ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落211

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose.
211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません。


【解説】
 薄紫色の花をつけるライラックは日本では札幌等が有名ですが、おそらく著者の自宅の近くにそのような花園があったものと思われます。ちなみに「半エーカー」とは日本式に言えば「約600坪」の大きさです。(1エーカーは63m×63m)。
 そのような場所でも中に迷い込み出口に通じる経路を見失うことがある訳ですが、心が不安になると実際にはどんなに出口に近くてもパニックに陥り易いということでしょう。後から考えれば滑稽に見えることが実は多いように思えます。
 私達はこうした場合、自分の不安になる心を鎮め、その理由が何処にあるのかを諭し、かつても類似した経験を思い出して、再考させる必要があるように思っています。心が不安としている原因や理由を突き詰め、自分自身の弱さと対峙する必要があるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落210

210 Little did they know that what they were searching for was the other half of themselves which was not to be found in the darkness of their own opinions. For this is found in the light of consciousness which they never did enjoy. Yet it was always there, for every now and then the light would penetrate the darkness of the wooded country, but they failed to see and understand it. There are those who have followed the light of consciousness and found the way out and felt and enjoyed the freedom of the open country. And thus they experienced a lasting security that was never known before. Yet others not realizing what they had found, returned back into the darkened land only to be lost again. And they continue to create forests of darkness through which it will be harder to find the way as time goes on.
210 彼等は自分達が求めているものが自己の意見という暗闇の中では見出せない自分自身の半身であることが少しも分からないのです。何故なら、これは彼等が決して享受したことのない意識の光の中において発見されるものだからです。それでも、それはそこにいつもあります。何故なら時として光は木々に覆われた土地を貫くことがありますが、彼等はそれを見落とし、理解し損じるからです。また、意識の光に従って外に通じる道を見い出し、広がった大地の自由さを感じ、楽しむ者もいます。そしてこのように彼等はこれまで経験したことのない永続する安心感を体験するのです。それでも他の者達は自分達が何を発見したのかを自覚せず、再び暗い土地に戻って行き、ただ再び道に迷います。そして彼等は時間が経つにつれ見い出すのをますます困難にさせる暗黒の力を造り続けるのです。



【解説】
 永年探し求めていたのは、自分のもう一方の半身であるとは、至言というべき言葉です。私達は既に各自の細胞を造り上げている分子原子が知性を有していることや記憶を保持することを本講座から学んでいます。しかし、これらに気が付くことのないまま、外部に導き手を求めているという訳です。
 従ってその実状を照らす光を受けるだけで良く、その明るさの中で真実が見えるようになるということでしょう。宇宙哲学の本の表紙に描かれている松明(タイマツ)のイメージはこうした人々の周囲の暗闇を照らすという象徴であるのです。
 しかし、残念なことに中にはたとえ光が差し込んでも自分は暗がりの方が良いとして、引きこもってしまう者も居るという訳です。素直に祝福を受け、それによって自分に何が出来るようになったかを見極めて、進んで恩恵を受けるように受容的態度が必要です。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落209

209 These people are like a man lost in a heavily wooded forest where the congested growth hides the sun and the vision of heaven that could lead him in the right direction. The timbers could be likened to personal opinions that blocks the vision of light that could show the way. A person may even die in this state and never know the true purpose of life. We have people who have everything that the world has to offer, even security beyond their needs, but they are very unhappy within themselves. They have searched all of their lives for something they did not understand. They sought wealth and fame for security but after having this, the happiness they longed for was not there because they had never left the timber land of self opinions. And their values of life are out of line with the cosmos.
209 これらの人々は生い茂った木々の成長が正しい方向を示してくれる太陽と天の視界を隠しているうっそうと茂った森の中で道に迷った人間のようなものです。木々は道を示すことができる光の視覚を遮る個人的な意見に似ていると言えるでしょう。人によってはこの状況の中で亡くなり、人生の真実の目的を知ることはありません。私達はこの世が提供できるあらゆるもの、そして自分が必要とする以上の安全さえも手に入れ、それでも自分自身の内面ではとても不幸である人々を知っています。彼らは自分の生涯の全てを自分ではわからない何物かを求めて来ているのです。彼らは安心のために富や名声を追い求めて来ましたが、それを得た後は、願っていた幸せはそこには無かったのです。何故なら彼らは自己の意見という森林を離れることはなかったからです。そして彼らの人生の価値というものは、宇宙の方向からは外れています。



