ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落260

260 We must train the mind to daily recognize a certain amount of cosmic life and this can be done through two phases. One, by someone who is very good at reading Cosmic Records. And the other, by allowing your consciousness to give the revelation to your own sense mind. But to do this your mind must have trust in consciousness. You will know when you have blended the two, for then you will be living in full awareness of cosmic cause and the related effects. i.e. Since I have had the experiences with the Brothers I have been living in two phases of life. One, as I used to live performing my daily duties in a normal manner, but enjoying life more than I did before. While at the same time consciously aware of my experiences and of the individuals that I have met from other worlds. The experiences are as indelible upon my memory as my daily activities.
260 私達は毎日、心を宇宙的生活を幾分でも知覚するように訓練しなければなりませんし、これは2つの面から成すことができます。一つは宇宙的記録を読み取ることがとても上手い人物による方法。他は貴方の意識に貴方自身の感覚の心に啓示を与えることを許すことです。しかし、これを行うには貴方の心が意識を信頼しなければなりません。貴方はその2者が何時融合したかは分かるでしょう。何故ならその時、貴方は宇宙の因とそれに関連した結果の完全な知覚の元に生きているからです。即ち、宇宙の兄弟達との体験を持ってからは、私は二つの生命の面で生きています。一つは私がこれまで生きて来たもので普段通りに私の日常の義務を行い、しかも以前より以上に生活を楽しんでいます。一方、同時に、私自身の体験や私が会った他の世界から来た人物達について意識的に気付いているというものです。その体験は私の日常活動と同様、私の記憶に消えることはありません。


【解説】
 ここでのポイントの一つは「毎日少しずつでも宇宙的な生活を自分の心で感じられるよう訓練すること」であるように思います。私達地球人は太古からの歪んだ生き方がこびりついており、一つ一つ洗い流して行かなければなりません。一挙に飛躍することを望むよりは、一歩一歩階段を昇る方がかえって早道だということです。
 もう一つは、本文ではいわゆる能力者(霊能者)とも言うべき教師の下で体験を積むことについてもその一方法であると述べていることです。そこで注意したいのは、原文で「someone who is very good at reading」とある中に、世に言う霊能者は確かに過去の記録を読み取る能力においては優れているものの、そのことと霊能者本人の人格性とは別のものであるという語意が感ぜられることです。これまで、多くの能力者が尊敬され、ある時には教祖として奉られて来ましたが、能力者は単に宇宙にある記録の書を読み取る能力に優れているだけのことだと言っているように思われます。
 こうした宇宙生活に目覚めると私達の生活にどのような変化が起るのか、本文で言う宇宙的なものと現実の生活が混然一体となった新しい充実した毎日になることだけは確かなようです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落259

259 To do this one must make the sense mind trust consciousness like trusting God. And this in turn calls for faith, oftimes called blind faith. To clarify blind faith a little further, we have eyes with which to see but they do not see any more than a window pane can see what is seen through it. It is you who sees through the window, so it is the consciousness of you that sees through the eyes. For when you become unconscious the sense of sight is still there but you no longer can see. The other senses follow the same pattern. So one should realize the importance of conscious seeing, or sense mind cooperation with consciousness if he is to have a cosmic memory of life. For then he can recognize himself through eternity from the pages of memory. This is an important phase if individual life if life eternal is to be earned. And that is what Jesus meant when He said, he who loses his life shall find life eternal.
259 これを成す為には、人は感覚の心を、神を信頼するように、意識を信頼させなければなりません。そしてこのことは次には信頼、即ち、しばしば盲目的信頼と呼ばれるものを必要とします。盲目的信頼というものを少しより明確にする為に見るのに用いる目について述べますが、目は自分が見ているものは窓枠がそれ自身を通じて見ている以上のものを見ている訳ではないのです。窓を通して見ているのは貴方であり、それ故、目を通じて見ているのは貴方の意識なのです。何故なら、貴方が無意識になってしまえば、視覚感覚はそこに未だあっても、貴方はもはや見ることはできません。他の感覚も同じパターンを辿ります。ですから、もし人生における宇宙的記憶を持とうとするなら、人は意識的に見ること、感覚の心が意識と協力することの重要性を理解すべきなのです。何故なら、そうすることで人は記憶のページの中から永遠を通じて自分自身を思い出すことが出来るからです。これは各自の人生が永遠の生命を得ようとするなら、重要な段階となります。また、これはイエスが自分の命を失うものは永遠の命を見い出すだろうと言った時にイエスが意味していたことです。


