ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落110

110 This shows that consciousness knows no fear - for it is the possessor of all knowledge. The mind does not have the knowledge and lives in fear. And as a result it has promoted all kinds of mysteries in relationship to life and its continuance.
110 このことは、意識は如何なる恐怖も知らないことを示しています。何故ならそれはすべての知識の持ち主であるからです。一方、心はその知識を持ちませんし、恐怖の中に生きているのです。そしてその結果、心は生命とその存続に関連してあらゆる種類の神秘を助長させて来ているのです。


【解説】
 不安や恐怖こそ、地球の人間が克服すべき最大の課題です。誰しもこの世に生まれ落ちた時は皆等しく創造主から才能や素質を授けられていた筈です。その創造主の子供達が成人し、造り上げたのが現在の社会です。そこには幼子を待ち受ける地上にはびこった既成の仕組みが大きく作用していることも確かです。しかし、人間の生涯は高々90年です。即ち、このスパンで、ほとんどの人間が入れ替わる訳で、過去の制度や仕組みに加えて、私達今日生きている人間こそが現在社会の諸問題発生の原因となっていることは間違いありません。
 その最も大きな問題が恐怖の問題だと言っているのです。恐怖心は人間の理性を失わせ、極端な場合には殺人や戦争をも引き起こします。この恐怖は実に巧妙に自我の心の中に入り込みますし、既存社会の体制維持の道具としても用いられています。
 何度となく申し上げることですが、一方で自然界の生物達は例え自らの生命の危機にあっても恐怖に支配されることはありません。自らの寿命が明日で尽きる場合でも、皆現在を楽しみ、まさに為すべきことを為しています。特に夏に野原に出て見ると、虫たちは短い夏を精一杯楽しむかのうように、休まず働いています。これら虫たちが知っている「生命の永続性」こそが、ある意味、人間が身に付けなければならない最大のポイントだと考えます。その生命の永続性をベースとして人間本来の進むべき方向に向けて、日々の生活を楽しみながら、必要な訓練を続けることだと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落109

109 The Breath Of Life is proof of that, and it is given freely to all forms of life. For was not the first clay form of man activated into life by THE BREATH OF LIFE, breathed into its nostrils by the Creator? And it became a living soul, or a conscious being. A new born child is slapped on the buttocks and made to take the first breath, or it would not be alive. And notice here, the mind is only partially active, yet the baby is consciously alive. We know that a young mind knows no fear until fear is imposed upon it. Or until it begins to act with the mind and gets hurt, then fear takes over.
109 生命の呼吸はその証しですし、それは生命のすべての形有るものに無償で与えられています。人間に形取られた最初の粘土が創造主によって鼻から息を吹き込まれ、生命の呼吸によって生けるものになったのではありませんか。そしてそれは生ける魂、意識ある存在になったのです。生まれたばかりの赤ん坊がおしりを叩かれて、最初の呼吸をさせられますが、そうしなかったら、生けるものとはならないでしょう。そして、ここで注意して欲しいのは、赤ん坊の心は一部しか生きていませんが、赤ん坊は意識的には生きているのです。若い心は恐怖が押し付けられない限り、恐怖を知らないことを私達には分っています。あるいは赤ん坊が心といっしょに行動し、痛みを得るとその時から恐怖が支配するようになるのです。


【解説】
 座禅その他の沈想の際、良く分かるのは自分の呼吸です。私達は独りでに、何らの努力をせずとも、人体が生きて行く為に不可欠な呼吸、生命の息を休みなく行っています。これは各自が赤ん坊としてこの惑星に生まれた時に始まる永続する宇宙の活動の一つでもあります。私達は通常、その言わば目に見えない創造主から無償で授かった生命活動に対して、もはや当然のごとく見なしており、その有り難さを自覚しておりません。唯一、自覚するのは、水に溺れた時や臨終の時、言い換えれば自らの生命活動の終わりに瀕した時です。無くてはならないこの呼吸こそ、全創造物に贈られた生命の根源的な活動なのだと言っているのです。
 ありとあらゆるものが惑星上の同じ大気を身体に取り入れることによって、生命を維持している訳で、聖書にあるように人間の創造に関わるのがこの呼吸です。ヨガや禅の例を引き迄も無く、おそらく呼吸にはより深遠な意義と仕組みが隠されているものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落108

