ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落186

186 The whale, although there are others, masters the pressures and elements of the sea, for it is able to go to great depths yet it can swim on the surface of the water and partake of the invisible gases from space that enshroud the earth. And there are some like the flying fish that leave the liquids for an experience in the sea of gases. Thus they have experience in two different kingdoms. The liquid of the water and the gases of which the liquid it made.
186 クジラは、他の者もいますが、海の様々な圧力や要素をマスターしています。何故なら海中深くまで潜ることが出来ますし、水面付近で泳ぎ地球を覆っている宇宙から目に見えないガス類を取り込むことが出来るからです。そしてトビウオのようにガスの海での体験を求めて液体を離れる者もいます。そのようにして彼等は二つの異なる王国での体験を持つのです。液体としての水とその液体を造ったガスの二つです。


【解説】
 ある面、人間よりはるかに高い能力を備えた動物も多いものです。例えば、本文にあるクジラはヒトと同じ哺乳類ではありますが、海中深く潜行出来たり、遠くの仲間と会話ができること等が知られています。
 ここでのポイントは、実は私達の日常生活を取り囲むように他の王国(次元)が広がっており、その世界を自らの体験として知っていること、知覚していることが大切だということです。前の段落では海の中に起っている様々な生命活動は人間の表面的な視覚からは感知できていないということを述べました。本文ではクジラやトビウオを例に日常の生活圏から一歩外に出て、新しい世界を知ることが大事だと言っているのです。日常生活の世界に100%依存している心をもっと冒険させて、周囲に広がる更に高次元な世界にもっと関心を持つ必要があるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落185

185 Let us now place the mind in relationship to consciousness as an observer of conscious action. And for this the shore of the ocean can be used as an example. For as we gaze out over the vast stretches of water we know that there is untold life within its body. So let us become consciously aware of the activity that is taking place within its depths that the sense mind does not see. We should now become consciously aware through impressions of the many active forms and see those as small as a grain of sand searching the bottom of the ocean for food. And millions of kinds of form life from the bottom to the surface doing the same thing. Some never rise from the bottom to see the light near the surface, while others do.
185 それでは意識に関連して心を意識的活動の観察者の立場に置いてみましょう。そしてこの為には、例として大洋の岸辺を用いることが出来ます。何故なら、私達が水の広大な広がりの彼方を見つめる時、私達はその中に人知れぬ生命があることを知っているからです。ですから感覚の心が見ることのない海中深く起っている活動について意識的に気付くようになりましょう。私達は今や、多くの活動する形有るものの印象を通じて意識的に気付くよう、また大洋の底を食べ物を探している砂粒ほどの生き物を見るようにならなければなりません。しかも海底から水面まで何百万もの種類の生命が同様なことを行っています。あるものは決して水面近くの光を見る為に海底から浮かび上がることはありませんが、そうするのものもいます。


【解説】
 目に見えないものに気付くことが大切だと言っても、やたらに神秘を造り出すことではありません。本文では海岸の波打ち際に座って、寄せ来る波の奥、遠く水平線の彼方まで続く海の中に生存している様々な生き物の活動を文字通り、意識せよと言っています。つまり、自らの知識として知っていることと実際の心の感覚を対比させ、如何に普通の心の感度が鈍いかを知ることが第一歩となります。
 このように、少し考えれば、私達の身の回りには意識の活動、生命の活力を感じ取る上で、教材は無尽蔵に存在します。また、自然と対話した先人達も数多くいるようです。芹沢光治良は晩年、著書「神の微笑(ほほえみ)」で、また坂村真民もその著書の中で同様のことを伝えています。人間はその感性を高めるにつれ、このような自然界における生き生きした生命の諸活動から豊富な印象を受けることができるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落184

184 No form or mind can live independent of consciousness. For outside of it, if there were any, would be absolute nothingness. So it is up to man to strive to have his mind listen to the teacher, the parent of all creation.
184 如何なる形有るものも、また心も意識と独立して生きることは出来ません。何故なら、その外側というものがもしあったとしても、そこは、絶対的な無であろうだからです。ですから、自らの心をすべての創造物の教師、両親に耳を傾けさせようと努力することが人間の義務なのです。


