ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落045

045 Just reading this lesson will be of very little value but daily and momentary practice will bring results. When you have questions pertaining to any of the lessons you should write them down. And if you do not find the answer in the forth coming lessons after receiving three, you may send them to me.
045 ただ、この教科を読むだけでは何らの価値にもなりませんが、日々のそして一瞬の実践が結果をもたらすことでしょう。この教科のどの部分についてであれ、疑問がある時は、それらを書きとめて下さい。そしてもし、3課を受取った後もあなたが次ぎに来る教科までに回答を見つけられなければ、それらの疑問を私に送って戴いても構いません。


【解説】
 第1課を終えるに当って、アダムスキーは学習者にこの教科をただ読むだけでは効果がないこと、日々刻々の実践こそが重要であると説いています。問題は私達の心というある意味、掴み所の無い対象を取扱う以上、知識として蓄積したとしても、実際の私達の精神活動を訓練するには、その活動を捉えた上で試行錯誤を繰り返しながら進める必要があるということです。
 本書で度々自動車の運転の例えが出て来ました。もちろん、自動車の運転に先立って自動車の仕組みやハンドル、アクセルやブレーキの操作方法、更には交通ルール等の事前学習が必要です。しかし、それだけでは運転できるようにはなれません。実際に自動車を動かして様々な実践体験を積んで初めて自在に自動車をコントロールできるようになり、また自動車がもたらす本来の便益を享受することができるようになります。
 同様に、私達は私達自身の心や意識の作用についてここで一通りの基礎知識を学んだからには、今度は実際の生活の場、自らの精神活動の実践の場において、少しずつ操縦の訓練を続け、技量を高めることが必要だということです。
 また、アダムスキーはこの講座を単なるテキストの配布ではなく、通信教育の形で運営しようとしていました。元来は教師(先導者)が学習者の疑問に答える丁寧なシステムを目指していたことがこの一節からよくわかります。それほどにこの「生命の科学」には、私達地球人の進歩に必要な教科が詰まっているということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落044

044 So the first thing a student of life should do is to cultivate the ever present awareness of Cause and Effect. Where not only the mind will see the form as it has in the past, but also it will permit the consciousness to reveal the invisible supporter of the form. It will be like driving a car with full awareness of all of its working parts which produces the power, that the sight does not see.
044 ですから、生命の探究者は原因と結果に関する常時の警戒感を養うことを最初にしなければなりません。心がこれまでそうであったように形を見る他に、意識が形有るものの目に見えない後ろだてを明かすことを容認させることです。それは自動車を視覚では見えないその動力をつくり出す作動部品の全てを完全に意識しながら運転することに似ています。


【解説】
 ここ(第1課)でのポイントは、私達学習者が最初に取組むべきことは、因なるものと結果なるものに対する同時的でかつ、不断の気付き(警戒)であると言っています。そのような心の状態を養う("cultivate",耕す)ことによって、これまで通り心が姿形を見ると同時に、意識はその形を支えている内実を印象によって心に伝えます。その結果、私達は因なるものと結果なるものを同時に認識することが出来ると言うのです。
 一つのものを見てもそれを支える目に見えない存在に気付くことは、物事の本質を見抜くことであり、身の回りの出来事や事物が実は、壮大な宇宙意識の作用で成り立っている現実に気付くことでもあります。
 長い時代を通じて、私達は何度となく文明を破滅させて来ており、現在の文明も多くの戦いや苦難の積み重ねが続いています。しかし、大自然、大宇宙を見るとそこには生命のstruggle(戦い)はあるにせよ、細部にわたり調和した姿があります。その違いは意識なる各々の存在の拠り所を不断に認識し、自らの価値をその意識に向けているかどうかにかかっていると言えるかも知れません。
 確かに滅びに至る道は数多いと言わざるを得ません。物欲に走ることばかりが誤った脇道とは限りません。私達の認識力、知覚力には限界がある以上、心の探究、創造主へ求道の道程にあっても、自身の心の発達段階を越えて余りに先を急ぐと、神秘主義や教条主義に陥り、道を外すことにもなりかねません。そこで地に足をつけて身の回りの自然観察、事物の背景分析を通じて、結果と原因を一体として観察することが大切になります。こうすれば、事物に対する理解力も少しずつ深まり、着実な学習を続けられることになります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落043

