ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落182

182 Living as we do, guiding ourselves by other effect no different than ourselves, we remain close to the form life of earth. Which is in itself only an expression from its lowest state of awareness.
182 私達は自分達と何ら変わらない他の結果物に頼って自らを導いて生活している以上、地上の生物体に近いまま留まっています。それらはそれ自身、悟りの最も低位な状態から来る表現でしかありません。


【解説】
 いやおう無く変化する結果物に私達は重きを置きすぎており、その背後に流れる目に見えない法則性について全く重きを置いていないことを著者は注意しています。
 仏教でもこの点を説いていますが、その説くところは本講座と同様で、"法輪"という宇宙的法則を説くことが仏教の本質であろうと考えています。
 私達の生きる拠り所を何処に置くべきかは、各人にとって重要なことですが、それを自分達と何ら変わらない結果物に置くべきではないと本項は指摘しています。それは自分の生きがいを他の人間や物、まして現在の変化する時代にあって更に不安定となる貨幣に置いていては、安寧の心境に到達することは出来ません。
 私達は永劫不変な存在にこそ自らの生きる拠り所を置き、変動する社会のうねりの中でもしっかり自立した生活を推し進める必要があります。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落181

SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE
LESSON FIVE
Consciousness, The Intelligence And Power Of All Life
181 We are actually living in an invisible sea of life. And as I have said before, we should school ourselves to become aware of the visible and invisible at the same time. For today we are only mentally aware of the visible forms with which we have contact. Yet all forms rise from the lowest upwards, looking so to speak into invisible space. And why should this be so? Does not all creation look to its creator as a child looks to the mother for guidance? And as space is the birthplace of all forms, they look to and live within the household of their birth.
生命の科学学習コース 
第5課 
意識、即ち全生命の知性と力
181 私達は実際には生命の目に見えない海の中で生きています。そして以前にも述べたように、私達は私達自身を目に見えるものと見えないものとを同時に気付くように訓練すべきなのです。何故なら今日、私達は私達が接する目に見える形あるもののみに気付いているからです。しかし、すべての形有るものは最下位から上部を目指して、言わば目に見えない宇宙に向けて昇っています。そして何故、このようなことが起るのでしょうか?全ての創造物は丁度、子供が母親に導きを求めるように、創造主を求めているのではないでしょうか。そして宇宙は全ての形有るものの生誕の地であり、それらの生まれた家庭を見つめその中で生きているのです。


【解説】
 私達が生命の海の中で暮らしているという感覚は、これから私達が意識を自覚する上で大切な概念だと思います。つまり私達の周囲は私達自身が触れ、その中に浸っているように常に接触、つながった生命体とも言える媒体に囲まれているというイメージです。
 このことを私達は未だ完全には認識出来ていませんが、いずれ私達の理解力や感受性が高まれば、より明確になるものと思われます。その延長には本課で学ぶ意識というものの存在があるのです。
 これまで私達は自分の心、自分勝手な意志が全てだとして来ましたが、実際にはとんでもない話で、ほとんど全ての生命活動が、心によって自覚されないまま、目には見えないこれら生命の海の中で人知れず行われている訳です。本文では私達人間も生来の生き方の傾向に沿ってやがては高次な世界を目指して進化して行くとしています。私達の研究対象も物質の探究から更に進んで目には見えなくてもより高次な働きのある因の世界も分かるよう、知覚を広げる必要があるという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落180

180 Can a man become immune to pain? Yes, we hear of those who can walk on hot coals without pain. But they have learned how to discipline their mind, and the mind had to be willing in order to be disciplined. This shows that whatever unpleasant conditions the mind faces, it is of its own creation through misapplication of the law. So it behooves the mind to become a willing student of cosmic principle if it is going to enjoy the blessings that life offers. This is where the memories from the past can serve man in recalling values he has gained through experiences he has had.
180 人間は痛みに動じなくなることが出来るでしょうか? もちろんです。私達は痛みを感じることなく、焼けた炭の上を歩ける人々について聞いています。しかし、彼等は彼等の心を如何に訓練するかを学んで来ており、心は訓練されることを喜んで応じなければなりません。このことは、例えどのような不愉快な状況に心が直面しようとも、それは法則の誤用によりそれ自身が造り上げたことを意味しています。ですからもし心が生命が提供する祝福を享受しようとするなら、心は宇宙の法則について喜んで学ぶ学生にならなければなりません。ここがこれまで体験を通じて得た貴重なものを人間に思い出させる過去の記憶が役立つところなのです。