【解説】
 いつも問題の行き着く先は「意識」になってしまいます。しかし、本課の表題にあるように意識は全ての生命の知性であり力であるということになれば、宇宙にあまねく存在し、全体を包み込んでいる存在と言うことになります。その意識から細胞一つ一つに指示が出され、人を除き、生物はことごとくその教えに従って労苦を感じることなく生活を謳歌しているということです。
 問題は、自由な意志を授けられた、元来最高位にある人間が、その生命の根源とでも言える意識を無視し、また自我(エゴ)こそが人体の主人公として来たことにあります。しかし、本文では私達自身を含めて全ては意識に含まれていると言っており、私達は意識を求めて何処かに出向く必要はないことがわかります。まさに、空気のような存在で、何時でも好きな時に、交流することができるのです。山川草木、あるいは大気や星々、あらゆる所に意識を見ること、風の音、小鳥のさえずりの中にも意識の囁きを聞き取ろうとする探究心、感受性を心に植え付けることが、その第一歩です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落183

183 Even some marine life strives to see the light above the water. And the liquid of water would not be if it were not for the essence of hydrogen and oxygen which are invisible. In this invisible state the prime of life cannot be seen with the sense of sight of the human mind. But it can be known to the mind through consciousness. For consciousness is the intelligence and power that is independent of the forms, yet it activates all forms when it acts through them. Consciousness knows no light or darkness as man classifies these frequencies. Nor does it know good or bad for these are classifications of the mind through misapplication of the law.
183 ある種の海洋生物でさえ水面上の光を見ようと努力します。また液体である水は目に見えない水素と酸素の基本化合物が無ければ存在しないでしょう。この目に見えない状態の中では生命の本源は人間の心の視覚では見ることは出来ません。しかし、意識を通じて心に知られることは可能です。何故なら意識は形有るものから独立している知性であり力であり、それを通じて働く全てのものを活性化するからです。意識は人がこれらの振動を分類するように光とか闇とかを区別することはありません。また、善悪も知ることはありません。これらは法則の誤用を通じた心の分類だからです。


【解説】
 私達が立つこの世界も、惑星誕生時点の元はと言えば目に見えないガス状物質からなることは以前にも述べられて来ました。ここでは、海洋の生物についての例示をしています。多くの魚が光を求めて集まることは、夜のイカ釣り漁等で良く知られています。暗闇の中にあって光を求めるのは、より高次な存在への憧れなのかも知れません。また、魚の種によっては自身の住む世界を飛び出して、大気まで飛び出す勇気を持つものもいます。自らの暮らす世界を包む更に高次の世界を見たいとする冒険心と強い意志がその原動力です。
 しかし、これらの魚達に比べて、私達が宇宙の意識を求める態度は実に貧弱であり、いいかげんなものと言えます。第一、”命を掛けて”ということはなく、一回試みて成果が出なかった場合、すぐに諦め、元の生活に戻る事例が大半ではないでしょうか。この魚達の一見、無謀と思える習性は、自らの身を守ろうとする自我の意見を捨て去って、ひたすらより高次な世界を希求する姿勢を示しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落182

182 Living as we do, guiding ourselves by other effect no different than ourselves, we remain close to the form life of earth. Which is in itself only an expression from its lowest state of awareness.
182 私達は自分達と何ら変わらない他の結果物に頼って自らを導いて生活している以上、地上の生物体に近いまま留まっています。それらはそれ自身、悟りの最も低位な状態から来る表現でしかありません。


