ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落306

306 So let us make an effort to keep an open, receptive mind at least part of the time; and when our mental telephone bell rings just lift the receiver quietly, and impartially accept the impressions coming to us. This does not mean sitting idly in meditation, waiting with folded hands for some great thought to come to us out of the universal storehouse; but that we should continue normally about our daily lives.
306 ですから、少なくともある時間、私達はオープンで受容的な心を保つよう努力して見ましょう。そして私達の心の電話器のベルが鳴ったら、静かに受話器を取り上げ、そして偏らずに私達の方にやって来る印象類を受け入れることです。これは何もせず座って瞑想して何か偉大な想念が宇宙の倉庫から私達の所に来るのを、手を組んで待っていることを意味するのではありません。そうではなく、私達は私達の日常生活について普通の暮らしを続けるべきなのです。




【解説】
 芸術家がインスピレーションを得る時と同様、私達も日々の暮らしの中で、宇宙から贈られる高次な印象を受けることが出来ます。私達にとっては、座して印象を待つよりは、当たり前の日常生活をする中で、それら印象の訪れに気付くこと、更にはそれらに対し、静かに落ち着いて全容を受け入れるよう努めよと著者は説いているのです。
 以前にも説かれていることですが、私達は単に瞑想するだけでは心が不活発になり、本来の生命を表現できていないのです。日常の義務を果たす行動の中で発想が湧き、次なる活動につながる中で徐々に維持する振動数が高まるものと思われます。
 心を穏やかにし毎日を誠実に生きる中で、宇宙からやって来る印象波が響きあえる心境を目指すべきだと言い換えてもよいのかも知れません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落305

305 I believe the telephone makes a very understandable illustration for the exchange of impressions . . which, of course, is operable telepathy. Remember, we have stressed the importance of an open, receptive mind; and mind, like the telephone, is a two-way instrument. If we keep our minds continually occupied with consciously sending out thoughts, any impressions coming to us will receive the "busy signal" and be turned away. The connection between mind and mind cannot be completed, because the frequencies of the incoming impression cannot get past the thought vibrations our own mind is broadcasting.
305 私は電話が印象の交換、それはもちろん実行力のあるテレパシーですが、それをとても分かりやすく説明する例になると思っています。私達がオープンで受容的な心の重要性を強調して来たこと、また心というものが電話のように双方向の装置であることを覚えておいて下さい。もし私達が想念を意識的に送ることで私達の心を常に占拠していたら、私達にやって来る想念があっても、それらは「話し中の信号」を受け取り、戻されることでしょう。入って来る印象が私達の心が送信している想念振動を抜けることが出来ないため、心と心の間の接続が完成されないのです。




【解説】
 前項(304)の冒頭に説明があったように、テレパシーは私達の心を通じて行われます。それ故、心が既存の想念で一杯になっていたり、想念の発信過程にある間は、他の想念が入り込む余地がなく、受信ができないことになります。
 まさにテレパシー能力は如何に自らの心を穏やかに保ち、あらゆる微妙な波動にも気付けるよう、警戒を怠らないかに掛かっています。
 即ち、心の中にいつまでも自己の想念を保持することも、テレパシーを妨げることになります。心を空(Empty)にすること、心を空しくすることについてはイエスの教えでありますが、これもテレパシーの本質を説いたものと思われます。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落304

304 In developing telepathy as a means of communication, remember impressions work from mind to mind; and distance is no barrier. As we first begin to use this universal language, we will find it easier to exchange impressions with a few chosen individuals until confidence is gained. With all parties working in sympathy a certain wave length can be established between them; making it possible for them to communicate much as radio "hams" talk back and forth around the world.
304 意思疎通の手段としてテレパシー能力を発達させるについては、印象は心から心に作用し、距離は障壁にはならないことを覚えておいて下さい。私達がこの宇宙普遍の言語を最初に用いるに当っては、確信が得られるまでは少数の選ばれた個人の間で印象を交換する方が容易であることがわかるでしょう。仲間意識を持って働く仲間の間では、ある波長が出来上がりますし、ラジオの「アマチュア無線家」が世界中と通話するように意思疎通を可能とするのです。




