ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 そもそも「過ち」に気付くこと自体が容易ではないと考えています。日常的には、「自分は特段、過ったことはしていない」と考えているのが普通です。もちろん、常識的には当人が暮らしている社会の許容範囲内であれば、どのような過った考え、過った行動を行っていても、自由な行動が許されます。また、ギャンブル等の社会経済の歯車に組み込まれてしまった人生も中にはあるかも知れません。
 しかし、ここでの「過ち」とは更に高度な内容を指すものと思われます。つまり、宇宙意識との関係で貴方は過ちを犯していないかということです。前項(203、204)において意識から来る印象を受けた際の心の在り方について述べられて来ました。その関連においての「過ち」が本稿の主題です。例え意識からの印象を受信できたからと言って、早合点して他人に言いふらしたりしてはならないことは前項で述べられました。意識からの印象は確かに迫力があり、受信した本人が喜びの余り全部の内容が伝えられない間に有らぬ方向に突っ走って、全体のイメージを掴み損ねる結果、かえって他人を傷つける結果もあることを本稿では意味しているものと思われます。
 また、結局は自分の心の有り様や行動について、正しかったかどうかは、常にその結果を良く観察することで判断すべきと言っています。精神レベルの内容については、評価は自分自身でしか出来ません。自分がそのように感じ、そのような行動を執った結果は、その後の様々な状況として顕在化すると考えるべきです。そういう意味では、自身が一番良く結果を評価することが出来る訳です。キリスト教でいう懺悔もこれと同類の意義を持つものと思われます。
 この自身とその環境についての観察と分析評価は、実は大変重要なテーマだと考えています。再三述べて来たように特定の教師を持たない私達が個人でこの講座を学ぶ場合にこの過程が不可欠だからです。「狭き門」と言われるように多くの脇道が眼前には広がっており、導き手の無い時代に生きる私達は過ちに陥ることはごく当然なことです。しかし、過った道に入ってしまったと思ったら、その原因を明確にし、修正すれば再び元の王道に戻れるということです。特に過ちの行動の結果が他人に影響を及ぼした場合には、その相手の立場に立っての修復が必要と述べられておりますが、これが一番難しい。どのように修復すべきかについては、一概に言えませんが、少なくてもある種の負い目は付いて廻ることになるかも知れません。
 いずれにせよ、意識からの印象のパイプを揺るぎないものとして行くことは学習の目的の一つですが、その応用、言い換えれば、行動への適用については、更に自我の制御が必要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 余談ですが、このところ毎日、50件ほどのアクセスを戴くようになりました。どのような方がご覧かは存じませんが、ありがたいことです。また、一方ではこの解説文の内容についての真価がますます問われますし、責任も増していると考えています。ご覧戴く方になにがしかの得るところが無くてはなりません。筆者としては地に足の着いたコメントをと毎日パソコン画面と向き合っていますが、この画面を通じて、ご訪問戴いた方、アダムスキーの「生命の科学」を本格的に学びたいと思われる方と意気投合が出来ればと思っています。
 さて本論です。自分のことは良くわからなくても、他人の行動はよくわかります。中にはいろいろなことを教えて上げると言ってくれる方も多いものです。しかし、多くの場合、それは自慢話に終わるものです。つまり、相手の理解程度はどうか、相手の関心はどうかという配慮はすぐに失せて、いわゆる「知ったか振り」で終わってしまうということに注意する必要があるということです。
 特に自分が得た意識からの印象には取り扱いに十分な配慮が必要だと言っています。前項(203)で紹介したように、印象は光景としてもはっきりしたものですが、残念ながらそれが「いつ」現実になるのかについては不明でした。受けた本人はすぐにも現実のものになると思いがちですが、実現には時間が必要の場合もあるということです。意識の世界にはもともと「時間」は無い訳で、私達が思う以上に短時間で達成できてしまうことも多い反面、遠い未来を指し示すものも多いと思われます。従って、折角与えられた意識からの印象、つまり色彩も明瞭で具体的なイメージを受けた場合には、大事に取り扱い、不用意に喋らないことです。いつか自分が体験することになるようなことですので、心に暖めて置く方がよいと思われます。
 アダムスキーは何処かで「右手で知った内容を左手に漏らさない」という趣旨の話をしていたように記憶しています。それほど、多くの事柄を知っていましたが、秘密は守ったということです。とりわけUFO問題は地球の政治・経済の根幹にも関わる大きな問題です。おそらくは自分が地上から去った後の世界の行く末も見通していたものと思われます。今思えば、1952年11月20日アメリカのデザートセンターから始まったアダムスキーの公生涯は、折からの原水爆実験に明け暮れる最中に始まりました。言わば公然と外宇宙からの宇宙船の飛来が挙行され、お蔭で時代は例え、一時期であれ核戦争への道から大きく宇宙科学、宇宙哲学への道へと大きく転換したということです。
 しかし、一人の人間の生涯には限りがある訳で、代々継承される地上の既存勢力と異なり、アダムスキーが伝えた他惑星の生活指針は、各々授けられた者が引き継ぎ、発達させて行かねばなりません。一人で歩む以上、誤りはつきものです。その誤りから何を学び取るかが大事だと本文でも述べられています。出来れば、各自が「自分はかつて、こういう過ちをしたが、そこからこういうことも学んだ」ということも分かち合うべきでしょう。いわゆる「失敗事例」です。その根底には、宇宙には揺るぎなくあらゆる場所で働く絶対真理が貫いており、ある条件を設定すれば必ず同様な結果が発生するという原理と結果の関係があることを意味しています。私達の取り扱う宇宙意識との関係もそのようなものと理解して良いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるだろうという確信をもたらす筈です。



