ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落127

127 So let us go back to the word intelligence; We may look upon a man that from all appearances represents intelligence, yet when he expresses himself we realize our mistake. Yet when looking upon an unassuming, unimposing man we find from his expression that he is quite intelligent. So we do classify intelligence by expression or action.
127 そこで知性という言葉について立ち返ってみることにしましょう。私達はすべての外見要素から知性そのものであるような一人の人間を見かけたとします。しかし、彼が自分自身を表現した時、私達は自分達が間違っていたことを思い知ります。しかし一方、謙虚で出しゃばらない人間を見るとき、私達はこのような彼の表現からその者がまったく知性的な人物であることに気付きます。ですから、私達は表現や行動によって、実際、知性を分類しているのです。



【解説】
 その者の知性は外見ではなく、その者の行動や発言等、表現の中に表われると説いています。とかく私達は外見を整えること、見た目の良しあしという自らの視覚の判断によって評価しがちです。しかし、その者の内側の知性と外見とはあまり関係がないと本項は私達に諭しているのです。
 その証拠に私達は私達の身の回りに他惑星から来ている宇宙人に気付くこともありませんし、だまそうと近づいてくる者に容易にだまされ餌食になりやすいのです。
 外見ではその人の本質が分からないことは、イエスも聖書の中で自分が復活して戻って来た時に多くの人達がその人物がイエスであることに気付かないと話していたこととも一致しています。
 私達は形あるものの内部にある不変の魂、知性にもっと関心を持つべきで、視覚の反応に過ぎない外見への関心を捨て、そのものの本質を理解しようとする融和、融合的な心境になる必要があります。いわば自分の意識を対象の内部まで浸透させ、相手の意識と一体となることで相手を理解するというような感じかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落126

126 From experience we know that nature is governed by the Supreme Intelligence.
126 経験上、私達は自然が至上なる英知によって治められていることを知っています。


【解説】
 本項で言う"至上なる英知"の機能を最も良く実感できるのは、私達自身の身体活動でしょう。私達の身体は私達の心が発する感情等から悪影響を受けることはあるものの、大部分は独自に活動を続け、身体を維持しています。それらは誰の指示で動いているのか、私達は考えて見る必要があるのです。
 血液がくまなく全身を流れ、各細胞に必要な栄養素や酸素を運び、各細胞は各々の機能を果たし、絶えず更新を果たしていることでしょう。こくした全細胞は一説に60兆とか、37兆とかの数があるとされており、ある統制の下、地球の人間の数ほどの細胞が調和した人体を運営維持していることは驚きです。この統制者を"至上なる英知"と本項では呼んでいるのです。
 私達はこの英知から各細胞に与えている指導の声、無言の印象にもっと関心を持ち、それらと調和した精神生活を送るべきです。生命力を表現している肉体を妨げる行動や想念活動をすべきでないことは明らかで、いち早くこの指導の声に従う心境を確立しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落125

125 Today we have scholars and learned men in all fields of endeavor, but all of them have to depend upon nature for their knowledge by studying nature's material and production of form life. And since man must depend upon nature for life itself, then it behoves him to let nature, rather than his ego, guide him. Or let his consciousness be his guide instead of his mind.
125 今日、私達の回りにはあらゆる努力分野において学者や知識人がいますが、彼等全ては自然界の物質や生命体の産生を学ぶことによって彼等の知識を自然に依存しなければなりません。そして人間は生命自体を自然に依存している以上、人間には自分のエゴよりは自然をして自分を導くようにする義務があるのです。言い換えれば自分の心に替えて、自分の意識を自らの導き手とすることです。


【解説】
 おそらく本項で述べられているのは、多くの研究活動における秘訣と呼べるものではないかと考えています。研究の中では失敗はつきものですが、それは誤った概念の下、考え出された想定が現実と異なっていたことを意味します。しかし、それら失敗と思われる現象の中により価値のある要素が潜在していることも多々あるものです。それらの存在をそっと示唆するもが意識からの印象なのです。
 結局、私達はこの意識の声である印象とどのようにして親しみ、受け入れやすい体質、心境になるかが問われているということでしょう。自らの心を常に謙虚にして、与えられる印象、インスピレーションを大切に取り扱うことです。特別な「行」を行うのではなく、日々の生活の中で心掛けるテーマとして著者は説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落124