【解説】
 本項は第4課のエッセンスを示しています。
 これまで第4課では、人体の各細胞、各々の分子・原子の中に不朽の記憶が蓄積されることを学びました。まさに今日私達が体験し発した想念が明日の私達の身体を造る際に引き継がれるというのです。
 分子・原子は悠久の歴史の中で、実は様々な体験を経ており、宇宙の創造主から来るインスピレーションも膨大な数、保持し記憶しているという訳です。このように私達はその最も近い自分の身体に莫大な図書室を有している訳で、私達がその知識を得ようと少しでも努力すれば、容易に道は拓ける筈です。
 Willing student of cosmic principle(宇宙の法則について喜んで学ぶ学生)こそ、私達が目指すべきものです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落179

179 The apple is made of matter and supported by conscious life the same as we are yet it does not scream when we bit into it. Why? Because it does not have the kind of mind that man has, endowed with a free will which is in constant opposition to Cosmic law.
179 りんごは私達と同じ物質から成り立っており、意識ある生命によって支えられていますが、私達が噛み付いても悲鳴を上げることはありません。何故でしょうか? それは人間が持つような、宇宙の法則に常に反対している自由意志を授けられているような心を持っていないからです。


【解説】
 ここでは植物の「心」について述べています。著者は私達との違いを「心」にあるとし、植物には私達のような自由意思が無いことが、リンゴを食べる際、リンゴが痛いと叫ばない理由だと説いています。
 これについては昔、植物にウソ発見器をつなぎ、植物が人間の想念に反応することを突き止めたバクスター効果(1966年)が有名ですが、植物が人間の想念に呼応する反応をすることは確かだと思われます。「植物と会話をする」という意味では、トゲの無いサボテンの品種を育てたルーサー・バーバンク、「星の王子様」に出てくるバラの花の話等、多くの例を見つけることが出来ます。
 その上で、植物は人間のような自由意志、自我というものは持たず、より融和的であり、宇宙からの指導的想念に極めて従順な「心」を持つ存在なのでしょう。以前、ある人から、「自分が自宅で育てている植物について、たとえ遠く離れていてもその植物のことを思っていることだけで、随分違いが出る」ということを伺ったことがあります。つまり、遠く離れていても相手に想念を発することでその植物は呼応するという訳です。まして相手が人間であれば、なおさらであり、遠く離れた惑星でも思いは届くということでしょう。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第4課-段落178

178 For if we desire to be as our creator we must face all phases of life without being disturbed. The Creator faces his creation without discrimination. For should he like one and dislike another he would be dividing himself, and thus do no better than man. But all phases of creation are loved by its creator for its purpose is known. It is a human trait to discriminate and through this many hurts are received because the ego mind separates itself from the whole.
178 もし私達が創造主のようになりたいと望むなら、私達は心を乱されることなく生命のあらゆる側面を直視しなければなりません。創造主は自らの創造物を差別なく直視しています。何故ならもし創造主があるものを好み、他のものを嫌うならば、創造主は自らを切り裂くことになり、人間よりましなことができなくなるからです。しかし創造のあらゆる側面はその目的が知られているが故にその創造主によって愛されています。区別するのは人間の特徴であり、エゴの心が自身を全体から分離してしまう為、この過程を通じて多くの痛みを受けることになります。



【解説】
 問題の本質は私達人間の側にあるのだと本項は説いています。善と悪、良と否に区別しがちな私達の心にこそ問題があり、世界のあらゆる事象は各々、目的や意義を持って全体と調和し、関連しあっている訳で、それらを区別し、裁くべきではないのです。
 大きな生きものが小さな生き物を呑み込むことは、確かに弱肉強食ではありますが、獲物を狙う肉食獣達も、貪欲ということはなく、腹が満ちればそれ以上の狩りを行うことはありません。
 一方、私達人間の方は足りるとすることを知らず、また憎しみ或いは狂った信念の下、他人を殺傷することまで行います。調和のとれた地球という”園”の中で他の存在とは交流もなく孤独な種族となっています。問題はそれら影響力が次第に増して来て、大気や水、土壌にも大きな力を及ぼすようになって来たことでしょう。その文明が過去に滅びたもの達と同様な末路にならない為にも、私達はいち早く差別する心から物事の調和・融合を観る心に変貌させなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落177

