ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落309

309 This portion of the lessons should be firmly adhered to, for in the forthcoming lessons we will venture into the Cosmic Sea of Consciousness. This will bring many revelations according to the individual, and the mind may have a tendency to dislike what it views. i.e. You may see yourself in a million different expressions in past existences, and the mind may tend to discriminate between the scenes, as some will not be flattering according to the mind. In other words, the mind must learn to face reality. For life is not made of just the sweet, as the sour is also in the plan. Yet by putting the sweet and the sour together we get a pleasant combination. It must be this way if man's form and mind are to progress and develop into something finer. Nothing can be omitted if one is to have full knowledge.
309 教科の内、この部分はしっかり固執されなければなりません。何故なら次に来る教科において私達は意識の宇宙的海の中に踏み入れることになるからです。これは個人によっては様々な啓示をもたらすことでしょうし、また心は見たものについて嫌悪を感じる傾向があるかも知れません。即ち、貴方は過去生における何百万もの異なった自分自身を見るかも知れませんが、心は場合によっては自らを楽しませるものではない為、それらの光景を分け隔てする傾向になるかも知れないからです。言い換えれば、心は真実に直面することを学ばねばなりません。生命は単に甘いだけのものから出来ているのではなく、酸っぱいものもその計画には含まれているのです。しかし、甘いものと同時に酸っぱいものを合わせることによって心地よい組み合わせを得るのです。もし、人の身体と心がより繊細なものに進歩し発達するにはこの道でなければならないのです。人が完全なる知識を得るには、何物をも除外出来ないのです。


【解説】
 やって来る印象類に対し、受け入れるべき心がとっさに判断しその流れを止めることのないように訓練することは、これから先おnレッスンにとって大変重要なポイントとなるので、必ず身に付けられるよう、粘り強く学ぶことを本文では要請しています。
 私達にとってこれから学ぶ内容は、前人未踏の領域なのですが、それ故に突き進む為には私達が基本的な姿勢を備えているように求めているのです。その為には再度、この辺でこれまで培った知識を整理し、自分自身で何が身につけられたのかを振り返る必要もあるのです。
 また、本文にあるように、例え各自の過去生の断片が甦ったとしても、それは美しいものではないことを改めて覚悟しておくべきでしょう。私自身の体験から言っても、日々、この分野を学んで来てこの程度ですから、まして過去生では惨澹たる状況であったことは想像に難くありません。おそらくは大多数の皆さんも同様かと思います。その中では、各自の感受性が高まるにつれて、むしろ苦しいこと、醜いことがより一層、見えて来ることもあり得るのです。
 しかし、その際に毛嫌いしたり、無視したりすることなく、ありのままを受け入れること、先ずは真実に直面することを優先すべきだと本文は言っているのです。全てを包括的に理解する姿勢が必要だと説いているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落308

308 Should you become aware of an interference from the sense mind, either through impatience or egotistical effort, discipline it as you would a child. This must be done immediately, for if you don't, something will be missing from the picture which could result in confusion.
308 もしも貴方がせっかち或いは自己中心的な活動から感覚心を通じた干渉を察知した場合は、その心を子供に対する様に躾けることです。これは直ちに行われなければなりません。何故なら、もし貴方がそうしなければ、その全体像から何かが欠落し、その結果、混乱を生じさせ得るからです。


【解説】
 多くの場合、本文で言うように心の干渉が生じた時にその問題に気付くというよりは、後から考えればあの時、変だと思って次の行動に移せなかったのは、誤りだったと気が付く方が多いものと思われます。本文では、更に進んだ段階として、その場その場で生じる心の反応を観察し、子供を躾けるように心を指導し、育成せよと言っています。
 いずれにしても、心を通過しなければいかなる優れたイメージも現実世界に再現されない訳ですから、心に対するこの教育課程は大切だということが出来ます。また、意識からのメッセージに対して未熟な心はその受容能力が小さい為、常に断片的な要素しか受信できませんが、受信中に心の中で他の印象が湧き起こったり、その受信中の印象の断片を見て拒否反応を起こす場合が多いということでしょう。折角、意識によって与えられた印象を滞りなく感受する為には受信する側の心の訓練と同時に送信元(意識)への信頼感を高める必要もあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落307

