ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落120

120 When we say Nature, it is used as a representative of The Mother Principle of Divinity. For she is the one through which forms are born. This is the feminine side of life, while the Supreme Intelligence is the masculine. And the two are working as one to bring forth the many manifestations.
120 私達が自然と言う時、それは神の内の母性原理を代表するものとして用いられています。何故なら、そこから形有るものが産まれるからです。これは生命の内の女性的な面を示しており、一方で至上なる英知は男性面を表わしています。そして両者は多くの創造物をもたらす為、一体となって働いているのです。


【開設】
 全てのものがその惑星に属する物質から生まれ、また死する時も元素達は再びその惑星のもとに返される等、物質は循環(輪廻)を繰り返します。物質の構成要素である原子にまで遡れば、全ては形を変えながらも絶えず新しい創造物へ生まれ変わっています。自然の中では季節毎に動植物が入れ替わり立ち替わりに新しい姿を見せています。早春の芽吹きから始まって、陽春の草花、初夏の緑、盛夏の蝉時雨、初秋の紅葉、そして晩秋の落葉等、わずかの間に自然は実に様々な変容を見せてくれます。このように誰でも身近に観察できるのが自然における創造の姿です。私達自身も含め、まさにこれらは全て地球という同じ母体から生まれた兄弟達と言うことができるでしょう。
 また、本文ではこの活動を指導している英知、父性原理について述べています。この英知は目に見えない為にむしろ私達は気付くのが難しいと言えるかも知れません。しかし、材料が揃っていてもその作用のさせ方、加減が分からなければ何一つ造り上げることは出来ません。遺伝物質から正確に情報を読み取り、必要な成分を合成して行く為には私達が想像する以上に強大なパワーが作用していなければなりません。そのパワーの源(意識)の持つ力がこれらのあまねく創造の活動を支えているということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。


【解説】
 前前節(117)では、divide(分割する)、separate(分離する)ことの問題が指摘されました。それを受けての文節がこの項です。前前節を受けて、私達は分類(classification)についてはどのようにしたら良いか、言い換えれば分割や分離でなく、どのように分類することが望ましいかを示しているのが、本文だと私は解釈しています。しかし、この違いは微妙でもあります。「分割」や「分離」という概念には他者との違い、独立性を主張し、優位性を高める感覚があることが問題なのです。いずれにせよ、物事を良く冷静に観察する中で、それら自然界の対象物が、いずれも宇宙を貫く法則に従い、自分の意志を完全に宇宙意識に同調させていることが分かります。とりわけ、この英知の大海の中で多くの法則、多くの世界がある中で、各々はその住む世界に応じた法則の下に生きているということです。
 つまり、ハチであれば、ハチの住む世界に対応した自然界の法則(”掟”)があり、ハチ達はその与えられた規範の下、精一杯の生き方をしていると言うことが出来ます。これが創造主の直接の指導ということでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。


【解説】
 私達は言うなれば、本来備わっている知識、優れた能力について教えられることがない為、既存の体制の中で作り上げられた結果の世界の中で、次第にその備わった生命感覚が失われて行きます。果たしてどれだけの人が人生の最終日に「自分は自分の人生の目的を精一杯果たして来た」と言って、安らかに臨終の時を迎えられるのでしょうか。
 しかし、生まれでる赤子には本来、託されているその生命の目的がある筈です。動植物が自然界で各々の役割を持っており、相互に競い合いながらも互いに補完しあう連携した活動を行っていることを考えれば、それらよりもの能力があり、技量も格段に高い人間が、自らの目的を知らぬまま人生を終わるということは、本来あってはならないことです。本文では各自に「a thorough study of Life's purpose(生命の目的について徹底した研究)」をするように促しています。自分の目的は他人に教えてもらう訳にはいきません。第3課の後半に至ったこの時期に、腰を落ち着けて自ら探究することが望まれているのです。
 日本国内には多くの著名な仏像が現存します。その仏像は建立以来何百年が過ぎており、作者に建立にあたっての意図を直接伺うことはできません。しかし、脈々とその仏像が慕われ、大切に保存されている中で、後世の私達はその像をよく観ることで、仏像に寄せた作者の意図を推し量ることができることでしょう。まして私達各人は現在、生きている訳でその存在の目的は自らの責任で、突き詰める必要があります。自己を通じて刻々現れる生命活動をよく観察して、自己の真の目的について知ろうとする気持が大切です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落117

