ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落035

035 Faith is the foundation of all manifestations. And one without faith is like a ship without a rudder or captain. Once your mind has trust in faith, it will trust the instructions of consciousness, thus allowing the consciousness and mind to work as one. Then the consciousness of God which is the cause, and the sense mind of man which is the effect, have been united. And the biggest Mystery of Life has been dissolved.
035 信頼は全ての創造の現れの基礎です。そして信頼の無い者は舵や船長のいない船のようなものです。ひとたびあなたの心が創造主への信頼に委ねれば、心は意識の指導を信頼するようになり、その結果、意識と心が一体として働くようにさせることになります。そうすれば因である神の意識と結果である人間の感覚の心が一体となって結びつくのです。そして生命の最大の神秘が氷解することになるのです。

【解説】
 あらゆる創造作用において、この意識への信頼というものが、基礎であり、基本です。
 そして大事なのは、私達がどのような進路を目指すにせよ、意識は時々に必要なアドバイス、指導的印象を各自に授け続けているという認識です。本文では船の進路を例えていますが、様々な行く手の困難に対しても、意識を信頼すれば必ず目的地まで導いてくれると言っています。
 ここで、ポイントとなるのは、私達の心が如何に意識が授ける指導印象を受け入れ、自らの行動に結び付けるかであると言っています。どんなに思いを込めたメッセージも、それを受け取るべき者が、それを無視したり、読もうとしなければ、本人の役に立たないのと同様です。しかし、直接会えなくとも、必要に応じて的確にアドバイスを送ってくれる師、あるいは父母のアドバイスは有り難いものです。私達は、この目に見えない存在、意識に対し、もっと感謝し、信頼を寄せる必要があると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落034

034 Here you may say that you do not wish to follow blind faith. Yet to accomplish what you feel down deep within yourself that you can -- you must use it. For what is blind faith? When you were planning your house you were using blind faith for the house was not present as a finished structure of concrete and plaster. Whatever you do in your life is performed with blind faith, for you never know what the results will be in any act. Whether walking or riding or whatever you are doing you hope that all will be well, but you are never sure. In fact 99 % of our life depends upon blind faith. I leave the 1 % to past experiences, but even there you are not sure the results will be the same if repeated.
034 ここにおいてあなたは、盲目的な信頼に従がおうとは思わないと言うかも知れません。しかし、あなた自身の中の奥底であなたが出来ると感じていることを達成する為には、あなたはそれを用いなければなりません。何故なら、盲目的な信頼とは何でしょうか?あなたがあなたの家を計画している時、あなたは盲目的な信頼を用いています。その家はコンクリートとしっくいの仕上げられた構造物として存在していないからです。あなたが人生の中で何を成そうと、それは盲目的な信頼とともに成されます。あなたはいかなる行動においても結果がどのようになるかはわからないからです。歩いている、或いは乗り物に乗っている時、或いはどのようなことをしているにかかわりなく、あなたはすべてはうまく行くように願いますが、確信を得ることはありません。実際には、あなたの人生の99%は盲目的な信頼に頼っているのです。私は残りの1%を過去の体験に残していますが、それでさえ、あなたは仮に繰り替えしであったとしても結果が同じになるかどうかは確かではないのです。

【解説】
 ここでのポイントは盲目的な信頼です。(従前は"faith"を"信念"と訳される例が多かったのですが、faithには信仰の意味もあり、"信念"という"やみくも的"、"断定的"なニュアンスを避ける上から創造主への信仰の意味合いも込めて、"信頼"としました。)
 これまで述べて来たように、何かを創り出す際に、私達は実際には99%、この盲目的な意識への信頼関係を活用していることに気付く必要があります。私達の心がどうさわごうとも、物事が生まれる際の一つ一つの過程を少し考えれば、私達は常に未知なる存在からの指導(印象)に従っていることを認めざるを得なくなります。
 逆に言えば、それほどに私達は日常的に意識から、その時々に必要な印象を受けているのです。心が今後、よりスムーズに宇宙の源泉から来る印象を取り入れやすくする為には、その存在に対して、信頼を寄せ、印象の流れを妨げないようにすることが重要です。それが、意識に対する全面的な信頼が求められる由縁です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落033

033 This could be called the development of the mind in intelligence. There is really nothing that you do that does not have the consciousness behind it. Your mind may change and modify an impression either for good or bad results, depending upon the mind's intelligence or how well it accepts the instructions. To produce good results the mind must have total faith in consciousness and permit itself to be guided by it.
033 これは知性における心の発達と呼んでもよいでしょう。あなたが成すことで背後に意識の無いものはありません。あなたの心は、その心の知性に依存して、あるいは意識の示唆を如何に良く聞き入れるかによって、良い結果となるにせよ悪い結果になるにせよ、印象を変化させ或いは修正するかも知れません。しかし、良い結果をもたらす為には、心は意識に全信頼を持ち、自らが意識によって導かれることを良しとしなければなりません。


