ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。


【解説】
 課題に対して”逃げ”は最もいやしむべきことでしょう。まして、自分自身についての課題を回避してしまうことは、この先、再び同じ状況に巡り合うかは不明ですし、問題の解決にはその先の生まれ変わりの人生も含めて何世紀もかかると著者は警告しているのです。
 もちろん、過ちを犯すこと自体はマイナスなのですが、それを恐れては何も行動できなくなり、停滞することになる訳です。それも宇宙空間ならまだしも、活発な地上生活においては、時代について行けない世捨て人になりかねません。私達はこのような停滞した人生を送るべきではなく、常に活発な生命体であることが生きる者の使命であるのです。
 その場合、巡り合った課題解決に対して、私達は自ずと親近感を抱き、嬉々としてかつての課題解決に向けて充実した人生の一時を送ることになると著者は分析しています。かつての人生でやり残した事柄を補填している姿を観ていたと言えるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。



【解説】
 人の話をよく聞くことは私達にとって難しい課題であるように思います。それは私達が相手の訴えたい事柄の真の姿(イメージ)に同調できず、聞くそばから自分の心の意見を聞き入れ、勝手に判断してしまうからです。
 一方で、ある程度の年齢になると「よくここまで生きて来た」と思うものです。最近、YouTubeで”You Raise Me Up”という曲に出会いました。教会等で歌われる曲のようですが、本項の内容から言えば、これまでの人生の中で多くを意識が救ってくれ、自分を育ててくれた。そのお蔭で今日の自分があり、またこれからもYou(”意識”、最も信頼するに足る存在)を頼りに生きて行けるという意味かと思います。
 イエスの時代、そして他惑星人社会の支援があった時代、そしてこれからも私達はこの感謝の気持を忘れずに各々の行程を旅するという訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。


【解説】
 最近はZoomその他のオンラインでの会議に参加することも多くなりましたが、その中で本項に例示されている通信障害を体験された方も多いものと思います。参加者が話をしている最中にネットワークが切れる現象が時々起こるものです。その場合、本人は自分の話が何時途切れたかが分からない為、混乱を生じるのです。
 重要なことはストーリーの流れであり、想念の流れを妨げることはあってはならないのです。その想念に再び巡り合うことは難しいからとも言える筈です。
 それほどに私達が日常的に心に浮かぶ想念の流れは精妙であり、貴重なものと言えるからです。もちろん、この延長として相手の話を丁寧に聞くこと、その径路を再び辿れるように自分の心に受け入れる程、受容的な姿勢が重要なのは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately. 
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。


【解説】
 よく言われることに、アダムスキー氏は秘密を良く守ったことがあります。
 他惑星人社会と交流を持っていたアダムスキー氏は問われれば、宇宙電の動力も含めあらゆる事柄を熟知していた訳ですが、決して自らそれらの知識をひけらかすことはありませんでした。先ずは聴講者達の質問に答えるという姿勢を守っていたのです。
 これは大変重要で、相手が求めている事柄に対し、適切な知識をわかりやすく伝える手法は決して、知識や道徳を押し付けること、或は災害が迫っているという恐れを人々に与えることはしておりません。いわば相手のレベルに応じた指導を行っていたという訳です。
 自分の優位さをアピールしたい自らの心にこそ、私達は注意しなければなりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるという確信をもたらすことでしょう。


【解説】
 ここからは各自の体験に属する繊細なお話になるかと思います。
 通常、私達のエゴ(心)は何事も自慢したがる為、時として訪れる宇宙を源泉とするアイデアもその取扱を誤って本来の当てはめるべき場所から外れた所に応用しうまく行かないという事例もあるものです。
 生まれたアイデアを何処に適用すべきかは大変重要で、本来適用すべき所に応用しなければ所定の降下は発揮できるものではありません。
 そういう意味では、私達は例えアイデアを受信してもその応用を心に任せてはならず、冷静に状況を見極めて、発言すべきであり、有頂天になってはならないのです。むしろこれから起こり得る現象を現実より先に見ることができたとしても、その光景を他人の興味を引く手段として話すのは控えるべきでしょう。むしろ、将来起こりつつあるいわば因の世界で進行しつつある傾向から、人々を回避させる為にその与えられた知識を活用すべきと言えるでしょう。聖書の黙示録その他の予言書はこうした観点から残された書物だと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。



