ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落025

025 First -- What is a human being ? As we see the body which is an effect, we observe that it is composed of flesh, bone and liquid. And not much different than most animal forms. But that which makes up the form is never seen with the physical sight as it is made of myriads of cells. Each cell is independent yet it blends with all of the others for the common good and maintenance of the form. Just as the three billion people of the earth make up the human family. But because they have not been taught the part which they may play in life, disorder results. This disorder is minor compared to the total order on earth. For if it were not so the planet earth would be in a chaotic state. So now we must try and learn the cause of disorder.
025 第一に、人間とは何でしょう? 人体を見ると、それは一つの結果であり、私達はそれが肉と骨、そして体液から構成されていることに気付きます。そしてそれらは大部分の動物の身体と大差が無いことがわかります。しかし、身体を作り上げているものは肉眼では決して見ることは出来ません。なぜならそれは無数の細胞から出来ているからです。一つ一つの細胞は独立していますが、同時にその形有るもの共通の目的や維持の為、他の全てのものと融合しているのです。丁度、地球の30億人の人々が人類家族を作り上げているのと同様です。しかし、人々は生命において果すべき役割を教えられて来なかった為、混乱が生じています。それでもこの混乱は地球の秩序全体と比べれば小さいものです。何故ならもし、そうでなければ、この惑星は渾沌状態になっていることでしょう。ですから、今、私達は混乱の原因を学ぼうと努力しなければならないのです。

【解説】
 人間とはどのようなものかを観察する際の視野の奥行きを深める必要性を述べています。肉眼ではどんなに目を凝らしてもほんの大まかな対象しか見えません。また、通常、私達は自分自身の物である(本当は「預かりもの」なのですが)自らの肉体ついて、実はあまり良く知りません。普段、気にかけるのは顔にシワがあるとか、ホクロがあるなど、些細なものしか目に入っておりません。しかし、真実は莫大な数の細胞があり、各々が人体という構造体を維持すべく活動しているということです。私達はこれらを「知識」として知っているに過ぎず、日常的にこれらの莫大な数の細胞の動きに気付こうとはしていません。それら微少なる存在が活発に活動しているイメージに気付く必要があると言っているのです。
 ここで、自分にとって最も身近な身体の部位を例に考えて見ます。私は「手」が最も身近な存在のように常々思っています。よく悪い意味で「手先」という言葉があります。それほどに、自分の意向に沿って動く器官が「手」なのです。この器官が如何に大事かということは指先の一つでもケガをすればすぐにわかります。それほどに私達の日々の生活はこの器官の助けを借りています。
 その器官はどのようにして作用しているのでしょうか。こうして文を書いている時も、手は私の思いを着実に文字に変換しています。また、自分の身にどのようなことがあろうとも、常に私に随行し、用事を行ってくれます。暗い中で両手を触れて見てください。右手を通じて左手に貴方の意思を感じ取ることができるでしょう。
 しかし、この部位も一つの結果であると文頭で言っています。即ち、手を動かす為、その部位が本来の活動を始める為には神経指令が必要ということになります。その指令エネルギーがその筋肉、腱、その他に正しく伝わらなければ、スムーズな動きは出来ません。脳硬塞等に罹患した方の場合、その部位の肉体上の問題は無くてもその部位を動かすことが出来ません。手を動かす指令を仲介する脳の一部に問題が生じたからです。
 一方、高レベルの場合は、ピアニストの例が該当します。著名な作曲家の作品をピアニストが演奏する場合、ピアニストは楽譜に沿ってものすごい早さで鍵盤を叩きます。この場合、ピアニストの手には高速度の指令が伝達され、その指令に従って指先が連打しています。それが実現されるのは、作品のレベルに合致した伝送速度を流すだけの能力が先ず有って、その指令を受ける出力装置がそれに耐えうるまで機能を高めていることで初めて実現する訳です。
 このように普段、何気なく接している自分の肉体ではありますが、私達として、身近に備わっているこれら優れた器官に改めて感謝する必要があることに気付きたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落024

024 So we will endeavor to understand the self by knowing the equipment we have to work with.
024 ですから、私達は私達が日々共に働かなくてはならない道具を知ることによって自分自身を理解するよう努力する必要があるのです。