【解説】
 ポイントは、私達の日々の行動において、実は意識の助けを借りずに行われているものは無いということです。
 前項(032)の本文で述べられているように、私達の日々の活動は、印象を基としていますが、その印象(アイデア)は「意識」から来ているものだと言っています。自分自身の経験から言っても、「あのとき、最初の印象に従っていれば良かった」等、後から思い出すように、私達の心は通常、やって来る意識の指導(印象)を素直には受け入れないものです。一つ一つ、自分(心)が判断し、これまでの経験に無い場合には、その印象をねじまげ、勝手な解釈をしがちです。
 誰もが、演奏家が楽譜を見ること無く、長い曲を完璧に再現するのを見て驚嘆しますが、まさにその姿は宇宙を流れる意識という大英知に人間の心が完全に従っている光景です。
 しかし、直ちにそのような理想的レベルに到達することは出来ません。先ずは第一学年からで、各自の心を意識の指導の声に耳を傾けさせ、心を少しずつ本来の姿に純化することです。当面は指導の手を差し伸べている意識なる存在に信頼を寄せることが大切だと言っています。
 ラジオやテレビの場合と同様、いかに意識が印象を発しようとも、肝心の受像機である心がそれらを受信できる感度が無い、あるいはせっかく受信しても自分の志向に合わないからといってスイッチを切ってしまったら、役立つ内容を視聴者に伝えることが出来ないのと似ているように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落032

032 When the form is seen with the mind and the consciousness reveals the cause we then see the visible and invisible at the same time. i.e. If you start making a plan for a house by drawing it on paper, you are producing the first effect that comes to the mind by conscious impression. You are using the consciousness and the mind as one. The consciousness alerts the mind what the design is to be. After the plan is drawn you may make many changes due to the experience you have had with houses. Even then the consciousness will point out the improvements that can be made which were not present in the houses you have known.
032 形有るものが心で見られ、意識がその因を漏らす時、私達は目に見えるもとと見えないものを同時に見ることになります。即ち、もしあなたが紙に図を描くことによって家を作る計画を立て始めるならば、あなたは意識の印象によって心にやってくる最初の結果を作り上げていることになります。あなたは意識と心を一つにして用いているからです。意識は心にデザインは如何にあるべきかを注意します。計画が図面化された後、あなたは家について得たこれまでの経験に基づき多くの修正を行うかも知れません。しかしそれでも、意識はあなたがこれまで知っている家には存在しない改善点があることを指摘するでしょう。

【解説】
 これまで、事物の背後にある原因を見るようにと述べて来ましたが、ここでは逆に、未だ現実世界に無いものが、原因の世界からどのように結果の世界に生まれるのかについて示しています。家の建築を例にとって印象が心に受け入れられ、図面に仕上がるまでを説明しています。この場合、当初、私達の心には家については「こうしたい」という希望はありますが、通常、それらは漠然としたものに過ぎません。それでも、家の図面を引きはじめるのですが、この時、心は因なる「意識」の助けを借りようとしていると言うのです。
 よく考えれば、この種のことは私達自身の日常においても、何か新しいことを始める時によく経験することです。このような場合、当初、私達(の心)は果たしてそれがどのようにまとまるか、全く検討もつきません。只、心を静めて「何とか良いものが出来ないものか」とアイデア(印象)が湧いて来るのを待っています。この時、私達は意識の指導に耳を傾けているのだと言っています。心が意識の指導を受け入れて(印象を受け入れて)、自分の手を使って図に表現すれば、成果(結果)が得られることになります。これは意識と各自の心の共同作業であると本文では述べています。
 実際、多くの創造的な仕事においては、既存の感覚器官では捉え切れない世界に多くの部分を依存しています。作曲家にメロディーのひらめきを与えるのも、画家にモチーフを授けるのも、この目に見えない意識です。この本文の例示を少し考えただけでも、私達は日々の生活や仕事の中で、実は多くの部分を因なる意識との共同作業によって行っていることに気がつくことでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落031

