ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落130

130 Luther Burbank expressed himself well when he said that nature gave him the knowledge of how to improve upon vegetation. He stated that he was working with the Creator, and through His creation he saw Him face to face. Man will never be free from the drudgery he now is enduring, and the confusion in which he finds himself, until he returns unto the true teacher, the conscious director of all creation. We live in and are a part of its manifestation.
130 ルーサー・バーバンクは、自然が自分に植物に対する改良の仕方の知識を与えてくれたと言ってその実態を良く表現しました。彼は創造主と共に働いていることや、創造主の創造を通じて彼は創造主を間近に見ているとも述べていました。人間は真実の教師、すべての創造物の意識の指揮者の元に帰らない内は、現在耐え忍んでいる骨折り仕事や自分自身の混乱から決して自由になることは無いでしょう。私達は創造の現れの中に生き、その一部であるからです。


【解説】
 自然界のあらゆる動植物が創造主の英知の指導に従って、各々の成長過程を歩み、相互関係を深めることによって全体として調和ある姿を表現していることは前項までで述べられて来ました。
 ここでは、かつて人間としてこのことを実践した人物として、アメリカの植物育種家、ルーサー・バーバンク(Luther Burbank、1849-1926)を挙げています。ルーサー・バーバンクはカリフォルニア州サンタローザに植物改良の為の農園を持ち、そこで様々な新種の植物を造り上げました。米国では「シャスタディジー」「バーバンクポテト」等、有名な品種が現在でも数多く残っています。中でも有名なのは「棘無しサボテン」で、バーバンクがサボテンに「棘などはやして身を守る必要はないよ」と話し掛け続けることによってサボテンは次第に棘のない状態に変化していったとされています。(現在でも農園跡は記念公園として保存されています。Luther Burbank Home & Garden  http://parks.sonoma.net/burbank.html)。なお、時代はエジソンと同時期であり、エジソンらの一行が汽車でサンタローザのバーバンクを訪ねている写真が上記の記念公園に展示されています。
 さて、このバーバンク自身の言葉として”私は毎日創造主と直接、話しをしている”という主旨の発言がされています。何百、何千という若芽の中から、瞬時に目的の品種の要素を持つものを選ぶ等、言うならば「神かかり」的な選定作業があった訳ですが、バーバンクにとってはこのように、未だ結果が目に見えない段階から、数カ月後の姿が見えていたということなのでしょう。
 本文にあるように、私達が自然の指導を受け入れれば、無駄な回り道をせずに、目的を達成できるということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落129

129 With all of the intelligence we have today, no man can give the exact answer of how an apple or any fruit became such from a flower. This shows us that as great as man's intelligence is, it is still puny compared to what is manifesting in nature, the expression of the Creator.
129 今日、私達が持つ知性の全てをもってしても、誰一人として一つの花からりんご、あるいは何らかの果物がどのようにしてそのように成るのか正確な答えを出せる者はいません。このことは人間の知性が偉大だとしても、創造主による表現、自然における現れと比べればそれは依然としてちっぽけなものであることを示しています。


【解説】
 言う間でも無く創造とはそれまで形や痕跡が無い状態から、一つ一つ事物を造り上げて行く作業を意味します。芸術分野等が分かりやすい例かも知れません。しかし、目を自然界に移せば、実は私達が日常、食卓に上る様々な食品が、これと同様の由来、創造の過程からもたらされていることに気付きます。言い換えれば、自然界の産品の内、直接、地下から掘り出して精錬、製品化したものを除き、私達の身の回りには動植物に由来するものが多数存在します。それらはいずれも、元来は種から、あるいは受精卵から誕生し、生育したものを私達人間が自分達の都合の良いように収奪し、加工したものです。
 即ち、私達の生活のほとんどは、これら自然の創造的活動に依存しているのです。これを考えれば、私達はもっと深く、真剣にこれらの産品を提供してくれる多くの動植物に感謝し、またこれらの活動を指揮する創造主を尊ぶべきことがわかります。
 また、昨今では地球環境対策としてバイオマスの活用が進められています。生物(バイオ)を活用した燃料の生産がその主目的です。私達の生活は更に他の生物種の生命活動に依存度を増していることを認識しなければなりません。また、同時に創造主をもっと自分達の都合の良いように活用しようとする人間の身勝手さが更に進もうとしていることにも注意したいものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落128