【解説】
 二人と同じ人間がおらず、各自に託された才能が異なる以上、その天分を開花させるのは各自の責任です。そしてその為には先ず、自分自身を理解しようと努力することが必要になると言っています。
 ここでは日本語訳では「努力」と訳していますが、原文では"endeavor"となっています。その意味合いは単に試しにやって見る「試み」に近い努力ではなく、「何とか実現しようとありとあらゆる手法を試みながら、目標に向かって一歩でも前進しようとする継続的な取組み」を意味しています。
 また、その知ろうとする対象として私達自身の相棒である自らの「装置」(肉体)について研究すべきであると言っています。なお、この肉体、私達が活動する上で無くてはならないもので、いやおうなく自身の生涯の伴侶である為、"have to work with"と表現されています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落023

023 We find no two human being that are alike. For the different talents with which each is endowed makes the difference. But like the keys on a piano, when one learns the tone of each and strikes it accordingly a beautiful harmonious melody is the result. The opposite can be brought forth when not understood.
023 私達はそっくりな2人の人間を見つけることはありません。何故なら各々に授けられた異なる才能が相違を作り出しているからです。しかし、ピアノの鍵盤のように、人が各々の音色を学び、適切にそれを打ち鳴らせば、結果として調和のあるメロディーが生まれます。理解されなければ、その反対が引き起こされ得るでしょう。

【解説】
 この世の中に「私」という存在は一つしかありません。各々が異なる才能、役目を担っていると言っています。
 その違いをピアノの鍵盤のように例えていますが、そもそもの自分に課せられた音色(表現)とはどのようなものかを良く知ることから始める必要があると言っています。人間の常として、他人の欠点は良く分かります。しかし、これが自分のこととなると途端に分からなくなるものです。そもそも、自分に適した才能を見い出す努力を行っているかも疑問です。自分自身を顧みることなく、成り行き上の日常生活を送っているのが私達です。
 従って、先ずは自分の才能に気付くよう努力することから始めることになります。普段とは違う側面に明るくチャレンジして自分の可能性を確かめるのも良いかも知れません。本文に言うように、人類全体を通じて流れる調和したメロディーに貢献できるよう、各自が精進することしか、全体のレベル向上は無いのです。
 一方、逆説的にはなりますが、個人的体験から、世の中には自分と似ている人もいるように思っています。以前に米国に行った時、日本の私の職場の関係者と顔形や喋り方、物腰等の雰囲気が似ている人物と出会ったことがあります。当然、米国人と日本人との違いはありましたが、雰囲気は大変似ていたことが印象的でした。その方とお話をしましたが、その応対や話し振りもそっくりなので、驚いた記憶があります。地球全体では、おそらく同じような思考パターンを持った人間は存外、多いのかも知れません。
 自然界に目をやると、多くの生物がその種に独特な姿を見せる一方で、各個体は皆同じような顔形(かおかたち)をしているように思います。植物や昆虫等においては、各々の種で同じ顔形をしています。これを人間に当てはめたらどうなるでしょう。外見は皆一様なので容姿を気にする必要はなくなる一方、各自が他人をひきつける為には、内面深く魅力を持たなければならなくなることは確かです。バッタや蝶等においては種による容姿の統一化が図られており、その中で各々の個体はある意味、命がけで生命の継続に向けての営みに自分自身を捧げています。結果としては、植物の受粉を助け、他の動物に食物を授ける役割を果す等、地上に調和ある自然の営みをもたらしています。
 人間その他の動物では顔形で本人が区別できるようになっています。それはそれで便利なことではありますが、反面、容姿に捕らわれると、各自の内面についての訓練や学習という面では疎かになりがちです。外見に囚われず、内面から湧き出る各自の才能にもっと鋭敏になって、その発展に尽すことが必要です。自然の中の存在である人間にとって、各自の本来の役割を果すことがその個体の存在理由であるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落022