031 Now we must school ourselves to see the cause and the effect manifesting as One when we look at an effect. Form, we recognize with our physical sight as an effect to an effect. The mind must become aware of cause through consciousness. The moment that your eyes glance upon a form the consciousness will give the mind an impression of the life within the form. And you become single minded, as Jesus said man should be.
031 そこで、私達は一つの結果を見る時は、原因と結果が一体となって現れていることを見るように自分自身を訓練しなければなりません。私達は形あるものを自分の肉眼という結果に対して一つの結果として認識します。しかし、心は意識を通じて因について気付くようにならなくてはなりません。一つの形有るものをあなたの目が一瞥した瞬間、意識は形有るものの内部にある生命の印象を心に与えるでしょう。そのようにして、あなたはイエスが人はそうあるべきと言ったように二心の無い状態になるのです。

【解説】
 如何なる物を見る時も、私達はその物をもたらした原因と現れた結果を一体のものとして見るように自分自身を「訓練せよ」と言っています。この場合、「訓練」としていますが、原文では"school"(教育する、調教する、学校で学ぶように自分を成長させる)となっており、やみくもな(体力まかせの)苦行ではありません。もっと穏やかな学習課程を想定していることに注意したいと思います。
 さて、これまで再三、述べられて来たように、事物を見た際にその背後にある(因なる)要素にも同時に気付き、それらが一体となっていることを認識するようにと言っています。これを日常生活に応用し、日々の生活を学校のように見なして、個々人が自らの責任において成長して行くことが求められています。
 おそらく、その成果が最もよく現れるのは芸術の分野かも知れません。例えば写真。皆が同じものを見ていても、また、同じ道具(カメラ)を持っていても、写真家と一般の人とでは、その作品には大きな差が出るものです。この違いは何処にあるのでしょうか。写真家は、対象の中に秘められた美しさを発見し、それをカメラの視野に表現しようとします。自分が感動したものをもっと率直に他人に分かるように切り取って端的に表現しようとしているのです。人に感動を与えるのが芸術だとすれば、まず、自分が人に分かち与えるまでの感動(印象)を得ることが必要です。「心一つになる」(二心の無い)と本文にありますが、万物の背後にあってそれを支えているもの、その相手こそ、万物を創造している創造主の心であることに気付くことができれば、私達の日常生活は素晴らしいものに一変することでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落030

030 In observing the effect of forms we do not see the liquids or life blood, which we call sap in the tree, which flows through it making it a living thing. Nor do we see the roots in the depths of the earth and the work that they do in drawing energy from the earth unto themselves. Nor do we hear the molecules that make the form speak to each other in guiding it to the fulfillment of its purpose. This could be called the cause behind the effect.
030 その形ある結果物を観察する時において、私達は木の中の樹液と呼ぶ液体、生命を支える血液を見ていません。しかし、それは木の中を流れてそれを生き物と成しているのです。私達はまた、地表深くある根を見ることもありませんし、根が木々に土壌からエネルギーを引き出す為に果す仕事を見ていません。また、私達はその形有るものを構成する分子が互いにその形あるものの目的を果すために導く中で、互いに話しをする声を聞くこともありません。これは結果の背後にある因と呼べるものでしょう。

【解説】
 樹木についての観察の有り様を本文では示しています。樹木はそれほどに私達の身近な存在なのかも知れません。
 古来より、日本では巨木に対して神(生命)が宿るとして畏敬の念を持って大切にして来ました。今日残る千葉県清澄山の「千年杉」をはじめとして各地の神社や寺院に残る杉や楠の巨木はいずれも、こうした日本人の樹木に対する尊敬の証しでもあります。また、古代の日本には文化史的には「神人融合」の時代があったとされています。西田直二郎「日本文化史序説」(昭和7年発行、改造社)には以下の記述があります。「『草木ことごとくよくものをいい』。また『天地わかるの代、草木ものかたりせし時』ありとしたのは、古代の日本人が、わが住む世界について考えたこころである。われらの祖先はその四周の山川草木のことごとくから、よく生ける声を聞いたのである。このこころのうちには自然の事象と人間の生命との区分がなお明らかについていない。而してこれはまた神と人との境がいまだ大きく分けられていない状態であった。かかるこころの裡には神はつねに人とともにある。(以下、略)」
 この「自然と人間についての生命の区別が無い」ことや、「神(創造主)と人との境が無い」とする日本古代の概念は、この「生命の科学」本文の言う樹木の内部の生命を認識する観察に極めて類似しているように思われます。目に見えない(因に属する)生命活動を日常的に観察できる感性については、わが国古代の人々の方がはるかに鋭敏であったと言えるかも知れません。また、そのような感性を持てば、自分よりはるかに長年月生きて来た巨木に対し、畏敬を持って接するのは当然のことなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落029

