ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落289

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.
289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。


【解説】
 土星会議に向かう宇宙船の中で、自分の心が当初、初めて見る船内の珍しい装置類に好奇心が湧いたものの、先ずはその会議への自分の心の準備を優先させる必要性を自覚し、自分の好奇心を抑制した話は、以前述べられました。
 それに対し、帰還の際にそれらの装置類に対し、今度はどのような心の変化があったかをここでは述べています。注目したいのは、その宇宙船内で誰かから詳しい説明を受けたとは言っていないことです。心が直接、意識から説明を受けたと言っている点です。つまり、心が興味本位の浮ついた姿勢を改め、真にその知識を得たいと願う時、心には必要な情報が与えられるということです。本課は意識との一体性について取扱う訳で、今後、より深い内容が語られるものと思われます。
 ちなみに、自然の中で動植物の写真を撮影する時、先ずはその環境、雰囲気と自分とを調和させ、一体化するように心掛けた後、改めて周囲を観察します。そうする中で、多くの人達が見過ごしてしまう、素晴らしい世界に気付くようになるものです。カメラのファインダーを覗きながら、あたかも人間のモデルに対するかのように。虫や花に話し掛けながら、良いポーズをとってもらって、撮るのが、私の撮影のやり方です。対象物に向き合う中で、自ずとそのものの意義や美しさが感じ取れますし、その過程に言葉は必要ありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落288

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON EIGHT
Cosmic Oneness
By GEORGE ADAMSKI

288 In lesson seven we spoke of my experience in the Saturn space ship. And as stated, when I first entered the big ship my mind was attracted to the instruments. But I had to quiet this interest in order to place myself in the realization of conscious awareness that I might be worthy of the primary purpose of this trip. The mind was like a child that wants to ask a lot of questions without listening to the answers. So the sense mind was quieted to listen and not be curious. This was of value for I was ready to listen through the sessions of the Council. But even then the sense mind had questions which I ignored, giving them no expression. So at the end of the Council my mind had no questions, all had been answered.

生命の科学-学習コース
第8課
宇宙的一体
ジョージ アダムスキー著
288 第7課では土星の宇宙船での私の体験についてお話しました。既に述べたように、私が初めてその大型宇宙船に乗り込んだ時、私の心はその装置群に興味を引き付けられてしまいました。しかし、私はこの旅行の大事な目的に値するよう、宇宙意識の実感に身を置く為、この興味を鎮めねばなりませんでした。心は答えに耳を貸さずに多くの質問をしたがる子供のようでした。ですから、感覚心を静め耳を傾けさせて、好奇心を持たせないようにしました。これは価値があり、私がその評議会の会議を通して聞く準備が出来ました。しかし、それでも感覚心は問い掛けて来ましたが、私は無視して、それらに何らの解説を与えませんでした。その為、評議会の終わりには、私の心は何らの質問を起こしませんでした。全ては回答されていたからです。


【解説】
 よく私達は重要な場面に向き合う際、”心を落ち着かせる”行動をとりますが、その意味と類似したことを本項では述べています。私達の表層的な感覚心は”直ぐに結果が欲しく”、その時点の自分の関心にだけ目を向けがちです。まして、これからどのような出来事が待っているか分からない時点では、心は浮ついた状況になりがちです。
 しかし、心を落ち着かせると言っても、「どのように」となると心が落ち着かせる方法が分からなければ、対処のしようはありません。ここで本項に言う”listen(耳を傾ける)”という行動が重要となります。つまり、私の側から、あれこれと疑問を発するのではなく、ひたすら与えられる回答を聞こう、受け入れようとする姿勢がカギとなることを意味します。無言の意識から与えられる指導を漏らさず受け取ろうとするオープンマインド(受容的な心)を保つことにより、自然と心は鎮まり、しかも鋭敏な状態を保つことが出来ると言うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落287

287 In the next lesson we will explain this more thoroughly.
287 次の課ではこのことを更に徹底的に説明しましょう。


【解説】
 第7課では、真の記憶は感覚心が単に覚えているというような類いのものではなく、実際には各自のもう一つの半身である意識の中に記録されて行くものであること、従って心は意識と融合しなければ真の永続する記憶は得られず、肉体の生死の境に至っては記憶は途絶えてしまうこと等を学びました。
 この記憶こそが各自の人格を構成するものである為、日々の暮らしの中で如何に望ましい体験を積み重ね、より良い記憶を培うかが大切であることは言う間でもありません。
 その意識との一体化について、本課では常日頃、生活を共にする2人の例や船と船長の例が示され、人や物に関わらず各々の内部にある意識同士を融合させることで、互いに結びつくことが出来ることを明らかにしています。つまり、このことは幼児がその持つ玩具で遊ぶ際に、その玩具と一体化し、没入できるように、私達大人も対象物とそれくらい親密になれれば意識レベルの交流ができることを意味しています。私と他人というように各々を区別する感覚がそもそもの誤りであり、全てを同じ創造主から生まれた兄弟達と思うことによって各自の視野が広がり、意識に本来の記憶が記録されるということです。次回からは第8課に入ります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落286

