ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落060

060 The consciousness is a cosmic teacher and unless the student does as I have done in this case, he shall have nothing but confusion in the end.
060 意識こそは宇宙的教師であり、学習者は私がこの事例で行ったようにしない限り、最終的に混乱以外の何物も得ることはないでしょう。

 これまで述べて来たように、「教師」につくことが学習の早道なのですが、その究極の「教師」こそ、宇宙意識なのだと言っているのです。人間は変化し、変質する可能性もあり、安易に「教師」につくことは得策ではありません。何より自分自身を良く観てみれば、時には邪念が入り込まないとも限りません。しかし、意識はいつも、皆さんの味方です。新緑の季節をご覧戴ければ、あのように青空を背景にして輝く新緑の緑の木々が暖かな光を浴びて嬉しそうではありませんか。これらは皆、各植物に若葉の成長を促す意識の働きかけがあってのことで、一つ一つの植物にとっては自らの成長の一環であり、全体としては5月の輝く美しい風景を構成しているのです。
 一人一人が意識の声を信頼して従う中で、結果として輝かしい、生気溢れる状況が生まれるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落059

059 In later contacts when I was given the privilege of asking questions, I did. But in each case I had to wait for that privilege to not interfere with what was being given. Many things did not fit into my way of life at the time but I was patient and trusted the ones who were giving me the knowledge. At first it was like a puzzle but at the end when all parts were put together the picture was clear. Had I been impatient and interrupted the individuals who were giving me the information I would have lost the precious jewels and had nothing but confusion. As I became as a child to the instructor, I was given many privileges and I am now living in the Cosmic Kingdom instead of the world that l did before.
059 その後の会見で私が質問の特権を与えられた時、私は質問しました。しかし、どの場合でも私は与えられている事柄を邪魔しないようその特権を待たなくてはなりませんでした。多くのことが当時の私の生活の仕方に合いませんでしたが、私は忍耐強くまた、その知識を授けてくれる人々を信頼しました。最初、それはパズルのようでしたが、ついに全ての部品が繋ぎあわされた時、その絵は明確なものでした。もし、私がせっかちで、その情報を授けてくれる個個人を遮ってしまったら、私は貴重な宝石を失い、また混乱以外何物も得なかったことでしょう。私は教師に対して子供のようになることで、私は多くの恩典を与えられ、今や私はそれまでの世界に代わって宇宙的王国に住んでいます。


【解説】
 ここでは心を取扱う上での難しさについて述べており、一つ一つの基本的な側面を十分理解することを積み重ねることによって、大成することを示唆しています。逆に言えば、私達の心は常に自分の興味あることのみに注目し、結果を急ぎたがります。しかし、ポイントとなる要素を私達自身がマスターしなければ、容易に脇道に外れ、不完全な結果に陥りやすいということでしょう。
 特にこの「生命の科学」等の言わば太古から地球で培ってしまった旧弊の精神システムを捨てて本来の源流に一大転換する新しい生き方を始める以上、それを成し遂げるには絶大な忍耐と努力が必要だということでしょう。
 最近、一般の多くの場面で「意識改革」とか「パラダイムシフト」とかが、叫ばれています。しかし、これら既存概念の転換は単に頭で理屈が分っただけでは達成できません。問題は刻々の私達の心の姿勢であり、私達の心を落ち着かせ、自らが真に理解したことを実践しながら、着実に前進する中である日、全体の姿が見える(悟り)ようになるのです。そういう意味では、本講座を真面目に、ある意味、愚直に取組めば、「以前より勘が働くようになった」とか、「物事がスムーズに行くようになった」等の成果の断片も出てくる筈です。私達は、それらの細かな成果に満足し、進歩を止めることなく、更に大いなる世界に生きるべく、暖かくも厳しい目で毎日の心の訓練を続けるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落058

058 The mind, in order to learn from the consciousness must humble itself to get each point in a clear manner. For this instruction comes only by impressions. Whether observing an object or listening to sounds, impressions will be given independent of the mind. Consciousness is not governed by habits like the mind is. i.e. When I made the first contact with a space person my mind wanted to know many things, especially things that conformed with my habitual life. I had to control my mind and remain silent so that I could receive all that he wished to impress upon my mind. Had I speculated on what was to be given, I would have missed the significants of the meeting.
058 心は意識から学ぶには各々の要点を明瞭に理解する為、自らを謙虚にしなければなりません。何故なら、この教えは印象によってのみもたらされるからです。ある物体を観察する際や音に耳を傾ける際に、印象は心とは無関係にやって来ます。意識は心のように習慣に支配されておりません。ですから、私が最初に宇宙人と会った時、私の心は多くの事柄、特に私の生活習慣に合った事柄を知りたがっておりました。私は自分の心を抑制し、相手が私の心に印象付けたいと思っていたこと全てを受け入れる為に沈黙を続けたのです。もし私に何を与えられるのか考え巡らせていたら、私はその会見の重要ポイントを見失っていたことでしょう。


