ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落299

299 Man's law of discrimination and judgment is non-existent in creation. We are told that the sun shines on the just and unjust alike. And while differences are many in the human mind - in the Creator's consciousness all are necessary parts that make up the Cosmos. And without each part the Cosmos would not be complete. The principle difference between man and his creator is that the Creator understands the purpose of creation and finds no fault with it, while the sense man not understanding consciousness, the real part of himself, lives the mental side of life. Thus he finds fault with the Creator's creation and brings about unpleasant conditions for himself. But when man makes the blend and lives the whole life he will know the purpose of creation, no longer using the law of discrimination which caused the unpleasant conditions.
299 人間の差別と裁きのならわしは創造の中には非存在のものです。私達は太陽は正しい者にも不正な者にも等しく輝くと教えられて来ました。また、人間の心にとっては多くの相違が見えるのですが、創造主の意識の中では全てが宇宙を造り上げる上で必要な部品なのです。そして、これらの部品無しには、宇宙は完全なものとはならないでしょう。人と創造主の間の最も重要な違いは創造主は創造の目的を理解し、それに何らの誤りを見い出さない一方、感覚人は自分自身の真の部分である意識を理解せず、生命の内の心の側を生きているのです。こうして彼は創造主の創造作用にけちを見つけ出し、自分自身に不愉快な状態をもたらしています。しかし、人が融合を達成し全ての生命を生きるようになる時、彼はもはやその不愉快な状況をもたらした差別のならわしを用いることをせず、創造の目的を知るようになるでしょう。


【解説】
 差別や裁きは心の働きであると、本文では改めて述べています。多くの場合、各自の心が自分自身を基準として、劣っている者、醜い者、つまりは自分の感覚にとって見下すべき者に対して、断罪すると同時に、自分自身の優越性を確認する傾向があるということです。しかし、少し考えれば、それらには個別の事情があり、その状況に至っていることが分かります。その根本的な事情を一新出来れば、その結果は全く異なるものになる筈です。また、一方では美しいと感じるものに余りの憧憬を捧げるのも、どうかと思います。「星の王子さま」のバラの花の話では、わがままなバラに王子さまは翻弄される様子が書かれておりますように、美しいものを崇拝することにも問題があるということです。
 私達は、まず身の回りに広がる世界を、自分の所有物でなく、全ては創造主からの借り物、一時的に授けられたものと見るべきでしょう。自分自身も含めて、この世に自分のものなど、存在しないとしたら、そもそも良い悪いの批評すらすべきではないことが分かります。全ては創造主が用意してくれたものということになれば、私達はただ、有り難く活用させて戴くだけです。
 自分の身体自体も私達感覚心の思うようにはならないものです。その中で父の意志を継いで、身の回りの万物をその本来の輝きを助け、この世界の調和を図ることが、このような環境を授けられた人間の義務だと言えるでしょう。その際にその調和の妨げになっているのが、こうした人間の差別や裁きの感情なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落298

298 When we speak of nature, or nature's laws, there are two phases. One, the forms which nature produces in which we see ageing. And what we call ageing could be a fulfillment of the form's purpose that it may be replaced by a new form. But the law of life, or nature, is the same today as it always has been - in the primal stage. Replacing new forms for the old for continuous service, each for a finer quality of expression as nature is progressive. Always going forward, never retrograding. So here we are witnessing the Creator's Consciousness in action. And since only newness comes out of this consciousness, and not age, then we are shown that the Creator lives in the primal stage all of the time. And all that is created by this consciousness is a manifestation of primal cause.
298 私達が自然或いは自然の諸法則について話す時は、二つの面があります。一つは自然が作り出す形あるものであり、そこには私達は老いを見ます。そして私達が老いと呼ぶものはその形あるものの目的の成就とも言えるものかも知れませんし、それは新しい形と置き換えられるかも知れません。しかし、生命の法則、あるいは自然というものはこれまでずっと今日と同じに、原始の段階であり続けているのです。継続的な奉仕の為にこれら古いものを新しい形に、自然は進化する為、一つ一つをより精緻な資質に置き換えています。常に前進し、決して退化することはありません。ですから、ここに私達は、創造主の意識が行動する様を目撃しているのです。そしてこの意識からは新しさだけしか来ず、老化はありません。そうして私達は創造主は如何なる時も原始の段階で生きていることを知らされるのです。そしてこの意識によって創造されたものは全て原始の因の現れなのです。