108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。


【解説】
 「意識」という表現は、アダムスキーが特別な意図を持って表現した言葉と考えられます。ある意味、人間、否、そればかりでなく、ありとあらゆる創造物に宿っている、より深い目覚め、感性、知覚その他の認識を示しています。実際に各自の内なる存在の中に表層的な自我(エゴ)とは別の、根源的で創造主につながっていて、各自の様々な機能を司っているものを「意識」と表現しているのです。また、この「意識」なるものは、私達が通常、使用する「意識」、例えば「○○を意識して」(即ち○○の所に自分の感性を置きながら)、あるいは急病人が倒れて「患者の意識はあるか」(即ち、患者が覚醒しており、精神あるいは感覚の基本的機能が無事かどうか)という時に用いる場合と極めて類似した要素があると考えられます。
 古来より、創造の真理は不変ですし、「意識」についても昔から存在していた訳で、多くの哲学者や宗教家がこの意識について、各々の時代や言語で語って来ました。科学が進化し、生命活動の仕組みが次第に明らかにされて来る中で、今日、私達は再度、原点に帰って、生けるもの、とりわけ自己の内部で「意識」がどのような活動を行い、私達の自我とどのように関わっているのかを深く観察することが重要となって来ました。他の自然が創造主の指導に従っているのに対して人間だけがその光明を見出せないでいるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落107

107 You may say here, it is a mess. Yet it is the product of the exalted ego or human mind. For it no longer allows itself to be guided by the consciousness or creator.
107 ここであなたは、それをめちゃくちゃだと言うかも知れません。しかし、それは増長したエゴ、即ち人間の心の造り上げた所産です。何故なら、エゴはそれ自身を意識あるいは創造主によって導かれるものとはしていないからです。


【解説】
 あらゆる物事に原因がある訳で、この混乱した世の中も、所詮人間のエゴが造り出してしまったものです。人間の増長した自我(エゴ)は創造主の導きの手から離れてしまい、その結果、何十世紀もの間、形を変えながらも流れ着いた先が現代ということでしょう。
 しかし、その問題の原因は明確だとしています。エゴが創造主の指導に耳を傾けなくなったことに原因があると明言されています。実は、これと同様の指摘は多くの哲学者、宗教者が異口同音に訴えていることなのです。Wayne Dyer(ウェイン・ダイヤー)も「貴方の持つただ一つの問題は、ご自身の源から離れてしまっている」ことだとも言っています。本来、最も身近な存在であるべき自分の中の宇宙的な存在、常に進むべき道を示して下さる導き手を受け入れないなどというもったいないことを私達は日常行っています。唯一、自我のプライドが捨てられない為や不安を払拭できない為に踏み込めないでいるのです。
 聖書では息子が放蕩の限りを尽くし疲れきって家に戻って見ると、両親は暖かく迎い入れてくれたとしています。各自が自我を自ら訓練し、日常生活を通じてより誠実に創造主に向き合うようにすることで、自我の増長を戒め、本来の道を進むことができることでしょう。その先には両親である創造主が暖かく迎えてくれる筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落106

106 We can see the results, for the whole world is living under the cloud of fear one against the other. And no one trusts another human being.
106 私達はその結末を見ることが出来ます。何故なら、全世界が相互に対する恐怖の雲の下で生きているからです。そして誰一人として他人を信用してはいないのです。


【解説】
 エゴが造り上げた社会は自分しか頼りにせず、自立した個我が自由に生きることを保証された社会であり、一見もっともな理屈がありますが、一方では貪欲がまかり通る殺伐とした世の中になっているという方が真実に近い表現でしょう。
 基本的には他人は信用されませんし、また信用したら途端に食い物にされる社会です。確かにこのような社会で生きて行く為には先ず、相手を疑ってから対応するのは賢い生き方なのかも知れません。
 しかし、このような世の中の風潮は変えて行かねばなりません。未来の世代がより良い社会環境の中で生涯を幸せに送る為には何が必要なのかを考え、一歩でも実現させるのは今の世代の私達です。与野なカの人々にそのような社会の次痛言を訴えるのは政治や宗教の本分ではありますが、そこにも偽物と本物とがあり、容易に信託することも出来ません。アダムスキー氏は組織というものを信用しませんでしたし、自らも作りませんでした。ただ、多くの著作を残し、講演会を開いて大衆一人一人に真実を訴えたことはご存知かと思います。様々な機会を捉えて同行者を募り、一人一人の思いを発信し、共感者を増やして行く草の根の活動が必要なのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落105