286 This is comparable to all form life in relationship to conscious intelligence once man lives the oneness of life. And this is the way that I felt when I was on the ship.
286 これは一度、人が生命の一体性を生きるようになれば全ての形有るものの生命と意識の知性との関係は同様になります。そしてこれが私がその宇宙船にいた時に感じた状況です。


【解説】
 生物、無生物に関わらず、ある対象と一体感が得られるということは、意識レベルで両者がつながっているということだと思います。私達はある意味、自然界のあらゆる物、神の創造物と言われて来たものと、そのような心持ちを共有できることを願って来た訳で、これまでの学習を通じて、ようやくその一体感というものが、どのような原理で働き、何故私達人間だけが疎外されて来たかが分ったところです。
 また、現象の奥にカギとして存在する「意識」についても、何故、アダムスキー氏が「意識」と表現したのか、おぼろげながら、感じ取られるようになった方も多いのではないかと思います。いずれにしても各自の中には宇宙本源と、かくも容易に繋がる意識があり、それを覆い尽くす無知で、生意気な自我がある訳で、各々が何ら外部に求めなくても、必要なものは自分の中にいつも持っていることに気付く必要があります。
 各対象物との意識の融合はこれまでにない柔和で落ち着いた心の状態をもたらすことから、他の物(者)に与える好影響も無視出来ません。つまりは副次的にも周囲に穏やかさをもたらすことになるのです。このように毎日、調和した生活を送ることによって、これらの効果は皆様の周囲に広がって行くことは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落285

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.
285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。


【解説】
 ここでは真の一体感とはどのようなものであるかを説明しています。この例にあるように船と船長の間には、それが物質との間であっても、融合、一体感が生まれるということです。これは、カメラや車等、各自が大切にしている物についても言えることでしょう。物を大切にするという奥には、その物とも互いに分かり合える、つまり印象を交流できる関係になれるということです。
 本当の意味での一体化とは、ここに述べられているように対象物と自分が何らの区別なく、互いに包み込まれ、自他の区別がない程の感覚になるということでしょう。この感覚は自然界の生物、無生物の間で、ごく普通に抱かれている感覚だとすれば、人間が気付かないだけで、あらゆるもの達が暗黙の内にも、穏やかで幸せな生命を享受していることが分かります。
 各自の自我(エゴ)の心を鎮め、自分自身の意識に耳を傾け、そのアドバイスに従えば、このような世界が広がって来るということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落284

284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing, but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私が示すものは何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、それは必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
 ここでの話はアダムスキー氏が土星の母船に乗船し、土星に向けて航行している時の氏の心境を述べたものと思われます。まだ私達には理解できない原理で航行する最新鋭の船内には、多くの珍しい機器があったものと思われます。これについては最近の日本の宇宙飛行士達も皆楽しげ、活発にスペースシャトルや宇宙ステーション内部を説明する様子がテレビで報道されています。それほどに実は宇宙空間に出ること、宇宙で活動することは心がわくわくする程、楽しいものなのです。
 しかし、今回の旅の目的を考えれば、アダムスキーはこれら目にする物事に気を取られる訳には行かなかったのです。「土星旅行記」に書かれているように、重大な惑星間会議が目的であったからです。その為にも、先ずは自分の精神状態を安定させ、重要な事項を確実に記憶し、自分のものとする必要があり、全ての関心をその一点に集中する必要があった訳です。
 なお、ちなみにこの場合、自我を落ち着かせる為に宇宙兄弟達から特別な注意を受けたとは述べられておりません。自ら進んで自分の半身である意識に融合させたと述べています。この「自分の半身」を信じて任せるということが大事なことで、他の宗教のように教祖や特別のリーダーのアドバイスに身を任せていないことに注意したいものです。生涯にわたって最も信頼できる存在は、各自の内部にある意識であることに気付く必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落283