【解説】
 それでは具体的に心を訓練するにはどうしたら良いかをここでは説明しています。
 前項で述べられたように、学校における生徒と同様、私達は意識の指導に対して心を謙虚にすることが第一条件となります。つまり、目に見えず、耳に聞こえない因からのメッセージに心を開けと言っているのです。
 また、デザートセンターでのオーソンとの会見の際にアダムスキー自身がとった態度を例えて、宇宙兄弟達に対して謙虚に話しを聞く姿勢を貫いたために、その会見の本来の意義を理解するに至ったと言っています。
 とかく私達の心は騒ぎやすく、また一方では何もしない停止状態のいずれかになりがちです。印象を感受する為には、心を開き(Open Mind)、微妙な印象の流れを中断させず、その印象に心を寄り添わせて、ポイントを理解する必要があります。その為にも、印象の源、意識を自らの導き手として信頼することが必要です。こうした心の訓練を積み重ねることによって、私達の心は次第に意識による印象の指導を自らの人生に取り入れるようになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落057

057 A child in a classroom is a good example. A good student follows the instructions of the teacher without having any opinions of his own during the time that the lessons are being given. After this he tests the information given to see if it is correct and where it fits into his own life. While another student will speculate on what a teacher is going to say, thereby he is ahead of what is being said. And he misses important points and has no clear knowledge of the subject. The first student profits from the instructions. The second one does not. In the case of the attentive student he humbled his mind to listen, but the second one became aggressive and lost the valuable points.
057 教室にいる子供が良い例です。良い生徒は教科が教えられている間は如何なる自分の意見を持つことなく、教師の教えに従います。その後、生徒はその与えられた情報が正しいか、そして自分の生活の何処に当てはまるかを知る為、確かめます。一方、もう一人の生徒は先生が何を話そうとしているかについて思いを巡らし、話されていることの先に行っています。彼は重要な要点を見逃し、本題に関する明瞭な知識を得ることがありません。最初の生徒は教えから利益を得ましたが、次ぎの生徒は得られません。傾聴した生徒の場合は、自分の心を謙虚にして聞こうとしたのですが、次ぎの生徒は攻撃的になり、価値ある要点を失ったのです。


【解説】
 学ぶ際の基本姿勢について述べています。
 学校の例で言えば、生徒は先生の教え伝えることをまずは受け入れる姿勢が重要です。全く新しい分野や概念は容易には飲み込めません。とにかく先生の言わんとすることに耳を傾け、少しのヒントも逃さず自分のものとする姿勢が求められます。その為には、先生は生徒に全面的な信頼を寄せられていることが必要です。まして、哲学や宗教の分野ではなおのこと教師への信頼が大切です。しかし、問題は教師側にもあることが多いのです。日本には古くからの神道や仏教寺院など、膨大な宗教組織があり、加えて巷には数多くの宗教団体が存在しています。その中には一部の真理は教えてくれるものの、結果的には集まった信者を食い物にしたり、誤った教義に引き込んでいる場合も多いと思われます。
 決して断定する気はありませんが、宗教組織は当初、創始者(開祖)の時代は当時の社会のニーズ、当時の庶民の置かれた状況に救いをもたらす優れた業績を成し遂げますが、その後は膨れた組織体を維持発展させる為の集金組織に変貌する事例が多いのではないでしょうか。
 そういう意味からも私達は、既存の宗教組織に接する際には、慎重であらねばなりません。
 一方、この「生命の科学」シリーズは、この惑星上で使い古された宗教をひも解くまでもなく、新規に宇宙兄弟(Space Brothers)から直接、アダムスキーの最晩年にもたらされた、言わば21世紀を生きる私達に相応しい新しい精神改革の手引き書です。また、学習にあたってもこの講座を通じて自習することができる構成となっています。
 確かに、適切な教師につくことは効果的ではありますが、現状ではその教師役を務められる者はまだ、多く出ていません。自らの内面を観察し、自然をよく観る中で、講座で述べられていることの一つ一つを自分で確認するのが最良の道と言えそうです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落056

