ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落298

298 When we speak of nature, or nature's laws, there are two phases. One, the forms which nature produces in which we see ageing. And what we call ageing could be a fulfillment of the form's purpose that it may be replaced by a new form. But the law of life, or nature, is the same today as it always has been - in the primal stage. Replacing new forms for the old for continuous service, each for a finer quality of expression as nature is progressive. Always going forward, never retrograding. So here we are witnessing the Creator's Consciousness in action. And since only newness comes out of this consciousness, and not age, then we are shown that the Creator lives in the primal stage all of the time. And all that is created by this consciousness is a manifestation of primal cause.
298 私達が自然或いは自然の諸法則について話す時は、二つの面があります。一つは自然が作り出す形あるものであり、そこには私達は老いを見ます。そして私達が老いと呼ぶものはその形あるものの目的の成就とも言えるものかも知れませんし、それは新しい形と置き換えられるかも知れません。しかし、生命の法則、あるいは自然というものはこれまでずっと今日と同じに、原始の段階であり続けているのです。継続的な奉仕の為にこれら古いものを新しい形に、自然は進化する為、一つ一つをより精緻な資質に置き換えています。常に前進し、決して退化することはありません。ですから、ここに私達は、創造主の意識が行動する様を目撃しているのです。そしてこの意識からは新しさだけしか来ず、老化はありません。そうして私達は創造主は如何なる時も原始の段階で生きていることを知らされるのです。そしてこの意識によって創造されたものは全て原始の因の現れなのです。


【解説】
 四季の変化がはっきりしているわが国では、季節の移ろいによる自然の変化が良く分かります。晩秋の現在、枯れたススキの穂が朝日に輝いていますが、それも少し前の夏の盛りには逞しく葉を繁らせていた訳ですし、その前は若葉を前年の枯れた茎の間から若葉をすくすく伸ばしていました。
 植物の中にはその一生を1年間で成就するものも多いですし、虫達もまた同様です。それにつけて思うのは、以前夏に尾瀬に出かけた時、山では夏が短い為、虫達は毎日を生きるに忙しく、人が近づいても逃げようとせず、花の蜜を吸うのに一生懸命であったことです。それ程に生命を全うするのに一心不乱ということだったのでしょう。
 少し長い目で見れば人間も同様で、人の一生の時間というものも限られたものとなります。その中で、如何に自分らしい生き方を全うするか、また、期待された使命を果たすかが求められているということでしょう。
 しかし、この現実社会では必ずしも十分な条件が整わず、或いは様々な影響から望むところを達成できずに終わるかも知れません。しかし、それでもその意思があれば、次の生命にそれは受け継がれ、遂には所定の目的に到達することでしょう。本項で記されている意識の意向は次なる生命や転生先にも引き継がれる為、意識の中には「老い」という要素は一切無いのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落297

297 There is one thing that is misrepresented, The Creator is not an old man. For consciousness is always in the prime of life, knowing no beginning or ending as far as we are able to detect. And as we know, the space people live this knowledge and enjoy a youthful long life.
297 誤って描かれていることが一つあります。創造主は老人ではありません。何故なら意識は常に生命の全盛期にあり、私達が探る限り、始まりも終わりも無いからです。そして私達が知っているように、宇宙人達はこの知識を生活の中で実行し、若々しい長い生涯を享受しているのです。



【解説】
 同乗記には母船に創造主を描いた絵画が飾られており、その創造主像は若々しかったと記されています。私達がイメージする創造主と他惑星の人々が持つ創造主のイメージとは大きく異なっているようです。
 しかし、生命活動を観察する時、私達はその活発さからそれを生み出す創造主は力強く若々しいことを知らねばなりません。作品が作者を表すように、創造物から私達は創造主をおもんばかる必要があるのです。
 一方、私達自身は当初の幼児期を過ぎると活発な意欲や探究心は衰えがちです。しかし、本来n若さを保つのであれば、先ずは内側、即ち私達の抱く想念の質を本来の相応しいものに変えなければなりません。肉体の衰えは私達の内側、精神活動の衰えを反映していると思うからです。ちなみに、先月、出張先の地で美しい菩薩を描いている絵に出会い、思わず買い求めた次第で、毎日額に入れたその絵を眺めています。宗教によっては偶像を禁ずる教えもありますが、本来の創造主に心を寄せる意味から、こうした絵画の意義は大きいように思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落296