【解説】
 野外で鳥の観察をしていると、群れは一団となって行動している様子が良くわかります。もちろん、外敵に対して一斉に行動することは安全性を高めることでもあり、餌の効率的な確保の上でも有利と言えるでしょう。
 鳥が群れで行動する中で驚異的なのは、皆、一団となって自由自在に飛行することです。あたかも一つの生き物のように各々が全体の行動に従っているのです。このような場合、文字通り、何百何千という鳥が”心を一つに”していると言えるでしょう。そしてその原理こそ、本項で説かれているよう、あるリーダーの下、想念が各構成員に瞬時に伝わり、一致した行動を実現しているのです。
 また、同様の事象は魚にも当てはまり、蟻やミツバチの昆虫にも同様な現象を見ることが出来ます。即ち、自然界の生きものは皆、これらのテレパシー能力をごく日常の能力として発揮しているのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落303

303 A very good example of this may be found in the way many of our scientific discoveries are made almost simultaneously in separate parts of the world. Working independently, and often unaware of the research the other is doing along the same line, each scientist actually tunes in on the same thought vibration of universal knowledge; (the same as any number of people can tune in on a radio program).
303 これについての大変良い例は、多くの私達の科学的発見がほとんど同時になされているという経緯に見ることが出来ます。個別に取組んでおり、しばしば他の者が同じ経路に沿って進んでいることを知らないまま、各々の科学者は世界の離れた場所で、実際には宇宙普遍の知識の同じ想念振動に同調しているのです。(他の多くの人々が同時に一つのラジオ番組にチューナーを合わせることが出来るのと同じです)




【解説】
 本項で述べられている科学的発見の同時性については、いくつかの事例があります。中でもマルコーニの無線通信については、同時期に様々な人々が無線通信に関して類似した発見を行っていました。その中で、特許を取得したのがマルコーニであった訳です。
 同じ啓示的な想念波を多くの研究者が感受した中で、その発展性に気付いた者がマルコーニであったということでしょう。おそらくは時代背景がその発見を活用できる状況になった時、適切なタイミングで啓示が与えられるということでしょう。私達各人が常に警戒して置く必要があるのは、こうした天の啓示を活用したいからに他なりません。
 私達が天の啓示の実行者になる時、創造主はそれを見て、大いに喜ばれることは間違いありません。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落302

302 "Of course not," he answered without hesitation; then grinned, sheepishly. "Now I understand what you mean," he said, and sat down. The voices were audible to him, but not to those around him. Yet, if a person were to tune in on the same thought frequency he, too, would receive the same thought.
302 「もちろん、そんなことはありません」と彼は躊躇なく答え、次に恥ずかしそうにニコリと笑いました。「今、私は貴方の言う意味が分かりました」と言って席に座りました。その声は彼には聞こえたのですが、彼の周囲に聞こえるものではなかったのです。それでも、もし何らかの人物がそれと同じ想念波動に合わせることが出来れば、その者も同じ想念を受信したことでしょう。




【解説】
 私自身、未だ本項のような体験はありませんが、声が聞こえたとする事例も多く聞くところです。想念が放送の電波のようなものと仮定すれば、送り手の言葉を私達自身の受信機が再び送り手の音声を再現することはよく理解出来ます。各人の受信機の性能を高めれば、その想念波から忠実に送信者のメッセージを再現出来るということでしょう。
 私達自身がこれら宇宙的想念の表現者、再現者になれば、この惑星全体が宇宙の楽園と化し、禁断の惑星という汚名を晴らすことにつながることでしょう。その為にも、より良質な波動に共鳴出来るよう、自らの心身を整える必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落301