【解説】
 私達が自ら進むべき方向、本来の自分が為すべき事柄が分からず、迷っている状況を日の光が差し込まない薄暗い森林の中で道に迷った者と本文は表現しています。
 実は私達は生きて行く過程で多くの過ちを犯しますが、その度に本来の解決策でなく、自らの言い訳を造り上げ必要な修正を行わないで過ごしがちです。その度に自分自身に自らの視界を遮る大木を植えてしまう訳です。そして遂には自らの進路をも暗くする森を造り上げ、その自我の茂みから抜け出せずに一生を終わる者も多いと警告しています。
 本来は宇宙から降り注がれる導きの印象に従えることが出来れば良いのですが、それらを遮る自我が問題で、そのような状況の中でじっとしている怠惰な状況は、早晩私達自身を滅ぼすことになるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落208

208 Yet some individuals after finding this go astray. And there are millions of such. But when this happens more than one gap is made and sometimes these are almost impossible to fill as the human mind in many cases is lazy and seeks the highway of least resistance. Thus it creates many gaps through its span of life. And this majority never know true happiness, peace and contentment. And the indications are that they are off the beam of life which is of cosmic nature. For they are easily irritated, hard to satisfy, fault finding and display very poor sportsmanship. They constantly seek new friends which are not stable, but of the same nature.
208 それでも人によってはこれを見い出した後も、道に迷う者もいます。しかもこのような例は何百万もあるのです。しかし、これが起った後は、出来るすき間は一箇所に留まらず、時として埋めることがほとんど困難になってしまいます。何故なら人間の心は多くの場合、怠け者であり、最小限の抵抗という常道を求めるからです。このようにして心はその生涯を通じて数多くのすき間を造り出すのです。そしてこの多数派は真実の幸福や平和、満足を知ることはありません。そしてその兆候は彼等が宇宙的性質である生命の光線とは離れていることを示しています。何故なら、彼等は容易にイライラして、満ち足りることが無く、あら探しをし、とても貧しいスポーツマン精神を表わすからです。彼等は常に新しい友人を求めますが、それらは不安定であり、また同類の者達です。


【解説】
 人間にとって何が一番大切かについて、本項は私達に説いているように思います。即ち、誠実さ、素直さがそれであると私は思うのです。
 本項で説かれているのは、過ち事態は人間である以上、よくあることで、いずれその修正をすべき時が来るとしています。しかし、修正する機会が訪れてもそれを実行せず何らかの言い訳を作って求めることを実行しないことが問題だとしているのです。怠け者であるのは人間の傾向ですが、実行せずにいると次の機会にはその巡り合う事象の意義さえ見失い、自分の周囲のもの全てを批判し束の間の心の欲望のみに走り、進歩から遠ざかってしまうと警告しています。
 本文ではその修正されないで残っている状況をギャップ、即ち道路の亀裂に例えていますが、やがて進む方向のあらゆる所に亀裂が出来れば、本人にとっては前に進むのも嫌になり、自暴自棄に陥るということでしょう。
 それに対し、与えられた印象に素直であり、誠実に対応しようとすれば、それは修正の機会となり、道は修復されスムーズに進化して行けることになります。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落207

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.
207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。



【解説】
 私達は多かれ少なかれ何かをしたいという願いがあるものと思います。具体的なイメージが無い場合も多いのですが、何か自分の目的を探して暮らしている人も多いのかも知れません。出会いを求めるという訳です。
 実はそうした背景には、その人の過去の学習体験、とりわけ学習の過程で見失った要素が関係していると本項は説いているのです。自分に必要であった要素を当時、見失ったために今生においてそれとの再会を願うのだということです。
 実はそれ程に私達の生活の中での学習体験は重要だということでしょう。各自の成長に必要な要素は死後の転生先にも引き継がれる訳で、自分自身その理由は分からなくても自分が必要な要素を提供して呉れる者や言葉(教え)との出会いを求めるものだとしています。更にその出会いが出来た時、幸福感が湧き、更に学びたいという欲求が起こるとしています。
 これらが本来のカルマというものでしょう。日々行動する中でその出会いのチャンスが生まれます。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落206

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.
206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。



【解説】
 本文を読んでいて、何故著者は窓ガラスを私達に求められる修正の象徴として表現しているのかを考えてしまいます。
 本文では具体的な記述はありません。しかし、その参考とすべき好例として、私は今日パソコンをお使いの方はご存知のようにWindows10の開始画面における窓から光が差し込む状況をご紹介したいと思います。パソコン画面では暗闇の部屋に窓から外の光が差し込んでいるという光景です。いわばその窓が自分自身の暗闇を外の光で照らし、迷いを取り除くような機能として描かれているように思うのです。
 私達は暗闇の中で多くの過ちや苦悩にもがいていました。それらは所詮、私達の誤りや迷いに由来するのですが、その解決策として窓を設けることで、外の光溢れる世界と繋がることが可能となる訳です。一つ一つの誤りに対して素直に改めて行けば、暗い心の部屋に外部の光が通り、もはや迷うことがないよう、窓が付けられると表現されているように思うのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落205