105 This shows that there are two stages of intelligence in the human form. One the Cosmic - directing the functioning of the body. And the other - mental opposition that causes the suffering in the body. A Clergyman expressed this well when he said that humanity has become Un-Godly. This is true, for people no longer look to the Creator for guidance, and they do not have faith in the giver of life. And as a result, they exercise their free-will to the full extreme under the master of fear. So greed has taken over, and it is like a cancer which is bound to destroy this civilization if it continues. These are the fruits of the free-will, where one Will does not trust another. But how can it when the will of man does not trust the Will Of The Creator or consciousness?
105 このことは人体は二つの舞台があることを示しています。一つは人体の機能を指揮している宇宙的な存在、そして他は人体に苦痛をもたらしている心の反抗です。ある牧師はこれを人類は神を敬わなくなってしまったと言ってこのことを良く表現しました。これは導きをもはや創造主に求めない人々にとっては真実ですし、彼等は生命の贈与者に信頼していないのです。その結果、彼等は恐怖の主人の下、最大限まで自分達の自由意志を行使するのです。そのため、貪欲が支配するようになりましたが、それはもし続くならこの文明を滅ぼすことになる癌のようなものです。これは一つの意志が他を信用しない所に実る自由意志の結実の結果です。しかし、人間の意志が創造主の意志、あるいは意識を信頼しないとしたら、どうなってしまうことでしょう。


【解説】
 究極的には信仰心(faith)に行き着く問題なのかも知れません。自我の確立を大義として近代文明はそれまでの政治から文化まで、生活の隅々まで宗教が浸透していた中世に反旗を翻して新しい自我中心の文明を造り上げて来ましたが、その結果が現代社会なのです。
 確かに権威主義の暗黒時代は今日では完全に解消され、人々は自由を満喫できる時代となりました。しかし、今日、人々の日常にどれほどの精神的拠り所があるのでしょうか。自由意志からは自由競争、自己責任へと、個々の力量が最大限尊重される一方で、競争に敗れ、あるいは結果が予定通りのものでなかった場合、自我(エゴ)の心は直ちに自信を失い、落込んで何らの活力も生み出せなくなる傾向になります。これはまさに、自由意志の限界と言えるでしょう。
 もともと、この自由意志は自我の身勝手な意見に他なりませんし、本来、何ら創造的なものを生み出す力は無いことを最初に自覚すべきなのでしょう。これら自我の意志に依存することなく、もっと身体に宿る創造主の要素を身近に実感し、その指図を待ち、素直に受け入れることを目指すべきなのではないでしょうか。更には、この自由意志を内なる創造主の要素に寄り添わせるよう、創造主の言葉(印象)を大切なものとして受け入れ、合体させる覚悟が必要なのです。その為にも、自分の内部の宇宙的な存在を先ず、信頼して次ぎの一歩を踏み出すことが重要と言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落104

104 Fortunately there is a harmonious law that works through the body independent of the mind, or the body would not last the years that it does.
104 幸いなことに、身体の中には心から独立して働く調和ある法則があります。そうでなければ、人体はそのように何年も持続することは無いでしょう。