043 It may take ages to do this, but through patience and determination a humancan express this beauty in ever increasing fineness. And thus become The Christ in God's Kingdom.
043 このことを成すには年月を要するかも知れません。しかし、忍耐と決心を通じて、人間は永遠に高まる繊細さの中、この美しさを表現することができます。そして、このようにすれば、人間は神の王国におけるキリストになるのです。


【解説】
 岩が転がりながら、時々の課題にぶつかり、身を削ってもなお、歩みを止めずに遂にはその穏やかな形と内部に秘めた美しい地模様を体現するまでには長年月を要します。ですから、成し遂げる為には何よりも忍耐強く、確信を持ち続けることが必要だと言っています。
 しかし、これを宇宙を流れる永劫の時間軸から見れば、その進化の歩みは目覚ましいものであるかも知れません。ひと粒の種子が荒野に落ちた後、芽を出し、根を伸ばす過程で、その新芽を青虫に食べられ、伸ばしたばかりの枝が大風に折られても、諦めず陽の光を求めて背を伸ばして行けば、やがて周囲に木陰を与え、様々な生き物のすみかを提供する大樹に成長できるでしょう。その美しさは荒野(地球)を緑豊かな楽園に変える源となるかも知れません。創造主の王国にとっての救世主(キリスト)に成り得ると言っているのです。それほどに、この「生命の科学」を学ぶ者に託された思いは重く大きいと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落042

042 The real beauty of man's finer abilities has become covered with moss and lost to his vision. For all that he can see is the moss which is a parasite that lives on the body of another form. This is equivalent to human habits that cover the real man. While the rolling rock may come up against many problems and rocks twice its size and endure pain while bumping against them and losing parts of itself, it keeps on rolling. And finally it is polished to a high degree and shows the colors and minerals of which it is made. And in some rocks beautiful designs are formed when the minerals by the law of affinity adhere to one another.
042 人間の繊細な能力に関する真の美しさは苔に被われ、見失われています。人が見ることができるもの全てはその肉体あるいはその他の形有るものにとりついて生きている寄生生物である苔なのです。これは真実の人間を被う人間の習慣に相当しています。転がる岩は多くの問題やその大きさの2倍もある岩に出くわして、衝突して痛みを堪え、自らの一部を失いながら、それは転がり続けます。そして、最後にはそれは高度に磨き抜かれ、それを造り上げている様々な色彩や鉱物を示すようになるのです。そして岩の中には鉱物が親和の法則によって互いにくっつきあうことにより美しい模様を形作られているのです。


【解説】
 人間は習慣の奴隷であり、習慣こそ人間に寄生し人間本来の持つ繊細な才能を覆い尽くしている存在だと言っています。私達個人個人には元来、芸術家と同じ鋭敏な感性や表現力が備わっているのですが、この寄生する苔のため、私達の才能は埋もれています。それを取り去るには、転がる岩が象徴するように、行動(努力)することだと言っているのです。様々な経験を続け、遂には本来の持つ美しさを体現することが出来ると諭しています。
 各人に与えられた時間を価値ある内容とするためにも、毎日毎日、一刻一刻をその人間本来の道に向かって精一杯歩みを続けるならば、例えその過程で苦しい体験をすることがあっても、遂には各々の美しさを体現させ、他者の手本となることが出来ることでしょう。つまりは、次の瞬間、自分はどのような想念を受け入れようとしているのか、どのような行動をとろうとするのか等、一瞬一瞬の積み重ねの総和が人生を創り出すことになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落041

041 It has been said that a rolling stone gathers no moss. But moss used in reference to man's accumulation of things has deterred his growth in cosmic intelligence. But the rolling one becomes polished by striking problems or other rocks and thus the debris is removed.
041 転がる石には苔が付かないと言われています。しかし、人による物事の蓄積に関連して用いられる苔は人の宇宙的知性における成長を遅らせて来ました。しかし、転がる石は諸問題や他の石とぶつかることによって、不要なものが取り除かれるのです。