124 The most unfortunate part of man's learning is that his ego is impatient and tries to exalt itself above his teacher or Creator. And it is here that he makes his biggest mistakes, for he applies his will instead of Thy Will, and thus complicates things instead of simplifying them. He follows his mind which should be a pupil, instead of the consciousness which is the teacher and the life of every form. And yet his only salvation is to return back to Nature's guidance. For he can never become independent of it no matter how much he learns or how old he becomes. It will have to be nature by which he evaluates his knowledge.
124 人間の学習における最大の不幸は、人間のエゴが短気で自らを自分の教師である創造主の上に増長させようとすることにあります。そして人間がその最大の過ちを犯すのがここなのです。何故なら人間は「汝の意志」の代わりに自分の意志を用い、そうして物事を単純化する代わりに複雑化しようとするからです。人間は形有るあらゆるものの教師であり、生命である意識の代わりに、生徒であるべき自分の心に従っています。そして人間の唯一の救いは自然の導きに立ち返ることです。何故なら人間は如何に多くを学び、如何に年老いても自然から独立することは決して出来ません。人間が自分の知識を評価するのは自然によらざるを得ないのです。


【解説】
 じっと解決策を授けて呉れる意識からの印象を待つこともなく、あるいは騒ぐ心の声があまりに大きすぎる為、それら差し伸べられる助言に気付くことなく、私達は自分自身で勝手な対応を続けています。もちろんその結果は更なる問題の拡散に繋がって行くという訳です。
 本項で短気を戒めていることにも注意が必要です。他の者に命令ばかり、裁きばかりをして玉座に座り続けている私達は、一たび何か物事が思い通りに進まないと、直ぐに問題視したり、騒ぎ立て、混乱を助長しがちです。
 それもこれも私達が意識から来る精妙なる印象の振動に同期することが出来ない低レベルの振動の持ち主であることにも起因しているのでしょう。謙虚に自然や宇宙に対して自らが学習者、訓練生の一人であることを自覚し、他の動植物がどのようにして安寧な暮らしを続けられているのか、観察を通じて学ぶことが肝要です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第3課-段落123

123 Even today man is going into the depths of the ocean and into space, only to learn from nature.
123 今日でさえ、人間は海洋深く潜ったり、宇宙に進出していますが、それらはただ自然から学ぶ目的からです。



【解説】
 重要なのは自然、即ち宇宙と向き合う態度であろうと思われます。海洋深く探査することや地中の奥を調査することは、私達の棲む惑星を理解することが目的であるべきです。また、地面を掘り進める中で、過去の文明の遺構も発見され、地上でこれまでどのような事柄が起こったかも分かることでしょう。
 東日本大震災以来、貞観(869年)の地震や津波の痕跡が注目されていますが、過去1000年単位で繰り広げられる大きな変動も地球のそこここに記憶されています。
 このように自然を探究することは私達に宇宙の経緯やこれまでこの惑星が辿った道程の多くを学ぶ機会となっています。
 同様に私達自身の過去についても先ずは知ろうとする努力も必要だと考えています。自分はどのような体験を本来持っているのか、自分自身を掘り下げ理解することも必要でしょう。それは必ずしも楽しい体験ばかりではないのですが、自分と向き合うことで学ぶことも多い筈です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落122

