ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落216

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。


【解説】
 携帯電話をはじめとして現在身の回りにある”便利な道具”は皆、各々の分野で研究開発された製品であり、その機能を支えるために社会の隅々に至るまでの設備が整えられ整備されているからこそ可能となっているのです。そういう意味では便利な通販サイト等、多くの技術者が新しい事業や業態を造り上げ運営している恩恵を私値は受けていることに注意しなければなりません。
 今日では求める知識や経験は机の上から世界中の知識図書館に調べて回ることが出来るようになっています。誰でもその気にさえなれば研究生活を送れることになりますし、その機会は皆平等に用意されています。今やネット検索の使い方は必須の常識となることでしょう。
 一方、世界全般では今でも戦車を繰出して力を誇示することも行われており、一歩誤って戦争に至れば私達は再び憎悪の暗黒の星に陥ることは必須でありましょうし、人類は再び太古の時代に引き戻されることは確実です。

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竹島 正

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落215


215 You see the body is on one hand independent of the mind, yet on the other hand there are certain cell groups that are related to the mind and obedient to it. This is the cause of the conflict that a human finds himself in daily. The mind is inclined to be habitual and lazy. It would rather travel the road of least resistance than the road of progress that calls for steps yet unknown. This is why we are plagued with tradition and conventions of ancient times that no longer fit into our present way of life. But despite this, the mind must accept things from time to time whether it likes it or not. 
215 おわかりのように肉体は一方では心からは独立していますが、他方では心と関係を持ち、心に従順な或る細胞群もあります。これが人間が日常、自分自身に葛藤を感じる原因です。心は習慣的で怠惰になる傾向があります。それは未知なる階段を必要とする進歩の道よりも最小限の抵抗しか無い道を歩むことを常としていました。これが私達が今日の生活方法にはもはや当てはまらない古来の伝統や因習に患っている理由です。しかし、これにも拘わらず、心は時としてその好き嫌いによらず物事を受け入れなければならないのです。


【解説】
 肉体と心の間柄について本項では説明しています。現在、オリンピックが中国北京で開催されていますが、どの競技を見ても肉体は心に結びついており、肉体の限界を目指す苛酷な競技の中でメンタルと称される心の影響はあらゆる競技種目を支配しているように思われます。如何に自らの心を望ましい状況に維持するかがメダル獲得のカギとなるようで、私達の心が肉体に及ぼす影響は大きいものがあります。
 一方、何らかの事情で心が打撃を受けた場合、肉体を立て直すには長い時間を要します。そういう意味では自分の心の状態を常に監督しより良い状況に保つことは肉体を良好に維持する上でも重要です。また相手に対して何か友好的でない発言を行う等、その結果、長時間相手を不快にさせるようなことがあれば、それは罰せられるべき行為と言えるものです。そういう意味では傍若無人の発言は例え本人にその意思がないにしても責任は免れないものと思われます。一人一人の日常の発言は受け取った相手がどのような状況になりうるかを考えた上で行う必要があり、自分本位で断定的な発言は慎むべきでしょう。そういう意味では私達は未熟であることを自覚し、他人から親しまれる人間になるよう努力することが必要です。日本では古来より「言霊」という表現があり、自分の発言に恐れる心情がありましたが、それらも元をただせば相手の心に与える影響を考慮にいれてのことかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第6課-段落214

216 We can be thankful for the small minority of people in the world that are constantly looking for something new, not satisfied to live the doctrines of the old. It is this class of people that keep agitating the majority of the minds towards the better way of life without violence but with an understanding. The masses move very slowly and if it were not for this class of people that make them listen to the new phases, they would have been extinct long ago. Decayed by the law of monotony. But the newness that the few bring to the attention of the masses keeps them going. Slowly but surely.
216 私達は昔からの教義に満足せず常に何か新しいことを探し求めている少数の人々に感謝すべきかも知れません。暴力によらず共感をもって大半の人々の心をより良い生活の方向に進むよう促し続けるのはこの部類の人々です。大衆はとてもゆっくり動くものですし、もし新しい側面について耳を傾けるよう促すこの部類の人々がいなかったら、彼等はとうの昔に消滅していたでありましょう。退屈の法則によって朽ち果ててです。しかし、大衆の注目を引き付ける新しいものは、彼等を歩み続けさせます。ゆっくりですが、確実にです。


