ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落125

125 Today we have scholars and learned men in all fields of endeavor, but all of them have to depend upon nature for their knowledge by studying nature's material and production of form life. And since man must depend upon nature for life itself, then it behoves him to let nature, rather than his ego, guide him. Or let his consciousness be his guide instead of his mind.
125 今日、私達の回りにはあらゆる努力分野において学者や知識人がいますが、彼等全ては自然界の物質や生命体の産生を学ぶことによって彼等の知識を自然に依存しなければなりません。そして人間は生命自体を自然に依存している以上、人間には自分のエゴよりは自然をして自分を導くようにする義務があるのです。言い換えれば自分の心に替えて、自分の意識を自らの導き手とすることです。


【解説】
 専門の研究者でなくても、私達は日々の暮らしの中で様々な問題に直面し、その解決策を模索するものです。その場合、何かの不安や悩みに志向したがるのは心ですし、疲れた心を時に癒す必要があるように、心だけでは解決に至らないケースも多いものです。
 一方、真の問題の原因を見つけ出し、対策のヒントを得る時、私達は心よりは意識を使用していることが分かります。何らかの解決策につながるような印象の多くは心がもたらしたものではなく、意識が洩らした情報だと思っています。いわゆるインスピレーションは発見や発明の源であり、それらは全て自我が隠し持っていたようなものではなく、自然界が持っている情報な訳です。
 優れた業績を残す人は、このような知識の泉に容易にアクセスすることが出来る者であり、知識を自然に委ねている人です。私達は自然を見る時、自然にはそのような豊富な知識が隠されており、それらに親しむことが重要だと自覚することが必要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落124

124 The most unfortunate part of man's learning is that his ego is impatient and tries to exalt itself above his teacher or Creator. And it is here that he makes his biggest mistakes, for he applies his will instead of Thy Will, and thus complicates things instead of simplifying them. He follows his mind which should be a pupil, instead of the consciousness which is the teacher and the life of every form. And yet his only salvation is to return back to Nature's guidance. For he can never become independent of it no matter how much he learns or how old he becomes. It will have to be nature by which he evaluates his knowledge.
124 人間の学習における最大の不幸は、人間のエゴが短気で自らを自分の教師である創造主の上に増長させようとすることにあります。そして人間がその最大の過ちを犯すのがここなのです。何故なら人間は「汝の意志」の代わりに自分の意志を用い、そうして物事を単純化する代わりに複雑化しようとするからです。人間は形有るあらゆるものの教師であり、生命である意識の代わりに、生徒であるべき自分の心に従っています。そして人間の唯一の救いは自然の導きに立ち返ることです。何故なら人間は如何に多くを学び、如何に年老いても自然から独立することは決して出来ません。人間が自分の知識を評価するのは自然によらざるを得ないのです。


【解説】
 年を取るに従い、心の柔軟性は失われがちです。些細な事に腹を立てたり、文句を言う等の現象は、長年、本項で言う心による生活をして来た結末の姿だと言うことが出来るでしょう。
 人生の終りに近づく中で、その人がどのような心境になるかは、それまでどのような心構えで毎日を暮らしてきたかを反映するものです。そして本項で言う心が短気であることが多くの失敗や過ちの原因であることは、各自心して置く必要があるでしょう。
 直ちに結果を求めることなく、深く因の世界でそのアイデアが熟成し、諸々の原子達にその実現に向けてのメッセージを伝達し、物質世界に現出する為には、時間が必要なのです。それまでの間、創造主への信頼を保持することは、夢を実現する為の秘訣なのかも知れません。
 一方、こうして得た体験の積み重ねが、本人の価値を高める要素となりますが、重要なのは、これら最終的な値打ちの評価(evaluation)は自然において為されるべきもの、即ち価値は自然界の関連の中で評価されるものだと指摘していることです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落123

123 Even today man is going into the depths of the ocean and into space, only to learn from nature.
123 今日でさえ、人間は海洋深く潜ったり、宇宙に進出していますが、それらはただ自然から学ぶ目的からです。