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.
117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをせず、私達はそれらを分割し分離して来ましたが、これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく汝の意志が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。


【解説】
 自然を観察することを何度も本文を通じて勧められて来ました。自然界の動植物の観察を通じて確かにそれらがひたすら活動しており、何らの悩みも無いばかりか全体として調和した一連の自然の循環の中にあることを確かめることができます。
 一方、私達はその自然観察も往々にして植物の名前であるとか、昆虫の種類の呼び名を覚えることに片寄りがちです。確かに一つの分類名がわかればその種の特徴を記した図鑑等からだいたいの知識が得られますし、そのことによってその種については「わかった」「知っている」としがちです。しかし、本文ではこのような従来からの分類学の手法は誤っていると言っているのです。つまり、私達はその相手の外見上の形態だけに捕われて、その内面にある生命の本体、意識には無関心になっていることの問題を指摘しているのです。
 以前、ある絶滅危惧種の渡り鳥(コアジサシ)の保護活動をお手伝いしたことがありますが、その時、鳥の観察を通じてまじまじと思ったのは、この鳥達は皆同じ顔をしているように思えたことです。このことはある意味、当然なことで、分類学が成立するように多くの生物種はその種の中では極めて類似した顔かたちをしている訳です。そこで思ったのは彼等はどうやって相手を識別するのだろうかということと、人間に写し代えた場合、各自が皆同じ容姿を持ったとしたらどうなるだろうかということです。もちろん、その場合は各自は益々、自分の内面性を磨くことになることでしょう。つまり、鳥達は外見でなく、内面を見通して自分の相方を見分けているのだと思います。
 とかく私達は外見で人や物の価値を判断しがちです。しかし、このような形態の違いはそれを支える宇宙生命の大きさに比べれば、大した違いでは無いのです。生命の根源にある分子群であるDNAの違いもごくわずかだと聞いています。私達は自然を観る時、植物や動物等に関わらず、すべて同一の生命体の現れ、同胞として接し、各個体と交流が出来るように寛容の心を向けることが大切だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落116

116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。


【解説】
 私達の最大の問題は意識から自分自身を分離させてしまったことにあると言っています。自我(エゴ)を増長させ、自我のみで人生を送って行けるとして、やりたい放題に人生を謳歌して来た結果が、現在の混乱した状況と言えるでしょう。様々な時代を通じて多くの賢人達がこのことを指摘しています。(例:Wayne Dyer,は講演の中で"貴方の唯一の問題は貴方自身の源泉から自分を分離させてしまった、You've separated from your sourceと述べています)。
 本文ではまた、私達は知識の面では巨人になっているとも言っています。何世紀にもわたって私達は自然を研究して来た結果、自然界を支える宇宙の諸法則について、利用出来そうな結果面では着実に成果を吸収して来ました。その結果、今や遺伝子操作技術から原子炉まで多くの技術を確立しています。しかし、自然界で起っている調和した生命活動の根幹には私達が無視して来た宇宙の創造主の意志があり、創造物はそれらの指導に従って行動していることを私達は忘れ、目を向けておりません。それらの指導が無ければ、多くの動物達が災害を事前に察知して避難したり、渡りの時期を決めること等、出来ない筈です。私達は先ず、前提となるこの目に見えず、耳に聞こえないけれど私達の最も身近に居て、絶えず私達を抱擁している意識なる存在に心を向け、敬い、慕うことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落115

115 So it is with the law of the Cosmos. Positive Thinking, that you may have heard about, has hurt more people than it did good. God's purpose cannot be divided and give good results. Nor can one judge His laws and omit parts of them, be it through lack of understanding or egotistical aggression, which has been done through the ages. People judge the Creator's creation without knowing the reason for each part. And in this way they have been judging the Creator and exalting the ego mind above His Intelligence.
115 ですから、それは宇宙の法則についても言えることです。陽性の考え方(ポジティブ・スィンキング)は、貴方が聞いたことがあるかも知れませんが、それが為す良い事以上に多くの人々を傷つけて来ました。神の目的は二分されて良い結果をもたらすことは出来ません。人は理解力の不足に由来するにせよエゴの侵略行動に由来するにせよ、神の諸法則を裁いてその一部を除くことをしてはならないのですが、それを長年行って来ました。人々は創造主の創造物を各々の部分の存在理由等を知らないまま、裁いて来ました。そしてこのようにして、人々は創造主を裁き、自らの自我の心を創造主の知性の上位に置き増長させて来ているのです。