【解説】
 とかく日常の生活は、その時々の事情に左右され、諸事に追われる毎日に陥りやすいものです。このように地上の生活は習慣という大きな流れの中で漂い、気が付けば初心からは遠く下流に流されていることが多いものです。もちろん、それはそれで、地上の民として平凡に人生を終えるということであれば、仕方のないことです。事実、太古の昔からこの時期(初冬)の木々の枯れ葉が積もるように、地上にはこのような人生が積み重なって来ました。
 しかし、それでは人間の苦悩は無くなりません。また、人間が住む世の中も決して良くなりません。どうしてもこの最下位のレベルから進化して、進歩した人類になる必要があります。
 それには「結果」だけ、言い変えれば「自分の目だけに頼った判断」ではなく、その背景にある「因」から積極的に指導を受ける姿勢が必要だと本文では言っています。表面的な結果だけを重視せず、その背景にある「生命力」「宇宙意識」をまず認め、各自が日常生きる上での指導を目に見えない「存在」に求めることが重要です。
 風の姿は目に見えませんが、歩道に積もったケヤキの落ち葉が風の意志に従って舞踏する時、落ち葉のダイナミックな動きから、私達は目に見えない風の自由、活発、活動的な姿を知ることができます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落181

Consciousness, The Intelligence And Power Of All Life
181 We are actually living in an invisible sea of life. And as I have said before, we should school ourselves to become aware of the visible and invisible at the same time. For today we are only mentally aware of the visible forms with which we have contact. Yet all forms rise from the lowest upwards, looking so to speak into invisible space. And why should this be so? Does not all creation look to its creator as a child looks to the mother for guidance? And as space is the birthplace of all forms, they look to and live within the household of their birth.
意識、即ち全生命の知性と力
181 私達は実際には生命の目に見えない海の中で生きています。そして以前にも述べたように、私達は私達自身を目に見えるものと見えないものとを同時に気付くように訓練すべきなのです。何故なら今日、私達は私達が接する目に見える形あるもののみに気付いているからです。しかし、すべての形有るものは最下位から上部を目指して、言わば目に見えない宇宙に向けて昇っています。そして何故、このようなことが起るのでしょうか?全ての創造物は丁度、子供が母親に導きを求めるように、創造主を求めているのではないでしょうか。そして宇宙は全ての形有るものの生誕の地であり、それらの生まれた家庭を求めその中で生きていたいのです。


【解説】
 本課から、いよいよ宇宙空間との関係など、本格的な内容に入ります。
 私達の暮らす世界は宇宙に繋がっており、生命の本源である宇宙を皆が志向しているとしています。創造主はこの広大な宇宙のすべてを支配し、その内側にある創造物のすべてを養っていることから、如何に大きな存在であるかが理解できると思います。その創造主の具体的作用として存在するのが本講座の主眼である「意識」なのです。本文では創造物は皆、創造主を頼って生まれ故郷の宇宙を目指して、各々の進化の道を歩んでいるとしていますが、私には、それらは丁度、サケや鮎が生まれ故郷を目指して急峻な川を遡る光景が目に浮かびます。魚達にとっては決して容易な旅ではありません。途中には堰や障害物等、様々な困難がありますが、一度諦めれば水流に流されて落ちて行くだけですし、困難を乗り越えれば川の源泉にまで到達でき、生命の水の源を味わうことが出来るのです。しかし、このような困難で油断ならない旅も、魚達は、命を張ってはいても、皆楽しく、横道にそれることなく、堰を越えようと一生懸命、力の限りを尽くしています。一見して到底越えられないと懸念されるような堰も、何度となく飛ぶ内に越えられるものです。その努力の過程で幸運も作用する筈です。私達、人間もそれと同程度の意気込みを持って宇宙を目指し、目には見えない創造主の元を求めることができれば、各自の進歩は格段に加速することでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落180

180 Can a man become immune to pain? Yes, we hear of those who can walk on hot coals without pain. But they have learned how to discipline their mind, and the mind had to be willing in order to be disciplined. This shows that whatever unpleasant conditions the mind faces, it is of its own creation through misapplication of the law. So it behooves the mind to become a willing student of cosmic principle if it is going to enjoy the blessings that life offers. This is where the memories from the past can serve man in recalling values he has gained through experiences he has had.
180 人間は痛みに動じなくなることが出来るでしょうか? もちろんです。私達は痛みを感じることなく、焼けた炭の上を歩ける人々について聞いています。しかし、彼等は彼等の心を如何に訓練するかを学んで来ており、心は訓練されることを喜んで応じなければなりません。このことは、例えどのような不愉快な状況に心が直面しようとも、それは法則の誤用によりそれ自身が造り上げたことを意味しています。ですからもし心が生命が提供する祝福を享受しようとするなら、心は宇宙の諸法則について喜んで学ぶ学生にならなければなりません。ここがこれまで体験を通じて得た貴重なものを人間に思い出させる過去の記憶が役立つところなのです。