307 One should not question what the consciousness has to reveal before the full revelation comes. And you should fear nothing - for that could cause you to lose the sequence of the lesson. For as we know the mind has been accustomed to fear that which it does not understand, and reject that which is unpleasant, due to the wrong teachings it has been subjected to. But we know that every manifestation fits into every other one, it must be so in order for the Cosmos to be complete. And when this is understood by the mind a beautiful unfoldment will come, each part of the puzzle falling into place to make a complete picture. And it will not reject anything.
307 完全な啓示が来る前に意識が明らかにしようとしていることに疑問を差し挟まないようにしなければなりません。また何物も恐れてはなりません。レッスンの一連の流れを失うことになるからです。私達がよく知っているように、心はこれまで服従させられて来た過った教えのせいで、理解しないものを恐れ、不愉快なものを拒絶することに馴れさせられて来ました。しかし、私達はあらゆる現れが他のもの一つ一つと調和することを知っていますので、それもまた宇宙にとって完全なものになる為には必要であるに違いないのです。そしてこのことを心が理解するや、美しい展開が明らかにされ、ジグソーパズルの各々の一片は完全な絵を作り上げる為の場所に収まることでしょう。そしてそれは何物をも拒絶することはないのです。


【解説】
 「ジグソーパズル」の一片が一見したところ、どんなに奇妙で判断つかないように思えても、実際にあたはまると全体としての完璧な絵が出来上がります。それと同様に一つ一つの印象の欠片を感受したからと言って、直ちに判断せず、忍耐強く全体像が見えるようになるまで大切に記憶しておくことだと言っています。
 とかく私達はその場その場で受けた印象を判断し裁き、綺麗・汚い、善・悪、良・不良とに区分し、各々の片方を自分に取り込み、他を排除しようとします。これは光景(視覚)や音(聴覚)、味(味覚)、香り(嗅覚)についても同様であり、各々対応する感覚の即断的な反応に由来しています。
 そのような状況では、反応の結果、受け入れられないとしたものは、捨て去られ、全体像にはいつまで経っても至ることはできません。私達はやって来る印象のすべてをありのまま受け入れて、後日、どのようなものが与えられようとしているのか分かるまで、大切に保持している必要があると言っているのです。思慮深き神を信じることがその一歩です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落306

306 And speaking of the by-ways - as consciousness is the sea of life everything is living within it. And as the Cosmos knows no beginning or ending, we are living in the embrace of a vast structure which has many interesting things in it, and our attention of interest will shift from one thing to another. This could be likened to standing on the top of a very high tower. While facing east things will be seen that are in that direction, and to the west, the same, etc., etc. So when the sense mind is interested in conscious perception it will want to see everything within the household of consciousness. This could become a hazard, for this hunger for knowledge could promote impatience, and confusion would be the result. So the mind must learn self control. And remember it has eternity in which to learn. With this awareness it will gain knowledge step by step in the sequence of events. And there will be no gaps or divisions that cause divisions and mysteries. The interest of the mind should be of such a nature that time is not involved, only learning what each step has to offer. Then when it is time for the next step to be taken the blend will be there without any foreign element that could come from the mind.
306 脇道については、意識は生命の海であり、あらゆるものがその内側にあるということについて述べましょう。宇宙には始まりも終わりもありませんので、私達はその内側に多くの興味深い物事を持つ広大な構造物に抱かれて生きておりますが、私達の興味は一つのことから他のものに移り変わるものです。これは一つのとても高い塔の頂上に立っていることになぞらえるでしょう。東を向けばその方向にあるものが見えますし、西を向けば、また同様等々です。そのように感覚心が意識的知覚力に関心を持つようになると、心は意識の家庭の中にあるすべてを見たがることでしょう。しかし、これは危険要素に成り得るのです。何故ならこの知識への渇望は性急さを助長し、結果として混乱が生じるだろうからです。ですから心は自制を学ばなければなりません。そして学ぶべきものには永遠があるということを覚えていて下さい。この自覚を持てば、出来事の一連の流れの中で一歩一歩知識を得て行くことでしょう。そしてそこには分裂や神秘を引き起こす如何なる割れ目や仕切りはないことでしょう。心の興味は時間には巻き込まれず、只一つ一つの段階が授けるべきものを学ぶという性質のものであるべきなのです。そうすれば、次なる段階の時期になった時、心から来る無関係の要素が入り込むことなく、融合が起ることでしょう。