056 DISCIPLINE OF THE SENSES
How is one to discipline the senses? The sense of sight which guides itself by effects, as it is an effect of consciousness, seldom takes the time to study the cause back of what it sees. And by now if you have learned the first lesson well, there should be a desire to know the purpose for which each form has been created. And this can be revealed to the mind when an effect is viewed with the second sight, so to speak, or with the sight of consciousness. And as stated before single sighted.
056 諸感覚の訓練
 諸感覚を訓練することとはどのようなことを言うのでしょう? 結果によって自身を導く視覚は、意識の結果の一つであるため、めったに自分が見るものの背後の因をじっくり学ぼうとはしません。そしてこれまで、もしあなたが第1課をよく学んでいたら、個々の形有るものが創造された目的を知りたいという願いが湧き起るはずです。そして、これが結果がいわゆる第二の視覚、言い換えれば意識の視覚で見られる時、心に明らかにされるのです。こうしてこれまで述べたように一つの視覚になるのです。

【解説】
 ここではこれまで必要だとしてきた感覚の訓練をどのように行うべきかを具体的に述べています。
 視覚は私達に大きな影響を及ぼしていますが、その視覚を訓練するには、まず、物を見てすぐに判断せずに、「時間をかけて」その物の背景にある要因や生まれた背景について知ろうと努力せよと言っています。
 何よりも万物を支えている生きた宇宙の力(パワー)を感じたいと望むことが始まりです。しかし、そのことは決して現実(現象)を軽視せよというのではありません。このような従来から私達が親しんでいる結果の世界とこれから学ぼうとする因から降り注ぐ力ある印象を同時に感じ取るようにと言っているのです。
 最も分かりやすい例としては、「まずい」「耳障りな」「くさい」などという感覚の拒絶反応を揚げることができます。これらは感覚の勝手な意見ですが、その内容は、その現象(結果)を出すに至った背景や経過などはお構いなしの感覚自体の利己的な意見です。しかし、例えこのような「まずい」「くさい」ものでも、人体にとって必須なものは数多いものです。人体の消化器臓器の内容物は皆、この類いの要素を持っています。表層的な感覚の評価は、そもそも人体自体における果たす役割とは全く関係が無いことが分ります。
 何か感覚が反応した時、その判断を直ちには認めずに、一呼吸置いて、本当にその判断で正しいか、もっと本質的な要素に気付かなければならないのではないかと再考する必要もあるでしょう。感覚の反応を受け入れるのと同時に、関連した印象にも目を凝らし、耳を傾ける態度が重要です。そうする中で、やがては各々の感覚に意識的な部分が育成され、原因と結果が一体となって見聞きすることができるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落055

055 If a family is to be happy, each individual of the family must respect each other member as he would like to be respected. And each must have trust and faith in the parents that are the guiding hands. And so it is with the senses - they are the family that make up the household of a man. And they must be taught respect, trust and faith in each other. And above all, for the parent which in the consciousness. It will not be easy to rehabilitate the senses due to the many habits that they have cultivated. But this must be done if we are to have a heavenly type of life. There is no other way except through learning and understanding the reason for life.
055 もし家庭が幸せになろうとするならば、その家族の各員が自分がそうされたいように互いを尊敬ししなければなりません。そして各々が導き手である両親に信頼と確信を抱かなければなりません。そしてそれは諸感覚についても言えることです。それらは人間という家庭を作り上げている家族なのです。それらが養った多くの習慣の為、諸感覚を矯正するのは容易ではないでしょう。しかし、私達が天国のような生活を得ようとするなら、この作業は成されなければなりません。生命の存在理由を学び、理解することを通じて以外に他の道は無いのです。


【解説】
 以前から繰り返し述べられているように、私達の心は4つの感覚から成り立っているとしています。人間の行動のきっかけは心の意志にあるのですが、その心に通常、情報を与えるのがこれらの感覚であり、実はこれら4感覚同士が内部で争ったり、外部からの情報を勝手に解釈していることに問題の根本があるとしています。
 これら4感覚をここでは、両親(意識)の下にある子供達からなる家族に例えています。人間にとって自己を構成する最も身近な存在であるこれら「家族」が両親の指導の下、調和した状態を保つことが最も重要だと言っています。まさに「心の平安」とはこれら諸感覚の落ち着いた状況を指すものと思われます。その為には、感覚同士が互いに尊敬するよう訓練する必要があります。しかし、これは長年培ってしまった私達の習慣とは反するものです。私達は、「勝ち負け」や「善悪」を明確にし、勝者や正義には特権を与え、敗者や悪人には罰を与える競争社会を造って来ました。その結果、勝負に負けることを恐れ、他人の評価を気にしています。本文はこのようなことの根源は各感覚の「美味しい・まずい」、「美しい・醜い」等の感覚の反応(裁き)にあるとしているのです。
 それゆえ、私達は自らの感覚の反応をよく観察して、それらの傾向を戒める必要があります。生命本来の存在目的について自然から、より深遠な真理を知ろうとする各感覚の意欲を促し、アンテナを鋭敏にすることが求められているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落054