【解説】
 経験上、人間が関与しない手付かずの自然は美しいことが分かります。また、どのようなものでも細部を詳細に観察する中で、私達が肉眼の視界を越えて顕微鏡下の世界に入るや、そこには別世界が広がっています。多くの微生物が活動する世界がそこにあります。
 また、宇宙についても望遠鏡を用いてより遠くを見る時、遠くを覗く程、新しい星が出現し、際限のない宇宙の広がりを自覚するものです。
 このように私達は私達の身の回りの自然から、多くを学びますし、また学ばなければなりません。自然を通じて表現されている宇宙的英知を学ぶことは私達を含めて、この世界にはそのような創造的法則が流れていることを知ることであり、それら諸法則を自身へ応用することを学ぶきっかけになるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落122

122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。


【解説】
 宇宙創造の歴史について私達の知識は皆無です。ビックバン説等、諸説はありますが、人間がどのようにして誕生したのかについて、未知の世界が拡がっています。仮に猿人からの進化の産物であったとするにせよ、生命の大本に辿り着かない限り、私達は正しく自分自身を理解出来ないのではないでしょうか。
 生命を観るに当って、私達は自身のDNA分子に潜む、膨大な過去の経験も活用出来るでしょうし、絶え間なくやって来る因からの印象も掴むことが出来るでしょう。そうする中で、私達は自身の身の回りの改善を進め、本来、私達に期待されている役割を果たすことが出来るというものです。
 創世記のアダム誕生の記述がそのままの事実とは思われませんが、仮に他惑星の文明からの支援が無くても、大自然から学ぶことで私達は進化の道を歩むことが出来ますし、最大の教師は自然であると本項は解説しています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落121

121 Ninety per cent of life as we see it is governed by the law of direct guidance. The 10% which is man, has separated himself from the law by using his free-will.
121 私達が見るところ生命の内90%が直接の指導によって治められています。残り10%の部分が人間については、自分の自由意志を使って法則から自分自身を分離させて来ているのです。


【解説】
(実は、原文の「10%」の対象を生命全体と解釈すべきか、人体とすべきか、迷うところではあります。原文を素直に読むと、「生命全体の10%が人間でその問題を」と解釈出来るのですが、今回の見直しで「人体の10%」をエゴが支配しているとした方が良いのではないかと考えました。以下はその解釈による解説です)

 人体の内、10%の部分がその自由意志により、エゴが自然法則から離れて分離支配していると説いています。もちろん人体を維持しているのは、宇宙を貫く創造主の法則なのですが、それによって維持された人体をエゴの勝手な判断で支配しようとしているのが私達の実情です。
 私達は人生を生きて行く上で、何度も過ちを犯しますが、その結果を次に生かすことが出来れば、着実に前進する訳ですが、往々にして同じ過ちを繰り返す傾向があるのです。その原因はエゴの習慣性にあるものと言えますし、無理解や知識の無さもあるでしょう。
 この残り10%を宇宙的にすれば良いわけで、通常考えれば、9割方うまく行けば成功したも同様なのですが、山登りの場合には9号目から先に君臨する頂を登るのが大変だとされており、エゴの克服も同じ道程かと思います。
 人生を掛けてこの10%を宇宙的なものに変質させる為、休まず登り詰めない限り、ゴールに到達することは出来ないのではないでしょうか。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落120

120 When we say Nature, it is used as a representative of The Mother Principle of Divinity. For she is the one through which forms are born. This is the feminine side of life, while the Supreme Intelligence is the masculine. And the two are working as one to bring forth the many manifestations.
120 私達が自然と言う時、それは神の内の母性原理を代表するものとして用いられています。何故なら、そこから形有るものが産まれるからです。これは生命の内の女性的な面を示しており、一方で至上なる英知は男性面を表わしています。そして両者は多くの創造物をもたらす為、一体となって働いているのです。