296 May I present this in a different way for the purpose of understanding. Recently I was asked, "but what is God like?" It is not easy to describe God, for if a person feels what God is like he cannot find words to express it. But we can study His creation since all manifestations were born out of His consciousness and lives within His consciousness.
296 ここに理解を進める目的から、違った道筋をご提案しましょう。最近、私は「ところで、神とはどのようなものだろうか」と尋ねられました。神を描写するのは容易ではありません。もし、ある人が神がどのようなものかを感じたとしても、それを表現する言葉を見つけることは出来ないからです。しかし、全ての創造物が神の意識から生まれ出て、神の意識の内側で生きている為に、私達は神の創造を学ぶことは出来るのです。



【解説】
 創造主を知ろうとすることは、私達の重要な姿勢であると考えています。人間は知識を持つにつれ、傲慢になり易いのですが、創造主を理解したい、知りたいという心境は人を本来の謙虚さに保つものです。
 実際、私達自身を教材に創造主の働きを学ぶことは、実り多いものがあります。各自の生きる目的をより具体化させ、その道を拓くのも各自の内側からの働きであり、創造的作用によるもので、私達が創造主の似姿をして機能を果たす中での作用の一つであるからです。
 それからもう一つ、本項におけるポイントとしては、創造物は現在でも創造主の意識の中に生きているということです。とかく私達は各々の誕生をもって"創造"としていますが、実際には誕生後もその創造物は創造主の中で生きているのです。つまり、私達は全て常に創造主の中に生きている、生かされているのです。
 このことを忘れて正しい道を歩むことは出来ません。私達の自我を学ばせ、本来の道を歩ませる為に、常に創造主を思い起こしその意向を表現し実現する役割を果たすことが重要です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落295

295 In lesson seven we illustrated how two people after a period of association began to look and act alike. This harmonious union can also be cultivated with all life.
295 第7課では如何にして二人の人間がある期間、一緒に過ごすことで外見も行動も似て来ることを説明しました。この調和した和合はまた、全ての生命との間にも培うことができます。


【解説】
 夫婦が長年の暮らしの中で、互いに似てくるように、私達は"意識"の存在を常に心に感じ取り、親しみ、共に暮らす心境でなければなりません。それが"神の似姿"として創られた人間の自然な生き方であり、本来のあるべき姿なのです。
 その為には日常的に意識を知覚し、心を鎮めてそこから湧き起こる想念・印象に鋭敏になることが必要です。また、時々の体験から意識は私達を常に支えていることが分かりますし、その積み重ねによっても私達の理解は深まることでしょう。
 "類は類を呼ぶ"とは著者がよく用いる表現ですが、私達が意識に心を寄せる時、私達は次第に意識に近づき、その体現者になって行くことになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落294

294 All forms are stages of intelligence. This may not be easy to accept at first for 90% of form life does not have the type of mind that humans have. But they do possess consciousness - the life force of the form, and serve the purpose for which they were created. So once the human mind acknowledges this phase as it does associations with other sense minds, the blend is made.
294 全ての形有るものは知性の諸段階にあります。これは最初、受け入れることは容易ではないかも知れません。何故なら形有るものの生命体の90%は人間が持つようなタイプの心を持っていないからです。しかし、彼らは意識、即ち形有るものの生命力を所有しているのであり、それらが創造された目的に奉仕しているのです。ですから、一旦人間の心が他の感覚心との交流と同様に、この段階を認知すれば、融合が起こります。



【解説】
 私達が目にするすべてのものに知性が宿っていることを、先ずは認識せよと本項は説いています。
 もちろん、すべてのものに私達のような心がある訳ではないのですが、意識については全く私達と変わるものではないということです。つまり、意識レベルでは何ら私達と変わらない存在であるという訳です。
 即ち、この意識という径路を通じることで、私達は何らの隔たりなく万物との一体感を得られることになります。これは森羅万象ことごとく自らの同胞(はらから)という神道の精神とも一致するものですが、ただ単に”一体だ”と済ませるのではなく、その径路にある”意識”の存在にこそ、私達が重きを置く必要があるのです。
 自らの身体から宇宙に至るまで、膨大な創造物をすべて生かしている生命力として意識を認識すべきであり、その存在こそが生命探求の源であり、私達の学習の目的地でもあるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落293