122 Let us assume that, the first man on earth did not have a teacher to guide him along the path of life, so he had to use nature as a teacher. i.e. As he listened to the winds passing through the trees with their varying types of leaves, he noticed that each produced a different sound. And as he listened to the birds and the rushing waters of the brooks and rivers, and other sounds that nature produces, he desired to reproduce the sounds. So he made a flute type whistle and later other instruments. Man innately desires to become as his Creator. So nature has been his greatest teacher.
122 ここで地球上の最初の人間が人生の道程を導く教師を持たず、自然を教師とせざるを得なかったと仮定しましょう。即ち彼は様々な形の葉を持つ木々の間を通り過ぎる風に耳を傾ける時、各々が異なる音を発することに気付きました。そして鳥達や渓流や川の水の流れやその他、自然が造り出す音に耳を傾ける時、彼はそれらの音を再現したいと思ったものです。そこで彼はフルートの形式の笛、そして後には他の楽器を作ったのです。人間は生来、自分を創造した創造主のようになりたいと願っているのです。ですから自然は彼の最も偉大なる教師であったのです。



【解説】
 実は本項と類似したことが私達の置かれた状況とも言えるのではないでしょうか。アダムスキー氏や他惑星からの支援者達が私達の近くに居る訳ではなく、私達は独りで自らの道を求めて進んで行く状況にあるからです。
 その中で本項は、身近な自然に注目せよ、自然から学べと説いているように思います。丁度、原始の時代に人間が初めて笛を作ったように、自然を観察し真似ることで成長して来たということでしょう。
 同様に、現代の私達の教師は常に身近にある自然であると言えます。先日もあるアジアの地で休日、寺巡りをしていた所、幹の所々から房(ふさ)のように束ねたたくさんの実を出すヤシの木と出会いました。残念ながら名前は分かりません。気が付くと木の上の方にはそれらが熟した大量の実が稔っています。数珠や房の形といい、お寺に相応しい植物ではと感心した次第です。おそらくは何らかの薬効成分も含んでいるものと思われます。
 私達の身の回りには、まだまだ初めて見る自然の不思議がいっぱいあります。それら学習、観察の機会を通じて、私達は自然から様々な事柄を学ぶことが出来ますし、その心境になれば私達は自然の一員となり、孤独ということはありません。多くの植物画の作家がそうであるように、自然観察の中には楽しみがいっぱい詰まっているということでもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落121

121 Ninety per cent of life as we see it is governed by the law of direct guidance. The 10% which is man, has separated himself from the law by using his free-will.
121 私達が見るところ生命の内90%が直接の指導によって治められています。残り10%の部分が人間については、自分の自由意志を使って法則から自分自身を分離させて来ているのです。



【解説】
 私達人間が地球全体に10%程の影響を与えていると著者は指摘しているように思います。その人間自身、自分に与えられた自由意志が自分を宇宙の法則性からかけ離れたものにして来たという訳です。
 宇宙から来る無言の印象に従うのではなく、人源は自ら考え、行動して知識を積み重ねて来ました。その結果、もはや他の動物をしのぎ、惑星を支配する文明にまで発展させています。
 しかし、その自由意志が私達を堕落させ、倫理をおとしめ、欲望を助長する殺伐とした社会を作り出しているのです。何をしても自己責任、何をしても他人に知られなければOKという風潮は、私達が本来めざすべき姿ではありません。それらの結末は、決して好ましいものになることはないからです。
 仏陀は人々に守るべき戒律を説きましたが、それは私達の自由意志をコントロールする一環でもあったと思われます。また、モーゼの十戒にも同様な響きを観ることが出来ます。最もいけないことは、自身の内側にある創造主の期待を裏切ることです。時には横道に入り込むこともある私達ですが、重要なのはこれらの反省に立って、私達は自らの意志、自由意志で創造主の門を叩いて、中に入れてもらうことだと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落120

120 When we say Nature, it is used as a representative of The Mother Principle of Divinity. For she is the one through which forms are born. This is the feminine side of life, while the Supreme Intelligence is the masculine. And the two are working as one to bring forth the many manifestations.
120 私達が自然と言う時、それは神の内の母性原理を代表するものとして用いられています。何故なら、そこから形有るものが産まれるからです。これは生命の内の女性的な面を示しており、一方で至上なる英知は男性面を表わしています。そして両者は多くの創造物をもたらす為、一体となって働いているのです。