283 When leaving California I walked into a small scout ship. It took me to a mother ship that was a different type from any I had been in before. There were many things to distract my mind from the purpose of the trip and I was interested, from the mental side of my nature, in all the strange looking instruments. But soon I realized my distraction and organized my faculties, remembering the purpose. This was not easy to do, for the mind is very selfish and wants to eat more than it can digest and by so doing it scatters itself in various directions. But my consciousness told me that on the return trip I would have time to observe all of these things and in the meantime I was to place my mind in unison with my consciousness that I might absorb the important lessons that were to be given.
283 私はカリフォルニアを離れるに際して、1機のスカウトシップに乗り込みました。それで母船まで行ったのですが、その母船はそれまで乗ったものとは異なるタイプのものでした。その旅行の目的から私の気をそらす多くの事物があり、私の心の側からすれば興味がある奇妙な形をした装置類がありました。しかし、直ぐに私は自分が気を散らしていることに気付き、旅行の目的を思い出しながら私の果たすべき機能について整理しました。これは容易なことではありませんでした。何故なら、心は大変自己中心的で消化できる以上のものを食べようとしますし、そうすることによって様々な方向に自分自身を分散させてしまうからです。しかし、私の意識は私に帰還の際にこれらすべての物事を観察する時間があることを教え、そうする内に私はこれから私に与えられる筈のその重要な教科を吸収出来る様、私の意識と調和させることとなったのです。


【解説】
 アダムスキー氏が1962年3月27日から30日まで土星で開催された「土星会議」に出席したことは、「土星旅行記」(Special Report, My Trip To The Twelve Counsellors Meeting That Place On Saturn March 27-30th, 1962)として発行されています。会議の模様は「土星旅行記」として日本では既に紹介されている所ですが、当時、この太陽系の各惑星の代表者会議が土星で開かれ、これから起る太陽系内の変化や地球への支援内容について話し合われたとされています。
 本文では、この大変重要な会議に向かう途中のアダムスキー氏の内面について正直に語られています。もし、私達が間近に宇宙船に遭遇し宇宙人との会見の機会を得たとしたら、私達の関心はもっぱら宇宙人の乗り物や服装、道具といった事物に大部分の関心が向けられ、肝心の相手が伝えたい事柄や危険を犯して訪問してくれたことへの感謝など、思い浮かばないかも知れません。
 自分が様々な環境に置かれた時、どのような反応を示すのかを観察することは大切です。ある場合は有頂天に、また別の状況ではおどおどする等、自我(エゴ)には落ち着きはありません。このような自我の動きにまどわされることなく、丁度、犬の散歩と同様に前を行くエゴの手綱をゆったり握りながらも、本道を逸れないよう、目的地を見失わず、その動きをコントロールすることが大切だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落282

282 Here I will endeavor to give a short experience that I had on my Saturn trip. And you can see how well you can place yourself in consciousness with me, and in this way you can see if the trip is as real to you as it was to me when I made it.
282 ここに私は私の土星旅行の際に得た短い体験を伝えようと努力したいと思います。そうすれば貴方は私といっしょに貴方自身を意識の中に上手く置けるかどうかが分かるでしょうし、このようにして貴方はその旅行が私がそれを実行した時、私にそうであったように貴方にとっても実際のことであるかが分かることでしょう。


【解説】
 本文で言う土星旅行記について、かつて私がエマ・マーチネリ女史から伺った話では、当時、その宇宙船のスピードがあまりに速いことから、アダムスキー支持者の間から疑問の声が上がった際、アダムスキー氏がエマの質問に答えた言葉が伝わっています。アダムスキー氏はその旅行にヒゲそり用のカミソリを持参したと答えました。実際の肉体による宇宙旅行であったことがこれから分かります。
 さて本文のポイントは私達が誰かがその人の思いを書いた文章を読むことは、その人の気持、それを書いた本人の意識状態の跡を辿ることでもあるということでしょう。私を含めて多くの方が既に何度も「同乗記」を読み、あの宇宙船内で繰り広げられている宇宙兄弟の生活振りの素晴らしさを心に染み込ませたに違いありません。このように本を読むことは肉体の目としては活字を認識することではありますが、その一方では視覚を超えた意識のレベルまでその内容を深めて理解しよう、吸収し一体化しようと努めるなら、意識レベルでは著者本人が当時感じた思い等、宇宙の記録に残る内容と一体化し、著者と同じ体験が得られるということだと考えています。
 従って、自分がどのような書物を読むか、どのような映画を見るか、またどのような姿勢、態度でそれに向かうのかは大変大事なことなのです。私達は良くも悪くも影響を受け易いからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落281

281Remember it was not the mind that created itself, cosmic consciousness was its creator and what it created it can correct and have it function perfectly when the sense mind blends with it. Even old age can be wiped away for that is a concept of the sense mind. We could say that as age came by man, so must youth come by man. The Bible states that as death came by man so, must life come by man, the sense mind. And this can be done when he becomes one with cosmic consciousness for it knows no age, nor time or place. It is always in the prime state of life and all inclusive.
281 覚えておいて欲しいのは自分自身を創ったのは心ではなく、宇宙意識がその創造主だということ、そして創造し生み出したものは正すことが出来、感覚心がそれ(訳注:宇宙意識)と混ざり合う時にはそれ(訳注:自分自身)を完全に機能させることが出来ることです。老化でさえ吹き飛ばすことが出来ます。何故ならそれは感覚心の一つの概念だからです。私達は老齢は人にのってもたらされた以上は、若さも人間によってもたらされる筈だと言えるでしょう。聖書は人によって死がもたらされたからには、命も人即ち感覚心によってもたらされる筈だと述べています。そしてこのことは人が宇宙意識とひとつになる時になされ得るのです。何故なら宇宙意識は年令を知らず、時間も場所も知らないからです。それは命とすべてを含む中にあってその原始の状態にあり続けているのです。