【解説】
 個人的な体験として、わずかですが本文で言うような事例を経験したことがあります。いずれも昔のことなので寝ている間に見た夢であったのかは、詳しいことはよく覚えておりません。しかし、随分年月が経過した後に、「この光景は昔、夢で見たものそっくりだ」と思ったものです。
 いずれも夢の中の印象は色彩を伴ったもので、一つは自動車の色(赤)、一つは電車の色(青緑)でした。簡単に内容を紹介すれば、自動車の例では当時、自室は前に庭があるだけの家でしたし、自動車を持つことなど思いも寄りませんでした。赤い自動車が置いてある筈もないのに何故か自室の前に赤い自動車が置いてある光景が見えたのです。また電車の例については、当時(おそらく私が中学・高校の頃かと思います)はチョコレート色の電車が普通の時代でしたが、ある駅の光景が見え、何故か見たこともない青緑色の電車が高架ホームに止まっているという光景でした。それぞれの印象を得た当時は全く現実とは離れた光景でした。しかし、それから年月が10年、20年を経過した後、不思議なことに結局、かつて夢で見た環境が自分の周囲に実現したという訳です。
 以上の話はとるに足らない話ですが、個人的にはやって来る印象を大切に扱うという例にはなっています。いずれにせよ、やって来る印象を大切にし、その印象に従って、次々に行動できればしめたものかも知れません。よく調子の良い時には、次から次に仕事がはかどるものです。また、一方では悶々としていつまで経っても仕事が進まないという時もあります。その大きな違いは、「エゴの心で考えている」か「エゴを放棄して意識の指導に身を委ねているか」の違いにあるようです。各自がとことんエゴの心で取り組み、それでも一向に改善できないことを実体験した後、命までも喜捨する覚悟を持つようになれば、このような印象に従うことも容易になるということではないでしょうか。