205 If you are not sure whether a mistake has been made or not, make a careful analysis of the effect. If you feel that you have, the way to make the correction will be shown. And if the action is against another human being, become that person, and you will know what is to be done without loss of time. For every mistake cuts one off from cosmic impressions and creates a condition like a vacuum or gap between two points. It is no different than being disconnected while talking on the telephone. If this is caused by a break in the line, and the one making the call is unaware of the break, he continues to talk but the receiver is not getting the impressions. And he will not until the correction is made. So the intervening conversation is lost to the receiver, and the gap is filled with confusion and wondering what was to have been said. And in this way, what would have been received is distorted.
205 もし貴方が過ちをしたかどうか不確かな場合は、結果について注意深い分析をすることです。もし過ちを犯したと感じるなら、修正を行う方法が示されるでしょう。そしてその行為が他の人間に対するものなら、その人間になって見なさい。そうすれば時間の無駄なく何を為すべきかが分かるでしょう。何故なら、あらゆる過ちは宇宙的印象類から本人を切り離してしまい、2点間に真空或いはすき間のような状況を造り上げます。それは電話で話をしている間に電話を切られた時の状態と違いはありません。もしこの状態が通話中に起り、電話を掛けている一方がその断絶に気がつかない場合は、彼は話しを続けますが、受信者はその印象を受取っていません。線の復旧が行われるまで彼は受信できないままです。その為、受信者にとってその間の会話内容が失われ、そのすき間は混乱とその間に何が話されたかについての好奇心で埋められることになります。そしてこのように、受信された筈の事柄が歪められるのです。



【解説】
 ここで注目すべきは、印象・インスピレーションは確かに受信の際は瞬時に来るものですが、実際にはその後も印象の経路は続いているということでしょう。丁度、印象が流れる道筋が出来たように、想念・印象の送り手と受け手の間に印象のチャネルが形成されるということのようです。
 即ち、ひとたび創造主あるいは高次の人物からの想念・印象を感受出来れば、以後は比較的容易に印象は流れ込んで来るという訳です。
 しかし、本文にあるように受け手の側に取り扱いを誤る事態があれば、その印象の流れが滞り、不都合が生じることになります。意思が通わなくなる訳です。またこのことからも分かるようにひとたび高尚な印象を感受することが出来たとすれば、その時、私達はその印象の発信者とのチャネルが出来たことになり、大変貴重な機会を得たことになります。出来るだけその状況を記憶し、その後も継続的に繋がるような心境を保つべきでしょう。印象を大切にする根拠はこの点にもあるのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落204

204 Never allow the mind to become emotionally affected to the point where it wants to tell the world what has been revealed to it. For when the time of revelation does come - it will be given calmly and modestly. The tricks that the mind has cultivated and accumulated will appear from time to time and try to show the other fellow how much it knows. This is definitely wrong and should this occur it is time to remember - do unto others as you would have them do unto you. The mind has been dwelling in untruthful things for ages and when the real truth is brought to it, it does not like to accept for it built its foundation on mistakes and does not like to have them disturbed. And as said before, this does not mean that mistakes are of no value, for they show us the right way to act. But one mistake is not to be covered up with other mistakes. It is to be corrected immediately.
204 決して心に明かされたことを世間に告げようというところまで心が感情に動かされるのを許してはなりません。何故なら啓示がやって来る時、それは静かにそして控えめに与えられるからです。長年心が培い蓄積して来たたくらみが時折現れて、同僚に如何に自分が知っているかを示そうとします。これは絶対によくないことであり、万一起こった時は、次のことを思い出して下さい。汝が他人にしてもらいたいと思うことを他人に為せです。心は長い年月、嘘で固めた中で生きて来ているので、実際の真理がやって来た時、過ちの上に基礎を置いており、混乱されたくない為にそれを受け入れたくないと思うのです。しかし、以前申し上げたように、その過ちは価値が無いとしているのではありません。何故なら、それは行動すべき正しい道を私達に示してくれるからです。しかし、ひとつの過ちは他の過ちによって包み隠されてはなりません。直ちに直されねばならないのです。