【解説】
 イスラム教は偶像崇拝を禁じており、パーミアン石仏も破壊されたと伝えられています。一方、仏教国においては仏像が盛んに建立され、日々の礼拝を通じてあたかも仏像が整然のお釈迦様のように接し、心を寄せています。
 私達は他惑星の進化した人々に対し、同様の尊崇の念をもって接することでしょう。また、アダムスキー氏自身も他の惑星人に対しては特別の思いを持っていたように思います。丁度、イエスに従った弟子達のように一審を投じても守りたい導師、高貴な人達という感覚ではなかったかと思われます。
 もちろん、伝えられる中にあっては彼等他惑星人達はごく普通の地球人として暮らしており、ある時は街の電気屋、あるいは映画俳優として活躍する場合もあった訳です。言い替えれば外見上は何ら地球人と差異はなく、内面のみ異なっていたということになります。こうした中、如何に私達がその人の内面に気付くことが出来るかが課題となる訳で、先ずは外見に左右されず、内部の印象に気付ける自分になる必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落201

201 i.e. The imagination can mate a flea with a dog on the slate but this can never be done in the cosmic plan. The picture would represent a misplacement of the law and this is where one must be very careful if we are to have the truth. There is so much of this going on now, and that is why we get so much confusion regarding our space brothers. This is caused by misapplication of the true law in order to satisfy the individual ego. And the un-natural stories come from this source.
201 すなわち、想像では石板の上でノミと犬をつがいにすることが出来ますが、宇宙の計画ではそれは決して起りません。その絵は法則の履き違いであり、これは私達が真理を得る上でとても気をつけなければならない所です。このようなことは今、多く起っており、それが私達の宇宙兄弟達に関してこれ程、私達が混乱している理由です。このことは私達各自のエゴを満足させる為に真の法則を誤用することによって起ります。また、不自然な物語がここを源としてもたらされます。



【解説】
 やって来る印象を私達は自分の心の好むように勝手に変えてしまうことに注意せよと著者は説いています。
 その時々の気分によって、印象を変容させ裁きを加えてしまう作用が私達の心にあるという訳です。
 特にこれらの事柄は国の行く末を預かる政治家や組織のリーダーにとっては大変重要です。我が国が先の戦争に巻き込まれた時も相手国の間の密約を見抜けなかったのは歴然ですが、当時、彼等の判断は世界の真相を見抜いていなかったことが戦争に至る大きな過ちの一つであったと今日言える訳で、その時点において真に正しい道を把握するのは容易ではないのです。
 私達各人が毎日のように対処しているこの世の中の事柄も真相は時間経過後の誰れの眼にも見える結果が明らかにして呉れる訳ですが、時々刻々物事が生じている中にあっては全ての印象が持つ近未来の姿こそ重要であり、それに心を一体化してその印象の伝えるイメージを理解することが大変重要だということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落200

200 The schooling of the mind is not an easy problem, but it is worth the effort even though it takes years to accomplish as it did for me. There is not a person on earth that does not receive impressions either from the earth, the inhabitants upon it or from other planets as well as the Cosmos. But there is a difference between the human and the cosmic impressions. For a mind is a mind whether on this planet or elsewhere and it has a tendency to confuse impressions and misapply them to suit the personal desire. Oftimes the mind permits the imaginary faculty to run away with it. The imagination is like a screen or a slate upon which the pictures are drawn and the human has a tendency to distort them.
200 心の訓練は容易な課題ではありませんが、それは私についてもそうであったように、達成に何年も要したとしても努力する価値があります。地球にいる人間で地球から、またその住人から、あるいは宇宙と同様に他の惑星から印象を受けてない人はいません。しかし、人間から来る印象と宇宙の印象とでは違いがあります。何故なら心というものはこの惑星上の場合も他の場所でも同様で、印象類を混乱させ、個人的な願望に合うように不正に使用する傾向があるからです。しばしば、心はその想像力にその印象といっしょになっての暴走を許します。人の想像力とはその上に絵が描かれるスクリーンや石板のようなもので、人間はそれらを歪める傾向があるのです。