301 Now the question will arise: How is conversational privacy possible under these circumstances? I believe a good illustration of this occurred during a lecture I once gave. I had just finished explaining how the images and voices came silently to the mind, when a man in the audience rose and interrupted, saying he heard voices speaking distinctly. He was very insistent that these were audible, and his reception was not in the least silent. I then asked him, "If I were standing beside you, would I hear the same voices?"
301 そうなると質問が起るでしょう。このような環境の下では会話の秘密は可能となるのでしょうか?私としてはかつて私が行ったレクチャーの間に起ったことが良い例かと思っています。私が丁度、イメージや音声が無言のまま如何にして心にやって来るかの説明を終えた時、聴衆の中の一人の男が立ち上がって自分は明瞭に聞こえる声を聞いたと言って、私の話をさえぎりました。その男性はこれらは耳に聞こえるものであると主張し、自分の受信したものは少しも無言ではなかったと主張しました。私はそれで、「もし、私が貴方の脇に立っていたとすれば、私はその同じ声を聞けたでしょうか?」と彼に尋ねました。




【解説】
 感受した想念・印象が強い程、受信した者は音声や映像としてそれらを認識出来るということでしょう。いわゆる”啓示”や”お告げ”その他の現象は、そのことを示しています。また、多くの宗教家が主張する”天の声”もこうした現象のように思われます。
 私達は日々互いに想念を発していますが、それらはまだ未熟で純粋でない為に、十分な力を有していないと考えるべきでしょう。送る側も受け取る側も未発達の状態なのです。
 こうした中、私達は心を穏やかに保ち、やってくるインスピレーションに常に備える態勢が重要であり、心の中から雑念が排除されれば、受け入れた想念・印象は鮮やかに認識できるようになることでしょう。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落300

300 The secret of what is termed "direct transference" from one individual to another, is simply that with the thought projected the sender incorporates the image of the person he has chosen as recipient. A million people might receive the thought, but because it does not pertain to their personal affairs, they will let it pass through their minds unnoticed. But the chosen recipient will recognize his image in the thought, and direct his attention toward its perfect reception.
300 一人の個人からもう一人の個人への「感情の直接転移」と名付けられることの隠れた実体は、単純に放出される想念に送り手が受け手として選んだ人物のイメージを組み入れているのです。百万人の人々がその想念を受信するかも知れませんが、それらの人々の個人的な事柄にそれが関係しない為、それらの人達は自分達の心の中を何ら気付かれずにそれを通過させるのです。しかし、その選ばれた受信者はその想念の中に自分のイメージを認め、自らの関心をその完全な受信に向けて導くのです。




【解説】
 基本的に誰でも受信できる想念であっても、その想念波に相手のイメージを組み入れることで、より確実に相手に伝わるということです。親しい者同士の以心伝心もそうした仕組みの中で相互が共に高い能力を有している為に起こるものと言えるでしょう。
 よく神社等で祈る人々を見ますが、それも伝える相手を具体的にイメージした上で祈ることで、願いが相手に伝わるというものです。私達が願う創造主との出会いはこうした誠実な祈りの中で伝わるものと言えるのです。
 常に創造主を思い、少しでも近づきたいと思う中で、やがては自らの行動が創造主の望む通りに行えるようになれるのです。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落299

299 We find that in the case of thought, like the spark of light, vibrations proceed outwardly from it in all directions. We can tune in on any radiation of that impression, and receive the full thought. Therefore, contrary to current belief it is not possible to transmit a thought directly to any one individual, to the exclusion of everyone else! For inasmuch as mind, the medium of thought transmission, permeates the whole of space and form, there is no place where a thought vibration is excluded.
299 私達は想念は光の閃光のようにそこからあらゆる方向に外に向って進行する振動であることに気付いています。私達はその印象のどんな放射線にも同調させ、その完全な想念を受信することが出来ます。従って最近、信じられていることとは逆に、他の者を除き、何か一人の個人に直接想念を伝達することは出来ないのです。何故なら心、即ち想念伝達の媒体は全宇宙と形あるものに浸透している為に、想念振動が排除される場所はないからです。