【解説】
 言い換えれば、物事の原因、物質を寄せ集める非物質的なパワーは常に生き生きし、若さのままですが、それが物質に表現され形有るものになった後、その形有るものには老化が避けられません。つまり、一定程度の寿命があるということです。もちろん、その役目を終えた個体は再び、何らかの形で生まれ変わって、再び新しい生命が吹き込まれることになることでしょう。
 ここでその形あるものは進化を遂げることに注意したいものです。ダーウィンの進化論にあるようにそこには環境に適応する等の進化が生じるということです。
 一方、これら生命体の生みの親である意識は常に最高の状態を維持しており、老いることは無いと本文は言っています。毎日のように生まれでる生命体の躍動感を見れば、その源泉は常に活発で、魅力に満ちていることが伺えます。私達はいつもこの生命の源泉である意識に関心を向け、そこからの輝きを自ら表現するよう心掛けるべきなのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落297

297 There is one thing that is misrepresented, The Creator is not an old man. For consciousness is always in the prime of life, knowing no beginning or ending as far as we are able to detect. And as we know, the space people live this knowledge and enjoy a youthful long life.
297 偽って伝えられていることが一つあります。創造主は老人ではありません。何故なら意識は常に生命の全盛期にあり、私達が探る限り、始まりも終わりも無いからです。そして私達が知っているように、宇宙人達はこの知識を生活の中で実行し、若々しい長い生涯を享受しているのです。


【解説】
 少し考えれば、「老い」はストレスや悲しみ、苦しみの結果の産物であり、元来、万物に生き生きした躍動の発信者である創造主に老いがある筈もありません。私達はこの永遠に続く生命の息吹きを授け続けている創造主をもっと知ろうとする必要があります。
 同乗記にこの創造主を描いた絵画が宇宙船内にあり、宇宙兄弟達は日頃から、これら創造主の肖像画に親しんでいるという記述があります。若々しい青年のようであったと表現されていますが、まさにそのような存在が創造主であるということでしょう。特に私達人間は創造主の似姿であるとされています。そういう意味では古来より、仏像を刻み、お堂に安置して日々、祈りを捧げるのも、その人間の形をした像を、あたかも仏(創造主)として身を処し、お守りしていることに他なりません。
 大切なことは自然を流れるこれら創造主の意思とも言えるメッセージ(印象)を感受し、それに自分の感性を同調させることによって、もっと身近に創造主を感じるということでしょう。慈愛に満ちた若々しい青年像こそ、創造主の真のイメージだと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落296

296 May I present this in a different way for the purpose of understanding. Recently I was asked, "but what is God like?" It is not easy to describe God, for if a person feels what God is like he cannot find words to express it. But we can study His creation since all manifestations were born out of His consciousness and lives within His consciousness.
296 ここに理解を進める目的から、違った道筋をご提案しましょう。最近、私は「ところで、神とはどのようなものだろうか」と尋ねられました。神を描写するのは容易ではありません。もし、ある人が神がどのようなものかを感じたとしても、それを表現する言葉を見つけることは出来ないからです。しかし、全ての創造物が神の意識から生まれ出て、神の意識の内側で生きている為に、私達は神の創造を学ぶことは出来るのです。


【解説】
 ここからは神とはどのようなものかについて述べています。私達一人ひとりが被創造物であり、その由来、また日々の生命活動を支えている存在が神、創造主であることは、心の段階では整理されていることでしょう。
 しかし、何故、この一連の講義の流れの中で、改めて創造主をどのように感じるかという問い掛けをしていることに着目しなければならないと私は考えています。つまり、前項で二人の人間が長年一緒に暮らす中で、互いに似て来る話が出ていました。実は、それと同様に、私達は日常的に神、創造主に親しむこと、創造主に関心を向け、可能ならば互いに印象を交流させることで、両者は似て来ることを著者は示唆していると思っています。
 神の似姿が本来の人間の創造目的とされています。それを各自が実現する上でも、神と親しくなる(associateする)ことは、大事なポイントだと考えます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落295

295 In lesson seven we illustrated how two people after a period of association began to look and act alike. This harmonious union can also be cultivated with all life.
295 第7課では如何にして二人の人間がある期間、一緒に過ごすことで外見も行動も似て来ることを説明しました。この調和した和合はまた、全ての生命との間にも培うことができます。


【解説】
 「花祭り」という仏教由来の春のお祭りがあります。そもそも仏陀が歩いた一歩一歩ごとに花が咲き、蝶が舞ったとされる伝承を起源とするもので多くは、仏陀の誕生日とされる4月に行われる子供達のお祭りです。この場合、仏陀は生きとし生けるもの全てに、慈しみを与え、それらが仏陀に応えたということ、また自然界のこれらのもの達が仏陀をお守りしたということです。
 「リトルブッダ」という映画があります。その中で仏陀が瞑想していると、やがて大雨が降って来ます。すると一匹の大蛇が瞑想する仏陀に近付き、あたかも飲み込もうとするのですが、仏陀は身じろぎもしません。やがてその大蛇は仏陀の頭の上に鎌首を差し出して、仏陀の雨よけになって喜んでいるというシーンがあります。仏陀には自然界の生き物達と融和し、共感共鳴できる能力があったことを示す場面です。
 しかし、このような間柄は直ちにできる訳ではなく、少しずつ養うことだと本文は言っています。自然界の生き物達を同胞と見なし、親しく印象を交流させることで、少しずつではありますが、自然は貴方に応えてくれるようになるのです。近頃、私はこの種の学習教材としてベランダで小規模ながら野菜の栽培を行っています。それらの植物が日々、生長する姿には、本当に圧倒される思いです。毎朝、食卓に上る野菜達も一つ一つがこうした活発な生命活動の賜物であることに改めて気付かされ、「結果」を支えている生き生きした背景があることに驚いた次第です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落294