128 All nature is expressing intelligence in varying degrees, for there is not a form, even a grain of sand, that does not express the purpose for which it was created, even better than man. A blade of grass as a tender shoot will come through the hard crust of the earth as it uses the power of the cosmos and obeys the intelligence that directs it. Yet man finds it difficult to penetrate a hard surface.
128 全て自然は様々な程度に知性を表現しています。何故なら形有るものはどれ一つとして、砂粒一つでさえ、人間以上にそれが創造された目的をより良く表現していないということは無いからです。一枚の草の葉は、柔らかな若葉の時、地面の硬い塊を貫いて現れますが、それは宇宙のパワーを用い、それを導く知性に従っているのです。しかも人間には硬い地表を貫くなどということは困難であることが分かります。


【解説】
 ”英知を表現(Express)している”ということについては、度々述べられて来ています。しかし、ここで注意したいのは、著者が強調しているのは、結果物である生き物の最終形を見よと言っているのではないことです。「表現」という意味の中には無からその造形物に至るまでその個体がどのような創造の過程を経て今日に至ったかというプロセスを見よとしており、結果としての現状の造形美のみを意味しているのではないということです。これら造形物の成り立ち過程がどれほど素晴らしい内容であったかを知覚することが大事ということです。
 更に進めるなら、私達が英知の表現者になるということは、私達が英知の助力や指導を受け入れて、これまで試されたこと、実現したことのない事柄を世にもたらすことや、白いカンバスに崇高な絵画を描く等、創造的な仕事をすることでもあります。自然界における多様な生物種と同様に、各人の持つ才能や経験は異なる訳で、各自各々の表現が行われる中で、この惑星社会も豊かになると言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落127

127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.
127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。


【解説】
 私達は知性なるものをどのようにして見極めればよいのかを本文では述べています。
 これまでも自然観察の重要性を述べて来ましたが、その自然の中に息づいている「知性(英知)」については、単なる外見、外形上からでは見極められないと言っているのです。見極める為にはその者(物)が発する言葉の内容や動作、振舞いに内部に宿るものの本質が現れることから、これらを観察することで、その形有る物の本性を知ることが出来ると言っています。
 とかく、私達は外見の姿形、言い換えれば目に見える「結果」から大きな影響を受けてしまい、見えない内側の存在要素を見落としがちです。自然観察の目的は形状や様式を細かく分類して記憶することではありません。その者(物)の内部にあって表現や行動を司っている知性に気付くことが出来るようになることが、その目的です。観察のポイントは対象物の内側になるということでしょう。日本にも昔から動植物を描いた絵画がありますが、円山応挙らの作品は、今にも虎が動き出しそうな臨場感が表現されています。観察の結果、外見だけでなく、その生物が示す動作の特徴を表わしたもので、画家が動物の動作についてもよく観察していたことが良く分かります。私達の観察眼を対象物の外見に留めず、内側の知性にまで深める必要性を本文では述べているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落126

126 From experience we know that nature is governed by the Supreme Intelligence.
126 経験上、私達は自然が至上なる英知によって治められていることを知っています。


【解説】
 私達が自然から学ぶように、自然を観察するように度々、本文でも述べられて来ました。もちろん、春夏秋冬、様々な変化を見せ、その如何なる一瞬、いかなる細部にあっても自然界のものは皆、私達が観察すればする程、その美しさと繊細さを私達に示してくれます。このように自然の美しさや調和した中での活発な活動を目の当たりにすることによって、私達は各個体の美しさだけでなく、それらの間の絶妙な仕組みに感嘆してしまいます。
 しかし、このような自然の見方は、未だ浅いと本文では言っているのです。私達は自然界で生きる様々な生物達の活動を見る段階から、更に深めて、自然の活動を指令している英知の存在に気付くようにせよと言っているのです。各個体の消長に気を取られることなく、大自然を陰で支え、導いている英知こそが私達の探究の目的であり、その本質を如何に感得できるようになるかが、各人の訓練の行き着く目標です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落125

125 Today we have scholars and learned men in all fields of endeavor, but all of them have to depend upon nature for their knowledge by studying nature's material and production of form life. And since man must depend upon nature for life itself, then it behoves him to let nature, rather than his ego, guide him. Or let his consciousness be his guide instead of his mind.
125 今日、私達の回りにはあらゆる努力分野において学者や知識人がいますが、彼等全ては自然界の物質や生命体の産生を学ぶことによって彼等の知識を自然に依存しなければなりません。そして人間は生命自体を自然に依存している以上、人間には自分のエゴよりは自然をして自分を導くようにする義務があるのです。言い換えれば自分の心に替えて、自分の意識を自らの導き手とすることです。