【解説】
 携帯電話をはじめとして現在身の回りにある”便利な道具”は皆、各々の分野で研究開発された製品であり、その機能を支えるために社会の隅々に至るまでの設備が整えられ整備されているからこそ可能となっているのです。そういう意味では便利な通販サイト等、多くの技術者が新しい事業や業態を造り上げ運営している恩恵を私値は受けていることに注意しなければなりません。
 今日では求める知識や経験は机の上から世界中の知識図書館に調べて回ることが出来るようになっています。誰でもその気にさえなれば研究生活を送れることになりますし、その機会は皆平等に用意されています。今やネット検索の使い方は必須の常識となることでしょう。
 一方、世界全般では今でも戦車を繰出して力を誇示することも行われており、一歩誤って戦争に至れば私達は再び憎悪の暗黒の星に陥ることは必須でありましょうし、人類は再び太古の時代に引き戻されることは確実です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落213

213 In the next lesson I will explain the importance of newness in order to maintain a youthful body.
213 次の課では若さあふれる身体を維持する為に新しさの重要性について説明しましょう。


【解説】
 結局この暗闇を抜け出る為には何か新鮮なものに出会って、従来の思考パターンを変革する必要があるということでしょう。私達は唯一、宇宙的な要素に出会うことで自らの命を保つことが出来る訳です。そういう意味ではイエスの言われた「幼子のようにならなければ」という話は重要で、私達はやって来る宇宙的な要素を帯びた印象を嬉々として迎え入れ、共鳴同調する心境を保つ必要があるのです。
 物事の解決はこうした一連の流れの中で整い、整理されて行くことでしょう。気分転換その他種々の表現がありますが、これらは皆、それまでの頑なになった自分の心を融和的、受容的なものとする中で宇宙的な要素に出会う中で再び素直な自分に還元することを意味するものと思われます。悩みは悩むことでは解決しない訳で、ただ自らの心だけが悩んでいることを悟る他はありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落212

212 It is unfortunate that 99% of the human kind are living in this kind of a jungle of the mind. When they could enjoy the consciousness, the other part of themselves that has everything that the human will ever need. For they could enjoy a life free from fear, with which the mind is shackled. There is one thing we can say for the noble space people, their minds follow the consciousness of the cosmos. And even though they are not perfect in its execution, they will be in time for they follow the guidance of consciousness.
212 残念なことに人類の99%が心のこの種のジャングルの中に生きています。彼らが人間が欲するあらゆるものを持っている意識すなわち、自身のもう一方の半身を享受することが出来るのにもかかわらずです。何故なら心が鎖で繋がれた恐怖から自由になれば生命を楽しめるようになるからです。高貴な宇宙人達について一つ言えることがあります。彼らの心は宇宙の意識に従うということです。そして彼らはその実行において例え完全ではなくても、彼らはいずれそうなるでしょう。彼らは意識の導きに従っているからです。


【解説】
 私達は自分自身で造り上げて来た各自の意見や心情という他の意見を受け入れないとする意味で光を遮り、暗い地と化した自身の闇の中に生きているとしています。
 問題はこの闇を取り去るのはその闇を造り上げた本人の責務であるということです。その結果、私達は日々、明日を心配し、相手を信じて良いか不安な毎日を送っているのです。このこと自体は、私達は良く分かっているつもりなのですが、その導きの光が差し込まないことを憂いている訳です。
 一方、子犬達を見ると彼らは元気一杯、生まれ出たことに大満足であり、嬉々として何事にも興味を抱きます。おそらくは人間も同じく仮に失意の内に亡くなったとしても、新たに新鮮な肉体に生まれ変わったならば、同様な喜びの中で日々を過ごすものと思われます。一体、どちらが永続可能(今日的にはSustainable)な本来の宇宙の姿であるかどうかは明らかですし、私達は永続するこれら宇宙の流れに沿って毎日を生き生きと過ごすべきであることは言うまでもありません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose. 
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません。