【解説】
 本文では意識を信頼することと「faith」と表現していることに先ずは注意していただきたいと思います。従来、とかく「faith」を「信念」と翻訳されるケースが多かったのですが、その持つ語感は原文とは異なっています。何故なら「信念」とはどちらかと言うと「自己の内面に抱く自らの考え、自分の信じている事柄を外部から如何なる妨害があっても守り通す」といった意味合いで用いられているからです。一方、本文で言う「faith」は違います。それは「窓枠である心がその部屋の奥深く窓越しに見ている自己の本体(意識)を信頼して無抵抗の態度をとり、そことの融合(一体感)を保つよう努力すること」を語感として持っています。意識への信頼を「faith」としているのです。
 こうなると具体的に私達は感覚ごとに、このような訓練が必要になるように思います。視覚、聴覚、味覚、嗅覚。これらの間には美しい、醜い、美味しい、まずい、心地よい、気味悪い等々、様々な感覚による表層的な判断があり、各々のランク付けも行っています。これらは感覚の差別行為(裁き)でしかありません。各々を落ち着かせて、自身の内部にある意識にありのままを伝えるだけの存在に徹することが必要だとしているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落258

258 Jesus blended His sense mind with consciousness and thus He was able to say, I am in the world but not of it, and many other statements that He made in reference to His past. And He could not have maintained these memories had He not blended with consciousness which carries the memories and contains the book of records.
258 イエスは自らの感覚の心を意識と融合させました。それ故にイエスは、私はこの世に居るがこの世の者ではないと言ったり、自身の過去の関連して他の多くの声明を述べることが出来たのです。そしてイエスは記憶を持ち運び、記録の書を内包する意識に融合しなかったら、これらの記憶を維持することは出来なかったでしょう。


【解説】
 仏陀と並んでイエスほど、この地球の精神性に影響を与えた人物はおりません。そのイエスの秘密が本節で述べられています。即ち、感覚の心を意識に融合させることが出来ていたイエスは多くの真理を人々に教えることが出来たのです。また、それほどに時代の潮流を把握し、人々がこれから生きるに当って必要な概念を平易な言葉で人々に伝えて行ったということでしょう。
 誰でも自らの心を意識に融合させれば、その人、本来の生き方が始まり、必要な知識は意識に収蔵された記憶から容易に取り出されることになります。「みどり子のようにならなければ」とイエスは言っていますが、それも自らの心を素直にし、意識に従わせたイエス自身の体験を述べていることが分かります。
 誰でも最初から聖人になる訳ではありません。一つ一つの訓練、学習を通じて未熟な自己の心を育成し、自らの意志でその両親である意識の下に立ち戻り、再び一家が融合することによってのみ、達成されます。その為には、一歩一歩、家に帰る道程を進むことが必要です。「精進」とはこのような事例を指すものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落257

257 Let us consider the meaning of this. Man has two souls, the soul of the sense mind, and the soul of consciousness. It is the sense mind that can be slain by lack of memory caused by adhering only to the so-called concrete effects. We can now see that memory is essential in order to have life eternal.
257 この持つ意味を考えて見ましょう。人には二つの魂があります。感覚の心の魂と意識のそれです。いわゆる具体的な結果にのみ追従することで記憶の喪失により滅ぼされ得るのはその感覚の心です。私達は今や記憶が生活を永遠に保つ為に不可欠であることは分っています。


【解説】
 ここでは人間の魂(Soul)、即ち精神的な活動主体は意識と心、2つあると言っています。この内、最も手近にあり、未熟なまま各自の行動を支配しているのが心ということになります。しかし、その心もそれ自身のこれまで歩んで来た道程等、その背景を覚えていなければ、常にゼロからの出発となることは容易に分かります。心が自らの体験を記憶できない、あるいは忘れやすいことが進歩を妨げる要因になっていることは明らかです。極端な場合、本人にはそれまでの記憶は残っていませんので、別人、別人格として再出発するということになり、かつての自分は取り戻せない残念な結果になります。
 そこで重要なのは、自分自身の培って来た知識や経験を生かせる様、記憶しておくことになりますが、特に記憶すべき事柄は意識とのつながりに関するものです。本人の意識に関する体験はその人のその後に大きな影響を与える重要なものです。また、UFOの目撃体験も印象深いものになる筈です。
 私達は単調な日常生活よりは旅行に出かけた際に見聞きした事柄の方が記憶に残るようです。これは旅行中は見るもの聞くもの心にとっては物珍しいことが多く、心が興味を持ってあたりを見回している為に、敏感になっていることが原因と思われます。心が関心をもって周囲を観察し、印象を得ようとアンテナの感度を高めていることが記憶の定着を促すものとなっているのです。漫然と日常を過ごすのではなく、目に見えない尊い存在に絶えず敬意を払いそこから与えられ続けている価値ある印象を数多く受ければ、それだけ本人の心の記憶も深まります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落256

256 So you can see that if the mind does not blend with the consciousness it can be lost in the sea of life. That is why great teachers such as Jesus have stressed, fear not that man that slays the body but the man who slays the soul.
256 ですから貴方には、心が意識と融合しなければ心は人生の海の中で迷子になり得ることが分かるでしょう。それがイエスのような偉大な教師が強調したこと、肉を切る者を恐れるな魂を切る者を恐れよの理由です。