022 The major purpose for man seems to be -- an unlimited Expression of Cosmic Intelligence -- as no other form seems to have that scope of ability. Yet to do this, every phase of creation must be understood. When Jesus instructed his followers to be "about the Father's business" he had reference to this way of life. And in order to do this one must study each manifestation from the lowest to the highest.
022 人間の主な目的は、宇宙英知の限り無い表現であるように思えます。他の形有るものがそのような能力の可能性を持つとは思えないからです。しかし、これを成す為には、創造のあらゆる段階が理解されねばなりません。イエスが弟子に「父の務め」にとりかかるようにと命じた際、彼はこのような生き方との関連で述べたのです。そして、これを成す為には、人は最低位から最高位に至るまでの各々の現れを学ばなければなりません。

【解説】
 人間の主要な目的は宇宙英知の表現者になることだと言っています。他の個々の創造物は生き物にせよ、鉱物にせよ、それらの固有の美しさを自ら表現しています。自然界にある全てのものは、いかなるものも、その種、特有のパターンや形式を保ち、その詳細な構造を調べれば、調べるほど、美しい側面が現れます。そして、その表現には種によって一定の枠があり、それ以上の変化を示すことはありません。
 しかし、人間はそれらの枠を超えて、宇宙英知を制限無く表現できる能力があり、また表現することが本来の人間の目的だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落021

021 There can be no question regarding the fact that we were born for a reason or purpose, and there could be many. If this were not true, there would be no need for human beings.
021 私達が何らかの理由或いは目的の為に生まれて来たという事実に関して何らの疑問はあり得ません。もしそれが真実でないとするなら、人類の必要性は無いことになるからです。

【解説】
 私達がこの世に生まれて来たのには目的があると言っています。そもそも人類の存在意義について考えることが必要だと言っているのです。しかし、「人類」という大きな視野でなくても、自分自身、本来、生まれて来た目的は何であり、それが今日までどのように達成して来たか、実際に努力されて来たかを自省することが必要です。
 人が生きて行く為には、日々必要な食物や生活に必要な資源等、多くのものが提供されています。まして、今日では地球環境問題とまで言われるように、人間が生きて行く上での影響は惑星全体にまで及ぶほど大きくなっています。
 それほどに、周囲に支えられている私達ですが、実は自分がこの世に生まれるについて創造主から託されたであろう自分の目的について、これまで考えたことも無いという方も多いかも知れません。
 しかし、遅すぎるということは無い訳で、御自身の目的についてもっと真面目に考察することが大切です。残念ながら、個人の内面のことは他人が立入ることはできません。死に至る前までに、その本来の道を自覚し、その方向に向けていくばくかの前進をしたいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落020

020 We of today have a greater responsibility for we have more to compete with and more temptations than those who lived in the earlier days. So a greater alertness and determination is required if we are to understand and fulfill the purpose for which we were born.
020 今日の私達はより大きな責任を有しています。私達には昔の時代より多くの競争があり、多くの誘惑があるからです。ですから、私達が生まれて来た目的を理解し成就するには、より大きな警戒状態と決意が必要とされるのです。

【解説】
 ここでは、昔の人々の素直さ、純粋さについて述べておきましょう。
 今から約410年前、1597年2月5日、長崎で殉教したキリスト教徒26人(10人の日本人を含む)に関する記録が現存し、日本でも出版されています(「日本二十六聖人殉教記」ルイス・フロイス著、結城了悟訳、聖母の騎士社1997年発行。当時日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスが記述し本国に報告した記録)。
 それによれば、キリスト教が日本に伝えられた当時、日本では大名をはじめ、庶民に至るまで数多くの人々がキリスト教に入信しています。その後、豊臣秀吉の禁教政策により、キリシタン弾圧が始まる訳ですが、その最初がこの長崎における26名の殉教事件でした。この本によれば、時の権力者(秀吉)が全国に君臨し、人の生死を意のままにする絶対的な権力者であったことがよく分かります。またその中で報告されていたキリスト教徒は実に心が素直で、信仰を受け入れています。当時の庶民の生活は今日とは比べようもないほど、貧しいものであっことでしょう。庶民の生活の中では、過度な競争も無く、互いに助け合うような誰もが貧しく質素な生活があった故に、素朴さ生まれたものと思われます。科学の発展も無い中で、人々は全てを自分の感性で受け止め、何が真実かを見極める必要がありました。そして、その判断が、時の権力者の意向に沿わないものであれば、命を賭けて自身の信念を貫くこともいとわなかったと言えるでしょう。
 一方、科学が発展し、民主主義国家の今日においては、権力者は様々な目に見えにくい手法で、民衆をコントロールしようしています。また、人々の実生活は、互いを利用して富を肥やすことを目指してしのぎを削っている毎日と言えるでしょう。その中で、今日、人間一人ひとりが生まれて来た本来の意義を達成するためには、更に慎重な判断と実行力が必要だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落019