294 All forms are stages of intelligence. This may not be easy to accept at first for 90% of form life does not have the type of mind that humans have. But they do possess consciousness - the life force of the form, and serve the purpose for which they were created. So once the human mind acknowledges this phase as it does associations with other sense minds, the blend is made.
294 全ての形有るものは知性の諸段階にあります。これは最初、受け入れることは容易ではないかも知れません。何故なら形有るものの生命体の90%には人間が持つようなタイプの心を持っていないからです。しかし、彼らは意識、即ち形有るものの生命力を所有しており、それらが創造された目的に奉仕しているのです。ですから、一旦人間の心がこの段階を認知すれば、他の感覚心との交流、融合が成されます。

【解説】
 生物、無生物によらず自然界の形あるものは心というものの存在割合は1割だと言っています。私達人間のような心はわずかにしかなく、圧倒的に意識が前面に出た活動を行っている訳です。つまりは自分を防御しようとするような心の活動はなく、意識に全面的に従った生活を送っているということです。まさに「心貧しき者は幸いなり」です。
 自然界には目に見えない細菌の類いから巨大動物に至るまで、様々な生命形態があり、相互に依存し合いながら、生き生きとした生態系を構成しています。独り人間だけが、その王国の支配者としてそれら自然を搾取して来ましたが、そろそろそれも立ち行かなくなっているようです。地球規模の気候変動や環境汚染、荒んだ人々の精神状態等にそれが現れています。
 その解決には、先ずは自然界の事物を観察し、それらの生命力を各自で感じることによって、本来は必要な解決策のヒントを授かることができると考えています。その為にも、足下にある各々の生物と交流するすべを身につける必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落293

293 Just as you are able to put yourself in another persons shoes and feel exactly as he feels, so you can with all forms. And this procedure is good to practice. It could eliminate many misunderstandings and heartaches. For there is nothing in existence that one cannot be associated with through consciousness. But the sense mind must be willing to be taught by consciousness, for it is the knower and all forms live within the sea of it. And in this sea all phases are blended into one for the perfect manifestation of the Cosmic Whole.
293 丁度、貴方が他人の靴に足を入れてその者が感じるのと全く同様な感じを持つのと同じように、貴方は全ての形有るものに対して同様なことを行うことが出来ます。そしてこの過程は練習するのに良いものです。それによって多くの誤解や心痛を取り除くことができるでしょう。何故なら、意識を通して寄り添えないものは何も無いからです。しかし、感覚心は意識によって喜んで教えられなければなりません。意識は知る者であり、全ての形有るものはその海の中で生きているからです。そしてこの海の中に全宇宙の完全なる創造の為、全ての段階が融合されています。


【解説】
 意識を通して一体化出来ないものは何も無いと言っています。例えば、目を閉じて心を落ち着かせれば、自分の意識が移動する様子がわかります。その意識を距離に関わらず、あらゆる物と一緒になり、寄り添うことで、その対象物のことを理解することが出来ると言っているのです。日本語には「心を寄せる」という表現がありますが、これはそのようなことを指すものと考えられます。
 もちろん、心がその恩恵を授かる為には、意識から与えられる印象を感受し理解しなければなりません。そうなれば身の回りの世界は素晴らしいものに一変するでしょう。このように自在に各自の意識の力を借りて、各自が理解しよう、宇宙の真の姿、自然界の生命の息吹を学ぼうとする時、その人には意識を通じて創造主の支援があることは間違いないことです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落292

292 In other words, I became the part that I wished to understand consciously, by realizing that the part was made by consciousness. For molecules and cells in any form are endowed with consciousness which is the life of the thing. There is not a particle in existence that is not supported by life - or it would not be in existence.
292 言い換えれば、私は私が意識的に理解したいと思う物に対して、その物が意識によって作られていることを実感することで、その一部になったのです。何故なら、如何なる形有るものも分子や細胞にその物の生命である意識が授けられているからです。生命によって支えられていないものは、みじんも無いからです。そうでなければ、それは存在しないでしょう。