【解説】
 身体の中で働く自然の法則。これにより何度、助けられて来たことか。時々の結果に一喜一憂。失望と有頂天を繰り返すのが心の常です。そして失望の時、あるいは怒りの時、私達の心は自らの肉体をも痛めつけ、自暴自棄に陥りやすいものです。
 実は後から考えると、あの時何故あのような気分になる必要があったのか不思議に思うほど、心は時に暴走します。その心の暴走から身を守っているのが肉体内部で心の動きに従わない部分です。筋肉で言えば「不随意筋」。そもそも心臓や一連の呼吸作用等、到底不安定な心に任せられない重要な部分は皆、心とは別個に活動を行っているのです。
 心が異常状態になったら、まず客観的に心を落ち着かせることです。これまでの体験を振り返ってどう対処すべきかを考えさせ、アイデアを創造主から戴きましょう。私達各々が創造主から愛されていることは、この日夜体内で働いている無償の愛の奉仕活動から実感できます。また、そこまで考えるゆとりが無い場合には、ゆっくり休んで心が鎮まるのを待つのも良いでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落103

103 The Divine Will always expresses in perfect harmony and causes no distortion in any manifestation. That is why the human form under this will manifests so well. And yet it is abused more than any other form known, by the free-will or will of the ego. i.e. When one eats a meal, the mind or the will of man knows not what is to happen to the food in the body. And if the ego is in a happy harmonious state the food will be beneficial to the body. On the other hand, if the ego is disturbed, confused or tensed and out of harmony with the law, or consciousness, indigestion is bound to follow causing gas around the heart and constipation. Proving the Divine Will, will not lend itself to the distorted will of man. So man pays the price for the distortion through pain and suffering. And this is the only way that some people can learn.
103 聖なる意志はどの創造物においても常に完全な調和をもって表現し、如何なる歪みも生じさせません。それがこの下にある人体がかくも申し分無く現出している理由です。それに加えて人体はエゴの自由意志、つまりは意志によって他の如何なるものよりも酷使されています。即ち、人が食事を摂る時、心や人の意志は肉体の中で食物がどのようになるか知りません。もし、エゴが幸せな調和ある状態にあれば、食物は肉体にとって有益なものになるでしょう。他方、もしエゴが掻き乱され、混乱しあるいは緊張して法則や意識と調和出来なくなっている場合には、消化不良になり、心臓の周囲にガスを発生させたり、便秘を引き起こします。聖なる意志は人間のねじれた心にはご自身をお委ねにはならないとしましょう。そうであれば、人は痛みや苦痛を通じてこのねじれに対して代償を支払うことになります。そしてこれこそが、ある種の人々が学べる唯一の方法なのです。


【解説】
 創造物の中で人体が最も酷使されていると言っています。その原因は自我(エゴ)にある訳ですが、皮肉なことにそのエゴに最も近い存在が自身の肉体なのです。各自にとってご自身の身体は一生の連れ合い、まさに死ぬ時まで片時も離れない相棒です。その大切な肉体を痛めつけているのは、その肉体を心底必要としている自我自身ということになります。
 多くの病が心の意気消沈や不安等の不安定な状況の中で発する混乱した想念の影響を受けて発症します。もとより肉体に最も近い所に発信源がある訳ですから、その影響は甚大です。喜怒哀楽、ことごとくの表情として肉体は反応しますが、身体の内側でも呼応して様々な反応が起っていると本文では言っています。
 このように誕生してから死ぬまで、どのような想念を発し、その結果、どのような肉体にしてしまうかは、全く各自の責任で行われるべきものです。誰しも健康な身体で幸せな人生を送りたいと望んでいるのですが、それをどうやったら実現できるかは、誰も教えてくれません。多くの場合、手探りの試行錯誤によってそのポイントを自分自身で掴んで行くことになるのですが、少なくとも本講座を真面目に取組むことによって多くのヒントが得られることでしょう。これまで自分自身の半生を振り返っても、この点だけは確かなものとしてお伝えできると思っています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落102

102 All nature, with the exception of man, operates by the will of Cosmic Law. In plain, nature lends itself to the law, or the will of the Creator. Yet the form of man operates under the same law that nature does, while the free-will of man operates contrary to it.
102 すべての自然は人間を例外として除けば、宇宙の法則の意志によって動いています。簡単に言えば、自然は自分自身をその法則、創造主の意志に委ねています。一方で人間の身体は自然と同様、同じ法則の下で動きますが、人間の自由意志だけがそれに反して働いているのです。