019 Even Jesus had to go through many unpleasant experiences and made a mistake when he drove the money changers from the Temple. For he taught, judge not. But when he realized his mistake he knelt in front of the Temple and asked his Father for forgiveness.
019 イエスでさえ多くの不快な体験を経なければなりませんでしたし、あの寺院から両替商を追い出した時は過ちを犯しました。何故なら、彼は裁くなと教えていたからです。しかし、過ちに気付いた時、彼はその寺院の正面にひざまずいて彼の父に許しを請うたのでした。

【解説】
 人の成長の過程に誤ちは多いものです。また、不本意な結果に終わることもしばしばでしょう。一方的な見方で相手を判断し、行動した結果、行き過ぎた行為となってしまうこともあるでしょう。
 良いものがよく分かり、世の中の悪しきものの本質が見えて来ると、とかく世間を批判し、正そうとする行動になります。
 しかし、大部分の人々が地上のどうしようもない世の中で生きて行かざるを得ないのも、この星の現実です。問題はこのように苦しんでいる人々に、いかに宇宙に充ちている生命の息吹きに気付かせ、本来の安らぎを提供するかにある筈です。
 行動を起さなければ何も進展しないということも確かですが、その行動は他者への哀れみやあたたかさに根ざしたものであることが必要なのです。自然界の営みが一見、無言であっても、全てが絶妙に調和して結果としては全く破壊の要素が見られないことにも留意したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落018

018 Remember every act is perfect - be it good or bad - as we classify it. For every action calls for a full coordination of your mind, body and consciousness. So you grow into perfection by action and experience.
018 あらゆる行動は私達の分類によるところの良くも悪くもそれ自身、完全であることを忘れないで下さい。何故なら、あらゆる行動はあなたの心と身体、そして意識の完全なる整合を必要とするからです。ですから、あなたは行動と体験によって完全なるものに成長を遂げるのです。

【解説】
 実は「行動(行為)」は「心」+「身体」+「意識」の完全な調和があってはじめて成り立っていると言っているのです。そのもたらす結果、或いはその目的はとにかくとして、人が行為を行う場合に、この三位一体が完全に成立していなければ、実際の行動は出来ないと言っています。行為を分析すれば、それ自体には良し悪しは本質的に無いと言っているのです。どのような行為であっても、その行為には私達が本来、目的としている「完全さ」の要素が備わっているということでしょう。
 しかし、それだからと言って、どんな行為でもOKだとするのは、あやまりなのは言うまでもありません。心の指令と肉体各部の運動、それを支える目に見えないメカニズム等、「意識」と称せられる宇宙的な衝動のどれもが、協調して作用してはじめて、行動になるのです。
 まずは、日常生活において、自らの足の一歩を踏み出す際に、心が「先に行きたい」と思う想念と実際に「脚を前に進める」身体、そしてその脚の筋肉や体型のバランスを保つ一連の身体の動き等、様々な活動要素が円滑に調和してはじめて「歩く」という行為が行われます。そう言う意味からも、行為自体についても、どのような指示命令系統が身体に行われているか、感じ取る努力が必要かも知れません。
 いずれにしても、単に「○○すべき、○○したい」とする心の意思だけでは、体験することはできません。実際に行動する為には、「身体」と「意識」が調和されていなければなりません。
 よくある話に、自分に自信を無くした場合、最悪のケースでは、目前の階段の1段も登れなくなるような事態も起こり得ますし、催眠術にかかって自らの心の力が弱くされると、極端な場合、一歩も歩けなくなってしまうこともあり得ます。文中に述べられているように、私達は所詮、自らの行動とその結果として自らが経験する体験によって成長する以上は、体験を持つ為には、行動が必要であることは容易に理解されるでしょう。そういう意味から、自らの心(意思)を弱めたりすることからは、遠ざかる必要があります。
 好例なのは、スポーツ選手の演技です。彼らの俊敏な演技(行動)は、「心」が「意識」のレベルまで周波数が高まり、機能が向上した場合には、それほどに高速度で高レベルな演技(行動)ができることを示していると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落017