【解説】
 目下、地球規模の環境問題が顕在化しており、気候変動も次第に明らかになって来ました。これらは自然から搾取するだけの人間活動の急速な拡大がその原因にあります。現代社会は全てが、コスト即ち通貨価値によって支配されています。人間が勝手に与える価値によって物の評価が決まり、その物を生み出す過程については一切の考慮は払われていないのが現代です。他の生物種を勝手に養殖し、人間の都合のよいように密集し、管理されたケージで飼育されるニワトリは昼夜の区別なく光を当てられ餌を食べさせられて育ちます。そこで精一杯に卵を産み、安価な食品として食卓にのぼる訳ですが、一方の親鳥は幼鳥の顔を見ることなく、その後は肉にされ、文字通り身を裂いてスーパーの食品トレーに載る運命をたどっています。このような仕組みは全てこの惑星が造り出した地球人のシステムです。
 その仕組みの中に組み込まれている私達にとって、その仕組み自体を改めることは容易ではありませんが、少なくとも私達の生活の本質がこのように具体的に自然の生命の営みに依存していることは、最低限、知る義務があるでしょう。その上で、少しずつより調和した生き方を進める必要があります。自然界の最上位に位置する私達が自然をどのように見つめ、具体的な行動としてどのように振る舞うかが、惑星全体の波動、雰囲気、環境に大きな影響を及ぼすことにもなるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落124

124 The most unfortunate part of man's learning is that his ego is impatient and tries to exalt itself above his teacher or Creator. And it is here that he makes his biggest mistakes, for he applies his will instead of Thy Will, and thus complicates things instead of simplifying them. He follows his mind which should be a pupil, instead of the consciousness which is the teacher and the life of every form. And yet his only salvation is to return back to Nature's guidance. For he can never become independent of it no matter how much he learns or how old he becomes. It will have to be nature by which he evaluates his knowledge.
124 人間の学習における最大の不幸は、人間のエゴが短気で自らを自分の教師である創造主の上に増長させようとすることにあります。そして人間がその最大の過ちを犯すのがここなのです。何故なら人間は「汝の意志」の代わりに自分の意志を用い、そうして物事を単純化する代わりに複雑化しようとするからです。人間は形有るあらゆるものの教師であり生命である意識の代わりに、生徒であるべき自分の心に従っています。そして人間の唯一の救いは自然の導きに立ち返ることです。何故なら人間は如何に多くを学び、如何に年老いても自然から独立することは決して出来ません。人間が自分の知識を評価するのは自然によらざるを得ないのです。


【解説】
 私達が多くの物事を達成できないのは、その努力に継続性が無く、容易に結果が現れない為に途中でその望みや努力を放棄してしまうことにあります。理由は本文にあるように私達に忍耐力が無いからです。物事が動き出すには様々な要素が働く必要があり、心が望んだとしてもその想念が作用し現実化するためには、ある程度の時間も必要ですし、本人の継続的な努力も求められます。畑に蒔かれた種が芽を出し実をつけるまでを見れば良く分かることです。
 継続があれば雨粒が岩をくり抜くように、思いは現実化するでしょう。問題はその思いを私達自身が途中で継続するのを止めてしまうせっかちにあると言っています。物事を実現するにはある程度のエネルギーが蓄えられなければなりませんし、目に見えないけれども周囲の状況にも働きかけも必要なのです。そういう意味ではやがて出る結果を待つことなく、途中で関心を他に移してしまう結果、私達の生活には何と無駄なことが多いことでしょう。
 試しに何か一つ自分の望みに相応しい願いを立てて見ましょう。それが他人に役立つことならなお結構です。その願いが正当なものであり、自分もそれを目指して、無理はせず、しかし休まず、諦めずに取組んでは如何でしょうか。きっとその願いは思いのほか、短時間に実現することに気付くでしょう。私達は生命の海の中に生きており、その流れに従って進めば、大きな苦労はなく、目的地に着くことができるからです。自我を宇宙本流の流れに調和させるための努力こそが重要なのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落123

