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2018年4月16日
竹島 正

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落386

386 One should never discourage the mind as it proceeds to gain knowledge. So perhaps it would be best to leave the eyes open and focus the attention on the hands. Through this you will begin to realize what the hands mean to you and what an asset they are to your life. After you have received good impressions of the importance of your hands, close your eyes and see what you will get then. If you are operating properly, without your mind guessing, you should see your hands constructed of thousands of molecules all very active, never stopping to rest for a moment. And you should receive the knowledge of the type of molecules that construct the nails, joints, etc. And you should be able to see the structure of your hand and the movement of energy better than any instrument could show. You can do this to any part of your body, if you want to know how your body functions.
386 人は心が知識を得ようと前進する時、決して心を落胆させてはいけません。ですからこの場合、おそらく両目を開けて両手に注意を集中するのが最も良いと思われます。このことを通じて貴方は両手が貴方にとってどのような意味を持つか、またその両手が貴方の生涯にとってどんなに財産になっているかを理解し始めることでしょう。貴方が貴方の手の重要性について十分な印象を受け取った後に、両目を閉じてその後、何が印象として得られるか観察して下さい。もし、心が空想すること無く貴方が適切に行動しているなら、貴方は貴方の両手が何千もの一瞬たりとも休むことなく全て活動的な分子から構成されていることを見ることでしょう。そして貴方は爪や関節等を作り上げている分子達の知識を受け取ることでしょう。また、貴方は貴方の手の構造やエネルギーの動きについて如何なる装置よりも良く見ることができるでしょう。貴方はもし、貴方の肉体がどのような機能を果たしているかを知りたいと思えば、このことを他のどの部位に対して行うことができます。



【解説】
 日本語には"貴方の手足となって"という表現がありますが、まさに手と足は私達が生きて行く上で無くてはならない程の貢献をしています。よく人が死に向かう時、自らの手をじっと見ると言われておりますが、この最も身近な存在こそ、長年その人を支えて来たものだと言う訳です。
 本項では私達の印象への感受性を高めるのに、ご自身の手を教材にせよと説いています。私達は手の存在に如何に助けられているか、その機能はどのように発揮、実現されているかを学んだ後、目を閉じて手の分子・原子が活動する状況、血液が流れ、細胞が動く状況の下、それらが発する印象を感じ取れと説いています。
 長年、生命を共にして来た自らの手と印象の交流をする中で、各自の感受性も高められるという訳です。想念・印象は何処かの不可思議な世界から来るのではありません。細胞を構成する分子・原子から発せられるのだと著者は示唆しているのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落385

385 For some this will be difficult with their eyes open, for the attention will be distracted by things that are seen, so it will be best to close the eyes in order to focus the full attention on the impressions or pictures that come. At first this should not be done for more than five or ten minutes at a time. And do not expect too much at the beginning.
385 ある者にとっては眼を開けていてはこれが難しいでしょう。見えるものによって注目がそらされてしまうからです。そこでやって来る印象類や映像類に全注目を集める為、眼を閉じることが最も良いと思われます。最初はこれを一度に5分ないし10分間以上行われるべきではありません。また、最初から多くを期待してはいけません。


【解説】
 私自身、本格的な座禅を知りませんが、本項で著者が説く内容はそれに近いものと思っています。心を落ち着ける為に瞑想すること、またそれが私達の視覚を鎮める為であることが説かれているのです。
 また、注目したいのは、このような瞑想は長時間行うべきではないとも指摘していることです。瞑想から直ちに効果が出るというようなものでないことも大事なポイントでしょう。
 そもそも私達が自身の心境を静かにかつ鋭敏に保持する為に、これら全ての動作がある訳で、その実行により心身の疲れや惰性が生じるようでは意味が無いということでしょう。私達がやって来る想念・印象に対し如何に受け止め、それらの意図に沿って行動できる態勢を構築することが重要となるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落384

384 So now let us proceed with the first step: First your mind must relax, and this can only be done when the mind loses interest in itself in its own behalf. Like a boy who is interested in baseball, but if he wants to learn and see something else he has to put his first interest completely out of his mind and give full attention to that which he is about to learn or see.
384 それでは今から、その第一段階に進みましょう。最初は貴方の心はリラックスしなければなりませんし、これは心が自分自身の利益に関して自分自身への関心を失う時にのみ起こり得るのです。野球に興味を持っている少年に例えれば、もし彼が何か他のことを学び、理解しようとするならには、その最初の興味(訳注:野球)を完全に心の外に追いやって、自分がこれから学ぼう、あるいは理解しようとすることに対して全力で注視する必要があります。