017 Do not be afraid of making a mistake. But when you are aware of making a mistake, correct it as soon as possible, for if you do not, it could be a block in your progress. But do not feel badly, for that could cause you to be too cautious. Remember at all times that mistakes are the result of wrong application through which we learn the right procedure. And experience is necessary for the expansion of knowledge.
017 過ちを為すことを恐れないで下さい。しかし、過ちを為したと気付いた時は、一刻も早くそれを正しなさい。何故なら、そうしないと、それはあなたの進歩の障害になるかも知れないからです。しかし、くよくよ思ってはいけません。あなたを余りにも用心深くさせることになるからです。いつも過ちは間違った応用の結果であり、それらを通じて私達は正しい手順を学ぶということを覚えていて下さい。そして体験は知識の拡張に無くてはならないのです。

【解説】
 これまで経験が無い、宇宙的衝動を現象世界を現に支えている存在として認識し、その指示を受け入れるように自らの心を訓練するということは、師匠と弟子が四六時中、寝食を共にしている場合以外、容易なことではありません。まして独学で、一人、学ぼうとしている私達にとって、間違えることはむしろ当たり前のことです。Try and error による学習になることは自然の成りゆきです。
 しかし、ここで問題なのは、結果が失敗だった時の対応でしょう。思うように行かなかったことの背景には、様々な要因がある筈です。個人の責に因らない場合もありますし、自分の未熟さが現れた場合もあるでしょう。重要なのは、ここで自分の誤りに気付いた時、即ち、「自分のここが過ちであった」と自覚できた場合は、速やかに改めなさいということを言っています。実際には、人前で自らの過ちを認めることは容易なことではありません。自分のプライドを捨て去る必要もあります。無数の失敗への道がある中で、狭き門を行く為には、失敗への対応が重要であり、どのような場合でも全創造物の親である創造主の恩寵を自覚して、自らを素直に保つことができるかが、鍵となります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落016

016 This awareness will enable a faster growth of understanding when used in everything that is done. And when the full awareness comes it will seem at first that there are two of you. The mental acting and the consciousness directing.
016 この気付きこそが為される全てに用いられるならば、理解力においてこれまで以上の急速な成長をもたらすでしょう。そして完全な気付きに到達した時には、最初の内はあなたが二人いるように思えるでしょう。活動しようとする心と指示する意識の二つです。

【解説】
 私自身の体験で言えば、自分の行動を印象に従って行った為にうまく行った場合と、一瞬、躊躇して(おそらくは過去の経験と比べて「無理」、「あり得ない」と判断して、行動が遅れて失敗した場合があります。この場合、失敗と分かったのは、自分自身、その直前の印象に従っておけば良かったと思うからです。この時、いつも思うのは、この「気付き」(印象、衝動)は、私達の道しるべとして常に人生(生命、Life)の進むべき方向を指し示して下さっているということです。
 そういう意味では、私達は、これまでの「常識・非常識」に影響されること無く、空間を貫いて私達を通過する「意識」なる印象に従うことによって、大きく成長することでしょう。これらの事柄は、多くの宗教における「修行」にも通じるところでしょうが、この「生命の科学」の優れている点は、この「行」(訓練)を日常の実生活において実践することにあります。
 しかし、これらの「行」について実践した者の中には、精神分裂状態に陥った事例もあります。その詳細な事情は不明ですが、自分の理解力以上に背伸びした実践は禁物です。印象に敏感になるということは、良くも悪くも、自分の感知する領域が広がる訳で、自分自身の段階に近いものほど、共鳴しやすいのは、科学の道理です。(類は類を呼ぶ)
 従って、先ずは御自身がどのような指向性を保っているのか、自分の軸足を確実にして、その上で宇宙を貫く根本的なSource(源泉)に自分は同調するのだというしっかりした動機付けが必要です。
 多くの学習者は、今後、それぞれの人生において他者を導く役目も担うことになるでしょう。その時、その確かな礎があれば、相手を確かな方向に導くこともできるようになる訳で、自分の拠り所を何処に置いているかは、大切なポイントです。
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