【解説】
 苦痛は何であれ辛いものです。しかし心の持ちようでその痛みは軽減できます。以前にも何処かでお話したとは思いますが、私の体験上、緩和できる方法があります。先ず、「痛い、痛い」と騒ぐ心を落ち着かせ、身体の何処の部分が痛がっているのかを静かに自分で自分自身の身体の隅々まで意識を動かし巡らして探ります。次に、その周囲に意識を浸透させて、「安心して落ち着くよう」その部分に印象を送ります。しばらくは目を閉じてその部分が訴えていることに耳を傾け,聴いているとたいていの場合、痛みはスーッと消えてしまうというのが私の場合の対処法です。
 言い変えれば痛みとはその発信源で肉体細胞が異常を訴えている訳で、それの事実を先ず受け入れ、その後はそれを鎮め、細胞の調和を進めることによって痛みが無くなるということだと思っています。
 一方、このような苦痛が生じるのはそれまでの生き方に原因がある訳で、こうした苦痛を取り去るには不調和を起こさない生活習慣が不可欠です。宇宙の法則に従うことが最も抵抗が無く、スムーズな人生を送れる秘けつであり、本来、人間が生きる道なのです。私達の人生の中には成功も失敗もあります。それらの体験は楽しいものもある反面、苦痛を味わったものもある筈で、成功は法則の正しい活用事例、失敗は過った誤用事例として自らの体験から多くを学ぶ必要があるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落179

179 The apple is made of matter and supported by conscious life the same as we are yet it does not scream when we bit into it. Why? Because it does not have the kind of mind that man has, endowed with a free will which is in constant opposition to Cosmic law.
179 りんごは私達と同じ物質から成り立っており、意識ある生命によって支えられていますが、私達が噛み付いても悲鳴を上げることはありません。何故でしょうか? それは人間が持つような、宇宙の法則に常に反対している自由意志を授けられているような心を持っていないからです。


【解説】
 静かな植物の世界は人間とは違う雰囲気が存在しています。第一、植物は動物とは異なり動き回ることはなく、わずかに花粉や種を飛ばすだけです。一見、渡り鳥やその他の動物と異なり、好きな場所に移動できず、不自由な身の上かと思いがちです。しかし彼等は一箇所にじっとしていますが、落ち着いて大地や大気を通じて地球の動きを日夜感じているような気がします。太陽の眩しい光や夜の暗闇を感じ、また夏の暑さに耐え、冬の冷え込みに身構え、四季の移り変わりを全身で味わっているのです。
 その植物達に多くの動物達が生存の糧を依存しています。また、植物達は、これらの動物達を養う為、進んで秋には実を着けます。この時期(初冬)には青空の下、細い枝先までもたわわに実を付けた柿の実を見かけますが、それらは餌となる昆虫が居なくなる冬の季節に、鳥達に甘い御馳走を提供しています。
 本文では、りんごの例について、りんごが食べられることを嫌がらないと述べられていますが、その通り、りんごには自身を守ろうとする自我の心は無いことが、これら植物の奉仕の活動の原点となっています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落178

178 For if we desire to be as our creator we must face all phases of life without being disturbed. The Creator faces his creation without discrimination. For should he like one and dislike another he would be dividing himself, and thus do no better than man. But all phases of creation are loved by its creator for its purpose is known. It is a human trait to discriminate and through this many hurts are received because the ego mind separates itself from the whole.
178 もし私達が創造主のようになりたいと望むなら、私達は心を乱されることなく生命のあらゆる側面を直視しなければなりません。創造主は自らの創造物を差別なく直視しています。何故ならもし創造主があるものを好み、他のものを嫌うならば、創造主は自らを切り裂くことになり、人間よりましなことができなくなるからです。しかし創造のあらゆる側面はその目的が知られているが故にその創造主によって愛されています。区別するのは人間の特徴であり、エゴの心が自身を全体から分離してしまう為、この過程を通じて多くの痛みを受けることになります。