【解説】
 想念はスパークのように四方八方に広がりながら宇宙空間の果てまで伝搬するという訳です。それは決して何か特別の対象者のみに対して注がれるものではないのです。
 従って誰でも他人が発した想念を察知できる為、本来、想念に秘密という要素はないのです。同乗記の中で他の惑星人達が相手の気持ちを察知する能力に長けていたのにアダムスキー氏が驚いたように、他惑星社会では言語によらないコミュニケーションが普通の事柄だということでしょう。
 また、同時にこれらは言語によるものでない為、この原理は動植物全般に適用されるものと考えるべきでしょう。即ち、植物と会話したとされる育種家のルーサー・バーバンクの事例もあり、仏典にも仏陀の足跡に花が咲いたりした状況は植物達が喜びを表現したものと考えるべきでしょう。
 私達も、自らの心を平安に保ち、宇宙の一員としての自覚を持つことで、宇宙と一体感を育み、より高位な存在になることが出来ると考えています。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落298

298 The human instrument, or mind, may receive thought vibrations corresponding to its own thought-habit; but may be totally oblivious of vibrations of another nature. Thus, we perceive, it is necessary to develop a universal interest if we are to become unlimited telepathic recipients.
298 人体の道具である心は自らの想念習慣に対応した想念振動は感受するかも知れません。しかし、他の性質の振動に関しては全く気に止めないのかも知れません。このようにもし私達が無限のテレパシー受信者になろうとするなら、宇宙普遍の関心を発達させる必要があることが分かります。



【解説】
 心は私達人間に備わっている道具であると説かれています。即ち、各人が持つ機材であり、この心によって想念・印象を私達が把握し、理解する訳です。
 しかし、心が認識するのはもっぱら、これまで親しんで来た部類の想念パターンである為、より本質的な想念、宇宙的印象を認識することは少ないのです。馴れた周波数、見慣れたテレビ番組に目が行きやすいという訳です。
 この状況から抜け出るには、私達自身が意志を持って、より宇宙的な関心を高めることが必要なのです。関心を向けることによって、それらの方向から来る印象を感受出来るようになると本項は説いています。私達各自の進化の上で、より高品位な宇宙的想念を体内に取り入れることに絶えず努めることが基本的条件となります。

ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部第2章-段落297

297 Some individuals find they receive only telepathic communications of a dire nature; while others receive beautiful visions of a more universal expression. This difference in quality of receptivity can be explained by the fact that the relative vibrations of each person is different. (In speaking of relative vibrations here, I mean to denote the thought-habit of the individual.) And since it is not possible to receive a vibration to which we are not attuned, we will attract those sympathetic to our habitual thought pattern. Remember, when the violin is not properly tuned it will not respond to the sound frequency of the other instrument.
297 ある個人は自分達が不吉な性質のテレパシー的意思疎通しか受け取らないことに気付きますが、他方ではより宇宙的な表現の美しい幻影しか受信しません。この感受性の性質の違いは、各個人における相対的な振動が異なるという事実によって説明出来ます。(ここで言う相対的な振動とは、私としては各個人の想念習慣を印す意図で用いています。)そして私達が調律を受けていない振動を受信することは不可能である以上、私達は私達の習慣的想念パターンにそれら同情的なものを引き寄せるのです。バイオリンが適切に調律されていなければ、もう一つの楽器の音声周波数に呼応することはないことを思い出して下さい。



【解説】
 私達は単に想念・印象に鋭敏になろうとしても、私達自身が同調できるのは私達自身のレベルのものでしかないのです。高次な想念を望んでいても通常、私達が感受出来るのは自分と同類のレベルという訳です。
 従って、より高次な想念を知覚する為には、私達自身がそれにふさわしい存在になる必要があります。いわゆる卵が先かニワトリが先かの議論になりますが、それでもまずは心身を清め、行動力を高める努力が必要となるのです。その上で、一定程度まで進んだ時、私達はそれら高次な想念波動に共鳴出来る段階に至り、その後はそれらのインスピレーションの指導により、急速に進化を遂げるということでしょう。訓練(修行)が大事である理由はそこにあるのです。

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