【解説】
 意識の中に記憶が残り、自然が持つ膨大な知識が意識の中に備わっています。その意識に溶け込み、一体にならなければその知識に触れることは出来ません。人生の中で自分を見失っている多くの私達は、言わば迷子の状態で、意識(両親)の元を探してはいるものの未だ自分の居る場所も本来の家の在り処も分からない状況にあります。
 そこに関心を惹く情報を見せびらかしながら近付き、誤った方角に誘い出す者にこそ、注意しなければなりません。本文ではイエスの「魂を切る者」を引用しています。即ち、人々の迷いを深くしたり、道をはずさせる行為は、最も戒められなければなりません。
 一方で、私達が迷いの途上にあることは各宗教の教義で指摘される通りなのですが、そこから救われる為に最も大事なことは、宇宙にあまねく遍在する意識という無言で目に見えない存在に私達は常に囲まれている一方で、その意識を既存の感覚では知覚できないばかりに、その存在に気付かず、創造物の中で唯一、孤独な生活を送り続けているのが私達の現状だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落255

255 I have had a number of such experiences with others. But it is sometimes difficult to convey to the present individual ego, mind its past experiences and relationships. That is unless the mind of the individual blends with the consciousness of his own being, the all inclusive. This is not easy to do for most people dwell in the field of effects which they call concrete facts. Yet we know that behind each effect is the cause which is not as apparent as the effect.
255 私は他の人々についての数多くの同様な体験事例を持っています。しかし時として現状の各自のエゴの心にその過去の体験やつながりを伝えることは難しいものです。それは各自の心が全ての内包者である自分自身の意識と融合しなければ為し得ないからです。これは確固たる事実と称する結果の分野に居住する大多数の人々にとっては容易なことではありません。しかし、それでも私達は個々の結果の背景にはその結果物のようには明らかとなっていない因なるものがあることを知っています。


【解説】
 この分野の学習は通常の知識の蓄積と同様の手法ではうまく進みません。何分つかみ所の無い心や意識というものを研究の対象としているからです。特に自分が納得しない段階で先に読み進むことはお勧めできません。各章各節で本当は何が重要なのかを一日、少しずつ考えて行くことが望ましいと考えています。
 特に過去生の話になると受け入れられる人も少ないのかも知れません。しかし、単純に証拠が無いからというだけで何事をも拒絶することは心が既に末期症状になっている証しなのです。私達は基本的にあらゆる可能性を察知するオープンマインドが要求されています。
 もちろん、基本は現在を生きることであり、仮に過去生で業績があったとしても、それらは過去にそっと置いておくべきでしょう。問題は各自がそうした過去で学んだ事柄について何らの記憶が無く、現在の生活にそれを生かせないでいるということです。意識と融合することは、膨大な知識、技能、能力が各自に流れ込んで来ることを意味しますが、それと同時に、自分というものがどのような人生を送って来た者であるかを知り、自分本来の役割というものにも気付かせてくれるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落254

254 Yet another person who has alined himself with cosmic consciousness can locate the identity of an individual whose identity is lost to his present ego mind.
254 しかし自身を宇宙意識に従わせた別の人物はそのエゴの心には見失われている自己の正体を指し示すことができます。


【解説】
 自分が何たるかを知らず、自分がこれまで何を行って来たかを覚えていない大多数の私達は、言わば自分を見失っているということです。見失っている状態の対極を示す言葉が、本文で示されている「locate」という言葉です。意味は「自分の位置を指し示す」或いは積極的に「位置を占める」「場所を設定する」という語感を持っています。
 根無し草のように時々の風に吹き流されて水面を移動するような、結果に翻弄される人生であってはなりません。しっかり基盤に根拠を置いた上で、成長することが、自分の位置を占める存在になる訳です。その為にも、自身を意識に従わせることが必要なのです。本文の「alined」は丁度、学校の生徒達が整列するように、自身が自分の前にいる意識に従って(つまり、意識が右に動けば自分も右に、前に進めば自分も前に進むように)絶えず自分を前に居る意識に従わせることを意味しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落253

253 This is a common occurrence to millions of people when it comes to cosmic and ego identity. And is the reason why so few people are aware of their past lives. This shows that in the past as in the present there was a separation of the conscious real self and the personality or ego mind. For as we have stated before, consciousness is the only real eternal part of you. And it is in this consciousness that all activity is registered. Unless a man's mind blends with this consciousness he does lose his identity.
253 これは何百万人の人々にとって問題が宇宙的正体やエゴの正体になれば、一般的出来事となります。またそれは、如何にわずかの人々しか自分の過去生に気付いていないかの理由です。これは過去において今日と同様、意識の真実の自我と個性あるいはエゴの心とが分離していたことを示すものです。何故なら、以前にも述べたように、意識は貴方の唯一の真の永続する部分であるからです。そして全ての活動が登録されるのは、この意識の中になのです。人間の心がこの意識に融合しない限り、人間は自分の正体を失うのです。