【解説】
 活動(行動)によってのみ、自分が磨かれるということでしょう。何事も新しい体験を通じて学ぶということです。もちろん、多くの場合、その当時の自分自身の限界や運不運も重なって、思い通りの結果にならないことも多いものです。しかし、少なくともその時期の努力によって、様々な出合いがあり、自分自身の成長があります。逆に、従前の環境に安住していては、やがて苔むす石のように、習慣(悪弊)が自身本来の美しさを覆ってしまうと言っています。
 元来、山の頂きに置かれたゴツゴツの石も、斜面を転げ落ち、川の流れに乗って下流に流された末、遂には広々とした河口の河原に到達します。多くの急流を越え、大雨がもたらす濁流の最中にも耐えた後に辿り着いた河口では、石は皆、角張っていた鼻先が削り取られ、丸みを帯びたものばかりとなっています。そしてその表面には石を構成する鉱物組織本来の地模様が美しく出現しています。多くの苦痛に逢いながらも、またどんなに長年月かかろうとも、諦めずに精進して来た石たちの到達した姿がそこにあります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落040

040 Our habits of thinking in relation to past and present teachings in all fields of life are the rough spots that must be removed. Some will be harder to remove than others, but determination of purpose will bring the desired results. Then will come the polishing or establishing of new habits which perhaps will not be easy or pleasant at first. But when all of this is accomplished the Glory of God will manifest through the form once known as man.
040 生命の全ての分野についての私達の思考習慣は取り除かなければならない荒削りな汚点なのです。ある部分は他より取り除くのがより困難かも知れませんが、目標に向けた決意は望む結果をもたらすでしょう。その後、研摩即ち、最初は容易でも快適でもない新しい習慣が来ることになるのです。しかし、この全てが達成される時、神の栄光が人として知られる形有る者を通じて現われるでしょう。


【解説】
 ここでは、取り除かなければならないものは、私達の長年の思考習慣であると述べています。こびりついた古い習慣を取り除いて、本来の意識の指導を受け入れる態勢を構築し、それを新しい習慣とせよと言っています。
 ポイントは継続の力であると思われます。何事もそうですが、物事を始める時、最初は苦労するのですが、回を重ねるにつれ、次第にうまく出来るようになるものです。また、継続することによって、良くも悪くも大きな影響を及ぼすことは言うまでもありません。ブランコの揺れと同じように、少しずつの振れでも、回を重ねるにつれて大きな振幅(影響)となる訳です。
 まして日常の思考パターンのように時々刻々の場合は、なおさらその影響は顕著なものになる筈です。私達がこれまで続けて来た自我(エゴ)を中心とした世界観は、何千年もの間、地上で受け継がれて来た訳ですから、これを一朝一夕に改めることは容易ではありません。しかし、ここではむしろ、新しい思考習慣を開始することの大切さを述べ、一度、各自の思考パターンがその方向に転換し始めれば、やがて人間本来の輝きが現れることを確認しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落039

039 A perfect diamond will reflect pure light from each facet that is cut upon it, and there can be no imperfections if the cosmic frequencies are to manifest in full.
039 完璧なダイヤモンドはカットされた一つ一つの面から純粋な光を反射するでしょうし、宇宙の諸振動が溢れるほどに現わされるなら、欠点などというものはあり得ない筈です。


【解説】
 多くの苦痛を経て到達する私達自身は、最終的にカットされた宝石のダイヤモンドに例えられています。ここでは、ダイヤの輝きについて述べていますが、注意したいのは輝くダイヤはそれ自体から光を作り出しているのではないということでしょう。外からもたらされた光を自らの多才な表現分野を通じて余す所無く100%反射し、周囲にその美しい輝きを無償で与えていることに気付きたいものです。
 言い換えれば、私達自身は自ら輝くようなものではなく、意識からもたらされる光のパワーに対し、何らの変更も加えることなく、個々人の方法や分野で外部に向けて多面的に反射し表現する中で、私達自身が無垢の光輝く存在になると言っているのです。真に美しい存在とはこのようなものと言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落038

038 This is not a pleasant process for each removal, in most cases, will cause a pain of one kind or another. But the more pain he is able to endure -- the finer the stone will be.
038 これは多くの場合、心地よい過程ではありません。ひとつひとつの取り除き作業にあれやこれやの痛みをもたらすだろうからです。しかし、その者がより多く痛みに耐えられればそれだけ、よりすばらしい宝石になることでしょう。


