できる範囲を拠り所として、私達は生活を送っています。その生活は、往々にして怠惰であるか、あるいは追い立てられているかのいずれかで、極端のはじからはじまでを行き来しています。
 ここでは、この問題の心なるものを意識の力を借りて、発展させよと言っています。しかし、その為にはどのようにせよとは、ここでは述べられていません。それではどのようにすればよいのでしょうか。
 意識を自らの心の教師とする訳ですから、先ずは、意識を信頼する必要があります。私達の心は意識の存在に普段、気付かないでいる訳ですから、その「見えないもの」の存在を「信じること」からしか、始まらないということでしょう。しかし、無闇に信じろと言うのではありません。意識の作用は、その結果として四季の移り変わりに対する動植物の反応や変化、更には自分自身の肉体が刻々と肉体の維持に懸命になって各細胞が活動しており、私達がその恩恵に浴していること自体、奇跡的な実証事例なのではないでしょうか。
 まずは、その自らの肉体の活動も含めて、意識の存在を認め、絶大な信頼を寄せることが、意識の恩恵に対する私達の感謝の心得でもあります。自分を取り囲む意識の存在に感謝すること、信頼を寄せることが第一歩です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落009

009 We must follow this same procedure of study in order to know nature and thus be able to free ourselves from the mysteries that have surrounded us and made us an entity separated from our creator. Then we shall come into an understanding of Cause and Effect. And our mental senses will perceive all forms and their purpose. And consciously we will understand the cause back of the manifestation.
009 私達が自然を知るためにはこれと同じ手順に従う必要がありますし、そうすることによって私達を取り囲み、私達を創造主から分離した存在にしていた諸神秘から私達自身を解放することが出来るようになるのです。そうなれば私達は原因と結果の理解に到達することでしょう。私達の心の感覚は全ての形有るものとそれらの目的について気付くようになるでしょう。そして意識的に私達は出現の背後にある原因を理解することになるのです。

【解説】
 自らも含めて自然を知ろうとする時の手順として、言うならば全身全霊をもって自然を観察せよと言っているのです。私達にとって身近な「自然」とはどのようなものがあるでしょうか。例えば住いの近くの自然公園でも、街路樹でも良いのです。それらを観察、研究するということはどのようなことをすることを意味しているのでしょうか。
 例えば、わかりやすく言えば、春夏秋冬、木々は様々な装いを見せます。寒い北風の中では小枝の先の新芽は堅く覆われ、守られています。しかし、春の気配が感じられる頃、新芽はほころび、やがて目に鮮やかな新緑が顔を出し、辺りは新しい生命に溢れる季節を迎えます。そして逞しく育った青葉はやがて、生い茂り、夏の暑い日射しを遮り、木陰を私達に与えます。そして季節が再び冬を迎えようとする頃、木々の葉は緑から一変して赤や黄色の錦の色合いに変化し、やがて訪れる風に乗って、木々から離れ地に戻ります。
 このように、自然は絶えまなく、大きな変化を遂げています。そして木々をはじめとする植物の変化は季節変化に呼応しており、食物の源を植物に依存している私達、動物にとって、一年を通じた自然の営みにその存在を依存していることは言う間でもありません。
 私達は、ひょっとして自分達とこのような自然、更には自然を支えている創造主とは懸け離れている存在と思って来たのでは無いでしょうか。確かに、私達自身、創造主とは無縁なもの、人間は自然を征服する存在、自然を利用し、開発できる存在、地球を支配する存在であるとして来ていましたが、果して、そのような傲慢さで良いのでしょうか。
 アダムスキーは「私達が自然を知るためにはこれと同じ手順に従う必要があります」と言っていますが、もう少し厳密に訳せば、「私達は自然を知る必要があり、そのためにはこれと同じ手順に従う必要がある」と言っているのです。先ずは「これと同様(即ち医者が人体を観察するよう)に、自然を観察せよ」と言っています。
 その観察を通じることによって、自然と私達との距離が縮まり、例えば植物の感性に近いまでに感受性が高まり、これまで自然の神秘とされてきたものが、私達の日常生活の中で生かせるような、生活が送れるようになるのかも知れません。実は、そのように「目に見えない印象」、「耳に聞こえない囁き」といったものが、本来自然の中に飛び交っていて、これらの「原因」となる力ある存在が、密接に私達に作用する状況に私達自身が高められるならば、素晴らしいことです。私達の心の感覚をそのレベルまで感性を高め、同時に形になっている現物の存在と関連づけることが重要だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落008