【解説】
 期せずして、前回(252)の解説で述べたことと同様な内容をアダムスキー氏はこの本文で述べています。
 それほどに、私達は自分の過去生に対する記憶を保持していないのです。
 先日の土曜日、久し振りに写真を撮りに近くの自然公園に出かけました。桜の花は盛りでしたが、まだ早春ということもあり、木々の芽吹きはこれからという状況。折からの暖かい日の光を受けた水辺のクレソンに茂みに一羽の白い蝶(スジグロシロチョウ)が盛んに舞っています。良く見ると若葉の一枚一枚に産卵しています。これから迎える本格的な春に卵から孵った幼虫達が食べ物に困らないよう、母親はクレソンの若葉のあちこちに少しずつ産卵しています。幼虫は春の終わりには羽化し、クレソンの花の咲く頃、その白い花の回りを若い蝶が群れるものと思われます。
 もちろん、卵から孵った幼虫はその後、親から教えられることはありません。「自然」にどの葉が食べられ、どのような者が天敵かを察知し、自身に起る身体の変化を知っているのです。虫達がこのように何日何をすべきか等々、その小さな身体の何処で考え、記憶しているのか不思議です。気象条件も大きく変動する厳しい自然環境の中にあって、こうした優れた能力が無い限り、生き残れないことも事実ですが、その虫達の秘められた記憶力や感受力は人間を遥かに凌ぐものと思われます。まして一羽の蝶に比べれば、遥かに大きな可能性を有している人間には、更に大きな潜在能力があるに違いありませんし、その能力を開発しない、毎回の人生を無に帰してしまうことは創造主に対して申し訳ない限りと言うべきでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落252

252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.
252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。


【解説】
 多くの方にとってはこの事例は奇異に聞こえるかも知れません。私自身もまだ、こうしたケースを耳にしたことはありません。しかし、少し考えて見ると、人間の生まれ変わりについては、全くこの通りのことが一人一人に起っていることが分かります。アダムスキーは金星で亡妻メアリーが生まれ変わっていたことを金星旅行記で述べています。その中で、メアリーはアダムスキーに地球での体験はあえて思い出したくない旨の発言をしています。もちろん、過去の体験で役に立たないものは、キレイサッパリ忘れるべきです。問題は折角、本人が努力して培った素養が、もし過去に貯えられていたのであれば、記憶を甦らせられないばかりに、それを活用、発展させられないことです。
 やはり、物事には蓄積が必要です。何事も一朝一夕には出来るものではありません。また、私達のこれまでのエゴに支配された日常生活においては成し遂げられる事柄も限られます。一生の間に、果たしてどれほどのことを為したかを各自考えればわかる筈です。
 大事なこと、人生の転機になった体験、自分が掴んだ真理の断片はその人を造り上げていると言って良いでしょう。これらは何があっても忘れてはならない事柄なのです。宇宙意識の印象を感受し、ハットした時のこと、その時受けたイメージ等、古来より「悟り」と表現されて来た精神体験は、各自大切に記憶し、自身の中に保管すべき宝物だと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第7課-段落251

251 Ordinary routine becomes habitual and governs the ego, but this cannot be called a memory. And unless man cultivates Cosmic memory he becomes nothing.
251 通常の日常仕事は習慣となりエゴを支配しますが、これは記憶とは呼べるものではありません。そして人は宇宙的記憶を養わない限り、無になってしまうのです。


【解説】
 本文では私達の習慣はエゴを支配する一方、宇宙的記憶には何らの足しにはならないと明言しています。
 私達はどのようなものを宇宙的とするかは分からなくても、問題の「習慣」については、良く分かる筈です。朝目覚めてから夜眠りにつくまで、私達の生活のほとんどが習慣に陥っているとしたら、何年生きていても宇宙的記憶は身に付きません。そもそも習慣とはどのようなことを指すのでしょうか。私は、無感動、無意識に行っている事柄はこの「習慣」の範疇に入ると考えています。絶えず目に見えない印象を受け入れ、足下に咲く小さな花とも印象を交換出来れば、その人は少なくとも充実した日々を送るに違いありません。習慣に流されない為には、各自は相当の努力と工夫を必要としています。
 毎日の仕事を新鮮な感覚で取組み工夫を加えて行くことで、これらの習慣を打破することが出来ます。また、同乗記にも述べられているように、旅行に出て新しい世界を知ることも有効でしょう。努めて過去を捨て、新しい自分の可能性を求めて生きて行くことが生活を充実させる上で必要なことだと考えています。
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