123 Even today man is going into the depths of the ocean and into space, only to learn from nature.
123 今日でさえ、人間は海洋深く潜ったり、宇宙に進出していますが、それらはただ自然から学ぶ目的からです。


【解説】
 最近では多くの人々が海外旅行に出掛けて世界各地の歴史遺産等を見て回るようになりました。また、機材を身に付けての水中散歩や山歩きも盛んに行われているようです。これらは豊かな人々が増えつつある良い時代になった結果と思う一方で、これらの探究心の背景には自然そのものや歴史上の人物を尊ぶ気持、更には自分自身をその場に置いて自身でその現場状況を感じ取りたいという真摯な気持があるものと思われます。
 この探究の結果、得られるものはいずれも単に書物で読む以上に私達自身に確かな印象を植え付けることでしょう。また、天体望遠鏡による星空の観察というマクロの目から、植物や小動物等のクローズアップ写真(接写)のミクロな観察まで、自然観察は私達に毎回、多くの発見をもたらしてくれます。とりわけ、接写を通して創造物というものは細部になればなるほど、精巧につくられ美しい造形美がそこに広がっていることに気付きます。このように自然の美しさについて認識を深め、古来から伝わる偉人達の生き方を学び人々の願いを知ることで、私達自身も成長できる訳です。やがては私達の身の回りにあるものすべてが、私達の教師になる存在であることに気付くことができれば、毎日を楽しく学習、精進できることになるでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落122

122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。 


【解説】
 自然界に生きるもので人間以外は皆、各々創造主の導きのまま、その種族に託された生命を全うしているということを前節で述べました。ここでは人間は当初、地球に置かれた時から、どのように成長して行ったかを述べています。古代の壁画に残る動物の絵や、祭事用や人形の土器の遺物等、文字の無い時代の古代人の生活振りの一端は、世界的にも残っています。このようなものに加えて、本文では楽器の由来として、自然界における木々の枝が風でそよぎながら出す音等、自然の中で聞こえる様々な音を真似ることから始まったと解説しています。
 また、人間本来の性質として、丁度、幼児が大人の動作を真似るように、人間は自らを生んだ創造主の真似をしたがるのだと言っています。言い換えれば、自然を手本とするという基本的な原則は、古代から現代、更には未来永遠に連なるものと言うことができるでしょう。
 言い換えれば、自然は人間に多くのことを気付かせ、教えてくれるものだと考えます。青空の中を行く雲は大変すがすがしいものですが、それと同様な光景は古(いにしえ)の人達も同じ気持で観ていたことでしょう。多くのインスピレーションを与えてくれる自然ですが、自然自らが言葉を発して私達に語りかけることはありません。常に黙って只、その作品(光景)を見せるだけです。そこから何を学び取るか、真似るかは各人に架かっているということですが、少なくても、その意義を感受した者は自分の得た知見を自ら表現して他者の参考にさせる必要があるのです。それこそが、人類の進化を促進する原動力となるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落121

121 Ninety per cent of life as we see it is governed by the law of direct guidance. The 10% which is man, has separated himself from the law by using his free-will.
121 私達が見るところ生命の内90%が直接の指導によって治められています。残り10%の部分が人間なのですが、それらは自分の自由意志を使って法則から自分自身を分離させて来ているのです。


【解説】
 地球という惑星を文字通り支配しているのは私達人類(地球人)です。しかし、惑星上の生命体全体の中ではその存在は10%だと言っているのです。言い換えれば大多数の生命体が宇宙英知の直接的な指導に従っており、調和を保っている訳ですが、このお蔭でとりあえず、この惑星は調和を保ち、維持されているということでしょう。
 しかし、昨今では環境汚染は地球規模の気象変動にまで影響を及ぼす程の規模になって来ています。もちろん、この原因者は人間にある訳で、10%の存在が残り90%の生命の拠り所である惑星全体の行く末までも変えようとしているのです。また、その影響は環境問題のみに留まらず、惑星全体の精神波動により大きな影響を与えているものと思われます。自分達が発する想念が惑星全体の雰囲気を汚染して不安や殺伐としたものに低迷させている訳です。本来、創造主から贈られた楽園であった地球を現在のような状態にしたのも、この10%の存在ということになります。まさに10%という一握りの存在が全体を支配する構図です。私達人間の持つ本来の責任を各々が自覚し、その責任を全うすることは各人の義務であり、その影響を少しずつ広げて、少しでも惑星をより良いステージに導くよう心掛けたいものです。
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