ご挨拶

 新年あけましておめでとうございます。

 いつもこのブログをご覧戴きありがとうございます。
昨年3月から始めたこのブログも既に、第5課の半ば過ぎに至っています。
 「生命の科学」学習コースには、簡単そうに記述されていますが、その内容には進化した諸惑星の文明の英知が詰まっているとされています。
 皆様にとって、このシリーズがどれほどのお役に立てたかは自信がありませんが、これからも少しずつでも理解を深めて行ければと思っています。
 折しも、地球を巡る環境は社会経済的にも、自然環境的にも大きな変化•変動の時期を迎えているように思います。この日本においても人々の心の荒廃等、私達は大きな課題を抱えた新年になっております。その中にあって、走らず、丁度、ウォーキングで道端の花を愛でながら歩むような自我の訓練ができればと思いますし、このブログをご覧戴ける方も、そういう気持ちで私とおつきあい下されば幸いです。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

 平成20年元旦

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。

【解説】
 本文で記述されていることは、一見当たり前のように通り過ぎてしまうかも知れません。しかし、物事は連続的に進化の段階を辿るとすれば、特定の段階を区別し、固定視すべきではありません。例え相手から不快な行為を受けたとしても、その原因や過程を観察し、貴重な学習材料として研究することはあっても、自ら当事者としてエゴの怒りに身を任せるべきではありません。そのようなことをすれば、自分のエゴを増長させ、自らの肉体を痛めつける等、悪循環に身を委ねることになりかねません。
 ヒトという創造物は宇宙くまなく同様な形態を持っていると本文では述べられています。それに関して思うのは仏像に対する人々の思いです。人には寿命があり、やがては一生を終える時が来る等、限りがあります。各時代においてかつて地上に存在した祖師や別の惑星にいる尊敬すべき人物に思いを伝え、あるいはその方達から教えを受けたい気持から、人々は人間の理想の姿として仏像を造って来たものと思います。本来は目に見えない存在こそ大事なのですが、先ずは目をそのような美しい存在から感化されるよう、理想とする容姿やかつて教えを受けた尊敬すべき祖師の似姿を見て、心を整える意義もあるものと思われます。「同乗記」の中にも宇宙船内に創造主を描いた絵が掲げられ、宇宙兄弟達はその絵を見ることで若さを保っていることが伝えられています。私達より遥かに進歩した彼等でさえ、日々の訓練を積み重ねているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。


【解説】
 実際問題、ここでの内容は筆者にとってはかなり先の問題に思えます。日常的には心が「印象」を受信することは稀であり、通常、心は目や耳に入って来る外の世界の情報に対して、瞬時に好き嫌いの反応を起こしている段階に過ぎません。ちなみに、この反応は極めて速く、逆に言えば、ろくに観察もしないで、瞬時に判断していることがわかります。何ら根拠もないまま、心が全くの自己本位、好き嫌いからその対象の人(或いは物)を一瞬で評価しています。丁度、果物の集荷場で次々にベルトコンベアで流れて来るミカンを「要る」「要らない」の仕分けをするようにです。
 一方、本文で記述されている印象への対応は、どのようなものなのでしょうか。一つの例としては、眠っている間に見る夢がこれに該当するかと思います。眠っている(即ち感覚器官の働きが鈍っている)時、心に印象がやって来たものはが、夢として記憶されているものと思われます。夢においては、本文の記述のようにやって来た印象を心が勝手にねじ曲げて、混乱したストーリーに仕立ててしまうケースも多いものです。これからは夢の中でも自分の心の反応を観察し、勝手な想像を行っていないかも注意したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落200

200 The schooling of the mind is not an easy problem, but it is worth the effort even though it takes years to accomplish as it did for me. There is not a person on earth that does not receive impressions either from the earth, the inhabitants upon it or from other planets as well as the Cosmos. But there is a difference between the human and the cosmic impressions. For a mind is a mind whether on this planet or elsewhere and it has a tendency to confuse impressions and misapply them to suit the personal desire. Oftimes the mind permits the imaginary faculty to run away with it. The imagination is like a screen or a slate upon which the pictures are drawn and the human has a tendency to distort them.
200 心の訓練は容易な課題ではありませんが、それは私についてもそうであったように、達成に何年も要したとしても努力する価値があります。地球にいる人間で地球から、またその住人から、あるいは宇宙と同様に他の惑星から印象を受けてない人はいません。しかし、人間から来る印象と宇宙の印象とでは違いがあります。何故なら心というものはこの惑星上の場合も他の場所でも同様で、印象類を混乱させ、個人的な願望に合うように不正に使用する傾向があるからです。しばしば、心はその想像力にその印象といっしょになっての暴走を許します。人の想像力とはその上に絵が描かれるスクリーンや石板のようなもので、人間はそれらを歪める傾向があるのです。