008 Some doctors go deeper when studying the manifested form of man and observe him with his consciousness. Thus he perceives the invisible or cause back of the effect. In this way he learns the purpose of every artery, muscle and organ and how each is related to the whole form. Thus when one part is out of order he knows what to do.
008 医者によっては人体の具現化された姿を研究する際、深部まで探究し、自らの意識でその人体を観察します。そうすることで、彼はその結果をもたらす目に見えない、或いは背後にある原因を知覚するのです。このようにして、彼はあらゆる動脈、筋肉そして組織、また各々が如何に全体と関連しているかを学ぶのです。このことにより、身体の一部分が乱れた時に何をすべきかが分かるのです。

【解説】
 私自身、医者ではないので、詳細は不明ですが、通常、医者が診察を行う場合、医者は患者の顔色をはじめとする外見を観察し、その訴えを聞きながら、真実の病気の原因を掴もうとしているものと思われます。
 この場合、患者の身体の中について見ることはもちろん出来ない訳ですから、こうした制約条件の中で、自分の経験も含め、この患者がどこを病んでいるのかについて、それこそ、全身全霊で探っているのです。
 その時、医者が観察に使用しているのは目に見えない原因を察知し、把握しようとする医者自身の意識なのです。その際に重要なのは、各部と全体との関係についての理解だと言っています。万物の相互関係を理解することこそ、学ぶべき内容です。
 また、ここでは、医者が患者を診察する際に、自分の「意識」を用いていると述べています。ここでより、詳しくアダムスキーの言う「意識」について、関連資料を用いて述べて見ましょう。
 アダムスキーは「意識とは何か」( From Cosmic Bulletin, December 1971. )の中で次のように述べています。
"Consciousness is the foundation of all creation. It is not a physical thing yet it measures all expressions of physical forms. Without it no form could be or exist for consciousness is life itself. It is the power which gathers the elements into the formed state and it is the intelligent force which caused the awareness and animation within the form. Consciousness is that tremendous power which is referred to in the Scriptures as the Holy Ghost. It is a dweller, as power, within that which is created, perpetuating the growth of the form by the constant action which is the law of Its being."(中略)
"Everything from the mineral to the God Kingdom is changed, moment by moment, by the everlasting activity of consciousness. It is the avenue of progress; the stream of life laden with ideas which drop into the consciousness of mortal man with great rapidity and which may be used or discarded, depending upon the understanding of the individual. Consciousness speaks the language of the Soul, for it is the Soul. This Infinite language is soundless, yet it roars with the voice of thunder, reverberating with a tremendous force upon the mortal being, producing a state of awareness as to the idea that lie within him -- idea which only he himself knows unless he expresses them in words, and which even then may not be understood by another.
Consciousness is the very substance of all forms, yet itself is formless. It is the ruler and the keeper of all elements which compose it in field of form action, for through this intelligent force the elements which make the form becomes conscious. It builds forms and disintegrates forms, yet it knows neither life nor death. It is motionless, yet it is the all-active power by which the universe is maintained; placeless, yet it is everywhere for outside of it there is nothing; inert, yet composed of unlimited power."(後略)
 つまり「意識とはすべての創造の基礎です。それは物的なものではありませんが、物的な形有るものすべての表現を計るものです。それ無しではいかなるものも存在することはできません。意識こそが生命そのものであるからです。それは各々の元素を形有る状態に取り集める力であり、形有るものの中に知覚や活動を引き起こす知性的な力です。意識は聖書の中で精霊と呼ばれるとてつもない力のことです。」(中略)
 また、意識については、「鉱物から神の王国まで全てが意識の永遠に続く活動によって刻々変化しています。それは進歩の大道であり、人間の意識の中に落される巨大なスピードで生命の流れであり、それらは個個人の理解次第で活用されるか、捨て去られるかすることになります。意識は魂である故、魂の言葉を話します。その無限の言葉には音はありません。しかし、それは雷のような声で響き渡っており、人間に対してとてつもない力で反響しており、人自身の中のアイデアに対して気付く状態を造り出します。そのアイデアは彼が言葉で表わさない限り、彼自身しか分からないアイデアでもあります。しかし、それでさえも、他人には理解されないかも知れません。」
 「意識は全ての形有るものの本質的なものですが、それ自身は形はありません。それはそれを成すすべての要素の支配者であり保護者です。この知的な力を通じて形あるものを造り上げている各元素が意識を持つようになるのです。それは形有るものを形成し、また分解します。しかし、それは生や死を知ることはありません。それは動くものではありませんが、宇宙が維持されているすべての力です。どこにあるというものでなく、あらゆる所にあり、その外側には何もありません。そのもの自体、不活性ですが、それでも無限の力から成り立っているのです。」(後略)