【解説】
 自らを訓練することの重要性は様々な先人が説いているところです。私達は各自、その道を一歩ずつ歩んでいる訳です。その行程は長い年月を要する訳で、時々に失敗を続けながら、次第に過ちを少なくして、各自の人生を謳歌して行くことが出来るということでしょう。
 著者自身も長年、これら精進の道を歩んできたと述べられていますし、その体験を踏まえて自らの心の訓練の大切さを説いているのです。
 もちろん、そのきっかけは宇宙的な印象を感受したことに始まりますが、注意すべきは、そのような貴重な印象も心自体がねじ曲げてしまい、自分の都合の良い姿に変えてしまうことです。先ずはありのままの印象をありがたく受け入れることに徹することであり、印象の送り主に感謝することでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落199

199 When thinking of this let your mind be attentive as it was while viewing the ocean. And while the ocean has boundaries, space has none. This phase of development is very important, even when we begin to travel in space ships. For had I not developed along this line to some degree, my trips in space crafts taken bodily would have been of little value. Because there were many things on the ships and in space that my mind did not understand. But my consciousness revealed them to me. And later my understanding was verified. The language barrier was not present for in some cases I exchanged ideas with the space brothers consciously. This would have been impossible mentally.
199 このことを考える際、貴方の心を大洋を眺める時のように注意深い状態にさせることです。大洋には境がある一方、宇宙にはそれはありません。私達が宇宙船で旅行するようになった時でさえ、この発達の段階は大変重要です。何故なら、もし私がこの線に沿って幾分かの発達を遂げていなかったら、肉体を伴った宇宙船に乗っての私の宇宙旅行は大した意味を持たないものとなっていたことでしょう。何故なら、宇宙船や宇宙には私の心が理解しない多くの物事がありました。しかし、私の意識がそれらを私に明かしてくれたのです。そして後になって、私の理解は確証されました。言語の障壁は有りませんでした。ある場合には私は意識的に宇宙兄弟とアイデアを交換したからです。これは心では不可能なことでした。



【解説】
 私達が海を眺める時、その波間の下に多くの魚や生きものが存在していることを知識として知っている私達は、自然とその豊かな生命環境との一体感を得ようと心がけ、与えられる印象を逃さず受信しようと、やって来る印象類に心を向けることでしょう。
 それと同様に、私達は頭上に広がる無制限の宇宙空間にもっと関心を持って、そこから与えられる印象やインスピレーションを注視することが大切だと説かれています。
 この注意深い中での受容的心境を第一とし、興味本位の心を鎮める中で、私達は多くの事柄を学習し、知識を得ることが出来る訳で、その準備が出来ていなければ、仮に他惑星人との交流の機会があったとしてもそのチャンスを十分に生かすことは出来ないのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落198

198 Even though great distances exist between planets and there is no established communication with them, this does not prevent one from knowing what is going on upon them. But to do this the mind must be trained to listen and be taught by the conscious messengers, without questioning the impressions while they are being given. Some will come in the form of thoughts and some with thoughts and pictures.
198 惑星間に長い距離が存在し、相互に確立された通信手段が無くても、それは人がそれら惑星上で何が起っているのかを知ることを妨げるものではありません。しかし、これを為すには心は与えられている間、その印象類に疑問を挟むこと無く、意識の伝達人に耳を傾け教えを受けるよう訓練されなければなりません。それらの内、あるものは考えとして、またあるものは考えと画像の形でやって来ることでしょう。


【解説】
 以前、テレビ番組で知ったことですが、森山良子作詞の「涙そうそう」は亡くなった兄を妹(作者)が思い出す時の歌であると伺ったことがあります。ここではその真意を「亡くなって一番星(金星)に生まれ変わった兄を思い、互いにそれぞれの星(惑星)が見えるなら、いつかはまた会える」と歌っているではないでしょうか。
 兄弟姉妹の結びつきは親子yより強いと誰かから聞いたことがあります。宇宙空間の他の姉妹惑星は私達(地球の民)にとって大変重要な間柄であるということでしょう。例えどのような恩知らずの扱いを受けても、地球を支援する他惑星人社会は決して私達を見捨てることはないのです。多くの仏国土(惑星)がある宇宙には、救いがあると言うことも出来る訳です。
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