【解説】
 「母なる大地」という表現の通り、私達は大地(惑星)から生まれた者、私達の肉体の構成要素は全てこの惑星の原子です。
 従って、この地球を去る時は、それらを大地に返す必要があるということでしょう。
 大地の子である私達は、同時に宇宙の英知の導きによって具体的な形と機能を授与されています。それを本項では父なる至上の英知と表現しています。その父母が融合する中で、私達創造物が誕生し、生命を長らえられているという訳です。
 私達は、この融合状態を自分自身や大自然を観察する中で見るよう努力しなければなりません。物質自体への感謝とともに、それとは別に目に見えない英知の働きがあることも忘れてはならないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。


【解説】
 本項冒頭に知性の分類法について、よくある質問例として記されていますが、私達はそれ程に目の前のあらゆるものを分類し、名前を付けたがるものです。そのことの良し悪しは別として、研究の過程で私達が見出すことは、あらゆるものに英知が宿っており、私達はあたかも英知の海の中という大変に恵まれた環境の中に暮らしていることが分かるとしています。
 そして、自然界の生きもの達は皆、それぞれ自らの目的を達成し、自然の調和に寄与しているという訳です。その背景には人間以外の生きもの達は自らの意思を持たず、いわばかたくなに創造主の指導の通りに行動していることが上げられ、その従い振りは実に従順で大変な場面でも自分の意思を出さず、大自然を流れる英知に身を委ねるのです。
 何千キロに及ぶ鳥の渡り等、自らの肉体だけの装備で、地球規模の活動をするもの等、その活動の幅の大きさには感服させられます。同様に生きもの達の行動の一つ一つに隠れた英知の案内があり、彼らはその案内に従っているという訳です。自分の意思を完全に創造主の意思に委ねる中で、苦しみや悩みもなく、本来、その者に託された使命を達成しているということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。


【解説】
 本項は私達各自に安らぎを与えてくれます。進歩に時間は関係ないという著者の教えは、前進する限り、私達は確実に目標に近づくことを示しているからです。
 どのようにしたら良いのかについて、著者は身の回りにある様々な創造の王国を観察、探求することだとポイントを示しています。それも単に自然を楽しめとするのでなく、自然の中に如何に創造主の意図や法則が流れているか、また創造物がそれに従っているかを見るように説いています。
 このように自然や宇宙を探求する中では、それらを創りだした創造主を先ず受け入れることが第一歩でしょう。この広大な事物を統括する存在や法則の偉大さを認識するにつれ、私達は各自、具体的な創造主のイメージを持つようになり、遂には「父」とも呼べる存在にまで認識出来るようになるものと思われます。
 私達各自は世の中に同一人物が居らず、各自各様の才能が授与されています。その才能を開花することで、宇宙は更に豊かになる訳で、創造主はその開花を楽しみに待っているような気がします。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」 第3課-段落117

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.
117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをせず、私達はそれらを分割し分離して来ましたが、これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく汝の意志が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。


【解説】
 意識を知ろうとする為に、これまでどれ程の努力が為されたかは知りません。しかし、結論的に言えば、イエスの時代から今日まで、私達地球人はこの面においてあまり進歩して来なかったのではないでしょうか。
 東洋では「悟り」と表現され、覚醒とも言われる心境は、万物の内面にある活動する本体、即ち意識を知覚する状態ですが、いずれも各自が生涯を通じて自己開拓すべきテーマとなっています。
 私達は自身の身体の中については、自在に意識を移動させ、また思い通りの運動を表現することが出来ますし、ある程度その「意識」について自覚することも出来ます。しかし、その一方で自分以外の創造物の内側についてはそのような目に見えない活動を感知することはほとんどありません。日常的には、目による外観の判定やその他感覚の判断から自分にとっての好き嫌いの対象物と見なしています。
 本項は、意識を知ろうとする場合、相手の外形以外にその内部にある意識的な活動を同時に見抜くよう求めています。同乗記にも記述があるように、進化した他惑星人の感性はそうした物体の奥に流れる不可視なエネルギーについても知覚できるところに進化の源があるという訳です。

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