【解説】
 自身が対象物と一体化し、その一部になる感覚は、自分の意識が対象物の意識と融合するような状況を言うものと思われます。如何なる物にも意識が授けられており、それと親しむことは同時に様々な知識をも分かち合う関係になることでしょう。
 宇宙兄弟達(ブラザーズ)は精神感応の達人だとされています。このように様々な対象物と容易に一体化することが出来れば、対象物が発している想念や印象の把握等、容易なことと思われます。よく、動物は相手が好意的か危害を加えようとしている者か見分けるとされています。言い換えれば互いに相手が何を考えているかは、この一体化能力を身に付けた者にとって、極めて簡単なことだということでしょう。しかし、私達は決してこのような能力を得たいが為にこの学習を進めるべきではありません。この研究を自ら日々、実践することによって副次的に感受力が高まって行くのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落291

291 This is only one of the experiences I remember from the trip, for the association with all that were on the ship was also a feeling of oneness, never to be forgotten. And this union of sense mind and consciousness included the ship which was carrying us. For the molecules, the conscious entities of my form, became one with the conscious molecules of the ship's form. Yet the geometrical pattern of each form was different, and for a different purpose in the field of effects. But the cause was the same, for each form was serving a cosmic purpose.
291 これはその旅行から思い出す体験の一つに過ぎませんし、その船にいる全てとのつながりは、また、決して忘れることのない一体感でもあったからです。そして感覚心と意識との結合は私達を輸送するその船も含むものでした。何故なら、私の体の意識的実体である分子達は船体の意識ある分子達と一つになったからです。各々の体の幾何学上のパターンは異なり、結果の世界において異なる目的のものではあります。しかし、その因は同一です。各々の体は宇宙的目的に奉仕しているからです。


【解説】
 「一体感」、「一体化」の原理について、本項では良く説明されているように思います。つまり「一体化」とは各々の身体を構成している分子レベルの意識の融合であるということです。或る物との一体感は、実は自分を構成する細胞から更に精緻に深まった分子レベルの段階で、それらが意識的に融合することだとしているのです。
 これについて、最近思うことは、「一体感」なるものは触覚に近いものではないかということです。例えば、自分の身体の中であれば、自分の気持(あるいは意識と表現した方が良いのかも知れません)を、どの部分への移動させることができる筈です。例えば、足指にかゆみが生じたら、「どうしたのかな」と自分の気持をその部分に移動させ、どのような状況か知ろうとします。つまり、その部分の身体の部位からの訴えを聞こうとします。このように自分の身体の範囲内であれば、いつでも、どこでも自分の気持を移動させることが出来ます。これは、言う間でもないことですが、自分の身体がつながっているからに他なりません。これがその作用が触覚的な作用に思える由縁です。更に進めて、自と他の区別を無くすことが出来る程にこの感じを広げられれば、互いに共鳴しあうことも容易になるでしょう。その為には分子レベルでこのことを実現できるような安定した状況を自分の中に造り上げることが重要となる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落290

290 In that frame of mind I became fully aware of the intricate parts of the instruments and their purpose. And I had the feeling of being a part of each part, and felt my purpose of being in cooperation with others. This was so clear, but I cannot find words to illustrate my feeling. It was so definitely impressed upon me that I cannot forget the experience. Even as I speak of it I enjoy the feeling once again.
290 この心持ちの中で、私はその装置類の入り組んだ部品やそれらの目的を完全に分かるようになりました。そして私は個々の一部であるかの気持になり、他と協力するという私の目的を感じました。それはとても明瞭なものでしたが、その時の私の感じを表現する言葉が見当たりません。それは私にそれほどにはっきりと印象付けられましたので、私はその体験を忘れることはできません。そのことを話す時でさえ、再びその感じを味わうほどです。


【解説】
 この土星旅行が従来の「同乗記」で伝えられた宇宙母船とは異なる、より高いレベルの技術で動作するものであったことは、土星旅行記にも記述されている所です。その母船こそ、本課で学ぶべき宇宙の一体性を応用発展させた究極の成果物であった訳です。このような宇宙船が一般的なものであるかは知りませんが、宇宙兄弟達がアダムスキー氏に生命の科学の実践例を体験させる意味も大きかったものと思われます。
 また、ここで注目したいのは、その一体感なるものが鮮やかで、大変心地よいものであったということです。意識と一体化することは、そのような状態を附随させることになります。しかし、一方でこのような気持良さのみを求めることはその本意ではありません。現代化学は薬物を合成し、肉体や心を勝手に満足させる手法も一方では、蔓延しているからです。意識に従うこと、心を意識の中に溶け込ませることによって、自ずとそのような状況が生まれることに注意を払うべきなのです。
 意識との一体感が宇宙船を航行させるほどの潜在力があり、各自の肉体の細胞一つ一つを輝かせるほどのパワーがあることが大切な点です。
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