 各人はこのような、力ある知性を本来、有しており、自らを構成させていることの背景にある宇宙を貫く知性と連動している力に気付く必要があるということでしょう。その力に気付くこと、私達の自然観察に応用することが重要ということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落007

007 When one studies to become a doctor he does not study just a man's eyes or nose, but he studies every intricate part of the body. This includes every nerve, muscle, etc., and their purpose or function.
007 人が医者になるために学習している時、人の目や鼻のみを研究することはせず、肉体のあらゆる入り組んだ部分をも学びます。これにはあらゆる神経、筋肉等、及びそれらの目的や機能についても含まれます。

【解説】
 ここでは、人体の一部が何らかの症状が出て、病を自覚した時に対応を図る医者とはどのような事項を学ぶ必要があるかを述べています。通常は、目が痛ければ、眼科にかかります。しかし、医者は目についての知識だけあれば済むというものではありません。
 例えば、糖尿病。これは膵臓からでるインシュリンと血液中の糖の関係であることは一般の人でも今では知る知識です。その糖尿病が原因で目の網膜に異常をきたして、視力が低下する事例があります。この場合、目の視力回復には糖尿病を治療しなければその進行を止めることは出来ません。つまり、症状は目に出ているかも知れませんが、その奥にある病気の原因は糖尿病という全身の病から来ている訳です。
 このように、本来、人体のあらゆる臓器が相互に関連し、互いの影響を受けていることをまず、理解する必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落006

006 As stated, we cannot see Him as a person for he embraces all, and manifested creation is the Effect from His Cause Intelligence.
006 先に述べたように、創造主が全てを包み込んでおり、創出された創造物が創造主の因なる知性から出た結果物であるが故に、私達は創造主を一人の人間のようには見ることは出来ません。

【解説】
 私達が最も信頼を寄せるべき存在、感謝すべき対象である創造主について、上記の記述は、創造主は「全てを包み込んでいる」と言っています。ちょっとした言葉ですが、その持つ意味合いは新鮮です。つまりは、貴方にとっても、私にとっても、その周囲は創造主によって包み込まれているという、何と暖かいいたわリであることか。
 しかし、包み込まれているが故に、私達本人には、その存在を特定の人物のようには見えないというのです。赤子がその母親に抱かれているようなものです。私達、創造物は創造主の結果物である為、自分と同じレベル(或いは次元)では生み主を自分と同様な像として見ることができないというのです。
 一方では、古来より神(創造主)の像を建立し、あがめるという偶像化が行われており、それなりに、各自の信仰の対象として機能して来ておりますが、実は、本来は、創造主を人間のように表わすことはできないということを述べているのです。実は、創造主は、離れた場所に像として建立するよりも、もっと私達自身の身近に居るということに気付くべきなのでしょう。自分の周囲に片時も離れず、いらっしゃるということなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落005