【解説】
 自由とは通常、何物にも束縛されず、その者の望むことを発言し、行動することを言う訳で、一見誰もが「善し」とする人間の天与の権利とされています。
 しかし、世の中の有り様、過去の人類の歴史を覗く時、人間は太古の原始生活から今日の宇宙時代を迎える中で確かに科学技術は急速に発展し、途中、数多くの戦いにより破壊が繰り返されましたが、その文明は着実に発展しています。
 一方、人間の内側の進化は実にお粗末なものでした。毎日のニュースを見ても、人間の感情や欲望の果てに数多くの事件が連日のように起きています。これらの本質はいずれも、この人間の内面の進化が外側の文明の進化と比較して取り残されている為、かえって問題を拡大させているのです。また、社会自体の中で、他人を食い物にして財を為そうとする者を数多く生み出す等、極めて病んだ社会になっているのです。
 これらの根源がこの自由意志にあることを考えれば、如何にして目覚め、そのような脇道から這い上がるかが問われています。昔、荒野でヨハネが「悔い改めよ」と叫びましたが、それはこの人間の自由意志のわがままを矯正して、大自然の法則に寄り添った生き方をしろということだったのです。自らが本来、天から与えられた自由を如何に正しく用いるかが課題です。私事ながら、昔、中学生の当時、毎週の朝礼でカント哲学者でもあった校長天野貞佑先生が毎回のように「自由とは何か」についてお話になっていたことを思い出します。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落101

101 And the ego must learn how to apply the impressions that come from the guidance of the THY WILL which is the conscious will, instead of the will of the mind. If a harmonious life is to be enjoyed, the will of the mind must submit its will to the will of consciousness, then the THY WILL is done. The difference between the two is - the conscious or THY WILL does not force itself. It is kind and mellow in its expression, while the ego will is aggressive, domineering and self-centered. Conscious will knows no fear - the ego will fears all through life and makes many mistakes.
101 そしてエゴは心の意志に代わって意識の意志である「汝の意志」の導きから来る印象をどのようにして応用するかを学ばねばなりません。もし、調和ある生活を謳歌するなら、心の意志は意識の意志にその意志を委ねなければなりませんし、そうすれば汝の意志が行われるでしょう。これら2つの違いは意識あるいは汝の意志はそれ自身を強制しないことにあります。その表現はやさしく、豊潤ですが、一方、エゴの意志は攻撃的で横暴、自己中心的です。意識は恐怖を知りませんが、エゴはその生涯を通じて恐れており、多くの過ちをおかすのです。


【解説】
 まず、ここで述べられている印象の応用について考えて見ます。自分の心が発するにせよ、意識に起源を置くものにせよ、私達が「印象を応用する」とはどのようなことを言うのでしょうか。端的に印象を、「思い付き」や「アイデア」「ヒラメキ」というように表現すれば、応用するとはその「アイデア・ヒラメキに従って行動する」「そのアイデアに基づいて何らかの作業や過程を経て発展させる」あるいは「それに基づいて何らかの方向に向かって行動する」等の行為を行うことを意味しています。もちろん、その印象が正しい、誤りのないものであれば、良い結果を得ますし、単なる心の欲望、恐怖心から来るものであれば、結果は望んだものとはならない筈です。
 そこで問題なのは如何にして心に浮かぶ印象が何処に起源を持つものかを識別するかにあります。極端に警戒して心を閉ざすことはかえって逆効果。どうせ自分の心から来る想念はロクなものではありません。むしろ心を広げて様々な自然の要素に関心を広げ、印象を数多く取り入れることの方が良さそうに思います。
 私達のささやかな日常生活の中にも天気の変化や季節の移り変わりがありますし、注意して見ると様々な動植物の世界も身の回りにあります。この限られた空間の中にも立派な宇宙がある訳で、それらを観察することによっても宇宙から来る印象、意識からのメッセージを心に取り入れることが出来ます。画家、熊谷守一(1880~1977)は30年もの間、自宅から出ることなく15坪程の庭の動植物を観察して数多くの素晴らしい作品を残しました。どのような環境に暮らそうと、私達は皆、宇宙そして創造主に包まれた中に生きていると言うことです。
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