【解説】
 自身の純粋さを発現する上で妨げになる要素は進んで取り去らねばならないのですが、これは、快・不快に分ければ、実は不快なものになると言っています。つまり、私達の心にとっては、当初は決して心地よい体験ではないのです。しかし、ある意味(心にとって)辛い体験でも、それに耐えれば、次なる世界が開けると言っています。丁度、筋力トレーニングにおいて自分の限界近くまでのウェイトをかけて訓練することが、必要なことと似ています。このようなジムでの訓練は、やがて自分の筋力アップに繋がることが分かっている為、皆、自ら進んで訓練に励むことができる訳ですが、自身の心についてはどのような事柄を指すのでしょうか。
 まず、その前にそもそも自分が取り去るべき所は何処かを探し出すことが必要になります。例えば他人が素晴らしい才能を発揮している時、或いは人格的に優れた人物の足跡に触れた時、正直に自分自身と比較すれば、自身の欠点にも気付くことが出来ます。また、逆に他人が地上の習慣に陥って惰性の思考パターンに埋没して行くのを見て、自分自身にある同様の要素に気付く必要もあるでしょう。
 しかし、病気の場合と同様に、治療や苦痛に耐えられる体力も考慮して一度に全ての患部を治療することは得策ではありません。時々の状況に応じて、一つ一つ取組んで行くことが必要だということです。もちろん、そのような辛い体験にも向き合って行けるのは、前節まで述べて来たように、宇宙を貫く創造主の力が現存していることに気付き、例え一時、苦痛を味わおうともその暖かい指導の御手に自我を委ねることが出来るからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落037

037 You see we are like a diamond in the rough. When man first found the substance that turned out to be a diamond, he saw a rock through his physical sense of sight but something inside of him told him that this rock was different from others. It was his consciousness and not his mind that alerted him to the fact that if he would cut and polish it, it would be the most beautiful thing that he had ever seen. Radiating every color conceivable. But this result would require patience and a lot of hard work, even pain at times when cut by the sharp edges. Every man is a diamond in the rough and there are many rough edges that must be removed before he can see the purity of himself.
037 私達は未加工のダイヤモンドのような物です。人が後でダイヤモンドと判明する物を最初に発見した時、人は自分の肉体の視覚を通じては一つの岩を見たに過ぎないのですが、自分の内部の何かが彼にこの岩はその他とは違うと知らせたのです。彼にもしそれをカットとして磨けばありとあらゆる色彩を放ち、これまで見たことのないような最も美しいものになるという事実を警告したのは彼の意識であり、彼の心ではありません。しかし、このような結果に至るには忍耐と努力、更には鋭い刃先でカットされる時の痛みさえ必要とされることでしょう。すべての人間は未加工のダイヤモンドであり、自分自身の純粋さを見い出す為にはそれ以前に多くの粗い角を取り除かなければなりません。


【解説】
 この節では私達自身をダイヤの原石に例えています。確かに私達人間は他の創造物に無い優れた要素を有しています。しかし、実際にはその本来の輝く部分は、もっぱら人間社会の塵垢に覆われています。事実、毎日の通勤の電車で見る人々の顔に、喜びを見い出すことはありません。電車の窓から夜明けの空に輝く太陽が昇る光景を見て、宇宙を感じる人も少ないようです。このように、この惑星における長年の社会システムの支配と各個人が背負っている環境その他の影響から、私達地球の人間は、その元来の輝きを蝕まれ、各自がようやっと生きている状態が続いています。
 この状況を打開するには、私達が私達自身の本質を知ろうと努力し、ある場合にはこれまでの自尊心を打ち砕き、自己(エゴ)を見つめ直して、不要な習慣を打破することが必要です。
 自身(原石)から不要なものを取り去って、本来の輝く美しい要素を現すには、それなりの苦痛が伴います。しかし、それを躊躇し尻込みしていては、何事も達成されません。
 ここで、自らの純粋さを現すために不要なものを取り去ることに関係して、ジェームズ・アレン(James Allen 1864-1912)が"As a Man Thinketh"の中で「進歩に必要な自己犠牲」について述べている部分を参考までに引用しましょう。(出典は"As a Man Thinketh"in "The Wisdom of James Allen Five Classic Works", Laurel Creek Press, San Diego, California 2004, p.27.)
"Men are anxious to improve their circumstances, but are unwilling to improve themselves; they therefore remain bound. The man who does not shrink from self-crucifixion can never fail to accomplish the object upon which his heart is set. This is as true of earthly as a of heavenly things. Even the man whose sole object is to acquire wealth must be prepared to make great personal sacrifices before he can accomplish his object; and how much more so he who would achieve a strong and well-poised life? "
"人は自分達の環境を改善しようとやっきになっていますが、自分達自身を改善しようとはしないものです。だから束縛されたままなのです。自己犠牲から尻込みしない者に自らの心が望む目的が達成できないことはありません。このことは地上でも、天上でも同じく真実なのです。富を獲得しようとすることが唯一の目的である人でさえ、その目的を達成できるためには、その前にいつでも大いなる個人的な犠牲を成すよう備えがなければなりません。それを考えても強く、落ち着いた生活を達成するには、それだけ多くの犠牲が必要と言えるのでは無いでしょうか。"
 人の進歩にとって、不必要なもの、不都合なものを自ら進んで取り除く(喜捨の)覚悟が必要だと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第1課-段落036