【解説】
 ここではいわゆる東洋の「陰陽」に類似したことも示唆しているように思われます。
 陽性(Positive)の考え方は一見、積極的、行動的で好ましいように思われがちです。しかし、私達の劣った心の段階では、それは断定的になったり、更には攻撃的になったりする大きな問題要素を持っていると言っています。陽性は過度になれば、相手の立場を考慮することなく、相手を非難し、裁くことを平気で行うようになります。また、極端な場合には残虐な事件を起すことにもなりかねません。戦争はその端的な例です。
 このように陽性の考え方を突き詰めて行けば問題がある訳ですが、反対に陰性(Negative)の考え方についてはどうでしょうか。陰性の考え方は、想念を受け入れようとする開かれた態度である一方、自ら積極的に働きかけることはしない為、常に受け身の対応となります。その結果、様々な他の主張に耳を貸す一方、自らの意見の発信を行わず、他に影響を及ぼすことができないことになります。即ち、陰陽のどちらか片方を取り入れることでなく、両者をバランスさせながら発展させることが必要なのです。
 しかし、まずは陽性の考え方に注意しなければならないと言っているのです。本文では、特に陽性の考え方を自我(エゴ)の増長に結びついているとしており、先ずは創造主に対して心を謙虚にすること、どちらかと言えば陰性の考え方を最初のステップとするよう、助言しているものと考えられます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落114

114 And remember you cannot have a manifestation or good results if you do not use both sides of the law. The objective and the subjective, or the negative and positive - male and female. You cannot use one and exclude the other and expect good results. Let us go back to electricity for an example. Electricity is one power consisting of two phases, negative and positive. One phase cannot be used in the absence of the other and give useful power. But when they are combined and balanced the manifestation is perfect.
114 ここで覚えていて欲しいのは貴方は法則の両面を用いなければ、創造の現れや良い成果は得られないということです。主観と客観、積極性と消極性、男性と女性がそれです。一方を用いて他方を排除しては良い結果は望めません。一例として電気について振り返ってみましょう。電気は2つの側面、マイナスとプラスからなる一つの力です。他方無しで片方を用い、有益な電力を得ることはできません。しかし、それらが統合されバランスがとられた時、そのもたらす創造の現れは完全になります。

【解説】
 ここではその普通の生活を送る上での注意点を述べています。もちろん意識による指導を常に受けていれば、このような注意も必要ないのでしょうが、私達の心得のポイントとして、法則の両面をバランスさせながら生活に生かせと言っているのです。
 自然界の法則には対比性(対極性)があると言っています。電気のプラスとマイナス、磁気のN極とS極、動植物の雌雄がそれです。また同様に人間の身体の例えば心臓の収縮・拡張の運動による血液の循環、更には呼吸における呼気と排気の動作等々の他、分子の振動にも当てはまる等、深遠な意味を持っているものと思われます。
 この両極性の片方を排除せず、その両方を素直に受け入れて行けば、成果が出ると言っているのです。これを進めて行けば、自分一人で行う精進には限界があると言うこともできるでしょう。自分と異なる性質、違う意見を持った者とも進んで交流し、バランスをもって相互に影響を与えあうことによって新たな成果が得られることをも意味しています。動植物を含め、様々な個体と接触することで世界が広がると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落113

113 Also notice that we did not forbid you to live a normal life. All that is asked of you is - live a conscious life and not a mental one. And do, and use, all things in moderation. That is all that is necessary to fulfill the purpose of life. This is how our space brothers have grown in knowledge and live a heavenly way of life.
113 また、私達が貴方に普通の生活を送ることを禁じていなかったことにも注意して下さい。貴方に求められていることの全ては、心による生活でなく、意識による生活を送ることです。そして全ての物事を適度に行い、また用いなさいということです。それが生命の目的を成就する上で必要なことの全てです。この方法によって私達の宇宙兄弟達が知識において成長でき、今、天上の生活を送っているのです。