029 As an example we will use the form of a tree and analyze its purpose. As we observe the effect we find that its services are many, both as a living tree and the products that can be made from it. For many useful things are made from the wood of its trunk and it fertilizes the earth by dropping its leaves. But we do not see the energy or life force which eminates from it and without which we would not have the pure air which is found in virgin forests. For it transmutes monoxide gas to oxygen which is essential to life. And all plant life serves in this field.
029 例として、樹木を取り上げることとし、その目的を分析しましょう。私達がその結果を観察すると、私達は生きている樹木及びにそれから作られる製品共に木がもたらす便益は多種に及ぶことを発見します。何故なら、木材からは様々な有用な物が作られますし、その葉を落すことで土壌を肥沃にするからです。しかし、私達は樹木から発せられているエネルギー、生命力は見ていません。その生命力が無ければ、処女林に見られる純粋な空気は生じないでしょう。何故なら、樹木は一酸化炭素ガスを生命に必須である酸素に変えるからです。そして全ての植物生命体はこの分野で務めを果しているのです。

【解説】
 樹木を例に具体的な分析例を示しています。私達は道端に生える街路樹を見ても、普段は余り印象を持ちません。私達は自分自身のことで常に頭がいっぱいで、地上に共生しているその他の生き物まで関心が回らないのが実状なのです。
 さて、樹木ですが、良く見ると春夏秋冬、様々な変化を見せています。春には芽吹きを、夏には生い茂った新緑で周囲を爽やかな空気にしますし、秋には落葉の舞いを見せてやがて来る冬の到来を知らます。そして冬には、枝先の芽が寒さに耐える姿を見せています。そのような樹木の変化はいうまでもなく、誰もが認める(どんな鈍感な人間でも気付く筈の)生きている証です。また、本文に書かれているように、樹木は木材として私達の日常生活に不可欠な様々な生活用品や家具等の材料としても役立っています。また、植物の呼吸作用として葉から吸収した二酸化炭素を一方では動物が必要とする酸素に変え、他方では炭水化物の養分を葉や根、茎に蓄え、動物の食糧としても提供しています。
 これら樹木は惑星上の一大家族の一員としての自らの役目を果していることは、ちょっとわずかの時間、観察すればこのように分かる筈なのです。知識としては、十分、私達は教えられています。問題は、如何に自分自身の日常的な感覚の理解力をそのレベルまで高めるかにあります。目に見えない生命力を感じること、感じようとすることが大切で、これらの感受性を高める努力は、ある意味、芸術家や宗教者の精進や修行と近いと言えるかも知れません。

 注:原文では"monoxide"(一酸化物)となっています。通常、植物は二酸化炭素("carbon dioxide")を酸素に変える「光合成」を行うとするのが定説であり、原文の"monoxide"は"carbon dioxide"、あるいは"dioxide"の誤りかと思いますが、原文に従って敢えて「一酸化炭素」と訳しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落028

028 So we must first -- condition the mind which is made up of the senses to not accept the effects as the ultimate answer as it has been doing. But patiently analyze the reason for the effect before coming to any conclusion. It should not make any difference whether it be a personal effect related to one's self, or another person or form of life.
028 ですから、私達は最初に、過去にやって来たように結果を最終的な答として受け入れることの無いよう、諸感覚から成り立っている心を慣らさなければなりません。代わって、何らかの結論に到達する前にその結果に対する理由を忍耐強く分析することです。それには御自身の個人的な結果であろうと他の人の或いは他の生命体についてであろうと何ら違いは無いはずです。

【解説】
 前項(026)で述べられているように、私達の心は学習課程にある訳ですが、具体的にはどのような姿勢で望んだら良いのかをここでは明確にしています。つまり、当面、私達にとっては目の前にある結果の世界しか目に入らない(認識できない)のですが、その背景にある(それを支えている、或いはその原因となっている)様々な要素に気付くように努力せよと言っています。
 とかく私達は結論を急ぎがちです。私達の心は「好き嫌い」や「善し悪し」等の判断(裁き)を半ば自動的に下し、世の中全てを自分中心に見て来ました。そこで必要となるのは心の訓練です。原文では"condition"(訓練する、慣らす)となっています。自らの心を事物の原因(それに至った要因)について知ろうと仕向けるようにと言っています。これらの思考パターンを繰り返し訓練することによって、私達の知覚能力は高められることを示唆しているのです。
 また、ここで必要となるのは、心の動きを客観的に見ることではないでしょうか。自分の心の動きを見るためには、騒がしい現象世界にあっても、丁度鏡のように静かな水面がわずかな波紋にも反応するように、心が微妙な印象をも感じ取る鋭敏さを備える必要があります。こうした因に対する絶えざる探究心と感受性を日々の生活の中で育成することが必要だと言うことです。心の習慣を変えることは容易ではないのですが、浮ついた心を落ち着かせ、事物の背後を支えている因なる要素へ自らの関心を高める努力を忍耐強く続ければ、成果が出ることに間違いはありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落027