【解説】
 私達自身、母の身体から生まれ出た訳で、この身体の源は各自の母に由来します。全ての生きものがこうして母なる存在からこの世に生み出され、その同じ法則は地球全体に行き渡っており、"母なる大地"と表現されることになります。
 一方で、本項ではその一つ一つの生誕を指導する究極の英知を父なる存在としています。各々の生き方、暮らし方に示唆を与える知性の存在もまた、その生育に不可欠であり、母性、父性の2つの働きが一体となってはじめて形あるものが創造されるということでしょう。
 重要なのは、これら創造作用の中には他者への裁きや敵対的な要素は一切無いということでしょう。昔、"Love and Peace"とう表現がありましたが、大自然本来の営みの中には、豊かな愛情表現はあっても、好戦的な要素は無いところに気付いていた人達が当時も居たということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落119

119 You may ask, how do we classify intelligence. Man classifies it as the result of actions or expressions. If we use this same classification, then we must admit that we are living in a sea of intelligence. All forms that live and express are using certain phases of it, and fulfill the purpose for which they were created. All of these lesser forms act automatically under the guidance of nature. Or we could say, by direct guidance of the Creator.
119 知性についてはどのように分類するのかと貴方は問うかも知れません。人はそれを行動や表現の結果から分類しています。もし私達が同様の分類をするなら、私達は自分達が知性の海の中に生きていることを認めざるを得ません。生きそして表現する形有るものは皆、その(訳注:知性の海)何らかの側面を活用しており、それらが創造された目的を達成しています。これら(訳注:人より)下位の形有るもの達は自然の導きの下、自動的に行動しているのです。言い換えれば、創造主の直接の指導によっていると言えるでしょう。


【解説】
 前項(118)の最後に述べられている「知性」について、本来どのようなものかを本項で解説しています。
 本項では知性を行動や表現から推し量ることが出来るとし、私達は知性の海の中、即ち私達を取り巻くあらゆるものが知性を持った存在だと説いているのです。
 また、全ての形あるものがその本来の生存の目的の為に、創造主の指導そのままに生きて居る訳で、「置かれた場所で咲いている」のです。誰もが春には道端の草地で小さな蝶が楽しげに舞う姿を見たことはあるでしょう。また、地面を覗き込むと蟻達がせわしげに働いており、それぞれ与えられた状況の中で不平を言うことなく、むしろ喜々として生命を謳歌しているように思われます。
 それに引き替え、人は様々な問題を抱え、身の回りのこれら小さな生きもの達の暮らしを観る余裕もなくなっているようです。しかし、生きものには各々に応じた本来の行動や表現の為の知性が絶えず与えられており、それを受け入れ享受しさえすれば、楽しい本来の人生が待っている筈です。その贈り手を信じること、結局は自我だけではやって行けないことを早く気付く必要があるのです。古今東西の教えは全てこの一点において同じ要点を説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第3課-段落118

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.
118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。



【解説】
 よく"若気の至り"という表現を用いますが、私達はその人生において学習の課程にあることは確かです。そして生涯の終末を迎えた時、自身で何か本質的なこと、本講座で学びつつある領域の事柄について理解出来、創造主の意図が多少とも実感出来ていれば、今人生は大成功ということになるのではないでしょうか。
 もちろん、各自の歩む人生は人それぞれでありますが、最も身近な存在である家族や友人に対し、その生涯を手本として見せることが出来れば、役割の一つを果たすことが出来たと言えるように思います。たとえ高齢になっても毎日、何かに向かって努力をすればそれは少しずつでも積み重なって人生を豊かにして呉れるものと思われます。また、自然の美しさや精妙さに気付くことも多くなることでしょう。
 従って、もし私達が進歩の道を歩んでいれば、必ず目的地にも到達出来るでしょうし、過去、即ちこれまでの自分に比べて向上させることが出来ている筈です。芸術家と同様、習作を積み重ねた上でやがてその代表作が生まれる程の技量の段階に至るのと同様です。

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