【解説】
 以前聴いたウエイン・ダイヤー氏の講演の中でも、私達は自分の関心事にあまりに集中していることに課題があるのだと指摘されていました。悩みは私達の心の中にあり、身体全体を含めてもその他の部位には無いこと、即ち悩みは私達の心が生み出しているということでした。また、仏教においては心が自由でなく何かに囚われている状態を"執着"と表現しています。本項では私達が取り組む第一歩として、その執着を取り除き、心を解放せよとしているのです。
 新しい想念・印象を受け入れる為には、私達の心は開かれた状態でなければなりません。"止水明鏡"という表現がありますが、心の中を通過する、即ち水面をかすかによぎる波動に気付く為には、私達は自らの心を平らに穏やかに保つ必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落383

383 At this point your reasoning facilities may enter for one phase of impressions follows the freakish imagination and is destructive, while the other is exhilarating and constructive. So then constructive logic must be employed in order to reach a true evaluation. And this must be independent of personal opinions if you are to know the truth about anything. This is a good policy to follow in living and working with others in every day life.
383 この点において、貴方の推論の才が登場するかも知れません。何故なら、印象類のある段階で尋常で無い空想が後に続き、それは破壊的なのですが、他方では気分を浮き立たせ建設的であるものも続くからです。ですから、その時は真実の評価に到達する為に建設的な論理を用いなければなりません。そしてもし貴方が如何なることにせよ真実を知ろうとするなら、このことが個人的な意見の影響を受けずに行わなければなりません。これは日常生活の中で他人と生活し働く上で従うべき良い方針でもあります。



【解説】
 同一の印象でも、それに含まれる様々な要素がある訳ですが、私達の心はそれに対して常に自分の都合の良い側面や破壊的な側面を捉えがちです。
 しかし、それは単に自分の心が求めている要素を基に空想しているに過ぎません。本来はもっと建設的な意味合いを含んでおり、心湧き立つ要素を帯びているのだと著者は説いています。
 とかく私達は空想に浸りがちですが、印象に向かうべき姿勢はこれら個人的な意見を排して建設的な要素を筋道に据えて解釈する必要があるのです。そうした姿勢での探求によって実生活に生きるヒント、インスピレーションを得ることが出来る訳です。
 また、最後に著者はこの姿勢は同時に実生活における他人との関係にも応用できる原理だと説いています。相手の意見の中の建設的な側面を見ようとする姿勢が大事だということでしょう。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落382

382 Even though the space people had not come our way, showing that man can travel space, we would have succeeded in doing this sooner or later, accomplished by following the impressions given by consciousness. For man's goal is to blend his mind with consciousness.
382 例え宇宙人が我々の方に来て人間が宇宙を旅行できることを示すことが無かったとしても、私達は意識から与えられる印象類に従うことによって遅かれ早かれこれを為すことが出来たと思われます。人間のゴールはその心を意識に融合させることだからです。


【解説】
 1968年に公開された映画「2001年宇宙の旅」を当時観た時、映画の中で描かれている巨大コンピュータの持つ驚異的な知能に驚いたものですが、今日では「顔認証」は「人工頭脳ロボット」、車の自動運転等々のAI技術がまさに映画の示唆したように発展の一途を辿っています。
 同時にGPSや放送衛星、気象衛星、偵察衛星等々、宇宙空間に打ち上げられた人工衛星が私達の生活を便利なものにして来ました。
 今後は同映画に描かれているように、本格的に宇宙に飛び出す時代になるものと思われます。そして宇宙空間に出ることが私達の心を大きく拡張させ、より根源的な宇宙の本質について考える契機となることでしょう。既に多くの宇宙飛行士達が宇宙に出た後の心境の拡がりやより深遠なるものの存在について証言していることは、ご存知の通りです。
 それら宇宙への私達の関心を引き上げる為に、彼ら他惑星人の宇宙船が危険を冒しても地球に姿を見せて呉れるのです。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落381

381 There are not too many people who know the difference between that which is real and the copy. Inventors and artists use this method, and that is how some new inventions that man's imagination thought impossible have come about, for the real is always possible.
381 どちらが本物でどちらが複製物であるかの違いを知る人は多くはありません。発明家や芸術家はこの方法を用いており、それが人間の空想が不可能だと思って来たような新しい発明品が生まれることの次第です。何故なら真実なるものは常に可能なものだからです。