005 As we cannot see the Creator the God of the Cosmos in person, we then must study Him through His creation. And this manifests in what we refer to as nature, for it is the embodiment of His Supreme Intelligence.
005 私達は創造主、宇宙の神を個人的人物として見ることはできない以上、私達は創造物を通じて創造主を研究する必要があります。そしてこの創造物は私達が自然と呼ぶものの中に現れているのです。何故なら自然こそが創造主の最高英知の体現であるからです。

【解説】
 自然(nature)に体現されている創造主を知ることは、具体的にどのようなことを指すのでしょうか。
 自分の体験で言えば、早春、舗装道路の割れ目から紫色のスミレがそっと咲いていたかと思えば、しばらくするとスミレの花は姿を消して、新たな草が勢い良く伸びている。道路脇の草地には一斉に同じ小さな花をつけた草が繁る。2週間も付近を通らないとあたりの景色はすっかり変わっています。それほど、草花の変化は大きいのです。春に咲き誇っていたポピーは5月の末には実をつけた後、枯れて行きます。そしてあたりは、より逞しい夏草の時期を迎えるのです。
 これらの草花の移り変わりを見るにつけて、これらひとつひとつの草花に誰がどのように指令を出しているのか、不思議に思います。離れた場所であっても全てが調和して各々の生命を全うしている。実に不思議。
 それらの草木は、人間の都合によって刈取られることも多いのですが、それでも何事も無かったかのように、残った切り株から芽を出して来ます。この粘り強さは人間も真似したいものです。
 「創造物を通じて創造主を研究する」とはどういうことを意味するのでしょう。前述の続きで言えば、「自分自身を通じて創造主を研究する」ということになります。ある意味、それは研究材料が最も手近にあり、その反応も自ら良く分かり、一刻一刻の人体の生命活動を通じて、その創造主が元来、授けた意味や役割も含め、自分を理解できれば、最も効果的な研究ができる筈です。まして、最高英知の体現である人間としてダイヤモンドの原石磨きと同様に、自分自身を純粋にできれば、研究=実益、更には他者に対する貢献も大いに期待できるかも知れません。日常の観察から、自分自身を観察し、創造主を意識できるまで感性を高めることは、本人自身を高めことにも繋がることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落004

004 We, as his highest creation are intrusted with that responsibility. The study should be no different than a careful observation of a famous painting would be when the artist is not known in person. For the more that it is studied, the better one understands the mind responsible for the painting.
004 最高位の創造物である私達は、その責任を任されています。その研究は画家を個人的に知らない場合に著名な絵画を注意深く観察するのと違いはありません。研究が進むにつれて、人はその絵画を描いた本人の心をより深く理解することになるのです。

【解説】
 日頃、私達の周囲には何気ない存在であれ、様々な創造物が取り巻いています。しかしながら私達は日々の「仕事」に追われていて、多くの場合、その存在に気付くことさえ無いのではないでしょうか。自分が歩いている足下にどのような草花が咲いているか、あるいは咲こうとしているのか、歩道の石の裏にひっそりと暮らしている虫達の営みを知ろうなどとは思わないのが普通です。
 それよりは、会社での言い訳や交渉相手への説得方法等、毎朝の通勤でさえ、足下の自然など、確かに目には入っているのですが、その認識力は無く、むしろ心はその日一日の仕事のことで頭は一杯なのかも知れません。或いは、自分が好きな音楽を聞きながらの場合には、上空が如何に素晴らしく晴れ渡っているのに、何一つ気付く事無く行き過ぎてしまうのが我々です。
 そのような無神経な者に創造主は創造物を委ねているというのです。本当にもったいない話しです。本人は知らないのですが、本人自身は元来、最高位の創造物であるというのも、驚きです。もっと、私達は、自らの価値を自覚しなければならなりません。そして、宇宙に存在する創造物に対する本来の責任についてもっと自覚する必要があることになります。
 そのためには、まず、自らも含めた「創造物」を良く観察・研究する必要があるというのです。丁度、絵を観賞するように。もちろん、大自然や他の存在物でも研究対象は良いのです。しかし、それよりいつも身近にあって、直接観察できる存在、もっとも身近な「創造物」を対象にした方が良いことは明らかです。それは、言う間でも無く、自分自身ということができるでしょう。この創造物は、毎日、鏡で見ることができますし、何処に居ようと、常に本人と一緒です。その日の心の動き、身体の働きと心の関係、等々、様々な生きた研究材料が、自分自身である訳です。自分自身を良く知ることが、もっとも早道であると言えるかも知れません。
 自分自身の内面や外観を関係づけて、冷静に、かつ繊細に学ぶことが重要なのでしょう。そうする過程において創造主を知り、感謝することが最も大切な「学習」であり、「研究」なのです。何の為に哲学を学び、宗教の門を叩くか、その究極の回答が、この創造物を通じて創造主の心を知り、私達が賜った贈り物である人間の責任というものを理解することなのです。