【解説】
 人の一生はそもそも何の為にあるのでしょうか。とりわけ古来から、人間の真のあるべき生き方を求めて多くの人がその道を模索して来ました。時々の悲惨な社会を見て、その人生の全てを賭けてその修業の道を実践された多くの方もいます。その求道者が得ようとしていたものの一つが、この印象を自由に感受できるよう心を訓練することでは無かったでしょうか。肉体的には何一つ変わった所がないのに、かくも精神面で大きく異なっている種族が人間だと言えます。
 また、一方で、日常生活ではこれらのインスピレーションは稀にしか起らない不思議なこととして位置付けられ、三次元世界での物証が無ければ、信用する訳には行かないとしています。
 しかし、私達自身の肉体各部が平穏に生きているように、人体の各細胞は互いに印象のやりとりを行っている筈で、私達はそれに気付かないだけなのです。既に、何度か本講座で出て来ているように、人は自身で日々表現されている生活活動から直接学べること自体を大切にしなければなりません。遠くに求めるばかりでなく、最も近い存在、自分自身から多くの印象を受信することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落199

199 When thinking of this let your mind be attentive as it was while viewing the ocean. And while the ocean has boundaries, space has none. This phase of development is very important, even when we begin to travel in space ships. For had I not developed along this line to some degree, my trips in space crafts taken bodily would have been of little value. Because there were many things on the ships and in space that my mind did not understand. But my consciousness revealed them to me. And later my understanding was verified. The language barrier was not present for in some cases I exchanged ideas with the space brothers consciously. This would have been impossible mentally.
199 このことを考える際、貴方の心を大洋を眺める時のように注意深い状態にさせることです。大洋には境がある一方、宇宙にはそれはありません。私達が宇宙船で旅行するようになった時でさえ、この発達の段階は大変重要です。何故なら、もし私がこの線に沿って幾分かの発達を遂げていなかったら、肉体を伴った宇宙船に乗っての私の宇宙旅行は大した意味を持たないものとなっていたことでしょう。何故なら、宇宙船や宇宙には私の心が理解しない多くの物事がありました。しかし、私の意識がそれらを私に明かしてくれたのです。そして後になって、私の理解は確証されました。言語の障壁は有りませんでした。ある場合には私は意識的に宇宙兄弟とアイデアを交換したからです。これは心では不可能なことでした。


【解説】
 映画「未知との遭遇」(Close Encounters of the Third Kind, 1977年 アメリカ)については、ご覧になった方も多いと思います。発電所職員である主人公はUFOと接近遭遇後、自宅に奇妙な山の模型を作り出します。傍から見れば、理解しがたい行動ですが、その山は宇宙人達が選定したコンタクトポイントであった訳です。本人はそれと知らずに、印象に従って実物そっくりな模型を造り上げ、最後は実際の山に登り、宇宙船に迎えられるというストーリーです。
 映画の中では、誇張して描かれていますが、このような事柄は、「印象」を感受した際の、ある意味、理想的な行動でもあります。しかし、通常は、私達が感受する印象は大変、微妙であり、また例え感受できても心が即座に判断して疑問を投げかけ流入を遮ってしまいます。本稿では心に疑問を挟ませないよう、宇宙から来る印象類を大切に取扱い、言語によらないコミュニケーション能力を高めよと言っているのです。
 以前、ある人からUFOを目撃した時、どのような心の状態であったか、どのような印象を持ったかと熱心に聞かれたことを思い出します。もちろん、偶然に目撃ということもあるでしょうが、中には宇宙船から印象を送っている場合やこちらから発した印象に応えての出現もあるということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落198