【解説】
 いつも思うことは本物の印象と偽者の識別をすることの難しさです。湧き上がる印象を大切にするようになっても、この識別は容易ではありません。私は印象を受ける度に、それが指し示す状況がその後正しいものであったか否かを常に追及しようとしています。つまり、印象を受ける度にその源泉とその示す方向性が正しいか、自分がその印象に本当に従うべきか自身に問い掛けるようにしています。その上で、関心が持てればその印象に従います。もし、その結果が印象通りの結末でなかった場合は、その時の自分の判断が誤りであり、当時の心境を反省するというものです。
 人それぞれ取り組まれる内容は異なるかと思いますが、無数の小石が広がる浜辺で貴重な宝石を見つけるのは困難が伴いますが、光輝く宝石は自ずと美しい光を放っており、見る人が見れば容易に探し当てることが出来るものでしょう。先ずは輝く印象を感受することが始まりです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第10課-段落380

380 One must be very careful to avoid wishful thinking which the mind usually likes to promote. Or imagination which the mind likes to promote in its own favor. For the imagination does promote pictures as there are two phases of impressions. The imaginative mind likes to create freaks such as constructing a man's head with two faces. One in the back and one in the front, but nature does not construct a head like this. I mention this for the impressions and pictures that will come through consciousness will be closely related to imagination. And the mind is quite an expert at this for it has copied its action from consciousness. There must be something genuine before there can be a counterfeit and this is the case with the imagination, so one must be careful.
380 人は心がいつも促進しようとする願望的思考を避けるよう注意深くあらねばなりません。或いはまた心が自身への味方を増やそうとする空想についてもです。何故なら、空想は印象には二つの局面があるようなイメージを促進するからです。空想性を持つ心は顔が二つあるような人間の頭を作り出す等、倒錯物を造り出したがります。顔の一つが後側にもう一つが表側にあるようなものをです。しかし、自然はこのような頭を造り出しません。私はこのことを、意識から来る印象類や映像類は空想にとても近い関係にある為、述べているのです。そして、心は意識からその行動を写し取って来ている為、この点において全くの熟達者なのです。偽者が存在する以前に何か本物があるに違いありませんし、これが空想についての実状です。ですから注意深くあらねばならないのです。



【解説】
 私達が意識からの印象に従おうとする一方で、それを利用して自らの支配を拡大させようとする感覚心の問題があると著者は警告しています。実に私達にとって手ごわい敵は私達自身の心である訳です。
 心は本文に記されているように意識から来る印象を捻じ曲げたり、不要な要素を付け加えたりして本来の意味を自分の都合の良いように変質させるという訳です。何とも救いようのない話ですが、それでも私達は各自の感覚心を制御することによって少しずつ本来の姿に戻さなければなりません。
 裁きを無くし、自身のありのままの姿を直視して、素直に意識の助言に従えるかどうかが進歩のカギという訳です。本項で何度となく「幼児のように」と説かれているのはその素直さが重要だからに他なりません。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落379

379 Impressions will come in some cases like a still small voice and you will swear that someone is talking to you, but it is your consciousness explaining things in words you are accustomed to. And sometimes with impressions that you cannot find words to express. But when pictures are impressed upon you, especially in color, they are focused by the consciousness on the screen of your mind which is located in your forehead. At least this has been my experience. Perhaps this is the reason for those who do not understand referring to this as the third eye, or all seeing eye. In Buddha statues there is a jewel in the forehead, signifying extended sight, and it forms a triangle between physical sight and itself. Jesus called this, single visioned and single minded. And when he said the renewing of the mind, he meant exactly what we are trying to do here by associating the mind with the consciousness to form a single unit. Where divisions between the two cease to exist. For then man becomes a total man.
379 印象はある場合にはひそかな小さい声としてやって来るでしょうし、貴方は確かに誰かが貴方に話し掛けていると言うでしょうが、それは貴方の意識が貴方が慣れ親しんだ言葉によって物事を説明しているのです。またある時は貴方が言葉で表せないような印象としてもたらされます。しかし、映像が貴方にもたらされる時、特にそれがカラーである場合は、それらは貴方の額の場所に位置する貴方の心のスクリーンに意識によって投影されているのです。少なくても、これは私の経験です。おそらく、これは人々が第三の目、或いは全てを見る目として引用することを理解しない理由です。仏像には、額の中に一つの宝石が埋め込まれ、拡張した視覚を象徴しており、それは肉体の視覚とそれ自体で三角形を形成しています。イエスはこれを一つになった目、一つになった心と呼んだのです。そしてイエスが心の復興と言った時、彼はまさしく私達がここで心を意識に親しませ、一つの単位を形成するよう努力していることを意味していたのです。そこでは、両者の間の分裂は消滅します。それ以後、人は完全なる人間になるのです。