【解説】
 ここでは意識への知覚力が増して来る際の注意事項について述べています。つまり、物事に対する感性が高まるにつれて、今まで気付かなかった様々な事柄に私達は気付くようになりますが、そこにも注意すべき課題があると言っているのです。
 それは丁度、今までの旧式のテレビが数チャンネルしか映らない一方、新しいデジタル放送では数十もの番組を受像できるのと同様です。そのいずれのチャンネルも私達にとっては興味があり、有意義なコンテンツを放送しているとします。こうした環境の中で、とかく私達はやたらとチャンネルを変えて、より興味のある番組を探そうとします。しかし、それでは各々が放送する内容を把握できる筈もなく、結局は何も記憶に残らないということです。
 これと同様に意識との一体化が進むにつれて私達は興味本位で知識を追い求めてはならず、それは逆に混乱を招くことを忠告しているのです。私達は決して進歩の道を進むべきでないというのではありません。現時点における自分の理解力以上の知識を取り入れようとはすべきでなく、一つ一つの体験から何も学んだかを整理した後、初めて次の一歩を進めるべきだ、或いはその整理が終わった時、宇宙が貴方に次の段階を用意してくれると言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落305

305 The space people live this understanding of life, but they also have a long way to go to attain it. However they have set their foot upon the right path and eventually will accomplish what they have set out to do. While we have promoted various highways and by-ways that have proven to lead everywhere except to the household of the Creator. We can be thankful to the Brothers for giving us the key of consciousness that unites all creation as one with the Creator.
305 宇宙人達は生命に関するこの理解を生活の中で実行していますが、彼らにもまたそれを達成する為の長い道があるのです。しかしながら、彼らは既に正しい道筋に足を乗せており、やがてはその提示したなすべきものを達成することでしょう。一方の私達は(戻るべき)創造主の家庭以外のあらゆる場所に導くものであることが明らかとなった様々な大道や脇道を奨励して来てしまっています。私達は宇宙兄弟達にすべての創造物を創造主と一体化する意識のカギを与えてくれたことに感謝してもよいでしょう。


【解説】
 この分野の学習については如何にして正しい道を歩むかが、大きな課題です。世の中には道を求める者に対して、あまりに多くの門戸があり、それぞれ自分達が真の安らぎを授けられると主張しています。しかし、残念ながら、それらの多くは「真理」の一部を削り取って自らの教義に入れただけで、その道を進んだからといって、その人本来の求める道とは遠いままに捨て置かれ、代わりに時間とお金が搾取されているのです。
 また、他方、独学により自然を探究してと思っても、多くの場合は巧みなエゴの裏切りから、途中で挫折することも多いのではと懸念しています。
 この「生命の科学」の優れている点は、現に進化した宇宙人達がこれを基調として生活しており、十分な成果を挙げているということです。私達より数万年も進んだ人類が過去に歩んだ道程がここに簡潔に述べられています。人生の生き方という最も大事な課題は、私達自身が自ら求め、探して掴まなければなりません。その困難な薄暗い森の中でも、先人達が残してくれた明るく輝く道程がこの講座だと言っているのです。
 かつてアリス・ポマロイさんにお会いした時、盛んに”Share(分かち合う)”という言葉をおっしゃっていました。私達も各自の歩みの中で掴んだ真理については積極的に後に続く方々に残し、また互いに体験を交流することが重要だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落304