036 What is consciousness ? No one definitely knows except that it is a life force that is the creator of all forms. For without consciousness man would not be a living being. And in man the best way that we can describe it is -- a state of alertness. And a state of alertness is a state of feeling or awareness. In the animal it is known as instinct which does not have to depend upon sound. The language of consciousness is the language of the Creator that one feels when he becomes conscious of things not yet experienced. Jesus expressed it in these words -- Blessed are those who see and hear not yet believe. For they shall enter the Kingdom of Heaven. And the kingdom of heaven was used in reference to the realm of Cause, a sea of consciousness or everlasting life. For consciousness proceeds all manifestation.
036 意識とは何でしょう?誰一人、それが全ての形有るものの創造主である生命力であるということ以外、明確には知ってはいません。何故なら意識無くしては、人は生き物とはならないだろうからです。そして人間においてはそれを最も適切に表現するとすれば、それは警戒の状態ということができるでしょう。そして警戒の状態というのは印象もしくは気付きの状態です。動物においてはそれは音声に頼らない本能として知られています。意識の言語は未だ体験していない物事について意識的になる時に感じる創造主の言語なのです。イエスはそれをこのような言葉で表現しました。「見もせず、聞きもしないのに信ずる者は幸いなり。何故なら彼等は天の王国に入るだろうからである。」そしてこの天の王国とは因の領域、即ち意識の海、永続する生命について用いられたのでした。何故なら意識は全ての創造の現れに先立つからです。


【解説】
 この第一課は、意識の存在と心の関わりについて述べています。通常の論説では言葉の定義が有って、それに基づいた論理展開が行われますが、この「生命の科学」は違います。その理由は、問題となる「意識」の存在は、単に「知識」として記憶するのではダメで、自らが日常的に自覚、認識することが求められていることにあります。これは実際、難しい課題で、決して論理的な組み立てを見せればよいというものではありません。意識に関する一つ一つの要素、側面を学習者に実感させることが必要で、その積み重ねによって、やがてハメ絵パズルのように、全体のイメージが掴めるようになるよう、本文は構成されているように思われます。
 そこで、これまで述べて来たことのおさらいです。おぼろげながら、これまでの例示から私達は、目に見えない「意識」と呼ばれる存在から常にインスピレーションを受けて日々を送っていることを自覚できました。この「意識」とはどのような物か、という問いに対して、本書では「警戒の状態」であるとしています。目に見えない空間からやってくる印象に対して絶えずレーダーのパラボラを回転させるように、絶えざる警戒の状態、いつでもやって来る印象をキャッチでき、意識の指導を受け入れられるよう心を静かにしかも感度を高めて置く状況が大切だと言っています。
 そして、それらの言葉になっていない言わば原始の段階の意志(印象)を心に受け入れられることが、本講座の目的の一つであり、このことは、他の多くの宗教修行の目的と類似しています。この能力は実は自然界の生き物には本来備わっていると本文は述べています。日本には毎年、遠く南半球から或いは北極圏からも、多くの渡り鳥が飛来します。小さな身体一つで何千キロもの距離を飛行する渡り鳥の例を見ても、彼等はこの意識の指導に自らの命を託して、毎年、冒険旅行を行っていることが分ります。しかも、人間にありがちな疲れや苦痛の表情を何一つ見せず、命の危険に取り囲まれているにも関わらず、むしろ、一瞬一瞬を楽しみながら、所定の生命の営みを続けています。私達こそ、これら野生動物が備えている意識なるものへの信頼の姿勢こそ学ばなければならないと言えるでしょう。
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