【解説】
 本文で述べられていることは、全てをありのままに受け入れ、好き嫌いを無くすということです。この一見、当たり前に思われることが実は難しいのです。私達の日常の心の動きを観ていると、多くは好き嫌いで判断していることがわかります。つまり、自分の気に入るもの、気に入らないものを区分けして、自分(エゴ)が好むものを重用し、それに傾くのが人間の常です。これに対しては、まず、心に好き嫌いの判断をさせる前に、もっと公平に愛情をもって諸物に接することです。万物をいとおしく見ることが、心の好き嫌いを封じる唯一の手立てです。
 一方、本文ではこのような好き嫌いの原因となる「区別すること」が人間の本性だとも言っています。確かに人が幼児期から物事を覚える際、一つ一つの物の名前を覚えることから始まります。ここでの物の名前は他から区別する上で必要となる作業です。諸物の理解の為にはその特徴を知ることが重要で、そのためには分類作業が必要となります。昆虫や植物の世界で新しい種が発見されたと報じられるのも、こうした分類学が人間の世界においては確立されているからに他なりません。しかし、分類ばかり行っていては、肝心の個体の観察がおろそかになってしまいます。
 好き嫌いは、エゴの実像がよく現れる現象です。各自、これらの反応を観察した際に、その反応をありのままに直視し、それが何故、どのような理由や根拠で発生したのかを知ることができれば、少なくても同様な反応は以後、姿を消すことでしょう。エゴ自身がその誤りに気付いたからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落177

177 This is where duality sometimes comes in. For you may love someone dearly and yet you do injury to them. This conflict is caused by memory cells of a lower nature, and those of a higher nature. If we knew something about our self we would combine these memories in relation to each other instead of the extremes with nothing between to support either of them. This lack of understanding is the cause of mysteries and misunderstandings. And when we hurt anyone we hurt ourself for we are all the same. We do this because our mind has not been trained to act as a good catalysis. This can only be done when the mind knows the reason for life.
177 ここが二重性が入り込む所以です。何故ならあなたは誰かを愛おしく愛しているかも知れませんが、それでもあなたはそれらを傷つけるかも知れません。この矛盾は低次な記憶細胞と高次な記憶細胞とによって引き起こされているのです。もし私達が私達自身についてなにがしかを知っていれば、私達はこれらの記憶を相互に補完することなく極端に走ることを止めて互いに関連づけてこれらの記憶を統合させることでしょう。この理解不足こそが神秘と誤解の原因なのです。また、私達が誰かを傷つける時は私達は自らをも傷つけることになります。何故なら私達はすべて同じ存在だからです。私達の心が良い触媒として行動するよう訓練を受けていないが故に私達はこのようなことを起こしているのです。その心の行動は心が生きて行くことの理由を知るようになる時にはじめて実現することになります。


【解説】
 アダムスキーは、かつて私的な会合で「人は誰でも殺人者の体験を持っているものだ」という趣旨の発言をしています。その意味は本文で述べられているように、人体の細胞が記憶として運んでいるものの中には低次なものも多いということでしょう。また現実世界では紛争地帯では今も互いに殺しあいを行っていることや私達の日常の近くでも殺人事件や傷害事件が起っていることに注意する必要があります。当事者になった場合には本人の全身の細胞がその体験を等しく記憶する筈です。また、映画やその他の娯楽についても、私達は疑似体験をさせられているというのが実体であり、社会の風潮を改善する為には、より高度な文化、芸術の普及を図る必要があります。
 一方、人は生きて行く上で、他の生き物を奪って、これをあやめ自らの身体の維持に利用しています。それは生物としての大きな自然の食物連鎖の一つとして考えれば、創造主の意図に従った姿であると言うことが出来ます。しかし、これらの循環の中では本来、最高位の創造物である人間としては自らの中にあるこれらの獣性を神性に調和させ、本来の役割を果たすことが求められています。
ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