304 We are all conscious beings and the still small voice which is consciousness keeps impressing us that there is a better way than the mind has promoted. It is not some teacher or preacher, here and there, that can tell us how, but the consciousness that is within each, as it is within him. For it is THIS that has made man aware of a better life for centuries, and it will continue to do so until man's sense mind gives its dominion over to consciousness. And when this happens man will know, for he will never again sense any divisions or feel himself separated from the Creator.
304 私達は皆意識的な存在ですし、意識である小さくかすかな声が私達に心が押し進めているよりも良い方法があると印象づけ続けています。私達にそれがどのようにしてと教えられるのはここそこの教師や説教者ではありません。それは各自の内側にある意識であり、意識が人の内側にあるからです。何故なら、何世紀にわたって人により良い生活について気付かせて来たのはまさにこれなのです。そして意識は人間の感覚心が意識にその支配権を譲り渡すまで、その援助を続けることでしょう。そしてこのことが起る時、人は理解するのです。何故なら人はそれ以降、決して如何なる分け隔てを感じることは無く、創造主から自身を分離した存在として感じることもないからです。


【解説】
 私の中に宇宙を貫く生命の根源である意識が存在することは身体の中の日々刻々の生命維持活動を見れば良く分かります。毎日の食事が肉体を養い、老廃物を排せつし、毎回の呼吸が体内細胞の働きに不可欠な酸素を取り入れる等、自我が寝入っている時もひたすら肉体はその存続の為、働いています。この作用を差配する大生命力は自我をはるかに超えた英知であることは、誰でも分かるはずです。
 このように大多数の部分は意識と融合した存在なのですが、独りその肉体を差配すべき肝心の自我だけが、言わば迷いの中にあります。また、道を求める者も、既存の宗教に救いを求めますが多くの場合、そのグループの指導者の理解程度や組織維持の為に、やがて当初の輝きを失う事例も数多いものです。そうとすれば、所詮、頼れるのは自分の中で毎日のように実証して見せてくれるこの意識の存在に只只おすがりする他に方法はありません。
 しかし、よく考えれば、心の反応も意識のささやきも、どちらも言葉で私達にメッセージを伝えることはありません。心にしてもとっさの判断(裁き)の積み重ねですし、単に「印象に従え」ということだけでは不十分かと思っています。受ける印象の質や内容を即座に判断することは難しいのですが、取りあえずは門戸を広げ、あらゆる印象を受け入れて、その内容に「好き嫌い」等の裁きや、「恥ずかしさ」等の自己保身等から来る要素の有無を見て、無ければ積極的に受け入れるということでは無いかと考えています。また、一方ではやって来る印象を自ら拒否している理由の中にそのような要素がある為に踏み込めないでいるかをチェックする必要があります。多くの場合、その対応が良かったか、過っていたかは直ぐに分かることでもあります。試行錯誤でも続けさえすれば、意外に早く本来の道には到達することはアダムスキー氏も言っているところです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落303

303 Man cannot forever serve his mind - for himself. Or other minds for other men and expect to realize and enjoy a heavenly state of life.
303 人は自分自身の為にも、自分の心に永遠に仕えることはできません。他の人間の為、他の心に対しても同様であり、そうすることで悟りを得たり、天国のような生活を享受することはできないのです。