293 Just as you are able to put yourself in another persons shoes and feel exactly as he feels, so you can with all forms. And this procedure is good to practice. It could eliminate many misunderstandings and heartaches. For there is nothing in existence that one cannot be associated with through consciousness. But the sense mind must be willing to be taught by consciousness, for it is the knower and all forms live within the sea of it. And in this sea all phases are blended into one for the perfect manifestation of the Cosmic Whole.
293 丁度、貴方が他人の靴に足を入れてその者が感じるのと全く同様な感じを持つのと同じように、貴方は全ての形有るものに対して同様なことを行うことが出来ます。そしてこの過程は練習するのに良いものです。それによって多くの誤解や心痛を取り除くことができるでしょう。何故なら、意識を通して寄り添えないものは何も無いからです。しかし、感覚心は意識によって喜んで教えられなければなりません。意識は知る者であり、全ての形有るものは意識の海の中で生きているからです。そしてこの海の中に全宇宙の完全なる創造の為、全ての段階が融合されています。


【解説】
 互いに理解し合う為には、意識レベルでの融和が必要です。
 本項では他人の靴を履いた時に得る何か普段と異なる感覚の中に、その靴の持ち主の意識の一部が宿っており、それが何らか普段とは異なる印象を履いた本人に与えるとしています。
 日常、私達はこの微妙なる印象の世界に気付きにくいものですが、このような印象の世界にまで踏み込まなければ、理解は広がらないという訳です。
 また、相手とその想念レベル、意識レベルまで融合することは互いを理解し、融和することに繋がります。争いの仲介者、カウンセラーその他、多くの人々はその長年の経験の中で、相手の中に入り込んで融合するような包容的な心境、融和的境地を持つことの大切さを知っている筈です。そうした状況の中で、初めて互いの主張を理解し、解決策に到達出来ると思うからです。
 その基本となるものが意識であり、その意識を通して私達は自他の境目の無い万物融和の世界に辿り着きます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落292

292 In other words, I became the part that I wished to understand consciously, by realizing that the part was made by consciousness. For molecules and cells in any form are endowed with consciousness which is the life of the thing. There is not a particle in existence that is not supported by life - or it would not be in existence.
292 言い換えれば、私は私が意識的に理解したいと思う物に対して、その物が意識によって作られていることを実感することで、その一部になったのです。何故なら、如何なる形有るものも分子や細胞にその物の生命である意識が授けられているからです。生命によって支えられていないものは、みじんも無いからです。そうでなければ、それは存在しないでしょう。



【解説】
 一体感についての具体的な説明として、本項で著者は"自分がその一部になった"と感じることだとしています。そのような状態が互いに離れた対象物の間で、どうして成立するのかについて、考えて見る必要もあるでしょう。
 その理由は、私達が意識と融合した状態になっていることと関係します。つまり、万物の共通要素であり、宇宙に遍満している意識を介することで、私達は初めて一体になれる訳です。それ故に私達はこの一体感を生じた心境・境地を重要視しなければならないのです。ある時、そのような祝福の心境を得たならば、それらを記憶し、自身の大切な宝物とすることです。自らが整えたそのような心の状態を再現させ、発展させる必要があるからです。
 アダムスキー氏は様々な講演の中でも、この意識について繰り返し語っています。聴衆の側ではその意味について充分には理解されてはいませんでしたが、この講座によって系統的にそのポイントが語られています。私達各人はこのテキストから多くの宝物を掘り出すべきです。
 ちなみに、最近、ダライ・ラマの「実践の書」という著書を読んでいますが、その説く仏教の真髄は、実に本講座で説く内容と類似しています。真理は一つであることを教えて呉れる、現在、私のサブテキストになっています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落291