198 Even though great distances exist between planets and there is no established communication with them, this does not prevent one from knowing what is going on upon them. But to do this the mind must be trained to listen and be taught by the conscious messengers, without questioning the impressions while they are being given. Some will come in the form of thoughts and some with thoughts and pictures.
198 惑星間に長い距離が存在し、相互に確立された通信手段が無くても、それは人がそれら惑星上で何が起っているのかを知ることを妨げるものではありません。しかし、これを為すには心は与えられている間、その印象類に疑問を挟むこと無く、意識の伝達人に耳を傾け教えを受けるよう訓練されなければなりません。それらの内、あるものは考えとして、またあるものは考えと画像の形でやって来ることでしょう。


【解説】
 印象の伝播に距離は関係ありません。人の想いはそのまま広い宇宙に伝わるということです。まして創造主のご意志にあっては、宇宙の広大さは何ら障害とはなりません。
 遠くの場所での出来事を知るということは、先に述べられた岸辺から海中深く生息する海洋生物の存在を実感しようとする場合も、宇宙空間に浮かぶ遠く離れた惑星の状況を知ろうとする場合も同じです。いずれも肉体の目でない別のルートで私達はそれを観ることになります。内容を知るのは一瞬の映像イメージであったり、またイメージにもならない漠然とした「感じ」かもしれません。いずれにせよ、先ずはやって来る印象を率直に心が受け入れることです。
 私達の生活の中でも太陽があり、月が居る等、目に見える具体的な天体は数多くあり、それらが私達に毎日のように見せてくる美しい光景は、私達を豊かにしてくれています。朝日は惜しげ無く水辺に黄金に輝く光の太い帯を見せてくれますし、月の出は静かで落ち着いた宵の始まりを私達に告げています。
 これらの天体は実際には遠く離れており、肉体としての私達には行ける所ではありませんが、これら天体に対する私達の気持に距離は障害になりません。それらから印象を受ける為には、先ずはそれらを愛おしむ心が有ってはじめて、心通う関係になるものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落197

197 If the planet earth has produced out of its own body all that is upon it, and itself was born from the elements of space, then this should be a good proof that all planets are humming with life in varing degrees of development.
197 もし地球という惑星がそれ自身の体内から地上にある全てを作り出す一方、それ自身は宇宙にある諸元素から生まれたとすれば、すべての惑星は様々な発達程度の生命で活気溢れているという良い証拠になるはずです。


【解説】
 拙宅のトイレの壁には以前、パロマー天文台を訪れた時に買い求めた太陽系を解説した大型のポスターが貼ってあります。惑星の大きさや太陽の周囲を回る各軌道、各惑星が持つ衛星の数や大きさ等が分かりやすくイラストで描かれています。この絵を見る度に、各惑星が母なる太陽の周囲を巡る一大家族を形成していることを思います。しかし、このような絵が無くても私達の日常的生活の中に、この大地(地球)と空間(宇宙)の繋がりを実感して過ごすことが必要です。毎秒、呼吸する空気がこの広大な宇宙に繋がっていることを理解する必要があるのです。
 宇宙は別に天体望遠鏡で覗かなければ見えないものではありません。太陽や月、星や惑星等、少し空を見上げれば、頭上にありますし、いつでも眺めることができます。長らく私達は地表での生活に目を奪われて来ましたが、そろそろ本来の宇宙的な感覚を取り戻さなければならない時代になりました。
 地球環境は地球規模の気候変動問題等、最近の課題はいずれも、この宇宙に広がる概念を必要としています。哲学や宗教においてはなおのこと、自身と宇宙との密接な関連について自覚する時代を迎えているということです。
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