177 This is where duality sometimes comes in. For you may love someone dearly and yet you do injury to them. This conflict is caused by memory cells of a lower nature, and those of a higher nature. If we knew something about our self we would combine these memories in relation to each other instead of the extremes with nothing between to support either of them. This lack of understanding is the cause of mysteries and misunderstandings. And when we hurt anyone we hurt ourself for we are all the same. We do this because our mind has not been trained to act as a good catalysis. This can only be done when the mind knows the reason for life.
177 ここが二重性が入り込む所以です。何故ならあなたは誰かを愛おしく愛しているかも知れませんが、それでもあなたはそれらを傷つけるかも知れません。この矛盾は低次な記憶細胞と高次な記憶細胞とによって引き起こされているのです。もし私達が私達自身についてなにがしかを知っていれば、私達はこれらの記憶を相互に補完することなく極端に走ることを止めて互いに関連づけてこれらの記憶を統合させることでしょう。この理解不足こそが神秘と誤解の原因なのです。また、私達が誰かを傷つける時は私達は自らをも傷つけることになります。何故なら私達はすべて同じ存在だからです。私達の心が良い触媒として行動するよう訓練を受けていないが故に私達はこのようなことを起こしているのです。その心の行動は心が生きて行くことの理由を知るようになる時にはじめて実現することになります。



【解説】
 釈迦が完全な悟りに至る前、菩提樹の下で瞑想していると、前に様々な様相を見せる敵が現れ、釈迦に挑みかかります。それに対し釈迦は落ち着いた態度でそれらを諭し、それらを消え去らせます。その時、現れた"敵"は釈迦ご自身の中にある要素だとされています。つまり、本項で言う自らの身体内の細胞に記憶された低レベルの記憶かと思われます。
 しかし、心がそれらの本質を理解できれば、たちどころにそれら低レベルの要素は中和され、体内から消滅することにもなるでしょう。私達がより高次な存在となる為にはどうしてもこの段階を踏まねばならないことにもなります。
 東南アジア(ラオス)の仏像のほとんどは、坐像で左手を手の平を上にした状態で自らの膝の上に、右手を手の甲を右膝から地面に触れるように下げていますが、そのポーズは釈迦がその悟りの際にしていた形であると伝えられています。
 つまり、仰ぎ見る仏像は釈迦が悟りを得た瞬間のお姿を表現しているとも言えるでしょう。私達自身にある二重性の本質を見極め、それらを調和に導き中で、湧き起る想念のレベルを向上させることが出来るものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落176

176 It seems cruel to us to see a big fish swallow another, but it is just as cruel to see a man eat a carrot. For it is a living thing made of molecules just as you or I, or the fish. And the memory carriers do have records of all phases of life, from what we might call the cruelest to the highest.
176 大きな魚が他の魚を飲み込むのを見ると残酷に思えますが、それは人間が人参をかじるのを見て残酷と思うのと同じです。何故ならそれはあなたや私、或いは魚と同じ分子群からなる生き物であるからです。そしてその記憶を運び手は私達が最も残酷と呼ぶものから最高位のものまでの生命のあらゆる側面の記録を持っているのです。



【解説】
 私達が暮らす世界、自然の仕組みは互いに助け合い、関連しながら全体として調和ある(持続可能な)環境を造り上げています。その中には生きて行く上で必要な日々の糧を他者に頼る仕組みもある訳です。
 仏典には飢えに苦しむ虎に自らを与える話もありますし、母親が自分は食べずとも自らの子に食物を与える姿もよく目にします。これらは自らを犠牲にしても他者を助けたいとする基本的な原理、宇宙的な要点なのかも知れません。
 分子・原子の極小な世界からこれらの相互依存関係を観れば、互いに新しい体験を分かち合う融合的な関係にあることが分かります。つまり相手に食べられることで、その個人としての体験の枠を越えて、新たな分野の記憶がそれら分子・原子に与えられることになるからです。その見識には貪りや怒り、恐怖等の要素は一切ありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落175

175 If we are to know what we feel that we should - who we are - and what we have been, then we must use the same method that they have used. There is one thing that we must remember, we cannot judge and divide and discriminate, or resent, according to likes and dislikes and have this knowledge. For once you get impressions coming from the memory buds there will be all kinds. And some you will have a tendency to dislike or even be frightened by them. For remember here on earth there are very low stages of life's manifestation that the ego might not like. But without these manifestations life would not be complete, for all phases are necessary. But once they are understood the judgement against them ceases. Like a drama on the stage where cruelty is resented, yet without it the phases of life would not be truly expressed.
175 もし私達が知るべきだと感じている私達が誰で、また何であったかを知る為には彼等が用いて来たのと同じ方法を用いなければなりません。ここで覚えておかなければならないことは、私達はこの知識を持った上で、好き嫌いによって裁いたり、分割したり、差別したり、腹をたててはならないということです。何故なら、ひとたび記憶の芽からやって来る印象類を捕捉するや、あらゆる種類のものがやって来ます。そしてあるものについては、あなたは嫌う傾向になるでしょうし、恐怖すら覚えることでしょう。何故なら、地球ではエゴが好まないようなとても低い段階の生命の現れがあるからです。しかし、これらの現れが無くては生命は完全にはなりません。全ての側面が必要なのです。しかし、一度それらが理解されれば、それらに対する裁きの気持は消えてしまいます。残忍さに憤りが湧く舞台の上の劇のように、それがなければ生命の側面が真に現されているとは言えないのです。