054 Unless the sense mind disciplines itself and allows the consciousness to govern it, it will continue as it has in the past.
054 感覚心が自身を鍛練し、意識に心の支配を任せるようにしない限り、その状態は過去と同様、引続くことでしょう。

【解説】
 昔から、敵は汝自身と言われるように、自分の心をどのように訓練し鍛練するかが大きな課題です。その為には心自体が自らを訓練する他はなく、大いなる意識という目に見えず、耳にも聞こえない「印象」による指導に心自身を委ねることが求められます。
 これに関しては、イエスの幼子の例えが有名ですが、そもそも具体的にはどのようなことをイメージしているのでしょうか。最近、読んでいる本(坂村真民著「坂村真民一日一言」致知出版社、平成18年12月発行、P.20)に次の言葉が書かれていました。
 「宗教は教学ではない。頭でいくら知っても、それは救いにはならぬ。救われなかったら宗教ではない。多くの人は宗教を哲学にしたりする。念仏さえ哲学にする。そんなものでどうして救われるものか。上人(注:一遍上人)の言われるように愚かなる者の心に立ちかえることが宗教であり、信仰なのである。聖書にも幼な子の心になれとある。幼な子に議論などはない。理屈などはない。抱かれる無心な心が、幼な子の姿であって、これより美しいものはないのである。」
 とかく私達は、理屈で理解しようとします。こうして文字を打っているのも、半分は理屈の頭で作文しているのかも知れません。しかし、坂村真民も言うように先ずは、自らを空しくする、宇宙英知の前では全くの無知無学の身であることを恥じた上で、自分のおごりの心を鍛練し、宇宙に遍在する意識に自らを委ねるよう決意することしか、本来の向上は望めないと本文では言っているのです。理屈など考えず、意識に信頼を寄せて、心底受け入れる度量こそが大切だと考えます。幼な子は理屈抜きで、自分の信頼する存在に身を委ねる特質が備わっているから美しいのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落053

053 The pride of the sense mind may find the process painful, but the sense man must learn by experience. And to do this he must school the senses to respect one another. For as it is now they have no respect and as a result a person has no respect for his being. Thereby he has no respect for others, except those who please one or another sense.
053 感覚心(sense mind)のプライドはその過程に苦痛を見い出すかも知れませんが、感覚人は経験によって学ばなければなりません。そしてこれを成すには、各感覚を互いに尊敬しあうよう訓練しなければなりません。何故なら、現在そうであるように、それらには尊敬感が無く、その結果、人は自分の存在に尊敬感を持っていないからです。それ故に、人はいずれかの感覚を喜ばせるもの以外に他に対して尊敬感が無いのです。


【解説】
 人間のプライドほどに問題を長引かせ、大きくしている要素はないように思われます。日本流に言えば「面子(めんつ)」がこのニュアンスに該当するでしょう。端的に言えば「他者に対して高い地位にある者が低い地位の者に頭を下げるなど、出来る訳がない」、「自分より下の者に教えを請うまねは出来ない」等という苦痛の感情は、皆、この心が持つプライドに由来しています。
 このように、プライドをまず捨てることが必要になりますが、実際にはどのようにしたら捨てられるのでしょうか。そこに、自分以外の全ての者に対する等しい尊敬感が必須の要素となります。人の地位や名誉に関係無く、動物や植物、その他ありとあらゆる万物にも等しく、その存在に敬意を示す気持です。そうすることで、自分と接する方々に対しておのずと受け入れる態勢も生まれ、やがてはトラブルの解決にも繋がることにもなります。
 まして、自分の各感覚については、互いに好き嫌いを言わせないよう、他者を受け入れ、敬う姿勢を貫き通すよう日頃の訓練が大切です。うわべだけの、刹那的な感覚の喜びや他人の評価等は空しい限りです。ともに永続することはありません。私達は、そのような無常な物を追い求めているのではありません。感覚の領分を超えた英知の世界を探究する覚悟を持って、自らの幼子である感覚心を訓練して行くことが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落052