【解説】
 良くも悪くも自分の一生は自分が決めているということでしょう。本文では「老い」というものは自分の心が生み出す概念であると断じています。生命の息吹きに鈍感になり、益々積み重なる頑迷自我の重荷やそれがもたらす苦悩に疲れ切った状態が続けば、当然、さすがの肉体細胞も元気を失い、衰弱してくるのは当然です。
 しかし、これは私達地球人が創造された目的とはかけ離れています。なにより生まれたばかりの子供は皆、生き生き活発であり、あらゆるものを受け入れる柔軟性を持っています。それこそが創造主の息吹きということでしょう。木々も四季を通じて実に大きな変化を遂げています。春の芽吹き、夏の繁茂、秋の紅葉、冬の落葉と季節に応じて装いを変え、その間に様々な生き物達とのつながりや相互依存関係を持っていることが分かります。人間の目には落葉は時に寂しい印象を与えますが、他の生き物や木々自身の成長にとって大事な出来事なのでしょう。時には厳しい風雪に耐えながら、季節に応じて木々は成長を続け、年輪として内部にその歩みを記録し続けているのです。
 私達自身がどのような人生を全うするかは、実に私達自身が責任を有しています。創造主の下に戻って永久へと続く進化発展の道を進むか、途中で自ら造り出した、言い訳、脱落の脇道を選ぶか、冷静に考えればどちらの道を選ぶべきかは明らかです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落280

280 So one could begin to practice on the flower first, but do not be disappointed on the first tries, just be more determined to master the art. Remember the old habits will be in your way until you absorb them into better ones. Wherever you go and whatever you see or do make sure that your mind is aware of the cosmic life and intelligence that is back of all creation. And nothing is free of that life and intelligence any more than you are. For the smallest molecule in the cosmos is just as intelligent and alive as any other form and it serves its purpose. Yet your physical sight does not see the molecule, but your conscious sight can. And once you have made this a part of your life, ills that you may have had, of any nature, will vanish when you correct your mental life.
280 そこで最初は花で練習を始めても良いでしょう。しかし、最初の試みでがっかりせず、只、その技能をマスターすることをより深く決心して下さい。古い習慣は貴方がそれらをより良いものに吸収するまでは進路に居続けることを憶えておいて下さい。貴方が何処に行こうとも、貴方が何を見て、何を為そうとも、貴方の心は全ての創造物の背後にある宇宙の生命と知性に気付いていることを確認することです。そして貴方がそうでないように、如何なるものもその生命と知性から離れていないのです。何故なら宇宙の最小の分子でさえ、他のどのような形有るものと同様に知性があり生きていて、その目的に奉仕しているからです。しかしそれでも貴方の肉体の視覚はその分子を見ることはありません。しかし、貴方の意識の視覚はそれが出来ます。そして一度、貴方が貴方の生活でこの部分を達成すれば、貴方が持っていたかも知れない病気というものは、どのような性質のものであれ、貴方の精神生活を修正する時、消滅することでしょう。


【解説】
 植物と意思を通じ合うということはどのようなことか、これまで一連のこの講座を学んで、その原理についてはよく理解できたことと思います。しかし、本文で言うように実際にその成果が出るまでには、幾度となく努力、練習が必要です。また、本文でアダムスキー氏は”master the art”という言葉を用いています。この場合、”art”には「こつ」や「わざ」「技能」という語感があります。つまり、「ある種の心の持ち方」を指しているものと思われます。これは技量(テクニック)に近い内容ですが、重要なのは、それらが第7課になった段階でわずかに述べられているということです。結果を得たいが為にテクニックを身につけようとするのは、実は大変危険だと考えます。
 よく世間では超能力者がもてはやされ、その能力に憧れて、自らその能力を身に付けたいとして努力する人も居るようですが、しかし、これは能力という一つの結果を目指している以上、例えその人が能力を身に付けても、肝心なエゴの改革は為されずに終わってしまい、かえって世の中や自分にとっての害になる可能性もあると考えます。
 私達はむしろ、ゆっくりでも王道を進むべきで、毎日少しずつの進歩であっても、積もり積もれば大きな成果が得られる筈です。何よりも宇宙に流れる意識の活動の一員になることが私達各自の喜びとすることだけは、誰にも譲れないところです。そうなれば自ずと身体の各部も調和して不調和な状況(病気)は消滅することは間違いありません。
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