【解説】
 自分が誰で、これまでどのような生き方をして来たのか、その全ての記憶はこれら意識を通じて物質(原子・分子)の中の記憶を探ることで分かるようになる訳です。しかし、最初はそれらの知見は私達の心が目を背けるような側面もあると本項は指摘しています。創造の過程ではある意味、残虐とも受け取れる要素があるという訳です。
 その上であらゆる要素をありのまま受け入れ、全体を観ることで私達は人知の及ばない創造主の意図や仕組みを学ぶことになります。その際、心による勝手な裁きを行ってはならないのです。
 もちろん各人がこれまで歩んで来た中には、必ずしも良い人間でなく罪深い生き方もして来ている筈で、それらの記憶にも向き合うことも必要でしょう。各自の過去の様々な人生に気付くことも反省材料には有用かと思うものです。清濁あわせて飲み込んだ上で、人本来の進むべき道を示すことが必要だと著者は説いているように思います。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落174

174 There is no specific pattern that can be given by which man must work, as there are no two people alike. So no set formula is given in this course as in others. Just become awakened or aware of the conscious intelligence that is operating within your being. And eventually this will become habitual to the mind's way of thinking. And the mind and the intelligence will become a unit instead of two separate parts as they are today. This is the way the space people have developed and they now can commune with any form without words.
174 人がそれに基づいて取組まなければならないような特定の行動形式というものは授けられるものではありません。二人として同じ人間はいないからです。それ故、この講座においても他と同様、定められた形式は与えられません。只、貴方の中で作用している意識的知性について目覚め、気付くようになることです。そうすれば、遂にはこれが心が考える際の習慣になることでしょう。そして心と知性は今日そうであるような二つの分離した部分から一つの一体物になることでしょう。これが宇宙人達が発達させてきた方法であり、彼等は今やいかなる形有るものとも言葉によらず交流できるようになっているのです。


【解説】
 よくよく考えると各自の性格、個性は各々異なる訳ですが、その基本的なものは終生変わらないように思われます。つまりあくまで個人的見解ですが、各自の何回もの人生を経験する中で、培われるようなものではないかと考えます。
 従って、各自の進化の上での課題、自我の問題も様々であり、各々取り組むべき内容は異なっており、他人に進む道を示してもらうことは出来ないのです。
 自ら考え、工夫して精進の道を進む必要があります。その際に誰もがとるべき方法が、この細胞の中の英知と意識を用いた印象による交流を果たすことだと本項は説いています。毎日、少しずつでも心掛けることによって、次第に私達はその能力を蓄え、万物と印象によるコミュニケーションを行うことが出来るようになるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第4課-段落173

173 The method that the space people use in working with this great intelligence is, to observe all forms with their consciousness instead of the mind. In plain they become conscious of the form as though they were the form, which they really are for nothing is separated from the whole. And in this way man as a mind blends with the whole
173 この偉大な知性とともに働く上で宇宙人達が用いている方法は、心に代わって意識で全ての形有るものを観察するということです。平易に言えば、彼等はあたかも彼等がそのものになったかのようにその形あるものを意識するようにするということであり、実際、彼等はそのもの自身になります。何故なら何物も全体から分離することがないからです。またこのようにして心としての人間は全体と混和するのです。



【解説】
 本項で注目すべきは、ここで意識が必要とされることです。
 今までは細胞のDNAという遺伝分子が私達自身の記憶も含め、あらゆる知識・情報を承継していると説明されて来ました。その上でそれら分子原子と実際に交流し、教えを受ける為には、意識を活用する必要があるのです。
 この場合、「意識」を特段に新たなものと捉えるべきではなく、著者は私達が用いる通常の意識という概念の延長線上にある要素こそが、私達の心や自我と称しているものより、はるかに大きな役割と機能を持っていると説いているのです。
 この意識は対象物と一体化したり、相手の存在を認知する際に用いる概念ですが、実はその要素の中により大きな機能があるという訳です。即ち、これら極小の分子達と交流し、その知性を認識するのも、この意識を通じて行われるということです。
 そのような意識を積極的に活用する中で、次第に私達は意識を通じて様々なものと交流を深めることが出来るという訳です。

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