【解説】
 よく「道しるべ」という表現がありますが、行き先を示すのが何事によらず多くの人達に役立つものです。先日もある市の地下街にある客先の会社に出向く用事がありました。地下鉄の駅から直ぐの所なのですが、初めての訪問であり、道筋がわかりません。
 あたりは近代的な地下街で歩く多くの人々にとっては何ら迷うことのない地下街なのですが、私にとっては所々にある道しるべや案内板が頼りです。
 約束の時間には十分間に合ったのですが、ついに帰りに道に迷う結果になりました。結局、初めての場所では自分が現在何処の位置に居るのか、常に考えながら歩むほか手段がないのですが、これも本項で言う迷いの中の一場面ということでしょう。私達は何かにつけて迷い易いのですが、それは全体の中で自分が何処の位置にあるか分からない所に原因があるように思われます。自らの意識を周囲に拡げてその把握範囲を拡げようとする姿勢が有効かと考えています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。


【解説】
 著者が述べていることは、私達(エゴ)がこれまで造り上げてしまった心による迷いや恐怖の森から抜け出す為に、その森に時々差し込む意識の導きの光に頼ろうとはせず結局は臼嫌い森の中で生涯を終える人々が多いこと、そのことを十分に自覚し、目的に向かって歩んでいく必要があるということでしょう。
 前項に関連して申し上げれば「一灯を頼め」という言葉がある訳ですが、本項ではそのように自らを頼んで目に進んでいく中で天井から導きの光が指して来ること表現されているのです。
 私達は決して暗闇に戻るべきではありませんし、光の子として堂々と明るい世界にこそ自らの拠り所を置かなければならないということです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos. 
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。


【解説】
 私達が迷っているのは、こうした自分自身の心の迷いに原因があり、日々増長する状況の中で自ら造り出した迷いの世界の中を放浪しているということでしょう。通常、このような状況を暗闇の世界と称していますが、その中を一つの提灯をさげて行くのが私達自身だということかも知れません。その際に参考とすべきは江戸時代の儒学者、佐藤一斉の言葉「一灯をさげて暗夜を行く。暗夜を憂うことなかれ、一灯を頼め」という言葉でしょう。
 よく”世の光”その他、世間を闇夜に例える中で、その迷いの世界を照らす光としてイエスの教え、仏陀の教えが例えられますが、佐藤一斉の言葉の中にも各自が自ら確かめた真理を拠り所として独り進めと説いているように思います。一人一人が自らの闇に対して理解して身に付けた真理の燈明を掲げて前に薦めと諭しているように思うのです。ちなみにアダムスキー氏の著作「宇宙哲学」の表紙には松明の図案が掲げられています。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature. 
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。


【解説】
 私達それぞれが人生の課題を抱えている一方で、その解決に向けたチャンスに対して、私達は往々にしてその活用を諮るどころかそれを無にしてせっかくのチャンスを見逃すことも多いものでしょう。
 その全ては肝心の私達の心が怠惰であることに起因しています。
 現実から目をそむけ、毎日の習慣的な暮らしの中でその改善の機械を自ら放棄しているのではないでしょうか。もしそのようなことが続くなら、私達の末路も知れたものになる筈です。
 問題はこれらの日常の過ごし方の良否は他人には判別出来ない一方、自分自身では良く知る所であり、残された時間をどのように用いるかは各自に託された責任ということになります。
 本項ではこれらの課題に対し、逃げて行こうとする場合、心が増長し、遂には人格までが低下すると警告しているのです。まさに毎日は怠惰な心との戦いと言えるのです。
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