052 And oftimes the mind takes the stand of least resistance, a state of inertia, and does nothing. It tries to escape its responsibility instead of having the determination to learn by correction. It has been said that God helps those who help themselves. So the individual must do something in order to correct the undesired results and have the rewards hoped for.
052 そして、しばしば心は最小の抵抗、慣性状態をとり、何もしなくなります。心は修正によって学ぼうと決心する代わりにその責任を逃れようとします。しかし、神は自ら助ける者を助けると言われてきました。ですから、個人は不本意な結末を修正し、望んでいた報酬を得る為には何かを成さねばなりません。


【解説】
 よく経験することですが、問題が山積して解決方法が分からなくなると人間、眠気が襲うものです。これについては私自身、多くの「体験」があります。一般的にはくよくよせずに、一晩寝て考えようと肯定的に受取られています。それはそれで、当面の対処術としては賢明なのかも知れません。また、問題が整理されずにいる段階では、とかく問題が実際よりも大きく感じられます。その点では、一旦は心の中を空にして整理する時間を創る為に、睡眠や気分転換を図るのも良いかと思われます。
 しかし、ここでは、そのような現象の背景には心が課題に対して前進する代わりに、立ち止まって何もしなくなる(出来なくなる)傾向があると指摘しているのです。慣性の法則というのがありますが、何もしないのが一番労力を使わずに済む訳で、心はどうして良いか分からなくなると、そのまま、じっとして時間が解決してくれることを望みます。しかし残念ながら、そのままでは過ちは永久に修正されず、やがては問題を大きくしてしまうことに繋がるものです。
 実際には大きな問題にぶつかった時、私達の心は何もしなくなりますが、それはそれで仕方が無いことです。私の体験からすれば、その時は休息をとった方が良いと思われます。ポイントは、本文に指摘されているように、「責任逃れ」をしないことです。急ぐばかりが、解決につながるものでもありません。自身の責任において着実に問題に立ち向かって行く勇気と根気が必要なのです。絶えず謙虚さを失わず、他者から学ぶ率直さがあれば、問題解決のハードルも低くなるように思うからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第2課-段落051

051 In time it must retract these opinions if it is to have a pleasant existence. All of the troubles in the world have been so created. And when they become too great, people decide to place them in The Hands of God, which is the All Inclusive Consciousness that created all things with a purpose. Each person will hope that this Great Intelligence will correct the situation. But when the correction is shown in many cases, it is not accepted for it is not understood by the mind which made the mistake in the first place.
051 もし快適な存在を得るのであれば、いずれはこれらの意見を引っ込めなければなりません。世の中のトラブルの全てはそのようにして造り上げられて来ました。そして、それらトラブルが大きくなりすぎると、人々はそれらを万物をひとつの目的で創造した全てを包括する神の御手に委ねることを決意します。各個人はこの偉大な知性が状況を修正してくれることを望むのです。しかし、多くの場合、修正法が示されても、その修正案は受け入れられません。最初に過ちを犯した心によって理解されないからです。


【解説】
 感覚の意見が人間を支配し、トラブルを引き起こしている以上、私達は日々の生活時間の中で、これら感覚による好き嫌いの意見に気付くことが大切です。現実の場面では、これらは複雑、巧妙に織り込まれているため、世の中の問題となるようなものについては、単純に人間の感覚に問題があると指摘することは出来ないかも知れません。
 しかし、人生において最大のトラブルである病気については、どうでしょうか。病気には様々な原因がありますが、痛みや苦しみに対してどのように自らが振る舞うか等、まさに病気に際してとる態度は本人の内面を反映するものとなります。出来うるなら、たとえ死を迎える事態であっても心落ち着いて、穏やかに最期を迎えたいものです。
 通常、人間の心は問題が大きくなり、到底自力では解決できないと知った時、全能なる神に全てを委ね、祈ります。それはそれで、正しい道なのですが、祈るだけでは不十分だとしています。神(因なる創造主)から授けられる解決策(メッセージ)を受信し、理解することが最低限必要なのです。この為には、日頃から創造主から降り注がれている印象に耳を傾け、同調できる姿勢を維持しておくべきなのです。騒がしく浮ついた心を落ち着かせ、印象に敏感になるよう感覚を鋭敏に保つことです。そうすれば、解決策はすぐにも示されることでしょう。
 自然界の他の生物達は皆、その種の能力を発揮しています。地震や噴火、嵐のような自然災害も事前に察知していたという事例も多く聞くところです。ひとりひとり、当面している状況や問題は異なりますが、是非、心を落ち着かせて因なる創造主から贈られるアドバイスに気付く努力を続けて戴きたいと考えます。ラジオやテレビと同様、多くの放送局を通じて折角の有益な放送がいつも流れている中、既存の4感覚だけに選局を限定していたのでは、もったいない限りです。
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