【解説】
 ある程度の年齢になると、これまでよく犯罪を犯したり、避けることができる事故を引き起こすことなく、よく自分の心に付き合って来たものだと思うものです。もっともそれ以外の相棒が居ない訳ですし、ある時は怒りが沸き上がるのを抑え、また有頂天で舞い上がりそうになる心を落ち着かせ、ある時は恐怖心で身の毛がよだつ中で冷静さを取り戻す等、未熟な自分自身によく付き合い、今日まで永らえて来たものと思います。
 本文では所詮、このような不安定な心に一生涯仕えることは出来ないと言っています。その意味は自らの愚かしい感覚心を至上なる主人として仕えてはならず、むしろ訓練すべき対象だとしているのです。おそらくは生まれたばかりの子供は、かつてルーサー・バーバンクが世の中で最も感受性が高い生き物だと言ったように、実は大変鋭敏な状態にあるとされています。最近、NHKテレビのアーカイブス「あの人に会いたい」で童話作家の石井桃子さんのインタビューが放映されていました。その中で石井さんは自分の幼少の頃、姉から絵本を読んでもらった時のその絵本のページから受けた強い印象、絵本の中に自分が一体化した体験を後年になっても覚えているとお話になっていました。
 誰でも、幼年の頃、つまりは感覚心が未発達の頃には実はこのシリーズで私達が学ぼうとしている感受性は最も高い状況にあるのではないかと考えています。再び、この感受性を高め、これまで増長してきた感覚心を再訓練して調和ある形に組み直すことが大切なのです。自ら、自我を小さくし、奉仕する側に導けば、代わりに生命の根源である意識の作用が次第に大きく、各自に現れて来るということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落302

302 Reading these lessons will not do it, but living them will. And when you have done this you will have mastered yourself. And the elements that are here will serve you. For man is the only form that has the potentials of the Father. But he must first recognize consciousness as the Father, and return back from whence he came if he is to fulfill the purpose for which he was created.
302 これらの教科を読むことではそれを達成しません。それらを生きることが達成させるおです。そして貴方がこのことを達成する時、貴方はご自身を支配したことになるのです。そしてここに存在する元素類は貴方に仕えることでしょう。人間が父の可能性を持つ唯一の形有るものだからです。しかし、人は最初に父として意識を認めなければなりませんし、もし自分が創造された目的を成就するのなら、自分が来た所に戻らなければなりません。


【解説】
 この講座をこれまで進めて来て、お分かりになるように、これまでの世の中の哲学書にあるような難解な論議は何一つありません。全ては平易な言葉で表現されています。このことは、宇宙兄弟達の生き方は大変シンプルなものであることを示しています。
 問題はいくら、「知識」として頭に詰め込んでもダメで、自ら実践実行する中で真理を体得することがはるかに大切だということです。例えば目に見えない「意識」を自ら感じとれるかどうか、絶え間なく降り注ぐと思われる印象にどうしたら気付くか等、自ら実践する中で体得する他はありません。丁度、子供がはじめて自転車に乗るようなもので、いくら事前にペダルを踏んでと教えたところで、実際に自ら自転車に乗って見る他、ないというのと同様です。
 私達がその実践に踏み出す時、感覚心(センスマインド)にとっては暗闇の中を進むようなもので躊躇しがちですが、踏み出した途端、意識からの支援の手が差し伸ばされることが多いものです。以前、小田秀人さん(故人)から「若い頃、人生の意味に疑問になり、いっそ死んでしまおうと思い、沖に泳いで行ったが、力尽きた頃、未知なる力によって助けられ、生き延びてしまった。以来、その不思議な宇宙生命の力の研究の道に入った。」という主旨のお話を伺ったことがあります。
 私達は決して、この「生命の科学」にこだわる必要はありませんが、各自が”意識”というべき存在に気付き、それに従った生き方を続けることだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落301