027 We can observe that life lends itself to all nature without divisions. And it seems that man's free will has separated him from his natural expression of life.
027 私達は生命は分け隔てなく自然全てに自らを貸し与えていることに気付きます。そして、人間の自由意思こそが人間を生命の自然な表現から分離させて来ているのです。

【解説】
 「人間とは何であるか」、「自我(エゴ)の学習課程で陥りやすい課題」を述べた上で、物質世界を根底から支えている「生命」についてコメントしています。
 端的に生命はあらゆるものに区別なく、貸し与えられていると言っています。ここでは「生命」について詳しくは述べていませんが、いずれにせよ、生命(いのち)の息吹き(活動)という共通の源泉によって、自然界のすべてが生かされていると言っています。これが自然が調和を保っている根本原因なのです。
 しかし、私達の自由意志が私達を宇宙にあまねく生命から分離させてしまっているのです。人間だけに与えられた「自由意志」については、いずれ本文で述べられることと思いますが、ここでは、自然界の生命活動に同調出来ないでいる私達自身の問題点を指摘しています。
 実は、この生命の源から離れてしまったことの問題について、おそらくほとんどの宗教や哲学が取り上げているものと思います。最近、聴いたウェイン・ダイヤーの講演記録(Dr.Wayne W. Dyer: Live Lecture 6-CD Set, "The Secrets of the Power of Intention" , 2004 Hay House Inc.)の中でも"Source"(源泉)と再び結びつくことの大切さを訴えていました。しかし、実際の問題は、どうしたらその源泉に戻れるのかという点であり、単に「生命の源と一体になる」と叫んだだけでは問題解決にはなりません。その点でもこの「生命の科学」は様々な角度からその原因や解決策につながるヒントを私達に授けているものとされています。もちろん、単に理屈が頭に入っただけでは、知識が増えたに過ぎません。自らの刻々の精神活動がそれに沿って実行され、自分が体験したことを通じてのみ、理解のレベルを上げることができることになります。この生命の源泉と一体になれれば、他の自然界にあるものと同様に、常に若々しく新鮮な人生を送ることになることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落026

026 The average human is a mentalist governed by the ego which is itself an effect of the cause. And as the mind is the process of learning it seeks to guide itself by other material effects and there are many things that it does not understand. And the things that are not understood are feared and disliked. And the things that are pleasing to the senses (or ego mind) are liked. Yet oftimes the likable things become blocks that prevent the individual from progressively learning.
026 普通の人間はそれ自身は因の一つの結果でしかないエゴに支配されている心至上主義者です。そして心は学習の課程にいる為、心は他の物質的結果によって自分を導こうと探し求めますが、心が理解しない多くの事柄があります。そこで、理解されない事柄は恐れられ、嫌われます。また、感覚(或いはエゴの心)を喜ばせるものは好かれるのです。しかも、多くの場合、好まれる物事は進歩的な学習からその者を妨げる障害になるのです。

【解説】
 成長の過程にある私達は、丁度、幼児が母親に常につき従うように、その保護者を常に求めています。結果の世界に生きている私達は、その存在の拠り所を結果(現象)世界に求めがちです。目に見えるもの、明らかに手元にあるものを土台として、自らの体験を広げながら学習を続けることは、自然の成りゆきでもあります。その為、「努力」はしていても根本的な認識対象を最初から結果(現象)世界に限界を設定している為に、現状から抜け出ることが難しいのです。
 多くの場合、私達の感性は通常の感覚器官では感知できない「意識」という印象レベルに発達していない為に、その認識レベルは現象にとどまっています。その場合、問題なのはとかく受け入れ側の私達の心が心地よいものを求め、一見醜いものや耳障りなもの、まずいもの、臭いものに対して、拒絶反応を起し、受け入れようとしないことです。
 以前、ある達人から「美しい音楽を聴き、美しい風景を見て、美味しいものを食べること、またそれらを求めることには問題がある。そのようなことをしていてはダメだ。」というような主旨のお話を伺ったことがあります。当時はその意味は分りかねていましたが、本文に言う「心を喜ばせることを求めてはいけない」という意味であったことが、今日ようやく分ります。日常の自分を支配しているのは何か、自分がどのような時に喜び、どのようなことに悲しみ、また何に恐れるのかについて、分析する必要があるようです。太古の昔から繰り返されて来た人間の成長の限界を飛躍させる為にも、自分が現在、どのような要素に捕らえられているか、調べ上げることが大切です。
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