291 This is only one of the experiences I remember from the trip, for the association with all that were on the ship was also a feeling of oneness, never to be forgotten. And this union of sense mind and consciousness included the ship which was carrying us. For the molecules, the conscious entities of my form, became one with the conscious molecules of the ship's form. Yet the geometrical pattern of each form was different, and for a different purpose in the field of effects. But the cause was the same, for each form was serving a cosmic purpose.
291 これはその旅行から思い出す体験の一つに過ぎませんし、その船にいる全てとのつながりは、また、決して忘れることのない一体感でもあったからです。そして感覚心と意識との結合は私達を輸送するその船も含むものでした。何故なら、私の体の意識的実体である分子達は船体の意識ある分子達と一つになったからです。各々の体の幾何学上のパターンは異なり、結果の世界において異なる目的のものではあります。しかし、その因は同一です。各々の体は宇宙的目的に奉仕しているからです。



【解説】
 本項から分かることは、私達が意識的に一体となる時、それは原子・分子レベルにおける一体感を意味するということです。つまり、私達自身の肉体の原子・分子が対象物の原子・分子と波動を共有するということでしょう。真の一体化はそのような状態であり、もはや自他の区別は無く、一体を構成するという訳です。
 もしこの種の心境を作り出すことが出来れば、それは万物を意のままに制御することにも繋がることでしょうし、イエスや他の聖人達が人々に奇跡を見せたのも、この心境・境地に由来するものと思われます。
 もちろん、私達はこれらの奇跡を起こす為に学習を積んでいるのではありません。生命に関する真理を学び、自らの進化に生かす為に学んでいる訳ですが、その進化の過程でこれらの断片を体験することになるものと思われます。
 また、幸運にもそれらの心境を得ることが出来たら、努めてその心境を覚えて置くことです。自分が体験したそれらの状況を再現し、それがどのような状況であるかを探求することも必要だと考えるからです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第8課-段落290

290 In that frame of mind I became fully aware of the intricate parts of the instruments and their purpose. And I had the feeling of being a part of each part, and felt my purpose of being in cooperation with others. This was so clear, but I cannot find words to illustrate my feeling. It was so definitely impressed upon me that I cannot forget the experience. Even as I speak of it I enjoy the feeling once again.
290 この心持ちの中で、私はその装置類の入り組んだ部品やそれらの目的を完全に分かるようになりました。そして私は個々の一部であるかの気持になり、他と協力するという私の目的を感じました。それはとても明瞭なものでしたが、その時の私の感じを表現する言葉が見当たりません。それは私にそれほどにはっきりと印象付けられましたので、私はその体験を忘れることはできません。そのことを話す時でさえ、再びその感じを味わうほどです。


【解説】
 誰もが少なからず体験されたこともあろうかと思います。いわゆる至福感とも呼べる心境について本項は説いています。
 著者が述べるように、そのような状況は容易に言葉で表現することが出来ないということでしょう。一つ一つの物体と心を通わせるということがどういうことなのか、私達も真摯に受け止めて自らの心境をそのような状況に引き上げる努力をしたいものです。
 これまで多くの聖人がその状況を祝福されると表現して来たように思います。そしてその実態は私達の意識が対象物の意識と融合する中で生まれるとも言えるでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第8課-段落289

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.
289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。



【解説】
 土星での会議を終えて地球に戻る際のアダムスキー氏自身の心境が語られています。ここでは、宇宙人側が個別の機器についてアダムスキー氏に何らの説明が無かったことは注意したいところです。当時の土星訪問の目的は土星会議の内容であり、土星製の宇宙船についての事項は、本来の目的ではなかったからです。
 とかく私達は目に見えるもの、形あるものに関心を向けがちです。製品の良し悪しについては声高に論評しますが、その他形の無いものについては関心は無いのです。この場合、もし私達が宇宙船内部を見ることが出来たとすれば、大部分の関心はそれらに向かうことは確かです。他惑星人の生き方等々、その文明を支える目に見えない事柄への興味は忘れてしまうかも知れません。
 それら物と通じて私達が真の目的を学ぶ為には、本文に記されているように、努めて意識から与えられる印象を通して学ぶ他ありません。

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
livedoor プロフィール
アーカイブ
カテゴリー
  • ライブドアブログ