301 If you cannot do this from nature's point of view, we have another method by which we can do better than we have in the past. As we are supposed to be Christians -let us use the teachings of Jesus and make them a part of our daily life. Or which ever Messiah you are following - practice their teachings so that they become habitual with you. Just as your associate's habits become a part of you. If you will do this you will be amazed at the changes in your life as the many unpleasant things are replaced by understanding. But you must make your sense mind determined to follow the guidance of The All-knowing Consciousness. Then you can say - "I the sense mind do nothing, but the consciousness does all things through me." If we can accomplish this, which we must do, the newness of life will manifest through us. And old age will be replaced by youth. And sickness will be replaced by health. And we will be on the way in making the Earth a Heaven.
301 もし貴方が自然に対する見解の違いからこのことが出来ない時は、これまで行って来た以上に良く出来るもう一つの方法があります。私達はクリスチャンと想定した場合、イエスの教えを用いて私達の日々の生活の一部にするのです。或いは如何なる救世主に貴方が従っているかを問わず、彼ら救世主の教えをそれらが貴方の習慣となる程に実践することです。貴方の仲間の癖が貴方の一部となるようにです。もし貴方がこのことを行うなら、貴方は自分の生活に起る変化に驚くことでしょう。多くの不愉快な事柄が理解に置き換わるからです。しかし、貴方は貴方の感覚心をその全智の意識の導きに従うことを決意させなければなりません。そうすれば、貴方はこう言うことができます。「私、感覚心が何をするのではない。意識が私を通じて全てのことを為さるのだ」と。もし、私達がこれを達成できれば、またそうすべきなのですが、生命の新しさは私達を通じて現れることでしょう。そして老齢は若さに置き換わることでしょう。そして病は健康に置き換わります。そして私達はこの地球を一つの天国に作り上げる道筋にあることでしょう。


【解説】
 自然に対する姿勢には基本的に自然の中に人間を超えた英知の存在を感じる東洋的な見方と、自然を克服、征服する人間の価値に重きを置く西洋の考え方があるように思います。その典型例が庭園づくりに現れています。例えば樹木を幾何学的デザインに刈り込み、人間が造り出した造形美として見せるヨーロッパの庭園に対して、日本の著名な庭園は、いずれも自然の山なみや泉を配した中で、各々の木々が自ら造り出す自然の枝ぶりの中に、その場所が例え都会の真ん中にあっても、静かな大自然の中に憩う雰囲気を良しとしています。
 もともと、この生命の科学は目に見えない要素に気付くことから始まっており、西洋の論理主義、実証主義とは相容れない側面も多いのかも知れません。むしろ、私達、日本人には理解しやすい内容ではないかと思っています。
 さて、本文では著者は自然観察に没入することが出来にくい場合の別の方法として、これまで地球に来た偉大な教師の教えを自ら実践し、その過程に意識の助けを求めよと言っています。つまり、各自の心であれこれ悩むのではなく、インスピレーションに従って、教えを自分で実践検証しろと言っているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落300

300 So if we are to be a perfect manifestation of the Creator we should study nature more than we have, as it is the conscious expression of God. And we should observe and adopt its laws of oneness in the same manner that we adopt each other's habits and even look alike.
300 ですから、私達が創造主の完全なる現れとなるには、これまで以上に自然を研究することです。何故ならそれは神の意識の表現であるからです。そして私達は互いの習慣を取り入れ、姿も似て来るのと同様に、観察し、その一体化の諸法則を取り入れることです。


【解説】
 本文ではこれまでも繰り返し述べられて来たように、自然観察が如何に大事かを指摘しています。自然を創造主の意図の完璧な現れとして受け入れ、その中から学び取ることが求められています。山や森、野原や川原に出て、植物や虫達の営みから創造主の意思を掴み取ることを求めています。具体的には丁度、絵画を鑑賞するように、静かに雰囲気を味わい、細部のタッチから画家の息吹きを見ることも必要でしょう。また、自ら絵に描いたり、写真に収めたりして、その調和の詳細を確かめることも有効でしょう。
 最近は、植物画や絵手紙が中高年の趣味として流行っているようですが、身近な自然を鑑賞し、その中に美を見い出すのは日本人の受け継いだ特質なのかも知れません。また人生も後半に近付くにつれ、幼年期と同様、身近な自然に再び関心を持つのも、創造主への回帰なのかも知れません。
 本課は「宇宙の一体性」が課題となっています。各自が日頃から関心を寄せ、意識する対象に、やがて似て来ること、また両者が次第に一体化するようになることがポイントです。私達の周囲にある自然の営みから全てを学ぶことが出来ることを本文では述べているのです。
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