【参考】
 上述の「画家の心を理解する」に関連した資料としては以下の書籍があります。
 * 田中 穣著「生きる 描く 愛する 42人の名画家物語」婦人之友社( 明治、大正、昭和の美術史にのこる42人の足跡。画家達の織りなす運命の物語と代表作を、一冊にまとめた保存版!画家の心の内と、名画の由来を後生に伝える語りべとして取り組み、7年にわたり『明日の友』に連載したシリーズ「心は億万長者」の集大成。)

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落003

003 And in dealing with the religious or spiritual side, one should not be disturbed regardless of his faith. For the Creator whom we call God, created everything that is known and yet to be known. And to know the Father of all creation, one must study His creation and its purpose.
003 また、宗教や精神的な側面を取扱う際には、人は自身の信条がどのようなものであっても妨害を受けるべきではありません。何故なら、私達が神と呼ぶ創造主は、知られている、そして今後知られることとなるあらゆる物を創造したということ。そして、全ての創造物の父を知るために、人は父の創造物とその目的を研究しなければならないからです。

【解説】
 自然界の創造物を探究することは人間にとっての義務でもあります。
 この世界の鉱物、草木、動物等、全てが、創造主が無償で創造したと言っているのです。
人間はとかく、これらの「資源」を利用し、利用価値の無いもの、あるいは邪魔になるものは”雑草”や”害虫”として排除して来ました。
 しかし、あらゆる創造物を知り、その目的を探究することが大事であると述べています。そこにはこれまで気付かなかった創り主の意図について知ることにも繋がる大事な一歩です。
 ここで、何故、アダムスキーは「宗教や精神的な側面を取扱うについては、人は自身の信仰にかかわり無く妨害を受けるべきではありません」と言っているのでしょうか。それは、この種の探究は、あくまで自分1人で行う探究の作業であり、傍から「こうすれば良い」「こうしてはダメだ」等、指図されるべき事柄で無いことを意味しています。それは個人の内面から湧き起る印象や感性にも関わるもので、いわゆる頭脳で学習するような内容で無いことを指しているからです。自分で発見し、感得することで、自らの理解力や感性を高めることができるからなのです。
 贈り主からのプレゼントを受け取る際に、受け手がその贈り物の価値を知り、贈り手の気持ちを理解することは最低限の礼儀であることは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落002

002 When we speak of life, we mean in every phase of life's expression. In plain -we are going to explore life.
002 私達が生命について語る時、私達は生命が表現するあらゆる側面を意味しています。簡潔に言えば、私達は生命を探究しようとしているのです。

【解説】
 ひとくちに「生命」(或いは「いのち」「生活」)と言っても、その意味するところは広いものです。木の芽が成長し、花がつぼみをふくらませてやがて大輪の花びらを広げるように、自然界にはどんな鈍感な人間でも気付くような生命の営みがあります。また、一方では音楽に心震わせる感性もあるでしょう。形にならないものも「いのち」の表現である訳で、生命とする対象分野は広いものです。
これらの様々な対象をひっくるめて、ここでは「生命」と言っており、それらを含めてあらゆる生命の側面について、その根源から論じています。言うなれば、「生命」とはそもそも何であるかについて踏まえた上で、生命そのものを探究しようとしていると言うのです。
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