【解説】
 うぬぼれ、高慢こそ私達が最も注意深く排除しなければならない要素です。それは同乗記その他の中で伝えられている進化した他惑星人の言動からも彼らには一切そのような要素が無いことが分かります。もし地球人が同じ立場なら、地球より低レベルの星の人々に対して、いわば軽蔑的に”このようなことも知らないのか”と言い出す場面もある筈です。しかし彼ら進化した惑星人は実に暖かく地球人に接しています。それは真理を知り、真実に生きる者の特徴であり、決して他を見下すことはありません。
 一方、少しでも他人より知識があれば、それをあげつらい自己顕示するのが私達の心の特徴です。本来そのような者に創造主の印象を同期する能力は無いのですが、偶然何かの機会で印象を得たとしても、それを不用意に明らかにすれば、その後、それらの未来に起こるべき事象は本来の軌道を離れて実現出来なくなることも大いに考えられます。もし自分の願いに叶った印象であるなら、それは自分の中にそっと保存し、その後の実現を待つというのが、正しい対処法かと考えます。
 重要な点は自らに授けられた印象を拠り所として次にどのように行動するかであり、決して得た印象を他人に伝え、自分がインスピレーションを得たことを無分別に喋ることは益になることではないのです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落203

203 One can be fairly sure of being right in what is received through consciousness providing the mind does not indulge in wild imagination or judgment. Even though the impressions may not be understood at the moment, for oftimes patience is required. But the fact that there is a revelation should give you the assurance that it will fit in someplace when the time is right.
203 人は心が乱れた想像や裁きに耽らないならば、意識を通じて受け取るものについては十分正しいものと確信して良いでしょう。その印象が例えその時理解できなくてもです。多くの場合、忍耐が必要なのです。しかし、啓示というものがあるという事実は、貴方にそれがいつか時が正しい時に何処かで当てはまるという確信をもたらすことでしょう。



【解説】
 多くの場合、宇宙源泉から授けられる印象はささやかでまた直後は理解し難いものが多いようです。それは受け取る私達の日常と合わないものや未だ現実化していない未来の事象を垣間見るものであるからです。
 限られた私の体験からも現実化する10数年以上も前に夢に見た印象深いものがありました。当時は全く想像できない程、現実と異なるものでした。しかし実はその後、10数年を経て、当時見た夢と同様な光景を体験することとなり、驚いたものです。
 このように私達に授けられる印象は、心が当座受け入れ難いものでも大切に取り扱わねばなりません。後々現実になるものが多いからです。その際重要なのは、感受した印象を心が要・不要と即断せず、忍耐強くその意味を考え、大切に取り扱うことだと考えます。与えられた印象を大切に記憶し、将来役立つ時まで保管し、発信源を信頼することです。

ジョージ・アダムスキー 「生命の科学」第5課-段落202

202 To guard oneself against such wild impressions, remember that a human form is always a human form even on another system. For the pattern for man is cosmic. The difference would be in the refinement of the form and the expansion of knowledge in different fields of expression. Yet the similarity from the lowest to the highest will be present for there are no blanks in the cosmic plan. In the field of service he who is guided by cosmic consciousness recognizes no divisions but blends all phases of manifestations in relationship to all others. No discrimination or judgment exists for one who has an understanding. Analysis for the purpose of correction and understanding of the misapplication of the law is ever present.
202 このような粗野な印象類から自分を守る為には、人間という形態は他の太陽系においても常に人間の形であることを覚えておいて下さい。人の為のパターンは宇宙的だからです。違いがあるとすれば、その形の精緻さと様々な表現分野における知識の広がりにあるでしょう。しかし、最低位から最高位の間には類似性が存在し続けています。何故なら宇宙の計画に空白は無いからです。奉仕の分野において宇宙意識によって導かれている者は如何なる分断を観ることはなく、それらすべての創造の現れの側面を他のすべてとの関連において融合させます。理解を得ている者に差別や裁きはありません。法則の誤用に対する修正と理解を目的とする分析が永劫に存在するだけです。


【解説】
 誤りを犯し易い私達に対して著者は宇宙にはピンからキリまでの幅広いレベルの存在があり、人間は所詮過ちを犯し易いのだと諭しています。こうした中、自ら過ちに気付いたらそれがどのようにして生じたか分析することだと説いているのです。
 低次元の自分のエゴと同質の他人からの想念・印象とは容易に同調出来る一方、宇宙から来る目に見えない瞬時のヒラメキである印象を正しく解釈することは、それほど容易ではないということです。
 また本項は私達の誤りの特徴として差別感を挙げています。善悪、優劣は私達の心の特徴であるからです。逆に言えばそのような印象を持つ場合は、そこには宇宙的要素はなく、人間の心から出たものか自身の心による解釈と判断した方が良いのです。それ程に印象の中には実に幅広いレベルの差があるのです。
 そうした多様性の中で自分はそもそもどのような印象・インスピレーションを求めるかは明確にして置いた方が良いでしょう。求める所に授けられるというのが宇宙の法則と思うからです。

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