【解説】
 私達が"意識の指導に従う"と言った時、それが具体的にそのような状況なのかについて、本項は説いています。場合によっては声が聞こえたりすることもあるでしょうが、それらは誰か他の人が話しかけたりするものではなく、意識が私達の心に分かり易い形態で内容を示しているのだと説かれています。また目の前に光景のイメージが見えることもあるかも知れません。
 大事なことはこれら有用な印象を大切に取り扱うことだと考えます。また日常的な動作においても意図することなく身体が勝手に動いて結果として大変良い結末をもたらした経験も読者の方々の中には多いものと思われます。印象に従うことが如何に理にかなっているかの実例は多くの方が各々お持ちのことと思います。
 私達は学習を進めるにつれて、これらいわゆるインスピレーションに従った行動や生活の役割が高まって行くことになり、それらの割合が増すことで意識による生活が送れるようになる訳です。

ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第10課-段落378

378 You must remember at all times that only a little of the entire picture will be revealed at a time. Again like the jigsaw puzzle, you cannot look at all of the pieces and know where they fit. For the picture must be put together piece by piece and this takes time. Never try to fill in with some of your mental ideas accumulated in this world for they are of personal nature. Do not question for one minute what you receive for that would be like questioning God. And you should know by now which is accumulated knowledge from this world and which are cosmic impressions. Do not be confused for earthly impressions may come also, as many of these to which the mind is accustomed are of Cosmic Nature and may fit into the picture at a given point but perhaps not at present. Due to earthly experiences these ideas sometimes try to crowd into positions before there is a place for them. It is like an artist who gets an impression of red shading, when yellow should be used, with the red to follow.
378 いつも覚えておいて欲しいことは、一度には全体像のほんの一部しか明かされないということです。再度、ジグゾーパズルのように、貴方は断片の全てを見ても何処にそれらが当てはまるのか知るという訳には行きません。何故なら絵は小片を一つずつ繋ぎあわせられなければなりませんし、これには時間がかかるのです。決してこの世界で貯えられた貴方の精神的なアイデアを当てはめようとしてはなりません。何故ならそれらは個人的な性質のものだからです。一瞬たりとも貴方が感受したものに疑問を投げかけてはなりません。神を問いただすようなものだからです。また、貴方は今では、どれがこの世からの蓄積された知識で、どれが宇宙的印象かを識別できる筈です。地球的印象も来るでしょうから、混乱しないようにして下さい。何故なら心が慣れているものの多くが宇宙的性質を帯びており、それらもいつか適当な時期にその全体像に当てはまるかも知れませんが、おそらくその時点ではないと思われるからです。地球上の経験から、これらのアイデア達はそれら本来の場所以外に群がろうとします。それは黄色を用いるべき所に赤い陰を付ける印象を受けた画家のようなもので、本来は黄色の後に赤を用いるべきなのです。




【解説】
 注意したい点は、著者は何度となくジグソーパズルのたとえを私達に説いていることです。即ち、多くの場合、宇宙意識からの印象は断片的に私達にやって来るということです。それらを繋ぎ合わせることで、初めてそのメッセージの全体像が明らかになるという訳です。
 その具体的なイメージを掴むには、忍耐、献身的な受容態度が必要になり、たとえインスピレーションの発端がやって来ても私達は受容的な心境を維持する必要があるという訳です。
 おそらく私達はこれらの印象が持つ知識を一度には理解出来ない為、同一の発信源に対して次なる印象を感受する機会を待つことになるのかも知れません。
 その間にも私達の側では従来型の心の動きがあり、それらが混乱を引き起こしかねません。こうした中、私達は与えられた知識の断片を大切に取り扱って、それらの本来の収まる場所に気付き、より大きなビジョンを掴む必要があるということです。このようにしてインスピレーションをご自身の進化・発展に繋げる必要があるのです。

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