【解説】
 本文で述べているのは何も特殊な修行をするのではなく「通常の生活を行いなさい、但し心でなく意識を使って」ということです。確かに極端な修行や行為を行うことによって一時的には私達の日常感覚を超えたいわゆる神秘体験を得ることもあるでしょう。その時は既存の心が解放され、意識からの莫大な印象が流れ込むことになります。しかし所詮、その行為を長続きさせることはできません。すぐにも過去の一体験として終わってしまいます。
 問題は24時間、一刻一刻における私達の生活の中における心の反応なのです。本来の私達の心の進化の道を歩む為には「あせらず、怠けず」、意識の存在を少しずつ自ら確認し、意識の指導を求めながら歩むことです。
 道は長く遠くまでつながっています。以後、何代にわたって歩む道でもあるのです。しかし、労苦を求める訳ではありません。自然界の調和した姿を愛で、その一員として毎日の営みを楽しむ(enjoy)することが必要だとも言っています。釈迦も苦行の道からは悟りを開けず、少女が差し出したミルク粥を食べた時、生命の歓び(悟り)に気付いたとされています。私達は見えざる意識の指導を仰ぎながら、あらゆる事を調和をもって行うことが求められており、長い道程を各自のペースで日々、少しずつ歩むことが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落112

112 The thing that we ask you to do is - become aware of your real self, the eternal part of God, or The Creator. Let your mind become conscious of consciousness as your guide in everything that you do. Then the admonition "Man know thyself and you shall know all things," will be your reward. But the mind must learn to trust the consciousness at all times.
112 私達が貴方に実行して欲しいとお願いしたいことは、貴方の真実の自我、神の永遠なる部分、創造主に気付くようにすることです。貴方の心を貴方が為す全てにおけるガイドとして意識を意識するようにさせて下さい。そうすれば、訓戒「汝自身を知れ、そうすれば全てを知るだろう」を褒美として受け取ることになります。しかしその為には、心は意識を如何なる時も信頼することを学ばなければなりません。


【解説】
 精神集中や瞑想よりも、真自我(Real Self)を日々の生活の中で意識することが重要だと言っています。目に見えず、耳に聞こえない微妙な意識からの指導に気付くようにせよと言っているのです。
 別の言い方をすれば、次々にやって来る印象に自分の心を鋭敏にする為には、先ずは心自体を静かに落ち着かせ、内部の意見や偏見を鎮めることが前提となりますし、心自らが目に見えない存在からの指導に従おうとする誠実な志向性を必要とします。つまり、心を謙虚にさせること、自然や宇宙に対して畏敬の気持を育てることでもあるのです。
 こうした中で、印象に従う行動を積み重ね、最初の内は失敗も多い筈ですが、習熟するにつれて自分自身の中にある惜しみ無く与えてくれる目に見えない存在をますます信頼するようになり、全ての面で各自が自分の人生を次第に有意義なもの、創造主がお望みになる方向に発達させることができるようになることでしょう。
 これまで奉仕して奉仕して来たこの永遠の生命の贈与者に気付き、感謝すると同時にそのアドバイスを受け入れ、各自の行動の中で現世に実現することが、贈与者への恩返しでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落111

111 We are now in the third lesson and I have not asked any one to concentrate or meditate, as taught in other fields. If anything, these ancient methods have brought the unpleasant conditions that we today face in the world.
111 私達は今や第3課に入っており、私はこれまで誰一人にも他の分野で教えられているように精神集中や瞑想をするようにとは言って来ませんでした。むしろ、これら古代の手法は今日私達が世界で直面している不愉快な状況をもたらして来たのです。


【解説】
 この種の人間の知覚力・精神性の養成において難しいのは、教師側が伝える内容に対して、学習者が容易には理解できないということです。教師が自覚し、イメージしていることを言葉で生徒に伝える訳ですが、生徒に相当する理解力がなければ、形だけ、上辺だけの模倣が始まってしまいます。
 精神集中や瞑想も上級者にとってはごく自然な行為の一つですが、私達初心者にとっては有益ではないと言っているのです。つまり、ただでさえ、自己中心的であり、結果世界から大きな影響受け、恐怖に支配を受けて日常を送っている私達は、例え沈想したからと言って、何か素晴らしい想念が直ちに流れ込んで来るなどということはありません。むしろ、ますます自意識過剰、あるいは自己の醜さだけが自覚され、憂鬱な気分に陥るかも知れないのです。
 出典ははっきりしませんが、ある人が「あなたはこれ以上、自分に関心を持たなくてよいのです。既に十分過ぎる程、自分に関心を支払っています。」という主旨の発言をしていたことを思い出します。精神集中や瞑想は自己の殻の中で空回りさせる危険性もあることを本文では述べているように思われます。
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